第十七話 良い子・悪い子

「裁判……?」


 ワンダーランドで行われる裁判。それが意味する『結末』を、私はよく知っていた。


「は……っ、はぁっ、はあ……っ!!」


 馬鹿げているにもほどがある!アリスは大声で言いました。

 口をつつしみなさい!女王様は、顔が紫になっています。


「はっ……! はぁ……っ!!」


 いやよ!と、アリス。


「……いや、いや……っ」

「……?」


 あいつの首をちょん切りなさい!女王様は叫びます。

 誰があんたたちなんか気にするものですか!とアリス。


「ただのトランプの束のくせに……」

「……」


 同時に、トランプは空へ舞い上がってアリスにとびかかってきました。

 アリスは少し悲鳴を上げて、それを払いのけようとして、気がつくと――……。


『起きなさい、アリスちゃん』

「嫌! 嫌、嫌、嫌ぁ……っ!!」


 怪我をするかもしれないなどと考えるよりも先に体が動き、首に添えられた大鎌の刃を両手で掴んで自身から遠ざける。

 そんな私を見て『彼』はとくべつ驚いた様子も見せずに、ただ「なるほど?」と呟いて目を細めた。


「終わらない、終わらせない……『アリス』は夢から覚めたりしない……っ!!」

「……やはり、そういうことか」


 血の滴る両手で大鎌の取っ手を掴み奪い取ろうと試みたが、


「お嬢さん、よく見ろ。“今この場には武器は何もない”……」

「!?」


 降参でもするかのようなわざとらしいポーズで彼が両の手のひらを私に見せてきた瞬間、先刻たしかに私の命を脅かしてきたはずの“モノ”が跡形もなく消えてしまったのだ。


(まさ、か……そんな、こと……)

「……今、私は虫の居所が悪いが、とても眠い状態でもある。悪いが、お嬢さんと遊んでやる心の余裕も、時間の猶予もない……故に、できる限り迅速に予定を終えてベッドで休みたいんだ。寂しがりのウサギを黙って置き去りにして来たことも気掛かりだからな」


 同時に、芋虫の言葉を思い出す。


『強い思い込みは……時に、人を殺すこともできる……』


 そう。


『声を聞かせるだけで、言葉を理解させるだけで……“それ”が可能な人間も、この国には存在する……』


 彼――赤の王は、きっと。


「さて、お嬢さん……お前は“少しの間、口を閉じていろ”……」


 ――……言葉だけで、人を殺せる。


「――!?」


 やはり“そう”だ。

 彼から直々に自己紹介されたわけでもないのに、なぜ目の前の人物が『赤の王』だと断言できたのか。それは今、私の体に起きている異変が理由である。

 芋虫さんの言っていた通り、こちらに投げてきた言葉の意味を脳が理解した瞬間――私の意思に関係なく、体の筋肉が大人しく彼の言う事を聞いて唇を引き結んでしまったのだ。


(これが『呪い』の力なの……!?)

「では、改めて本題に入るとしよう」


 だが、幸か不幸か。たしかに口を開き舌を回らせることは不可能ではあるが、手足の動きが封じられたわけではない。そして鼻呼吸も問題なく行えているため、目の前で余裕ぶって小さな欠伸をするこの男を「大人しく観察していなければならない理由はどこにもない」のだ。

 つまり――……、


「……っ!!」


 この男の声で『呪い』が発動してしまうのならばようにしてしまえばいい。そうだ、


(殺してしまえば、)

「その未来はんだよ……っ!!」

「!?」


 赤の王の首を絞めるために両腕を伸ばし距離を詰めると、彼はその場から一切動くことなくただ静かにそのオッドアイに私の姿を映していた。

 チャンスだと思ったのも束の間――直後に横から現れた何者かが声を荒げながら私の首を片手で掴み、そのまま後方へ向かって勢い良く引っ張られたせいでバランスを崩した私の体は背中から床に倒れこむ。


「ん゛っ……!?」

「アンタは一体、ボクから大切な人を何人奪えば気が済むんだ……!!」


 私に馬乗りになったまま顔を歪めてそう言ったのは、白ウサギだった。

 その背中越しに見えるステンドグラスから降る光のまぶしさに思わず目を細めたことで、この教会には夜が訪れていないのだと今さらになって気がつく。


「許せない、許せない!! 王様まで……っ!! こんな感情を抱いたのは初めてだ!!」

「ん゛ん゛……っ!!」


 そのまま白ウサギは震える両手でギリギリと私の首を絞め始め、


「……白ウサギ、やめなさい」

「だって……だって、だって! 王様……っ!! ボクは、」


 赤の王による制止の言葉をも振り払い首を絞め続ける白ウサギの赤い瞳から、しずくが一滴ぽとりと落ちた。


「ボクは、ボクが、あの子の仇をとるんだ……! アンタなんか殺してやる!!」

「……白ウサギ。今の言葉はいけないな」

「――っ!!」


 全身の肌があわ立つような冷たい声が言葉を紡いだ途端、白ウサギは血相を変えて両手を離し、慌てた様子で体を起こすと肩を縮こませながら赤の王に向き直る。


「ご、ごめんなさい……つい、感情的になりました……ごめんなさい、王様。どうか、どうか、ボクを捨てないでください……」


 遅れて私も体を起こしつつ痛む首を撫でて赤の王に目をやるが、彼は白ウサギの言葉を聞いて困ったように眉を寄せ、唇の端を少し持ち上げていた。

 まるで子供を叱ったあと言い分を聞く親のようなその表情に、かすかな吐き気を覚える。


「話が飛躍ひやくしすぎているな。私には覚えがないのだが、いつ『白ウサギは用済みだ』と口にした?」

「して、いません……」

「そうか、私の記憶が正しかったようで何よりだ」

「……あの、王様……ボクの失言を許してくださるんですか……?」

「うん? そう言ったつもりだが、理解し辛かったのなら言葉を変えよう……白ウサギ、こちらへ来なさい」


 赤の王が片手を差し出してそう言うと、白ウサギは「はい……! はいっ!」と二度返事をしてぴょんぴょんと軽く跳ねながら彼のそばへ駆け寄り、再度謝罪の言葉を口にした。


「もう謝る必要はない。反省のできるお前は良い子だな」


 そんなウサギの頭を王は先ほど差し出していた手で何度か撫でてやっており、不本意ながらこの短時間で彼らの関係性が伺えてしまう。


「……それに比べて、」


 赤の王は一歩前へ足を進めると自身の背後に白ウサギの姿を隠し、二色の虹彩こうさいで私を見下ろす。


「まったく……本当に、悪い子だ」

(……え?)


 そして、空気中に舞うゴミを払う要領で彼が片腕を横に振った瞬間――……私の上半身と下半身は綺麗に切り分けられており、王の手には大鎌が握られていた。

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