その時また、近くのレストランのシェフが入ってきた。


「ちょっとただごとじゃないな……」


 顔を歪めて入ってきたシェフに皆が不安な顔を向けた。


「車のラジオ今聞いてたんだけど……荒浜で2、300の死体が上がってるらしい」


 誰も言葉を発せなかった。


 陽ちゃんは困ったような顔をして頷いた。陽ちゃんの実家は荒浜にある。でも、大丈夫なんて声掛けることなんかできなかった。


「うちは連絡取れたよ。地震の後間もなく避難したみたいで。家がどうなったかはちょっとわからないけど……」


私の不安顔を察したのか、陽ちゃんがそう言った。ご両親が無事なのは何よりだけど、2,300の死体が上がってるなんて聞いたあとではよかったなんて言えなかった。


「もう暗いし、いつ二波三波が来るか分からないから、全く手出しもできないままみたいだ」


「……そうだよな。へたに行けばミイラ取りの話になっちまうか」


 親方が神妙な顔で頷いていた。


 こんな時に意味が無いとは知っていても、つい時間を確認したくなって携帯を開いてみた。


「……陽ちゃん」


「ん?」


「ここって、圏外になるとこあったっけ?」


「いや、アンテナ入れてもらってるから大丈夫。圏外になった?」


「うん」


 私の言葉をきっかけにこの場にいる人皆が自分の携帯電話を確認し始めた。


「俺のもだ」


「俺も圏外っす」


「俺のもだなあ」


「……あの揺れですから、基地局のアンテナ倒れててもおかしくないかもしれませんね」


 そうだとすると、携帯電話が使えるようになるまでけっこうな時間がかかるのかもしれない。


「恵瑠、悠一とは連絡とれたの?」


「うん。大きな揺れが収まってすぐくらいに電話きたの」


「そうか、よかったな」


 小さく頷いた。


 陽ちゃんのお家はどうなってるのだろう。


 あまり荒浜あたりの土地勘はないけど、あのあたりはずっと海岸沿いに防風林が並んでいて、それに並行して道路があったような気がする。その道路に遺体が上がったのだろうか……


 すぐそばは住宅街になっていたように思うが、そこにあった家々はどうなっているのだろう。陽ちゃんの家も荒浜で蒲鉾屋さんをやっている。


 何度か、陽ちゃんのお父さんが焼いた笹かまぼこを食べたことがある。できたての蒲鉾はほかほかで、ふわふわで、優しい味がした。


「恵瑠は悠一のとこに行くのか?」


「んー、兄貴は来いって言ってくれてるけど……志穂ちゃん私が行くとすごく気を使うからちょっと申し訳ない、かな」


「志穂ちゃん、いい子なんだけどな。確かに気遣いやではあるな」


「私より年下だし、そういうのもあるんじゃないかな」


「恵瑠さんって、地元こっちじゃなかったんでしたっけ?」


 平井くんが話しに加わった。


「こっちだよ。生まれも育ちも仙台」


「じゃあ、実家に行ったほうがいいんじゃないんですか?」


「あー……うちもう両親いないんだ。私が住んでるのが実家、になるのかなあ?」


「……そうなんすか。すみません、余計なこと言って……」


「ああ、別に気にしないで。両親はいないけど、兄貴はいるし」


 話を区切るかのように、陽ちゃんの手がカウンター越しに伸びてきた。私たち3人の前にそれぞれスープとスモークサーモン、キッシュが並んだ。


「ごめんね、温かい物スープしかないんだけど。カセットコンロ、もう一台くらい買っておけばよかったな」


「いや、温かいスープだけでもありがたいよ」


 詫びた陽ちゃんに萩原さんがお礼を言う。


「陽祐くん、炭おこせばいいんじゃないの?暖かいだろうし」


「いや、停電なんで、ダクト動きませんよ。ここで一酸化炭素中毒なんて洒落になりません」


 親方の言葉に、陽ちゃんが苦笑いする。


「そうか、停電ってそういうことだよな」


 親方もすっかり失念していたらしく、照れ笑いを浮かべた。


「宮城県沖地震のときはガス復旧に1週間くらいかかったんだよなあ、たしか」


 親方が呟いた。


「1週間ですか……11日だから……20日くらいまでみた方がいいのかな。週末2回飛ぶのは痛いですね」


「うちも予約全部キャンセルになるんだろうなあ……」


「さてと、明日から片付けだな。場合によっては炊き出しか?」


 炊き出し……そうか、ガスも電気も復旧しなければ家で食事の用意も、お湯を沸かすことだってできないしお風呂も入れないんだ……


「じゃあ、陽祐くんオイラはここいらで失礼するよ。気をつけてな。萩原くんも恵瑠ちゃんたちも」


 そう言い残し、親方が席を立つとシェフも一緒に店を出た。


「もう20時過ぎというか、まだ20時というか……平井出るぞ。陽祐、恵瑠おいてくから」


「ああ、はい。気をつけて帰ってくださいね」


「萩原さん……?」


「とりあえず、停電復旧するまでは休みだ。あと連絡入れるから」


「わかりました。お疲れ様です」


 萩原さんと平井くんも店を出て、陽ちゃんと私のふたりだけが残された。暖房がついていなくても狭い店の中に6人いたことであまり寒さは感じていなかった が、皆が出たあと途端に温度が下がったような気がした。


「人出るとやっぱり寒いな」


「……そうだね。何か手伝うことある?」


「大丈夫だよ。もう終わる。ちょっと待ってて」


 手際よく片付けをすすめる陽ちゃんの手を眺めているのが昔から大好きだった。兄貴の同級生で、まだ両親も生きていた頃、よく遊びにきていた陽ちゃんは私にもいつも優しくて。憧れのお兄ちゃんだった。


 陽ちゃんと共通の話題を持ちたくて、料理も勉強した。飲食の道に進んだ陽ちゃんの後をずっと追いかけてたんだなあ。


「恵瑠、上着着た?って……着たままか」


「うん……」


 いくら寒くなかったとは言っても、上着なしでは無理だった。


「じゃあ出るぞ。忘れ物ないようにな」


「はーい」


 先に外へ出て、空を見上げた。さっきまでの星空はすっかり厚い雲に隠されて見えない。また雪が降り始めていた。


 3月に雪がふることは別段珍しいことではないけど、今年の冬は寒さがきつかったような気がする。1月は何日も真冬日が続いて、毎晩帰り道がツルツルに凍 結していた。


「寒いな……今年の冬は長いな」


「……そうだね」


「ほら」


 手渡されたのは温かい缶コーヒーだった。


「どうしたの?」


「もらってお湯の中に突っ込んでたの忘れてたんだ。まだ温かいだろ?」


「うん。陽ちゃんは?」


「大丈夫、もう一本あるから、それは恵瑠が飲みな」


「ありがとう」


「温かいうちに飲んじゃえ」


 歩きながらプルトップタブを引く。開いた口から仄かな湯気が立ち上がった。


「おいしい……」


 ただの缶コーヒーなのに、温かさが沁みる。陽ちゃんも一口つけて、ほうっとため息をついた。


「悠一のとこじゃなくて、家に戻るのか?」


「うん、そうする」


「じゃあこっちか」


 陽ちゃんが私の家の方向へと曲がった。


「陽ちゃん?」


「送ってくよ」


「いいよ、大丈夫。寒いし、陽ちゃんも早くおうちに帰りたいんじゃない?」


「いや、帰ってもできることないし。別に昨日までの状態だったら送らないけど。日本じゃなかったら至る所で暴動起きてておかしくない状態なんだよ。一人でなんか歩かせられるか」


 ちょっと怒ったように、頭を小突かれた。


「ごめん」


「怒ったんじゃないから。でも、ちゃんと送られなさい」


「はい。ありがとう」


 これが妹扱いじゃなくて女の子扱いだったら嬉しいのに……きっと陽ちゃんは私が兄貴の妹だから気にかけてくれてるんだよね。


「恵瑠、懐中電灯とか持ってるのか?」


「懐中電灯はないけど……仏壇用のろうそくがあったはず。あ、あとたぶんいただき物のアロマキャンドルとかもしまってある」


「じゃあ、とりあえず明かりは大丈夫そうか」


 金曜日の20時半前だと言うのに、辺りは真っ暗で、人影も殆ど無い。時々、何人かでまとまって歩いている人たちとすれ違うだけだ。


 一番町を過ぎても、やっぱりあちこちで非常ベルが鳴り響いている状態は変わらず、すべての建物が闇を更に深くさせている。


「陽ちゃん……」


「ん?」


「私、今日ね。夕方こっちに向かって歩いてて……初めて夜になるのが怖いって思った」


「そうだな……明かりのない状態って経験ないよな。しかも国分町が真っ暗なんてあり得ないし」


「ね。こんなことってあるんだね……」


 さっき聞いた荒浜の事も、昼間の地震も、今の停電状態も、何もかも現実感が伴っていなくて、映画を観ているような感じで、家に帰ったら普通に電気がつく んじゃないかとちょっと思っていた。


 歩く道歩く道、すべて真っ暗だった。たまに通り過ぎる車のヘッドライトがやけに明るく感じる。自分の家だけ電気つくかも、だなんてあり得ないと実感する。


「え?」


 突然掴まれた腕にびっくりして陽ちゃんを見上げるのと、私の右足が思っていた以上に沈み込んだのは同時だった。


「あっぶね……そこ、かなり段差で来てる」


「うん……20……30cmくらい?地震のせいなのかな?」


「たぶんな。30cmはあるな……」


 そのまま腕を取られて歩いていることにちょっとした不満が持ち上がった。


「ねえ、陽ちゃん」


「ん?」


「あのね。これ、なんか補導されて連行でもされている気分になる」


「……連行されたことあるの?」


「そうじゃなくて、ないけどっ」


「わかってるよ」


 陽ちゃんが楽しそうに笑ったことにホッとした。


「!!」


「こうならいいだろう?」


 繋がれた手にドキドキする。こんな非常時に不謹慎だよね。でも、温かい手に安心した。


「うん」


 懐中電灯に照らされている足元を見ながら答えた。もう家がすぐそこということが残念だなと思いながら。


 途中途中の道が、急に陥没していたり、タイルがガタガタになっていたり、通り過ぎる商店のシャッターがひしゃげていたり……冗談じゃないんだなと思い知 らされた。


「うちも、やっぱり真っ暗だね……」


「そうだな……どっかでこの辺は大丈夫じゃないかって思ってたかも」


「私も、そう思ってたかも」


 建物の影が更に闇を濃くしていた。自分の家なのに入るのが怖い。


「鍵、出せるか?」


 陽ちゃんが私のカバンを照らしてくれた。


「うん。でも、陽ちゃん……」


「ん?」


「……帰っちゃうの?」


「え?」


「帰らないで。一緒にいて」


「一緒にって……お前、こんな暗闇で男簡単に家に上げるな」


「男簡単にって。陽ちゃんだからじゃない」


 明らかに困った表情を浮かべながら頭をわしわし撫でられる。妹扱いに腹が立った。


「やだ。帰らないで」


「ったく、しょうがないな。今日だけだぞ」


 今日だけだとしても、一緒にいて欲しかった。でも……


「いいや。やっぱり陽ちゃん帰っていいよ」


「なに、急に」


「どうせ、陽ちゃんは私の我侭に付き合ってあげようって、妹が駄々こねるからしょうがないなって感じなんでしょ。それなら、一緒に居なくていい。もう、いい」


「ちょっと、恵瑠?」


「お兄ちゃんが欲しいわけじゃないもん。兄貴いるし」


「恵瑠……?」


「何年も……陽ちゃんの鈍感男!」


「恵瑠。鈍感はどっちだよ」


「え……?」


 気がつけば、私は陽ちゃんの腕の中だった。こんな、玄関先で……ご近所に見られたら……こんな暗闇じゃ視えるわけないか。


「恵瑠がいつも俺を『兄貴の友達』って言ってたんだろう。だから……こういう時にそばにいてあげたいって思っても、俺はいつまでたっての兄貴の友達でしかないんだなって」


私の首元に顔をうずめながらそう言った陽ちゃんの声はちょっと震えてた。


「陽ちゃん」


「ん?」


「私、陽ちゃんが好き。陽ちゃんは?」


「好きじゃない子にこんなこと言わないし、しない。俺、何年彼女居なかったと思ってる」


「……そういえば」


「そういえば、じゃねえよ。責任取れよ」


 暗闇でも、陽ちゃんの顔が近づいてくるのが分かった。


「寒いな。入るか」


「うん」


 さっきまで怖かったおうちも、陽ちゃんが一緒だとホッとする、いつものおうちだった。

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大震災の夜 川瀬 鮎 @ayu_kawase

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