幕間 陽気なタイ人

 事業撤退にあたってまず取り組む必要があったのは正式な社内決定だが、その前に当社の経営陣と歴史について振り返ろう。


 当社の取締役は、社長(青崎)、私(矢倉)、ソムチャイさんの3人だ。ソムチャイさんは設立直後に社長がどこからか連れてきた、恰幅のいいタイ人の中年男性である。当初は私を含む創業メンバー全員何の冗談だという顔をしたが、結果的に社長の判断は会社に利益をもたらした。


 設立当時の当社は世間の注目度こそ高かったものの、航空業界の国内最後発で資本も飛行機も少なく、規模やブランド力では大手とまったく勝負にならない。かといってLCC(格安航空会社)路線で三番手以下に追随しても、過酷な価格競争に巻き込まれて利益は見込めないだろうという難しい立場にあった。


 そこで社長は他社路線との差別化を目指すにあたり、「移動そのものを売るのでなく、旅行プランとして売れる路線の開拓を目指す」「日本からの観光客を取り合うのではなく、まず現地を押さえる」という方針を取った。東南アジアの新興富裕層や、家族で海外に行く程度には豊かな中流層の所在や嗜好を徹底調査した上で、日本の観光系ベンチャーを巻き込んで地方都市行きの独自路線と旅行プランを準備した。ステレオタイプの日本旅行から一歩進んだ体験を、中流層にもなんとか手の届く価格で提供することを目指したのだ。


 これが東京や京都の観光名所を回るような旅行に飽きていた人々に刺さり、開通後すぐに搭乗率トップクラスの人気路線となった。この成功に貢献したのがソムチャイさんだ。彼は日本に来る少し前まで東南アジアでホテルを何件か経営しており、現地の肌感覚を深く理解した上で豊富なコネクションを持っていた。


 その後は現地での評判をテコにタイやマレーシアの観光会社と連携、今度は日本人観光客向けに打ち出したコアなプランが30-40代に一定受け入れられた。こうした段階を踏むことで、当社は国内外LCCとの熾烈な価格競争にあまり巻き込まれることなく、小規模ながら高回転率・高収益で他社が追随しにくい旅客航空ビジネスを確立した。


 話を現在に戻すと、当社の立ち上がりを支えた出所不明のタイ人ソムチャイさんは社長の説明を聞くなり、「社長、頑張ってネ。マイペンライ(大丈夫)よ」とコメントして撤退案を首肯した。あとは監査役の高野さん(会計士のお爺ちゃん)に商社や銀行と交渉する上でのアドバイスをもらって臨時取締役会は閉会となり、撤退が正式な意思決定となった。

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