リターントゥスカイ

かねどー

1話 空からの撤退

「おはようございます」

「おはよう」


 1月も半ばに入る月曜日の朝。まだ私以外に誰も出社していない株式会社ライトフライヤーのオフィスに、社長がふらりと現れた。珍しく早い出社だなと眺めていたら、


「ねぇ矢倉さん。週末気づいたんだけどさ、この会社たぶんもう駄目だよ。一緒に成田でカレー屋やらない?この物件とか……」

「青崎さん、もうちょっと説明してください。朝会で同じこと喋らないでくださいよ」


 私の席までやってきて、急にそんなことを言いだした。物件情報が表示されたスマートフォンの画面を見せながら。


「わかった。朝会まで話そう。コーヒー淹れてくるから会議室行ってて」


 この人がもうダメだ倒産すると言い出すのは初めてではない、というか月に1回くらいはある。しかし、再就職先まで携えてやってくるのも自分から説明の時間を作るのも珍しいし、そういう時は必ずよくないことの前触れだった。私は手元で進めていた契約書仕事を中断し、会議室で社長の話を聞くことにした。




 曰く。年末から年明けにかけて、中国の内陸部で新型肺炎の患者が報告された。慌ててタイやマレーシアのパートナー企業に現地でそういうニュースがあるかを問い合わせた所、都心部では肺炎で病院に運ばれる高齢者が例年より増えているらしい。関係は不明だが、もし関係あるとすれば既に東南アジアまで感染が広がっているということになる。中国の沿岸部から飛行機でインドやヨーロッパ、そして日本に広がるのも時間の問題だ。


 判明している情報は断片的だが、「感染力が強く、潜伏期間が長く、老人が罹患すると死亡の可能性があるウイルス」というのは世論にインパクト絶大だ。きっと国内外の人的移動が大きく制限され、旅客航空業界は大打撃を受けるだろう。国内大手2社が合併してANALになるかもしれない。


「そういえば、ちょうど傘下に桃みたいな会社もあったね」

「朝からやめてください。その名前にだけはならないと思いますよ」


 冗談は置いておいて、当社のような弱小航空会社は公金が入るのも、空港利用等の制限が解除されるのもすべて後回しだ。当社が運用中の航空機12機はすべて、商社や銀行系のリース会社から借りている。年間のリース料総額は実に約50億円、置いておくだけで月に4億円以上が出ていく計算になる。リース契約は賃貸アパートのようにすぐ契約が解除できるわけじゃないし、他に設備の賃料や整備費だって馬鹿にならない。


 この状態で売上の大半が消えれば、うちは1年ももたずに倒産だ。だからカレー屋をやろう。オフィス移転で検討してたこの区画は人通りも多くて……


「カレーの話も聞かないとダメですか?」

「冷たい事言わないでよ。カレーは不況に強いんだよ?」




 ……さてどうしたものか。マグカップを持つ手にうっすらと汗をかくのを感じた。社長の読みがどの程度当たるかはわからないが、場合によっては会社が傾く事態になりうることは確かだ。


「わかりました。もっと広範に現地の情報を収集しましょう」

「そんな悠長にやってたらやばいよ。うちがリースしている旅客機、解約通知期間1年だよね?全機解約の申し入れして。来年以降の航空券予約も受付ストップ。それから、うちに出資したがってた人いたよね?私の持分67%まで希薄化*していいから、1ヶ月で入金までいけそうな所だけ申し入れしてみて。私は午後に付き合いある商社のハイテク部門を回って、ダメ元だけど貨物輸送の提案してくるよ」

「資金調達と予約停止はともかく、飛行機の解約は本当に今やりますか?色々大変なことになると思いますが……。資金調達も数十億円規模をひと月はなかなか無茶ですね」

「ふた月経ったら銀行も投資家も手の平返すからね。無茶でもやるしかないよ。解約は滅茶苦茶怒られるだろうけど……まぁ背に腹は代えられないよね。朝会でみんなにも言った方がいいかなぁ?」

「大混乱になるんで待ってください。法務のメンバーにだけはこの後話しておきます」




 こうして2020年1月13日、ライトフライヤーは内々に旅客運送事業からの撤退を決断した。現状では撤退完了する2021年1月を迎える前に倒産予定である。そうなったら銀行借入の連帯保証で社長は素寒貧、私も路頭に迷うことだろう。長い戦いが始まった。




*希薄化:資金調達のために新しい株式を発行することで、既存株主の持っている株が全体に占める割合が減ること。現在ライトフライヤーの株式は100%青崎が所有しており、67%は重要な意思決定を単独で行うことが出来るギリギリのラインである。なので67%まで希薄化を許容する資金調達は、使える分を目一杯使うという判断になる。

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