第十八話 空白の三時間
(……えっ?)
お腹から綺麗に二等分された私の体は為す術もなく床に倒れ、どしゃりと音を立てて断面から内臓をぶちまける。
(え? え……? 私の、体……)
「……うん? 律儀なお嬢さんだな。本題についてはまだ何も話が進んでいないが……もう口を開ける頃だろう? 喋ってくれて構わないぞ」
そうは言われても、お腹に力を入れることができない。
そして、胴体を切断されているというのに、アドレナリンが分泌されているおかげなのか痛みは全く襲ってこなかった。
「ひゅーっ……ひゅーっ……」
ああ、おかしな呼吸音が聞こえるわ。まさか“これ”は私の口から漏れているのかしら?
目線を少し下にやれば、サーモンピンク色のホースが血の海に転がっている。つやつや光る腸を見て「ああ、綺麗」と感じるのも、ぜんぶぜんぶ他人事みたい。
「お嬢さん。私は聖人ではないが……同時に、鬼畜外道や死神の類でもない」
赤の王はそう言いながら、うつ伏せのまま赤
ステンドグラスが綺麗。陽光が眩しい。なんだか……上手く、呼吸できなくなってきた。
「繰り返すが、今の私は虫の居所が悪い。だが……その要因となっている『あの発言』をお前が取り消すと言うのなら、これ以上は何もせず、お嬢さんをこの場から解放すると約束しよう」
その場に屈んで私の顔を覗き込む赤の王は、黒髪を揺らして首を傾ける。彼の背後に隠れていた白ウサギは、私を見て「いい気味だ」と小さく呟いた。
「……『白ウサギを殺す』……今なら聞かなかったことにしてやれる。どうだ? お嬢さん」
嗚呼……どいつもこいつも、イカレてる。ふざけてる。
こんな目にあって、どうして私が折れなければいけないの?この国で、最も正しいのは
そうよ、お前じゃない。お前たちじゃない。
「ぜっ……い、に……いや……まえ、も……し……」
「……」
力を振り絞り、王とウサギに向かって中指を立てて見せた。
瞬間、赤の王から表情が消える。
「……どうやら、躾が必要なようだ」
立ち上がった王は大鎌の取っ手を握り直し、まるでその仕草を合図として受けとったかのように白ウサギはぱっと表情を明るくして一度頷くと、私の上半身を抱き起こした。
(……? なに……?)
「白ウサギ。判決を後回しにして、処刑を先に行うのは馬鹿げていると思うか?」
「いいえ、いいえ……!」
王の問いに、弾む声でそう答えるウサギ。
「このチビの首をちょん切りなさい。女王様は、金切り声で叫びます」
穏やかな低い声が鼓膜を通り抜けて、脳みそをなぞる。次の瞬間――……私の頭部は、鮮血と共に宙を舞っていた。
***
「……なんで……」
おかしい、おかしい。どう考えても理解しがたい現象が起きている。
「ああ、目が覚めたか。おはよう」
ステンドグラスから差し込む夕陽を背中に浴びつつ、私のすぐそばにある会衆席に腰かけて吞気にティーカップを揺らす赤の王の存在も。何もかもがおかしい。
「どう、いう……」
そう、“また”だ。また、二人分に切り分けられたはずの胴体が綺麗にくっついて内臓を収納し、頭も首と繋がって何事もなかったかのように
私は確かに死んだ……いや、この王を名乗る男の手で殺されたはずだというのに。
「……ああ、失礼した。『こんにちは』もしくは『こんばんは』と言う方が正しい時間だな」
そんなことはどうでもいい。
ああ、どうしよう。脳みそが完全にパニックを起こしていて、上手く状況を分解することができなくなっている。
でも、誰だって今の私と同じ場面に何の説明もなくポンと置かれたら、同じような反応になるはずだ。
「はっ、はぁ……っ!」
立ち上がって辺りに目をやる私を見て、王は何を勘違いしたのか「白ウサギなら先に帰らせた。今頃、夢の中だろう」などと不要な情報をよこしてくる。
違う、違う。今の私が求めているのは『そんな事』ではない。
「わた、し……どう……どう、なって……」
「どう? そうだな……右側の髪が少し乱れているぞ」
「ふざけないで!!」
声を荒げて王の整った顔を睨み付けてやるが、彼はちらりと私に目を向けたあと優雅な動きでティーカップを席に置くだけで何も言わなかった。
「……これは、あなたの『呪い』なの……?」
最も現実的で真っ先に疑ったのは、この男が何らかの『呪い』をかけて私を蘇らせるなり『死』そのものを無かった出来事として処分した可能性である。
しかしその場合「なぜわざわざ生き返らせたのか?」という疑問が同時に生まれてしまうが、私の首を刎ねる前の言動から予想できるのは「白ウサギ殺害予告を撤回するまで、私を拷問するため」だ。
「……それとも、」
そして、これが頭に浮かんだもう一つの可能性。
「私は……時間をループしているの……?」
私の『死』を条件に何かの力が発動し、ワンダーランドごと私が死ぬ前の時間に戻っているのではないか?
二つ目の推測をぶつけると、王は長い足を組みながら首を傾げて私を見た。
「ユニークな着眼点だが、そんな親切設定は設けていない。お前が意識を失ってから目覚めるまで、きっちり三時間経っている。その間に、私も仮眠をとらせてもらった」
「三時間……?」
何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
時間がループしていないのなら、やはり私は死んだはずで。でも生きている、どうして?それじゃあ、
「お嬢さんに、良い知らせと悪い知らせがある」
「……え……?」
「ああ……残念だろうが、お決まりの問答をするつもりはない。勝手に答えさせてもらう」
言いながら、赤の王はゆっくりと立ち上がる。
「まず、良い知らせだ。今起きている事の全ては夢でも、妄想でもない。確かな『現実』だ」
低い声が紡ぐその言葉にひどく安堵した。
ああ、よかった。やっぱり私は狂ってなんかいないし、ワンダーランドは実在するのよ!
「そして、悪い知らせだ」
「悪い知らせ……? 何」
一歩、歩みを進めて目の前まで来た赤の王が、いつだかのように片腕を横に振る。
何をしているのかしら?そんなことを考える余裕があったのもほんの数秒で、彼の片手に死神を連想する大鎌が握られていると気づいた時には腹部が熱を持ち、
「……? かふっ……え……?」
食道を駆け上った鉄の味がする液体は、唇の隙間から漏れて赤絨毯に滴り落ちていた。
恐る恐るお腹に手を当てると、ぬるりとした何かが手のひらを赤く染め上げる。
(……え? 何が……私、切られた、の……?)
「躾はまだ始まってすらいないぞ」
恐怖によるものか、それとももっと別の理由だろうか。
がくがくと笑い始めた膝に力を込め、なんとか体重を支えて立つ私の姿を王は冷たい二色のビー玉に映し、口元に緩やかな弧を描いた。
「……『誓い』通り、ユニコーンが助けに来てくれると良いな。お嬢さん?」
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