エピローグ
エフデン王国の王城内にある謁見の間では、顔の上半分を覆い隠す美しい仮面を身に着けた女性が、王の前で膝を折っていた。女性が身にまとうドレスは、王都の社交界では目にしない作りだが質はかなり良さそうで、謁見の間にいる貴族女性たちの視線は、彼女の仮面と衣装に集まっている。
貴族の男性陣が視線を向ける先には、女性の護衛と思わしき三人の男の姿。
護衛たちはどこの国の騎士とも軍人とも異なる漆黒の制服を身にまとい、腰に剣を差した状態で女性の背後に控えている。その内の一人。帽子のつばで顔が隠れてはいるが、貴族たちの誰もが知る人物がいた。
十年ほど前に王都から姿を消し、半年前に国王の手の者が捉えたはずのかつての戦場の英雄――ガイ・マウエン。
「面を上げよ。ゲレンのギルドマスターとやら」
王の許しを得て顔を上げた女性は、紅が引かれた唇を細い三日月の形にして妖艶な笑みを浮かべた。
仮面から覗くのは漆黒の瞳。顔の半分と瞳しか見えていない状態でも、美しい顔立ちだとわかる。
「……名は、教えてもらえるのか?」
何故国王が下手に出ているのかは、謁見の間に集まった貴族たちにはわからない。だが、国王のそばに控える二人の王子と一人の王女には理解できた。
国王の言葉で王太子と王女の頬は緩み、第二王子は渋面を作る。国王の隣にいる王妃は表情を変えず、優雅な笑みを浮かべたままだ。
「はい、陛下。アズサと申します。先頃はゲレンまで足をお運びいただきましたが、ご挨拶ができず心苦しく思うておりました」
「……そうは言うが、顔を隠すのは何故だ?」
「私の顔には見苦しい傷があります故。皆さまをご不快にさせてしまうかと存じます」
「構わぬ。仮面を外すが良い。……そちが、嫌でなければだが」
「では、外しましょう」
艷やかな笑みを浮かべた女の手が仮面に触れる。女が仮面を取って素顔をさらすと、貴族たちの中から小さな悲鳴が上がった。
騎士や軍人の中には顔に傷がある者も珍しくはないが、これほど若く美しい娘の顔に走る大きな傷は、貴族たちにとって衝撃的だった。
国王だけは、驚愕の種類が違う。
目を見開き、口を開けた国王は、アズサと名乗った女性の顔を凝視している。
「…………ヤルミラ。いや……ラドバウトの面影もある。そなたは、一体……」
国王の呟きを拾った彼の子どもたちは三人とも、怪訝な表情を国王へ向けた。
ヘルマンの手記の登場人物の名が、ここで出る意味がわからなかったのだ。国王が手記を書いた人物の生まれ変わりだとは承知している。だがアズサとの関連は、知らない。知っているのは、魔女に体を奪われていたということだけ。
アズサにも国王の声は届いたようで、笑みを崩さず、彼女は告げる。
「そんなに似ていますか?」
アズサの言葉に、椅子から腰を浮かせていた国王が頷く。
「ラドバウトの仕業か?」
「違う、とも言いきれませんが……私は、彼の魂を継ぐ者。陛下の最期の時まで、幾久しく、お願い申しあげます」
「そうか、お前はあの時の……娘か」
魔女と言わなかったことを褒めるように、アズサは笑う。
その笑みを見て脱力するように椅子へ戻った国王は、片手で額を抑えて深い息を吐き出した。
「望みは何だ」
優雅に微笑み、アズサは告げる。
「世界平和を作り上げたく存じます。ご助力いただければきっと、過ぎるほどに長い苦痛から、陛下は解放されることでしょう」
何を夢物語をと口々に馬鹿にする貴族たちの喧騒で包まれた謁見の間の中で、顔に傷のある女性と護衛たちは表情を崩さず、国王は頭を抱え、王太子はとても楽しそうに笑っていた。
謁見を終えたゲレンのギルドマスター一行が通された控えの間に、近衛騎士を連れた王女が飛び込んだ。
「アズサ! やっと来てくれたのね!」
飛び込んだ勢いのまま、王女は顔に傷のある女性へ抱きつく。
「久しぶりですね、フィー。お元気でしたか?」
「貴女、本物のアズサなのね? 戻れたのね?」
「はい。あの時はご挨拶もできず、申し訳ありませんでした」
「いいのよ、貴女が戻れたのなら。良かった! ずっと心配だったんだから!」
フィロメナは、アズサの体に入ったラドバウトとも顔を合わせていた。見た目はアズサそのものなのに全く違う人物になっていて、事情を聞いた時にはひどく取り乱してしまったのは、今では懐かしい思い出だ。
「やっとお会いできたね、ギルドマスター殿」
王太子と第二王子が入ってくると、フィロメナはアズサから渋々離れる。
控えの間に王族が訪れるなど異例の事態で、衛兵たちが戸惑い狼狽えている姿を見た近衛騎士たちは、心の中で同情した。
「兄上。ここでは迷惑となります。場所を移しましょう」
「そうだね。一緒にお茶でもどうかな?」
フェリクスの提案で移動することとなり、王城内の廊下を団体で歩く。
王族の三人とギルドマスター。それぞれの護衛と近衛騎士が、彼らの前後を囲んでいた。
「王城の中って、あちこちに人がいるんですね」
「そうだよ、アズサ。ここにはいろんな人が働いててね、そのおかげで俺は潜みやすかったんだ」
アズサの背後にいるコーバスの言葉に、フェリクスが顔を引つらせる。
「コーバスから買った情報で、既に改善してある」
「俺の情報を役立ててもらえて光栄ですよ、フェリクス殿下」
「コーバスは、どんな服を着ても馴染むのだな」
「俺の自慢の特技なんですよー」
廊下で頭を下げて彼らを見送る人々は、ギルドマスターの護衛の一人と親しげに話す第二王子の姿に内心で首を傾げてはいたが、表情には出さない。だが、ギルドの人間とエフデンの王族が懇意であるという噂は、その日の内に貴族や王都で暮らす人々の知るところとなった。
それにはコーバスの働きが絡んでいるのだが、それを知るのはギルドの面々のみ。
王太子宮の一室に入ると、アズサは王太子から勧められたソファへ腰を下ろす。隣にはフィロメナが座り、背後には、護衛の三人とフィロメナの近衛騎士が立つ。
レイナウトとアズサが改めて挨拶を交わし、着飾ったアズサの姿を眺めながら、レイナウトは楽しげに微笑んだ。
「同じ体なのに、中身が違うとこうも変わるものなのだね。彼の時には相対する者を引き締める威厳があったけれど、貴女は優雅で気品がある」
「今のアズサは猫をかぶってるだけだよ、レイ」
コーバスの気安い態度に王太子付きの近衛騎士たちのまとう空気が張り詰めたが、気付いていても、コーバスは変わらない。
「復帰してから、レイは頑張ってたみたいだね。昨日いろいろ聞いたよ」
「まさか、また忍び込んだのか!」
「嫌だなぁ、フェリクス殿下。王都の街でですよ。ここへ来る前に観光してきたんです」
「……コーバス。兄上と俺への態度は、普通は逆にすべきだ」
「だって、レイからは許可を得てますけど、フェリクス殿下からは気安くする許可はもらってませんもん」
頭が痛い、と言いたげにフェリクスは片手で額を抑えたが、それ以上は何も言わなかった。第二王子は苦労性のようだ。
「今回の訪問ですが、謁見の間で申し上げたこと以外にも、レイナウト王太子殿下に約束を果たしてもらう目的がございます」
「そうだろうね。楽しみにしていたよ」
アズサたちが王都へやって来た目的は、全部で四つ。
一つは、バウデヴェインに会ってギルドの新たな目的の助力を乞うこと。
これにはフランクとクルトからの猛反対があったが、ギルドの今後にどうしても必要だと言われれば強くは出られなかった。
何度も生まれ変わる苦痛から解放されるためには、バウデヴェインは協力せざるを得ないだろう。ラドバウトの血縁を思わせる顔立ちのアズサを害すれば、呪いから解放される機会を永遠に失うことになり兼ねないのだから。
二つ目は、レイナウトに約束を果たしてもらうこと。ギルドの商品を見てもらい、広告塔になってもらうのだ。
広告塔にはフィロメナとフェリクスも含まれるため、かなり多くの種類の商品を持ち込んでいる。
三つ目は新たな顧客の獲得。
四つ目は、医者の卵の勧誘だ。
全ての目的を果たしてから帰る予定であるため、滞在の日程はかなり長く取ってある。
王都への滞在の間は王太子宮に部屋を与えられることになり、アズサたちは宿を引き払って王城の一角にある王太子宮へ間借りすることとなった。今回の目的上その方が動きやすいため、王太子からの申し出をありがたく受けることにしたのだ。
アズサは、毎日違うドレスや宝飾品を身に着け、フィロメナと共に様々な集まりに参加した。
コーバスは、フェリクスとレイナウトと連れ立って、男性貴族の集まりへ顔を出す。
アズサには常にクルトとガイが護衛として付いていたが、コーバスは一人で動き回っている。その方が、コーバスにとっては動きやすいからだ。
医者の卵探しは事前に医術学校へ広告を出していて、面接日が決まっている。
かつて地獄と言われたゲレンは、今では誰もが憧れる住みたい街の一つとして挙げられる場所へと変貌した。何よりギルド関連の仕事は給金が良いというのは有名な話。
人が集まらず困るという事態にはならないだろう。
目まぐるしい日々の中、アズサは王妃とも交流を持った。
「王と子どもたちが世話になりました。貴女には一度お会いして、感謝を伝えたかったのです」
「有り難いお言葉ですが、私の功績ではございません」
「フィロメナについては、貴女のおかげですよ。あの子は、ゲレンで仲良くなった友人のことをよく話題に上げるの。その内の一人は、貴女なのでしょう?」
お転婆で我儘な子どもだった王女がゲレンの滞在で成長したことを感謝され、アズサは穏やかな微笑を返す。
「
王太子の病の治癒のみならず、、ゲレンから戻った国王の変化。全ては
アズサと
今後、
だが、ゲレンの統治者だと思われている魔女が不在だと思われるのも都合が悪い。だからアズサは、曖昧な笑みを浮かべるにとどめた。
元より
「前国王の統治の時代に放棄され、一度は地獄などと呼ばれるようになった街を見事に蘇らせた手腕。――貴女が良ければ、王太子妃として迎え入れたいくらいだわ」
「私一人で成し得たことではありません。優秀な仲間たちが共に歩んでくれたからこそ、辿り着けたのです。それにお言葉ですが王妃様、私は、王太子妃になることを望みません。既に約束を交わした相手がおります」
「あら。貴女は既にどなたかのものなのね?」
「はい。世界一愛する人がおります。彼から引き離されるようなことがあれば私は――世界を滅ぼしたいと、望むかもしれません」
「……優秀な者を誤った道へ誘うべきではないわね。下手な手出しをせぬよう、言い含めておきます」
「そうしていただくのが、互いのためかと存じます」
王妃との茶の時間を終え、与えられた部屋へと戻る間、アズサと護衛の二人は無言で廊下を進んだ。
アズサと護衛の片方が部屋の中へ入ると、もう片方の護衛が扉を閉めて部屋の前に立ち、二人の時間を守る役目を担う。
ガイからの気遣いに感謝しながらクルトは、王城内では常に着飾り遠い存在となっているアズサの体を、背中から抱き締めた。
「……コーバスの危惧した通りになったな」
「うん。王子は二人共、絶賛婚活中だからね。ゲレンのギルドマスターを王太子妃にできれば、なんて、考える人はいるよね」
「もたもたしてないで、何よりも優先して婚礼を行うべきだったか?」
「でも、そんな余裕はなかったよね」
この半年、王都へ向かうための準備に追われ、二人きりの時間は全く取れていなかった。そんな状況でプロポーズなどできるわけもなく、ヨスとフェナの結婚式も先延ばしになっている。
「帰ったら、ヨスとフェナの結婚式があるだろ?」
「すっごく楽しみだよね!」
「その時に、正式に申し込むつもりだったんだ」
クルトの手に導かれ、アズサは振り向いた。
自警団の制服を着ているクルトの青い瞳が、化粧を施して美しいドレスをまとったアズサを見つめている。
どこか緊張した彼の顔を見ていると、アズサまで緊張してきてしまう。
「い、いやだな。さっきの王妃様との会話、催促みたいに感じさせちゃった?」
「違う。きっと今がタイミングなんだ」
クルトが跪き、懐から取り出した指輪を、アズサの左手薬指へと嵌めた。
「俺は、アズサと、アズサの大切なものを一緒に守る。だから、そばにいさせて欲しい」
「……ユウイチから聞いたの?」
「ニホンのプロポーズはこうするんだろう? 透明な宝石が付いた指輪を左手の薬指に嵌めて、永遠の約束を乞うのだと聞いた」
「毎日味噌汁を作ってくれ! のくだりだと思うけど、すっごくロマンチックに変換されたね」
「間違っていたか?」
互いに正装で、場所は城の中、さらに目の前に跪いているのは軍服姿の凛々しい偉丈夫。
「間違ってない! 最っ高のプロポーズだよ!」
大喜びのアズサがクルトに抱きついて、問題無く受け止めたクルトはアズサの背中と膝裏へ手を回し、横抱きにして立ち上がる。
「アズサと俺の子どもが欲しい。二人で、幸せにしたい」
「何人欲しい?」
「あまり多いと困る。今でさえ、皆にアズサを取られているのに」
「私も、クルトを独り占めする時間が無くなるのは寂しいな」
「だけど、アズサと一緒ならきっと、どんなだって幸せだ」
「私もそう思う!」
幸福の象徴のような優しい口付けを交わした二人は、報告のためにガイを呼ぶ。
遠慮がちに扉を開けたガイに向かって、床に下ろしてもらったアズサが両手を広げて飛び付いた。慌てて扉を閉めたガイは、アズサを抱えてクルトの前に移動する。
「やったか?」
ガイからの問い掛けに、クルトは照れつつ頷いた。
「そうか、やったか!」
ガイの手が、バシバシと乱暴にクルトの肩を叩く。
泣きそうになっているガイを見て、クルトはさらに照れ臭そうに頬を掻いた。
帰ってきたコーバスへアズサが指輪を見せると、一瞬ぽかんとした後で、泣きだした。
「アズサが幸せそうだと俺も嬉しい。泣く」
「もう泣いてるよ、コーバス」
「フェナとはブラムが歩くだろ? アズサは誰と歩くの、バージンロード」
「フランク先生!」
「良いなぁ、俺が歩きたかった。でもいいや。絶対に俺、泣きながら歩く自信がある」
「フランクも言っていたんだが、バージンロードってなんだ?」
「花嫁が、父親に連れられて歩く道だよ」
「道の先では花婿が待っていて、父親が娘を受け渡す儀式らしいよ。フェナがやりたがってるからやる予定だけど、ブラムとヨスは少し嫌そうで笑えた。楽しそうだから俺ならやりたいのになー」
アズサとコーバスからの説明を聞いて、結婚にはそんな恥ずかしい儀式があるのかと、クルトは驚く。
ゲレンでの一般的な結婚式は、書類にサインをして宴会をするだけの簡単なものなのだ。
「チキュウの、ニホンじゃない別の国の文化なんだけど、ニホンでも一般的な結婚式なの」
「チキュウか……異世界にはいろんな文化があるんだな」
「私たちにとって、ウチュウジンだからね」
「前も言ってたな、ウチュウジン。なんだっけ? 空の向こうの住人だったか?」
「そうだよ! 空のずーっと向こうにある、こことは別の星に住んでいる人たち。ユウイチは、ウチュウジンなんだよ」
「ユウイチは、ニホン人だろ?」
「ユウイチは、ニホン人であり、チキュウジンであり、私たちにとってはウチュウジンなの。どちらにしろ、魔法が無いからもう会えない人。ウチュウセンを作っても遠過ぎて辿り着けないもの」
「……アズサはたまに、説明を放棄するよな」
「クルトも思った? 俺にもまったくさっぱりわかんなーい」
「アズサが説明を放棄する時は、大抵くだらない内容だからだろ? それより、クルトとアズサの婚約祝い、しようぜ!」
「酒はゲレンに帰るまで禁止だからな、ガイ」
「わぁってるよ。口うるさい息子だな」
「俺、王都で人気のお菓子買ってきたよ! 貴族の味覚の参考にしようと思って」
「お茶淹れよう! どのお茶が合うかな?」
「店の人に聞いて、茶葉も一緒に買ってきた」
「さすがコーバス! 仕事ができるねぇ!」
「もっと褒めて良いんだよ、アズサ。街を歩いて新しい情報も仕入れてきた。俺すごーい」
「コーバスすごーい! お菓子美味しそう!」
こうして、彼らの歩む道は明るく元気に楽しく、続いて行く――。
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