ホムンクルスの墓場

尾八原ジュージ

ホムンクルスの墓場

 昔から入るなと言われていた森に入ったのは、おれの前に同じく森に入っていった兄が、待てど暮らせど戻ってこなかったからだ。

 枯れた野薔薇といらくさが絡み合う小道を歩いていくと、いつのまにか辺りはだんだんと暗くなり、気がつくと道はなくなって、周囲を背の高い樅に囲まれていた。もはや自分がどちらから来たのかも定かではなくなり、おれは遅蒔きながら森の奥で迷ったことを自覚した。

 このままでは兄の二の舞になってしまう。来た道を探し回ったが、どこを歩いても最後には、中央に大きな丸い岩のある、丸く開けた広場に出てしまうのだった。

 途方に暮れていると、林立する樅の向こうから突然若い女が現れた。前掛けが眩しいほど白く、それだけが薄暗い森にぽっかりと浮かび上がって見えた。栗色の髪を長いお下げにして、その根元に赤い花を飾っていた。

 彼女は華奢な手に異様なものをぶら下げていた。それは人間の赤ん坊をふたまわりほど大きくしたようなもので、しわくちゃの老人みたいな顔をしていた。長さの不揃いな手足をだらりと垂らしているそいつは、どうやら死んでいるように見えた。

 おれが思わず「あっ」と声をあげると、女はその大きな、桃色に輝く瞳でこちらを見た。


 気がつくとおれは暖炉のある暖かい部屋にいて、緑色のスープを啜っていた。さっきまで屋外にいたはずなのに、どうしてこんなことになっているのか、さっぱり記憶にない。ただカーテンの隙間から見える外の景色はやっぱり森の中であり、おまけに夜がとっぷりと暮れていた。

 素朴な木の器に入ったスープは温かくて旨かったが、少しばかり薬臭かった。色とりどりのタイルで飾った小さなテーブルを挟んで、さっきの女が頬杖をつき、おれがスープを飲むのを見ていた。

 彼女は俺にドゥーディーと名乗った。

「何者なんだ?」

「学者よ」

 彼女はそう答えたが、ごく普通の普段着に前掛けをしたただの小娘のような姿は、とてもじゃないが学者のようには見えなかった。まだ牧場のミルク絞りよと言われた方が納得がいくと思った。

「どうしてこんなところに来たの?」

 そう問われたおれは、正直に「兄を探しにきた」と答えた。

「森の中にマンドレイクを探しに行くって出ていったきり、帰ってこないんだ」

「マンドレイク?」

「金になる植物だよ」

 ドゥーディーは俺の話を聞いて「ふうん」と気のなさそうな返事をしたが、

「あんたの顔が気に入ったから、しばらくここにいらっしゃいよ。この家を拠点にして、森の中を探したらいいわ」

 と勧めてくれた。おれはその言葉に甘えることにした。それは兄のためであり、加えておれ自身の下心のためでもあった。どうやって生計を立てているのかよくわからないが、少なくともドゥーディーは街に住んでいたおれたちよりいい暮らしをしているように見えた。彼女がどうやって金を儲けているのか、おれは知りたくなったのだ。


 次の日からおれは、日中は森の中を兄を探して歩き回り、日が暮れる前にドゥーディーの家に戻る生活を始めた。

 なるほど学者を自称するだけあって、彼女はなにかしらの研究をしているようだった。日当たりの悪い部屋に作られた彼女のいうところの「研究室」には、おれの知らない様々な草を乾かしたものが天井から所狭しとぶら下がり、金色の妙な形の釜が湯気を吹いていた。

 もっとも日当たりの悪く薄暗いところに置かれた、瓶のように見える巨大な試験管の群れは、この部屋において最も異様なものだった。ここではほとんど毎日のように、あの赤ん坊の体躯に老人の顔を持った奇妙な生き物が精製されていた。

「これはホムンクルスよ」とドゥーディーは俺に教えた。

「あたしはへたくそだから、こいつはまだ三十分くらいしか生きていられないの。でもいつか、普通の人間みたいに何十年も生きるやつを作るのが夢なのよね」

「そんなものたくさん作って、どうするんだ?」

 おれが尋ねると、「練習よ。それに、たった三十分でも色んなことができるわ」と彼女は答えて、意味ありげに笑った。

「金になるのか?」

「いいえ、ホムンクルス自体はお金にならないわ。今はまだね」

 それにしてはドゥーディーの暮らしぶりはやっぱり豊かで、何しろ釜を焚くのに燃料はどんどん使うし、食い物も豊富だし、つけている前掛けはいつでも真っ白だった。

 おれは金の出所が知りたかった。金がなければ、たとえ兄を見つけて街に戻ったってしかたがない。あそこでは、金のないやつは何も持っていないのと同じだ。

 おれは度々、ドゥーディーを直接問い詰めようとした。しかし彼女の前に出てその桃色の瞳に見つめられると、なぜか舌が痺れたようになって口がうまくきけなくなった。そのくせ頭がフワフワとして体は暖かくなり、まるで最上級の酒に酔ったような気分になるのだ。

 おれは毎日、まるでそれが仕事であるかのように森のなかをさ迷い歩き、ドゥーディーはホムンクルスを作った。


 あるときおれは、でき損ないのホムンクルスをぶら下げたドゥーディーが、森の奥に入っていくのを見た。後をついていくと、そこには見たこともない、毒々しいほど鮮やかな緑色の葉っぱがたくさん生えていた。

 ドゥーディーが振り向いた。おれを見つけた彼女は、ホムンクルスの醜い死体をおれの足元に放り投げた。

「埋めてちょうだい」

 彼女の目を見たおれは、案の定酔っぱらったような心地になって穴を掘り、気味の悪い死体を埋めた。

 ドゥーディーは子供にするように、俺の手を引いて家に帰った。

「そろそろいいものを見せてあげる」

 そう言って彼女が小さなキッチンの物入れを開けると、さっき見た緑色の葉っぱを干したらしきものが出てきた。それにはヒョロヒョロとしたニンジンのような根っこがついており、小さいながらも人間の形をしていた。

「これがあんたたちの探してたマンドレイクよ」

 ニヤニヤしながらドゥーディーが言った。

「抜くときに物凄い叫び声をあげるんで、ホムンクルスに抜かせているの。叫び声を聞いたホムンクルスは死んじゃうから、さっきみたいに畑に埋めて肥料にするのよ。ねぇ、見て」

 ドゥーディーは比較的新しいマンドレイクを一本、おれの前に突きだした。根っこに浮かび上がった顔は、忌々しいホムンクルスどもによく似ていた。あの醜い死体を栄養に育ったものなのだ。それがドゥーディーの生業なのだと気づいたとき、おれはようやく兄のことを思い出した。

「なぁ、おれの兄に心当たりはないか? 兄はマンドレイクを探しにきたんだから、もしかするとこの畑にたどり着いたかもしれない」

 おれの言葉に、ドゥーディーは突然笑いだした。

「あんた、まだお兄さんのことなんか覚えてるの! あたしが散々マンドレイクの入ったスープを飲ませてやったのに! もう自分の名前だって覚えてないのにねぇ!」

 言われて初めて、おれは自分の名前を思い出せないことに気付いた。住んでいた街の名前も、住所もわからなくなっていた。焦っているおれを見て、ドゥーディーはおかしくてたまらないという風に涙をぬぐいながら、

「いいわ、あんたますます気に入ったわ。また違ういいものを見せてあげる。ちょうど今夜あたり頃合いだからね」

 と言って背伸びをし、おれの頭を撫でた。


 その夜、おれが割り当てられたベッドで眠っていると、体を揺さぶられて目が覚めた。闇の中に白い前掛けが浮かんでいた。

「ついておいで」

 そう言ったドゥーディーは右手にランプを持ち、左腕に生きたホムンクルスを抱いていた。

 おれたちは例のマンドレイク畑にやってきた。ドゥーディーは耳当てをつけ、おれの頭にも同じものをあてがった。

 ホムンクルスがよたよたと歩いて、彼女の指示する方向へ向かう。やがて一株分の葉っぱを掴むと、そいつをぐっと引っ張った。

 耳当て越しにも、けたたましい悲鳴が上がったことがわかった。

 頬に当たる夜の空気がびりびりと震えた。おれはたまらず目を閉じた。ふたたび瞼を開けたときには、すでにホムンクルスは毒々しい色の葉っぱと冷たい土の上に横たわっていた。

 その傍らにあった引き抜かれたマンドレイクを、ドゥーディーが拾い上げた。そいつはとびきりでかかった。ニンジンなどというものではなく、まるで本物の人間の赤ん坊が土の中から出てきたようだった。

 彼女はそいつをおれに持たせると、「ほら!」と嬉しくてたまらないというような声を上げ、持っていたランプを高く掲げた。

 灯りの中に浮かび上がったマンドレイクは、苦しげに歪んでいたが、確かに兄の顔をしていた。

 ドゥーディーが高らかな声をたてて笑い始めた。おれは兄そっくりの赤ん坊みたいなマンドレイクを抱いたまま、いつまでもその場に突っ立っていた。

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