ある日突然天地がひっくり返ってしまった世界で、偶然生き延びた人たちの、その後の日々のお話。
いわゆる終末もの、ポストアポカリプスSFです。あるいはプレアポカリプスとも言えるかも。破滅をもたらす大きな厄災、それ自体はすでに発生しているのですけれど、でもそこから再び立ち上がってゆく人類の、その行く末に示唆される「ほろび」の手触りが絶妙な作品でした。
個人的には少なくとも二通りの読み方ができ、またいずれの解釈でも結局結末は(というか、結末に限らず現象そのものはすべて)同じである、という点が好きです。そこに答えを出さずとも成立しており、自分の好きな方に解釈できるばかりか、どちらかを選ぶ必要すらない、という懐の広さ。この先、その解釈の部分に触れるため、ネタバレ、とまではいかないにせよ、しかし余計な先入観を持ちたくない場合は、先に本編を読むことをお勧めします。
ひとつは、たぶんちょっと穿った読み方になるのですけれど、いわゆる『信用できない語り手』としての読み方。災害時特有の異常な緊張状態、自分の精神を支えるために、過剰に他者の力になろうとする精神状態。主人公のみならず彼の合う人含め、多くが「優しい」「穏やか」と形容されるものの、でも実態としては一種の狂騒状態ではないか、とも読める状況。今はまだいいけどこの状態がどこまで続くかは怪しいというか、いつかどこかで全部ひっくり返ってしまうんじゃないかと、そんな危うさを孕んだ世界という意味での『行く末としてのほろび』。こうなると逆説的に、主人公のうっすら感じる滅びの予感は、やっぱりこんな環境じゃ人類は長くは保たないよね復興とか希望的観測だよね、という、そんな読み方もできるかと思います。
もうひとつは、というか、こちらがより素直な読解だと思うのですけれど、なんやかや人類はこの環境でも十分生存していける、という読み方。天地がひっくり返ったのは大きな災害ではあったものの、しかし復興は十分に可能な程度のダメージで、にもかかわらずやっぱりその先には滅亡がある。それは今の時代が持つ優しさや穏やかさの弊害、あるい真価というべきか、まるで種そのものが老衰して自死に向かうかのような現象。そんな「ほろび」の予感をうっすら感じながらも、しかしそれすら幸せな結末として受け入れる、この彼の姿勢そのものがまさに行く末を予言しているという、この平穏であるが故の寂寥感。
仮初の希望にすがったまま真綿で首を絞められる最後と、牙すら奪われているのに幸せを感じながら受け入れる破滅。この辺を読み解く、というよりは書かれているものから頭の中で好き勝手にいろいろ組み立てるのが楽しい、物語との対話をさせてくれる素敵な作品でした。