一番町にさしかかり、友人が勤めている飲食店ビルが見えてきた。窓ガラスがすべて割れている。営業できるようになるまでどれくらいかかるのだろうか。そ して自分が勤める店は一体どんなことになっているのだろうか。


 虎屋横丁を歩いているところで偶然知り合いとすれ違った。


「ジロちゃん!」


「恵瑠さん。お疲れ様です」


「お疲れ。帰るの?」


「はい、もう暗くなるし。うちの店窓無いからもう何もできないですよ」


「そうだよね……私もちょっと店だけ様子見に」


「気をつけてくださいね」


「うん、ありがとう。ジロちゃんも気をつけて帰ってね」


「はい。じゃあ、また」


 短い会話を終え、店へと急ぐ。あたりはだいぶ薄暗くなってきていた。


「お疲れ様ですっ」


 店の扉は開いていた。オーナーの萩原さんがいるのだろう。中に入るとむんっとアルコールの匂いに迫られた。


「お、恵瑠か?」


「はい。すみません、来るの遅くなっちゃって」


「いや、そんなことはいい。お前、家は?」


「あー、なんかめちゃくちゃですね」


 台所の様子が思い浮かんだ。


「だよな。うちもだ。そしてここも見ての通り」


 バックカウンターにはほとんど何も無い。お酒もグラスも。


「全部いっちゃいました?」


「いや、全部というか……まあ全部みたいなもんか。8割くらいいったな」


 8割……まだオープンして1ヶ月も経っていないのに。


「陽祐からろうそく何本かもらってきたんだけど、これで最後だから、消える前にはここ出るぞ」


「あ、はい。何からやればいいですかね」


陽ちゃんの店の状態も気になるけど、まずはこっちだ。


「とりあえず、残ってるグラスはシンクに突っ込んでおいて」


「分かりました」


 カウンターの中は足元までろうそくの明かりは届かない。床がべたつくのは割れたボトルからこぼれたリキュールなどのせいだろう。残っていたグラスの数が少ないせいか、それでも作業はすぐに終わった。


 ジャリジャリ言う足元を箒で掃く。目で確認はできないが、箒で床を撫でるとガラスの欠片を引っ張る音がする。


「恵瑠、あとは停電が復旧してからだ。明かりないとなにもできないや」


「……ですね」


 ろうそくももうあと1cmくらいしか残っていなかった。窓のない店内は、停電じゃなくても電気を消せば闇になる。


「あ、また……」


「ちょっとでかいな……」


 少し大きめの揺れにろうそくの炎が揺らめく。


「萩原さんっ!!」


 萩原さんを慕ってよく来ていた学生のお客さんが勢いよく入ってきた。


「どうした、平井」


「……地震、俺怖くて……どうしたらいいか、わからなくて。携帯も繋がらないし……本当どうしたらいいか、わからなくて」


 その男の子は涙ぐんでそう言った。


「ああ、携帯はアウトだな。しばらく繋がらないだろう。公衆電話無料開放してるって誰か言ってたから、そっちのほうが繋がり易いんじゃないか?」


「でも、電話すごい並んでて……」


 平井くんが鼻をすすった。もうほぼ泣き顔だ。


「あ、恵瑠さん……こんばんは」


「……こんばんは」


 今私がいることに気がついたのだろう。ちょっと罰が悪そうにいまさらの挨拶を口にした。


「平井くん、外もう暗いよね、明かり持ってるの?」


「あ、はい……チャリの電灯、取り外し出来るやつに変えたばかりだったから」


「そっか、変えててよかったね」


 こんな状況でよかったも何もないと口にしてから思う。


「恵瑠、お前どうする?」


「あー、兄貴が来いって言ってたし。一旦家戻って、それからですね」


「家戻ってって、お前懐中電灯とか持ってるのか?」


「いや、ないけど。兄貴の家近いし。ろうそくなら家にもあるし」


「そうか。平井は?」


「萩原さんはどうするんですか?」


「俺は、これ返しに行って、あとは帰るよ。することもないし」


 そう言って萩原さんが手にしていた懐中電灯を見せた。


「俺も一緒に行っていいですか?」


「ああ、別に構わないけど」


「恵瑠さんも一緒に行きましょうよ。こんな時に一人で動いちゃだめですよ」


 平井くんの言葉から真剣さが伝わってくる。


「わかった。萩原さん、懐中電灯も陽ちゃんとこから?」


「そう。とりあえずお前ら先に外に出てろ」


外は真っ暗で、初めて見る光景だった。


「国分町に明かりが灯らない日を見ることがあるなんてね……」


「……そうっすね」


 闇に包まれた繁華街は異様だった。あちこちから鳴り止まない非常ベルの音が聞こえる。自家発電装置なのだろうか、ぶうんという低い何かの振動音も響いていた。


「ちょっと、星すごい!!」


「え?」


「星。プラネタリウムで見るみたいな星空」


 頭上では、手が届きそうな北斗七星が見える。


「あ、あれ俺知ってます!オリオン座でしょ」


「オリオン座、普段でも見えるけど、こんなにはっきり見たの初めて」


「おい、お前ら。何夜景デートみたいな会話してるんだよ」


 いつの間に出てきたのか、萩原さが呆れていた。


 たぶん、ちょっとした興奮状態に陥ったんだと思う。あんな地震があって、街中が停電していて、でもそれがどんなことかがよくわかっていなかった。


「ほれ、そろそろ行くぞ」


 萩原さんに促され、陽ちゃんのお店の方へと向かう。すれ違う人の顔も見えない。皆足元を照らし、注意がそちらに向いているからだろう。


 満月に近い月が出ていなければ、もっと星が見えたかもしれない。闇の中では月の明かりというものをこれほどに感じら れるのかと初めて知った。


 自分の後ろをついてくる影を見ながらそんなことを思った。


 陽ちゃんの店からは仄かな明かりが漏れていた。


「あ、お疲れ様です。片付けられました?」


「おおまかにな。ありがとう、助かったよ」


 萩原さんが陽ちゃんに懐中電灯を渡す。


「恵瑠も一緒だったのか。大丈夫だったか?」


「お疲れ様。家はめちゃくちゃですけどねー」


「そうだろうな。今店の物全部だしてたんだ。なんか食ってけよ」


「いいの!?」


「この停電だし、全部捨てることになるよりいい。萩原さんとそっちの子も何か食ってってくださいよ」


「こっちは手ぶらなのに悪いな。でも、ありがたい」


「何言ってるんですか。萩原さんとこ乾き物しかないでしょう。それに、金曜日でこれじゃあね。予約の仕込みとかし終ってたんですけどねー」


「週末に当てられたのはいたいよな……まあ、でも日中に起きただけでも助かったと思うべきか?」


「ですね。あれ夕方かかってたらこの辺りへたすりゃ全部火事になってましたよ」


 3月11日。歓送迎会も始まる頃だ。国分町にある飲食店は多岐に渡る。牛タン屋もあれば、焼鳥屋、寿司屋に炉端焼き。レストランもあればバーやスナック、キャバクラに風俗店もある。


 区画開発のあと、狭い路地は減ったものの、一方通行の狭い道路だ。それに週末の夕方ともなれば所狭しと業者の車も入り込み、数千といわれる店の従業員が一斉に動き出す。


 仕込みの時間ともなれば火も使い始めている。火事が起きれば大変な騒ぎとなっただろう。


「ここは大丈夫だったの?」


「ああ、半地下だからかな。壊れたものとかはないよ」


「そっかー。やっぱり地下はあんまり揺れないんだね」


 陽ちゃんに促され、萩原さんと平井くん、私の3人はカウンターの奥に座った。


「お、萩原くん。大丈夫だった?」


「大丈夫っちゃ大丈夫ですけど。まあ、酒とグラスほとんどやられましたね。親方のとこは?」


 うちの店の並びにある寿司屋の親方だった。


「いやあ、うちも食器は全滅だなあ。まいったよ」


「俺たち何も情報もってないんですけど、何か分かります?」


「ああ、なんかいわれていた宮城県沖地震ではないらしいんだよな」


「そうなんですか?」


「なんか、大分えらいことになっているらしいよ」


「津波とかこなかったんでしょうか?」


「……とんでもないことになってるみたいだ」


 とんでもないことって……子供の頃起きた北海道の南西沖地震を思い出した。あの時の津波は50メートル以上遡上したって聞いた記憶がある。 三陸もリアス式海岸のせいで、津波が陸地に近づくに連れて高くなるだろうと言われていた。


「サーバー動かないから生ビールは出せないけど、瓶ビールなら飲んでいいから。氷もある分が溶けるまでの間だな」


 陽ちゃんの言葉で、会話が少し途絶えた。私たち3人はそれぞれグラスを受け取り、ビールを頂く。


「宮城県沖地震じゃないって……でも、あんな揺れ。どっか別のとこが震源地だったんですかね」


 萩原さんが一口ビールを飲むと、また会話を戻した。


「さあな。ラジオじゃ注意して聞いてないと、他の情報にすぐ移っちゃうからな。でも、なんか意外とけが人とかは少ないみたいだけど、まだ情報が出揃ってないのもあるかもね」


「そうなんですか……やっぱり時間帯に救われた部分はあったんですかね」


 夕方に起きていたとしても国分町は大変なことになっただろうと思ったが、これが更に遅く21時とか22時ころに起きていたら……酔客が歩き始める時間 帯、どんなことになっていたのかなんて想像もできない。

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