マンドラゴラは恋に効く

佐倉島こみかん

マンドラゴラは恋に効く

 終業式直後は二学期から解放された生徒達の明るい声で満ち満ちていた校内も、17時を過ぎれば部活動もほとんど終わって、生徒もまばらだ。

 すっかり陽が落ちて暗くなった窓を眺めて、帰り支度をする。

 今年初めて担任を持ち、分からないことも多いままやってきたけど、なんとか二学期も大きな問題もなく終えられたことにほっとしていた。

「三輪先生、お疲れさまでした」

 鞄に教材を詰めていたら、同じく向かいの机で帰り支度をしていた二宮幸恵先生から温かく声を掛けられた。

「ああ、二宮先生。お疲れさまでした。今学期も、色々とご指導くださって本当にありがとうございました」

 片付けの手を止めて、お礼を言う。

 来年度で定年退職される大ベテランの二宮先生が副担任として色々とフォローしてくださったおかげで、何とかやって来られたと言っても過言ではない。

 黒染めしていない自然なグレーヘアーのボブカットと丸眼鏡、優しい笑い皺がチャームポイントの、小柄で温和な二宮先生は、生徒からも教師からも大変慕われている。

「いえいえ、どういたしまして。三輪先生がたくさん相談してくれるし、一生懸命に頑張っていたから、私も教え甲斐がありました」

 にこにこして言われ、嬉しさが込み上げてくる。二宮先生からしたら、私は生徒に毛が生えた程度のものかもしれないが、頑張りを認めてもらえて嬉しくないわけがない。

「良かったら、お疲れ様会を兼ねてご飯にでも行かない?」

「やった、行きます!」

 二宮先生がふふ、と小さく笑って誘ってくださるので、諸手を上げて賛成した。

 下手するとその辺の男性より大きい173cmの長身に、切れ長の吊り目という、圧倒的男性ウケの悪い見た目(女子からはモテるのだけれど)の私は、その他にも諸々モテない要素を抱えて長年恋人がおらず、しかも地元を離れて一人暮らししているため、二宮先生は何かにつけて気にかけてくださっていた。

 二宮先生は旦那さんを一昨年亡くされて、お子さんも独り立ちして離れて暮らしているので、今は一人暮らしをされている。

 そのためこうして時々、一人暮らしの身軽な者同士でご飯を食べに行くのだ。

「もう寒い時期だから、冬にぴったりのアレを食べに行きましょう」

 含みのある笑顔で言われて、首を傾げる。

「アレ?」

 家庭科の二宮先生は料理にも詳しい。

 わざわざぼかして言うということは、牡蠣とかおでんとか、そういうド定番のものではないのだろう。

「ふっふっふ、それは――マンドラゴラよ!」

 もったいぶってから答える二宮先生の言葉に驚いた。

「ええっ、私、初めてです! 地元じゃ穫れないので、馴染みがなくて」

 噂には聞いたことがあるけど、高麗人参とか冬虫夏草みたいな、薬膳に使われる珍しい食材というイメージだ。

「ご実家、九州ですものねぇ。鮮度が落ちるからなかなか流通しないわよね。最近、行きつけのお店でマンドラゴラ料理が出され始めたんだけど、美味しかったから、是非紹介したくって」

「わあ、嬉しいです! そうと決まれば早速、行きましょう!」

 二宮先生が美味しいというなら間違いない。

 初めての食材にワクワクした気持ちで、帰り支度を急いだ。



 

 二宮先生お薦めのお店は、学校最寄り駅から、歩いて15分程の所にあった。

 和風の古民家風の小さなお店で、木製の看板には『居酒屋 四谷』と筆文字で書いてある。

 お店の入口の扉には『マンドラゴラ始めました』と筆で書いた紙も貼られていた。

「わあ、本当にマンドラゴラ料理をやってるんですね」

 感慨深く眺めて言えば、二宮先生は微笑ましそうな眼差しを私に向けてから扉を開けて中に入る。

 まだ早い時間のせいか、お客さんは私達以外に居なかった。

「こんばんは」

「ああ先生、いらっしゃい!」

 二宮先生が中に入れば、カウンターの奥から店員さんらしき背の高い男性が笑顔で声を掛けてきた。

 私と同じ歳くらいで、短い黒髪が清潔感のある黒縁眼鏡のガタイのいい人だ。私が見上げないといけない身長なので、180cmは超えていそうだ。体格に見合った低くて太い声がよく通る。

「四谷くん、こんばんは」

「こんばんは。先生、今日は娘さんとご一緒ですか?」

 二宮先生に『四谷くん』と呼ばれた店員さんは、親子と勘違いしたらしい。

「あら、娘じゃなくて同僚の先生よ。こちら、三輪涼子先生です」

「あ、初めまして、三輪です」

 二宮先生に紹介されたので、マフラーを外そうとしていた手を止めて、流れで頭を下げた。

「ああ、これは失礼しました。二宮先生の元教え子で、店主の四谷銀治と申します」

 四谷さんもその流れで自己紹介をしてくれた。同じくらいの歳に見えるのに、自分のお店を持っているとはすごい。

「四谷くんは、3年前に亡くなったお父さんのお店を継いで、こうして立派に経営してるのよ」

「いやいや、先生、褒めすぎです。俺なんてまだまだですから」

 はにかんで謙遜する四谷さんは、ガタイはいいけど太い眉に垂れ目で人のよさそうな顔立ちをしていて、親しみやすい印象を受ける。

 正直、見た目や声がド直球でタイプだ。

「あら、照れ屋さんなのは相変わらずね。三輪先生、マンドラゴラが初めてなら、調理するところも見たいかしら?」

「はい、見てみたいです!」

 二宮先生に聞かれて元気よく返事した。調理の仕方なんて全然イメージがつかないのもあるし、四谷さんにも興味がある。

「じゃあ、カウンター席がいいわね。四谷くん、いいかしら?」

「ええ、構いませんよ。コートとマフラーはそちらのハンガーをお使いください」

 四谷さんは頷いてから、入口近くのハンガーラックを手で示した。




 カウンター席に座り、飲み物と『マンドラゴラ尽くし』というコースを注文すれば、熱いおしぼりとお通しの白和えが出される。

 白和えは、5mm幅に細切りにしてある肉厚の緑色の葉物が入っているけど、単子葉類っぽい葉脈で、ほうれん草や小松菜ではなさそうだ。

「どうぞ。お通しの、マンドラゴラの葉の白和えです」

「えっ、マンドラゴラって葉っぱも食べられるんですか?」

 驚いて聞けば、四谷さんも二宮先生も楽し気に笑う。

「そう。マンドラゴラは根っこの方が有名なんだけど、実は葉も食べられるのよ」

 四谷さんから続いて出されたビールを受け取りながら、二宮先生は答えた。

「葉の方は肝臓に良いので、飲む時に食べると悪酔いや二日酔いをしにくいんです」

 四谷さんが私にもビールジョッキを渡しつつ、続けて解説する。

「へえ! じゃあ、お通しにぴったりですね」

 焦げ茶の小鉢に入った白和えを見ながら感心して言えば、二宮先生がジョッキを差し出してきた。

「はい、三輪先生、今学期もお疲れさまでした。乾杯!」

「あ、お疲れさまでした~! かんぱ~い!」

 こつん、とジョッキを合わせてから、乾燥した空気に干上がっていた喉を潤すように、半分程、一息に飲んだ。暖かい店内で冷えた生ビールを飲むのは、この上ない贅沢だ。

「っはあ、染みますねえ!」

「相変わらず気持ちのいい飲みっぷりねえ」

 ふふ、と笑って言ってから二宮先生もビールをこくこく飲んでいる。

「三輪先生、お強いんですか」

 好みのタイプの四谷さんに尋ねられて、しまった、と思う。

 体質的にいくらでも飲めるので、大学時代の飲み会ではお酒に弱い女子のお持ち帰りを試みようとする性質の悪い男の先輩を事前にことごとく飲み潰し、酒豪のレッテルを貼られて全くモテずにここまできたからだ。

「あ、まあ、それなりに……」

 苦笑いして答えれば、四谷さんは目を細めた。

「美味しく飲んでいただけるのは、こちらとしても嬉しいです」

 商売柄のリップサービスかもしれないけど、女の酒豪を敬遠しないなんて、なんていい人だろうと感動する。

「三輪先生、白和え、ビールにも合うわよ」

「あ、ほんとですか」

 微笑んでからマンドラゴラの手足を切って皮を桂向きにする四谷さんの鮮やかな手際に見とれていたら、いつの間にか白和えを食べていた二宮先生につつかれた。

「いただきます」

 初めてのマンドラゴラにワクワクしながら私も手を合わせる。

 小豆箸でお豆腐多めの白和えをすくって、口に運んだ。

 マンドラゴラの葉はシャリシャリした面白い歯触りで、噛むと海藻に近い粘りが出てきた。

 セリ科に近い上品な香りで、ほろ苦いけど椎茸のような旨味もある。

「なんか、マンドラゴラって薬膳っぽいイメージがあったんですけど、和食でも美味しいんですね! 山菜みたいです!」

「そうでしょう? ポン酢でおひたしが定番だけど、白和えも優しい味になっていいわねえ」

 感動して言えば、二宮先生がしみじみと答えてくれる。

「葉の苦みと旨味がお豆腐と白味噌の優しい味によく馴染んでていいですね。この旨味、キノコ類に近いですよね。グアニル酸ですかね?」

「三輪先生、鋭い。その通りよ。マンドラゴラは菌類以外でグアニル酸を含む珍しい食べ物なの」

 二宮先生が解説しつつ、褒めてくださるので嬉しい。

「へえ、面白いですねぇ」

 頷いてジョッキを傾ければ、葉の旨味と味噌の合わさったコクのある味わいに、ビールが意外と合った。

「三輪先生も、家庭科の先生なんですか」

 二宮先生との話を聞いて、皮を剥いて7~8mm幅の輪切りにしたマンドラゴラでひき肉のタネを挟んで揚げていた四谷さんが尋ねてきた。

 ジュワジュワと油が歌い、食欲をそそる音がしている。

「いいえ、生物です。農学部卒で、大学時代は醗酵食品関係の研究をしていたもので、多少知識があるんです」

 食品会社への就活に失敗し、念のため取っていた教員免許が役に立って教師になったのである。

「お詳しいと思ったらそういうことなんですね。せっかくだから切る前のマンドラゴラもお見せしましょうか」

 四谷さんに言われて、ぱっと顔を上げた。

「いいんですか! 見たいです!」

 初めて見るマンドラゴラへの好奇心で勢いよく答えれば、揚げていたものを網の上に取り出して、流しの下の方から長さ30cm、幅10cmほどのマンドラゴラを取り出してくれた。

 大根のようなサイズ感だけど、葉の付いている頭の少し下から手足が分かれ、色は生姜のような淡い黄色をしていた。

 頭の部分は思いの外、愛嬌のある顔をしている。

 この叫び声で人が死んだり発狂したりするとはなかなか思えない、円らに空いた目と、にんまりした口のゆるキャラじみた顔立ちだ。

「葉は肝臓、頭は胃に良く、腕は血行促進、足は免疫力の向上、胴の上半分は肌の保湿効果、下半分は滋養強壮効果があると言われています」

「すごい、部位によって効能が違うんですね! それにしても冬にあつらえたような効能ですね」

 指さしながら説明する四谷さんに、驚いて答える。

「名産地の東北の方だと『マンドラゴラは冬将軍も殺す』と言われていますね。母方の実家がマンドラゴラ農家で、冬になると家によく送られてきたので昔から食べてきたんですが、確かに、冬は病気知らずですね」

 四谷さんは楽しそうに言った。

「へえ、効能は実証済みなんですね。でも、マンドラゴラ農家っていうと、この時期、盗難とかが大変なんじゃないですか」

 先日Twitterでバズっていたマンドラゴラ農家のお孫さんの注意喚起ツイートを思い出して聞けば、四谷さんは苦笑する。

「ああ、薬用や祭事用の品種だと苦労するところもあるみたいですね。盗まれる方の被害ももちろんなんですけど、やっぱり素人だと死んじゃう人も居て、そっちの処理の方が大変みたいです。うちのは普通に一般食用の安価な品種なので、そこまで被害はないんですけど」

 一緒くたに薬効のあるものだと思っていたけど、色々な種類があるようで興味深い。

「なるほど、そうなんですね。じゃあこのマンドラゴラはご実家のものですか」

「はい、そうです。産地直送で新鮮なので、味がはっきりして美味しいんですよ」

 四谷さんは笑顔で誇らしげに胸を張った。

 笑うと垂れ目がさらに下がってちょっと可愛い印象になり、ますます心惹かれる。

「じゃあ四谷くん、そろそろその美味しいマンドラゴラを揚げているやつもいただける?」

 ビールを飲んでいた二宮先生が待ちきれなくなったように催促した。

「先生は本当にコレに目がないですねぇ。ではこちら、マンドラゴラの挟み揚げです。手足の食感が強い部分を使っています。豚ひき肉と炒めた玉ねぎを合わせたタネを挟みました。どうぞ」

 二宮先生の催促に、四谷さんは揚げたての挟み揚げが四つと、切った緑色の柑橘系の果物の載った平皿をそれぞれに渡してくれた。

 パン粉を付けてこんがり狐色に揚がった挟み揚げは、どう見てもビールに合いそうだ。

「直径の小さい方が手、大きい方が足です。手の方はあっさりした甘味で、足の方は辛みがあります。おススメは手の方がソース、足の方が塩ですが、まあそこはお好みでどうぞ。どちらもスダチを絞っても美味しいですよ」

 カウンターに置かれた調味料とお皿に添えられた柑橘を指して、四谷さんは説明した。果物はスダチだったらしい。

「わあ、美味しそうですね! じゃあ、せっかくなのでおススメ通りにしていただきます」

 カウンター備え付けの小皿に足の方の挟み揚げを取って、卓上塩を振る。

 熱々なので二、三度息を吹きかけてから食べれば、生のレンコンに似たシャキシャキした歯ごたえで、獅子唐辛子に近い苦みと辛みが広がった。香りは生姜に近い。これがまたジューシーな中のひき肉とよく合う。

「うわ、この苦みと辛みとお肉の組み合わせ、大人の贅沢ですね! これは絶対にビール!」

 冷めないうちにと二口で全部頬張ってから、ビールを流しこむ。

 冷たいビールがさっぱりと口内の油を流して、いくらでも食べられそうだった。

 今度は手の挟み揚げの方に中濃ソースをかけて、口に運ぶ。シャキシャキした食感は一緒なのに、こちらはブロッコリーやアスパラガスに近い青っぽさと素朴な甘みがあった。マンドラゴラの手自体が優しい味なので、確かにソースが合う。香りは青っぽさだけでなく、さっき食べた白和えの葉のような、セリ科に近い香りもあった。

 ソースで濃いめの味付けになり、なおさらビールも進む。

「手の方も素朴な感じで美味しいですねぇ! 部位によってこんなに味も香りも違うなんて、知りませんでした!」

 ジョッキを置いて四谷さんに感動を伝えれば、嬉しそうにニコニコして口を開いた。

「お口に合ったようで良かったです。根は、基本的に上の方がセリ科に近い香りで甘味があり、下の方は生姜に近い香りで苦みと辛みがあります。足の辛み、大丈夫でしたか」

「はい! 美味しかったです! どっちも美味しいですけど、この挟み揚げだと私、足の方が好きです」

 足の方の挟み揚げに、今度はスダチを絞りながら答えた。

「実は俺も揚げ物や炒め物は足の方が好きなんですよ。煮物は手とか胴の上の方が合うんですけど」

「へえ、そうなんですね」

 その道のプロが専門分野について生き生きと話しているのを聞くのは楽しい。

 興味深く聞きながら、スダチを絞った挟み揚げを塩でいただいた。スダチの酸味と香りが揚げ物の味を引き締めて、また違った美味しさを感じる。

「うん、スダチと塩もさっぱりしていいですね! はあ、いくらでも食べちゃいそうです」

「いやあ、そんなに美味しそうに食べていただけると、作った甲斐があります」

 美味しさを伝えれば、四谷さんは、ぱあっと顔を明るくして言った。

 白和えも挟みつつ夢中で挟み揚げを食べていたら、ジョッキはあっという間に空になる。

「あら、三輪先生、何か次の飲み物を頼む?」

 まだジョッキ半分程残っている二宮先生がドリンクのメニューを取って下さるのでありがたく受け取った。

「うわ、すごい。良い日本酒ばかりですね」

「おや、一目で分かるとは、お詳しいんですね?」

 日本酒のページに並んだ銘柄に目を丸くすれば、四谷さんが目を輝かせた。

「いえ、まあ、ちょっとだけ。大学時代に醸造関係の研究をしていた先輩に、『研究の一環だ!』ってあちこち飲みに連れ回されて、少し詳しくなりました」

 苦笑して答えれば、隣で二宮先生がにこにこしている。

「四谷くんはね、日本酒好きが高じて利き酒師の資格まで取ったのよ」

「えっ、すごいですね!」

「いやまあ、趣味と実益の兼ね合いです。小さくとも居酒屋なので」

 四谷さんはまたしても謙遜して、コンロにかけていた鍋の蓋を開けながら言った。

 鍋から醤油ベースの鶏出汁らしき甘辛い香りが立ち昇り、ふわり鼻腔をくすぐって、絶対美味しいやつだと確信する。

「そちらに載っていない日本酒もありますので、好きな系統を言っていただければ、お好きそうなものをお出ししますよ」

 にっこり笑って言ってくれるのを聞いて、なんて良い居酒屋さんだと思った。これは一人でもまた来たい。

「ええと、私、生酛とか山廃みたいな酸味と旨味のあるやつが好きなんですけど……ありますかね?」

 日本酒の揃いの良いところでないと生酛や山廃のような製法の日本酒は意外と置いていないのだ。

 個人的に好きなのと、煮物ならその系統の日本酒が合うだろうと思って聞けば、四谷さんは少し目を見張ってからニヤリと微笑んだ。

「本当に詳しい人でないと、そのチョイスと台詞は出てきませんねぇ。ご心配なく、ありますよ」

 頼もしい台詞と共に、四谷さんは奥の冷蔵庫から酒瓶を取り出してきた。

「こちら『マンドラゴラの涙』です。変わり種なんですけど、これ、マンドラゴラからできる酵母で作った日本酒なんですよ。山廃の製法と相性がいいんです」

「ええっ、そんな日本酒があるんですね……! 確かにお花系の酵母の日本酒はたまに聞きますけど、マンドラゴラからも酵母が出来るんですね!」

 興奮気味に話す四谷さんの解説に、目を丸くして答えた。

「ふふふ、私、全くついて行けてないんだけど、なんだか初対面の二人が意気投合しているのを見るのは楽しいわ」

 二宮先生に言われてハッとする。

「すみません、つい研究室時代の血が騒いでしまって」

「いいのよ、なんだか珍しいお酒なのは分かったから。あと、美味しいお酒なんでしょう。私もその『マンドラゴラの涙』をいただきたいわ。四谷くん、1合徳利でお猪口を二つ付けてくれる?」

 いつの間にかビールを飲み終わっていた二宮先生が、スマートに注文するのを聞いて、大人の頼み方だと思う。

「分かりました。お燗にしましょうか」

「そっちの方が美味しいの?」

「この煮物には、冷やよりぬる燗が合いますね」

 四谷さんの提案に二宮先生が尋ねれば、徳利に日本酒を注いでいた四谷さんはすかさず答えた。

「わあ、この時期のぬる燗と煮物なんて最高じゃないですか!」

「三輪先生もそう言うなら間違いないわね。じゃあそれでお願いするわ」

「分かりました」

 頷いた四谷さんは徳利の口にラップをかぶせて、お湯が沸騰しているお鍋に入れた。

 『マンドラゴラの涙』を温めている間に、四谷さんは鍋から煮物をお碗によそってくれる。

「ではこちら、マンドラゴラの筑前煮風です。甘みの強い、頭と胴体の上半分を使っています」

 一口大に切られた鶏肉、こんにゃく、人参、牛蒡、厚揚げに混じって1.5cm幅にいちょう切りにされた薄黄色の根菜らしきものが入っていた。たぶんこれがマンドラゴラだ。煮ると身が透き通るのは大根に近い性質のようだ。

「うん、よく染みてるわねえ! 三輪先生、これ絶品よ」

 真っ先にマンドラゴラを頬張った二宮先生が相好を崩して言うので、私も箸をつける。

 大根の瑞々しさと、加熱したレンコンのほくほく感と粘りを足して2で割ったような食感で、南瓜や薩摩芋のような強い甘みがあった。香りは葉を食べた時のセリ科に近い爽やかさがあって、鶏の臭み消しの作用もありそうだ。

 そんなマンドラゴラを噛みしめるとじゅわりと鶏出汁のきいた甘辛い煮汁が広がって、口内に至福が満ちる。

「おいっしいです、これ! 本当に甘いんですね! 葉っぱに近い部分なのでもっと薬草っぽい感じなのかと思ってたんですが、こんなに食べやすいものだとは思いませんでした」

 言ってから鶏肉とも一緒に頬張れば、滋味に富んだ鶏肉の風味にマンドラゴラの甘味がよく合った。

「気に入っていただけて嬉しいです。ぬる燗の方もそろそろ良い頃ですね、どうぞ」

 四谷さんが絶妙なタイミングで徳利とお猪口を渡してくれたので受け取る。

「二宮先生お先にどうぞ」

「あらあら、ありがとう」

 礼儀として二宮先生のお猪口に先に注げば、にこにこして受けてくださる。

「じゃあ今度は三輪先生もどうぞ」

「ああ、ありがとうございます。おおっと、そのくらいで」

 なみなみと注いでくださったので、気を付けて口をお猪口に近づけた。温かさと共にふわりとふくよかな香りがする。

 口に含めば一層香りが鼻に抜け、山廃らしい旨味と酸味がありつつもバランスがよく、重すぎない甘さとすっきりしたキレがあって美味しい。

「んん、美味しい! しかも、すごく好みです!」

「それは良かったです。足の辛みと苦みが好きなら、たぶんそういう系統がお好きかなと」

「すごい、そういうのまで分かるんですね。いやこれ絶対、煮物に合いますね」

 言いながらまたマンドラゴラの煮付けを食べて、ぬる燗をキューっと行った。

「ああ、冬、最っ高……っ!」

 あまりの相性の良さに語彙力を失って天を仰ぐ。

「三輪先生、本当に美味しそうに召し上がりますね」

 何やら興味深いものを見るような眼差しで四谷さんにまじまじと見つめられ、お酒のせいではなく顔が熱くなる。

「あ、いや、すみません、食い意地が張ってて、お恥ずかしいところをお見せして……!」

 慌てて言って顔を伏せた。しまった、やってしまった。酒豪の上に大食らいの女だと思われたに違いない。

 そんな女はモテないと分かっているに、どうしてこう学習できないんだろう。自分のダメさ加減に泣きたくなってくる。

「ああ、いえっ、そんなつもりで言ったのではなくて! あの、俺、こんなに喜んで美味しそうに食べてもらったのが初めてで、すごく嬉しくって! 失礼な言い方になってしまって、お気を悪くされたならすみません!」

 四谷さんが慌てて言うので、恐る恐る顔を上げた。

 すると深々と頭を下げている四谷さんが見えて、私も更に慌ててしまった。

「気を悪くだなんて、とんでもないです! こちらこそ、早とちりしてしまってすみません! 顔、上げてください!」

 必死に言えば、四谷さんも恐る恐る顔を上げた。

「あらあら、青い春みたいねえ。なんだか二人、お似合いかもしれないわよ」

 私達のやり取りを余所に、まったりと日本酒を飲んでいる二宮先生が楽しげに言った。

「せ、先生! 急に何言い出すんですか!?」

 四谷さんは見る間に赤くなって先生に聞き返す。

「そ、そうですよ! それに、私みたいなのとお似合いだなんて言ったら四谷さんに失礼です!」

 私も驚いて二宮先生に言い返した。

「えっ、全然失礼じゃないですよ。寧ろ俺の方が、こんな綺麗な人に不釣り合いなくらいで」

「えっ!? 綺麗なんて初めて言われました!」

 驚いて言えば、四谷さんは怪訝な顔をする。

「えぇっ、本当ですか?」

「いや、だって、こんな、キツイ顔立ちですし、無駄に大きいですし……」

 心底、不思議そうに聞かれて恥ずかしくなり、言い訳がましく言った。

「凛とした雰囲気のお顔立ちでお綺麗ですよね。スラっとしてモデルさんみたいですし」

 物は言いようとはこのことだ。

「四谷くんは昔から背の高い綺麗系の子が好きだったものねぇ」

「先生、今そういうことを言わないでください!」

 四谷さんは顔を真っ赤にして二宮先生に口止めしようとするが、どうにも手遅れだった。

 待って、四谷さんにとって、私、タイプかもしれないってこと?

 思いもよらぬ事態に真っ赤になってフリーズしていると、二宮先生は私達を見て、それはそれは微笑ましそうにしている。

「確か二人とも同じ歳だし、三輪先生も四谷くんも日本酒好きで趣味が合いそうだし、お互いタイプっぽいじゃない? いきなりお付き合いが気が引けるなら、とりあえずお友達からでも始めてみたら?」

 四谷さんは確かにどストライクに好みなんだけど、二宮先生にどうしてそれが分かったのか謎だ。

 じゃなくて。

 これはまたとないチャンスなのでは? こんなに話の合う好みの人に出会えるのはこれを逃したらもうないのでは? と思ったら、ここで勇気を出すしかないと思った。

「あの! 私も、日本酒を好きな友達があまりいなかったので、よければ、とりあえず、お友達になってくださいませんか!」

 勇気を振り絞って顔を上げ、四谷さんの目を見て言った。

 私からそう言われて四谷さんは、真っ赤な顔のまま息を飲んだ。

「あっ、ありがとうございます! じゃあ、今度、飲みに行きませんか!?」

 そうして、四谷さんはどぎまぎした様子ながら勢い込んで聞いてきた。

「ええ、是非!」

 私もぎこちないながら力強く頷く。

「はい、じゃあ連絡先を交換しましょうねぇ」

 二宮先生に促されて、私達は連絡先を交換した。

 どうやらマンドラゴラは、恋にも効くらしい。

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