大震災の夜

川瀬 鮎

from:悠一

3月9日 11:51

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地震大丈夫だったか?


 兄貴も心配性だね。やっぱりメール寄こしたか。


[大丈夫。でも大きかったねー。そろそろ宮城県沖地震、心配しなきゃいけない頃な のかもね]


 さっきの揺れはちょっと不安になる大きさだったけど、家の中の家具とか、そういうものが倒れたり何かが落ちたりするようなこともなく、まあよくある地震 だった。


 宮城県仙台市はもともと地震に対する関心は高い地域だと思う。


 私が生まれる5年前。昭和53年の6月に宮城県地震が発生し、亡くなった方も居たという。私にはもちろんその記憶はない。それでも、小学校・中学校と繰 り返しその時の話をされ、宮城県沖地震が起きた6月12日は県民防災の日になっていて、大概の小中学校では防災訓練の日になっていたのではないだろうか。


 小学校の頃はお尻の下に防災頭巾を敷いていた。その防災頭巾を被っての防災訓練は面倒くさかったし、ちょっとその頭巾をかぶるのも恥ずかしかったりし て、けっこう適当にやっていたと思う。


 20代も後半に差し掛かり、30年以内に宮城県沖地震が発生する確率は99%と聞くと、不安に思う気持ちもあるが、結局こういった情報だけで地震なんて来ないんじゃないかなんて思ったりもするけど、この10年くらい、大きな地震が頻発している。10年近く前に起きた地震では矢本のほうが大きな被害があったはずだ。当時私は東京に暮らしてい た。東京もかなり揺れて驚いたのを覚えている。


 7,8年前の地震では泉の方にあったプールの屋根が剥がれ落ちたりするようなこともあった筈だ。その頃には私ももう仙台で就職していた。それでも停電になったり、物が落ちたりするようなこともなく大きな地震だったねーという感想しか持っていなかった。


 栗原での地震はさすがに衝撃が走った。土砂崩れが起き、遺体を発見されることもないまま捜索が打ち切られたことを仕方ないと思った私は他人ごととしか思っていなかったのだと思う。


 ここ最近になって、矢鱈と地震のことが気になっている。さっきの地震もちょっと怖かった。なんだか、不安を駆り立てられる感じ。


 まさかとは思うけど……ちょっとお水とか貯めておこうかな。


 そう思い、まだ捨てずにいたペットボトルをかき集め、軽く洗ってから全てに水を入れる。全部で1リットルボトルが3本、500ミリボトルが8本。先週捨て忘れたからこんな量になっていた。


 1リットルボトルには少しずつ漂白剤を混ぜておいた。これはなんとなくで思いついた索。水の消毒に塩素を使うなら有効かな、と思って。これはトイレ用に しよう。


 溜まっていた洗濯物を洗っている間に、何か食べ物を買っておこう。


 買い物から帰ってきてから、買ってきた食材をすべて切り分ける。玉ねぎはみじん切りとスライスに分けて冷凍。きのこも小房に分けて冷凍。お肉類も全部一 度に使う量に切り分けて冷凍した。


 なんで私ここまでやってるんだろう。さっきの地震でちょっとビビっちゃったのかなー。まあ、でも備えあればっていうしね。




 あ、また地震……?


 ストーブの前でうたた寝していた私は気持ちの悪い揺れに目が覚めた。まだぼんやりしている頭のどこかで警鐘が鳴る。


 これ、たぶんヤバい。


 どんどん大きくなる揺れに為す術がない。身体は起こしたものの、立ち上がることもできない。揺れているというより、建物ごと揺さぶられている、そんな感じ だった。台所から聞こえてきた物凄い音は分かっているけど、どうしたいいか分からない。


 次々とグラスが割れる音がする。つけっぱなしだったテレビが点いたり消えたりを繰り返し、間もなく全く映像を映さなくなり、床に落ちた。


 突然とまった ストーブから黒っぽい煙が出ている。


 停電……?


 まだ揺れは収まらない。揺れ始めてから一体どれくらい時間がたったんだろう。少し揺れが小さくなったのを見計らってすぐに携帯電話を手にした。


宛先:悠一

件名:Re:

本文:とりあえず私は大丈夫だから


 唯一の家族、兄貴にだけメールを送る。最初はなかなか送れなかった。混雑しているのもあるのだろう、でも突如大きくなる揺れに、手が震えてうまく送れな かった。


 その後も揺れは大きくなったり小さくなったりを繰り返し、小一時間たっただろうか。外では大きな声がしている。それも一人二人じゃなくて、何人もの大きな声が聞こえてくる。


 そっと窓から様子を伺ってみれば、皆どこかへ向かっているようだ。この近くだと……中学校が避難場所になっているか。みんな避難場所に行くのかな?中に は大きな荷物を持っている人もいる。大きくなるか小さくなるかというだけで、まだ揺れは続いている。


 家の中から出ること自体が怖い。どうしよう……


「……もしもし」


 突如鳴り響いた呼び出し音に身体がビクっと震えた。


『あ、恵瑠。よかった、通じた。大丈夫だったか?』


「うん、なんとか」


『俺今日たまたま休みだったから家にいたんだけど、どうする?こっち来るか?そっちも停電してるんじゃないか?』


「停電はしてるけど……いや、いい。とりあえず店行ってくる」


『店!?』


「うん。ちょっと様子見に行かないと不安」


『無理するなよ。こっちくるなら何時でもいいからな』


「うん、わかった。ありがとう」


『この後電話通じにくかったりするかもしれないから、災害用伝言板に登録しておくから』


「うん、行く前には連絡入れるから」


『遠慮しないですぐ来るんだぞ』


「うん、ありがとう。」


 電話の最中も何度も揺れが大きくなる。何が起きてるのか、地震というのは分かるけど、頭の中が真っ白になるってこういうことなのかって思い知った。


 出かける準備自体は終えていた。すぐ出かけられるが……気になって覗いた台所の様子に唖然とした。


 吊戸棚や食器棚の扉はすべて開き、中の物が落ちている。食器棚の上に箱に入った状態で置いていたホットプレートも床に転がっていた。その周りには割れたグラスやコーヒーカップが散乱している。電子レンジやオーブントースターも転がっていた。足の踏み場もないとは正にこのことだ。


 外の音がやけに聞こえる。揺れのせいでだろう、窓もすべて開いていた。外は雪がちらついている。長丁場になるかもしれないから、防寒はしっかりしたほうがいいな。


 仙台は雪が少ないせいかあまり寒い地域と思われていないが、年中風が強いため実は体感温度がかなり低い。旭川出身の友人は、旭川より寒く感じると言って いたことがあった。しかも3月。春先はいつも東北の他の県よりも温度が低いことが多い。山風と海風が混ざって気温が上がりにくい。


 あ、水。出るのかな?


 台所はとてもじゃないけど入れないから、風呂場に向かう。蛇口をひねると水が出たことに一安心した。宮城県沖地震のときには断水もしたということを思い 出し、今出る分は貯水槽に残っているだけかもしれないと思い、浴槽に水を貯めた。


 一昨日の地震、あれの余震っていうこと?


 そんな疑問が頭に浮かぶ。余震のほうが大きいってことはあるのだろうか?テレビもつかない、ラジオは持っていない。何の情報も得る手段がない。一体、ど こで起きた地震で、どんな規模で、何が起きているのか全く分からなかった。


 浴槽に水が貯まるのを待ってから家を出た。16時半。まだ暗くなる時間ではないが、このまま日没を停電したまま迎えるのだろうか。道路の信号は点いていない。片側4車線もある大きな道路でさえそうだった。それでも道路での混乱は少なく、様子を見ながら車も歩行者も譲り合い道を進む。


 歩いている途中で、脇のビルが大きく唸る。窓がガタガタと鳴る。また地震だった。でも歩けなくなるような大きさではない。とりあえず、国分町に向かって歩く。夜を迎えるのが怖いと初めて思った。

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