リーハイム・ジェノサイド(3)

 モスクワ軍士官ソロヴィヨフ大尉とオスカー・ヴァイルブルク国防参事官の会談は、ヘルヴェチアを庇護するアルプスに夕陽が傾くころにかけて行われた。


 兄であるオーギュストに負けず劣らず漁色家で知られるオスカー参事官は、銀縁眼鏡のレンズ奥で翠の瞳を輝かせ、ソロヴィヨフ大尉、もとい彼に伴われてやってきたヘレネ・ヴィッテルスバッハ伯率いる女騎士たちを恭しく応接室に迎えた。


 豪奢な調度品が取り揃えられた部屋の一角は、オスカー本人が私的なスペースとして利用しているらしい。キャビネットの上には、ライフルの形状を象った金鍍金のトロフィーや、複数のアオバトの剥製などが飾られていた。その傍らの壁面には、雄大なアルプスを仰ぐリゾート地であるサンモリッツの風景が描かれた油絵、そして競技射撃大会での優秀な成績を讃える賞状の収められた額縁が並んでいた。弓術の名手、森林の守り人といったエルフ像も、今では懐古的な偏見になりつつあるのかと、ソロヴィヨフは思った。


「美しい戦乙女たちに囲まれて、前線はさぞお楽しみだったことでしょう」


 そんなわけないだろうが、とも言い返せず、ソロヴィヨフは口の端をゆがませた。

 ヘレネを筆頭に、どいつもこいつも倫理と理性を母親の産道で取り落としてきたような糞女ばかりである。仕事があろうがなかろうが、日がな一日酒と菓子をかっ食らい、小遣い稼ぎに麻薬を売り、挙句の果てには売春すら辞さない。帝国の堕落と腐敗を顕著に体現する、大陸に二つとない阿呆集団である。


 しかしながら、今のヘレネにはモスクワ連合軍・帝国諸民族解放委員会UBA統括審議長なる、きわめてバカバカしく大袈裟で仰々しい肩書があった。


 帝国諸民族解放委員会(Untertan Befreiung Ausschusses)、それはモスクワ連合国内の帝国人捕虜、ならびに反帝国勢力による、現帝国・ザイリンゼル三世政権の打倒を掲げる集団である。ソロヴィヨフ率いる試験中隊の設立に伴って創設された兄弟組織であり、戦後の帝国内での樹立が想定されている新政権の準備団体としての機能が期待されていた。


 もっともその規模はさほど大きなものではなく、現在ではヘレネ率いる修道騎士団と、手指で数えられるくらいの亡命貴族、そして鉄砲玉として起用されたのだろう、暴徒上がりの活動家連中が名を連ねているだけにすぎない。しかしながら、試験的に結成された弱小集団であるにも関わらず、しっかりとモスクワ本国から活動予算がおりているのだからたまらない。配分された金の大半がヘレネのポケットマネーと化しているであろうことは想像に難くない。


「彼女たちがいかに有能でも、ああして大国にスクラムを組まれては、一介の士官の自分としてはなすすべがありません。戦略的な指示がくだるまで、手も足も出ませんよ」


 当たり障りのない言葉を選んで、ソロヴィヨフはオスカーに言った。


「それは気の毒に。さしものモスクワ軍も、今の世論の声に逆らってまで、魔王軍を殴りつけるわけにはまいりませんか」


「猿人至上主義からの解放戦争を謳っていた以上、非猿人種からの待ったがかかれば、足を止めざるを得ないということです」


「報われない話ですな。はるばるベルリンまで足を延ばしたら、一夜にして悪者扱いですから」


 今となっては、マスメディアはモスクワを目の敵にした言説で溢れかえっていた。つい数ヶ月前までは帝国を人権後進国、暗君に率いられる哀れな巨象だと吹聴していたはずである。最近になって思い出したかのように、各国のマスコミは帝国の斜陽を憂い、モスクワの蛮行を目の敵にするようになったのだ。


 彼らがこぞって担ぎ上げているのはもちろん、終わりなき戦乱を憂う救国のアイドル・エレシュキガル二世こと、魔王アミル・カルカヴァン、そして彼女と理想を共にする勇者ラウラである。まるで我らこそが勇者信仰と英雄譚の再現なるぞと言わんばかりの登場は、神敵として貶められたモスクワ軍としては、抗議の一つもしたくなるところであった。アミルというジョーカーを切られ、占領地の解放、帝国領土からの即時撤退などを強いられたモスクワは、あのままベルリン攻撃を続けるわけにもいかず、公式回答を出さないまま、各部隊にその場で足踏みをさせる羽目になった。


 ソロヴィヨフ隊は唯一の例外であった。マニロフ中佐との協議の末、ヘレネのコネを頼ってヘルヴェチアへと赴いたのである。銃器と麻薬の密輸、そして娼館の経営ネットワークを通して関係を持った官僚との伝手があるとのことで、ソロヴィヨフたちはこの灰色の繋がりを命綱に縋ったのだ。


「しかし、ベルリン侵攻も無駄足ではなかったのでしょう? 悪の枢軸から要人を救い出したという名目であれば、モスクワとて使えるのではないのですか」


 現状、モスクワ側は第四皇女を擁している。あの自称勇者の集団に面と向かって抗議するためには、ヴィルヘルミーナ皇女を錦の御旗とした亡命政権の発足が必要不可欠であろう。


「いま現在、臨時政権の各ポストを担える貴族の候補を選定している最中だ。幸い、捕虜となった指揮官の中に、使えそうな貴族が数名いることが確認できている。政権樹立まで、そう長くはかからんと思うが」


 珍しくアルコールの入っていないヘレネが真面目な語り口で言った。顔つきも余所行きのそれであり、端麗な容姿を効果的に活かした澄まし顔を参事官に向けている。


「問題なのはガリアとブリタニアが痺れを切らした場合です。経緯からしてフリュギアが直接攻めかかってくることはないにせよ、どんな手を使ってくるかは未知数といえます」


「逆もあるだろ。ガリアとブリタニアが魔物どもを鉄砲玉にしてくるかもしれん」


 ソロヴィヨフの予測に、ヘレネは持論をもって応えた。


「いまの盤面なら、魔王軍は何をしたって有利なんだ。手出ししないでモスクワをガリアとブリタニアにブン殴らせるのであれば、厭戦派としてチヤホヤしてもらえる。逆に先陣きって突撃してくれば、おそらくは汎スカンディナヴィアあたりがもっともらしく正当化してくれる」


「人魔統一……でしたか。あのお上品なスローガンをかなぐり捨ててまで、フリュギア軍が直接攻撃に移ると仰るのですか。あくまで護衛や兵站支援に留まるのでは?」


「そう考えるのはそっちの勝手だけどな。あの持ち前のお行儀のよさで、おたくの懐探られてから吠え面かくんじゃねえぞ。あいつら、そういうことする気満々だからな」


 非猿人種の権利回復運動。魔王軍によって広く喧伝されたこの活動は、既に萌芽を見せ始めていたリベラルな気風や思想と合流していた。特に、ヘルヴェチアの外資回収に一役買っていた産業形態についてメスが入れられるであろうことは、容易に予測できた。つまりは女性蔑視の矢面に立たされやすい、水商売と性風俗産業である。


 エルフという人種は他人種と比較すると長命であり、人間の宿痾ともいえる外見的な老いとも無縁である。愛らしい赤子として生を受け、美貌の絶頂期を維持したまま青春と晩年を謳歌し、そして死んでいくのだ。長寿にして少産少死というライフスタイルを持ち合わせるエルフにとって、性交渉への認識は、他人種のそれに比べて非常にカジュアルである。童貞や処女への神聖性など知ったことではなく、貞操観念は男女問わずたいへん奔放だといえる。


 ただでさえ優れた美貌を有した者が多いのだ、これを外貨取得に使わない手はないではないか。なにしろ元手がかからないどころか、独身者の欲求不満解消にも役立つのである。こうした背景もあり、ヘルヴェチア主導の性風俗産業は、実に金融業に次ぐ規模の経済分野として発展してきたのである。


 資金力に物を言わせ、ヘルヴェチアのエルフが大陸社会の下半身事情を一挙に掌握するようになったころ。当時の得意先の大半は貴族であり、エルフが手綱を握る高級娼館は、各国各都市で莫大な利益を生み出していた。しかし市場の急速な拡大に伴って、性病の蔓延と私生児問題が取り沙汰されるようになった。産業規模の発展と諸問題の顕在化が正比例の関係にあるとされ、特に異常性がみられたのは、帝国内の娼館グループであった。


 帝国において、市民権を有さない非猿人種は二等国民であり、まともな福祉サービスの恩恵に与れないとともに、そもそも人間として扱われない。後ろ盾もなく食い詰めた女性が向かう先のビジネスとして娼婦を選ぶのは古今東西にして万国共通の理だろうが、それにしても当時の帝国の性風俗を取り巻く環境は、劣悪という表現では足りぬほどの惨状を呈していた。


 ヘルヴェチア関連企業のロゴを免罪符とでも勘違いしたのか、現地支配人たちのやり口は、性風俗の範疇から逸脱した狂宴犯罪も同然であった。常連の顧客からコンスタントに大金を運んでくるエルフや猿人の高級娼婦を例外として、人間以下とされた女性への扱いは、まさしく鬼畜の所業と呼ぶに相応しかった。


 彼らにとって月経すら迎えていない女児を都市郊外や農村部から拉致するのは朝飯前であり、仮に客との性交の最中で死亡したとて、誰一人として狼狽えることはない。浮浪児だろうが娼婦が便所で産んだ娘だろうが、挿れる穴さえあれば商品である。さらにいえば、新生児にも値段はつくのだ。また、人間の形にいたってなかろうが構わないという趣向もあり、妊娠した娼婦に堕胎させた胎児にのみ劣情を抱く貴族の顧客も、少なからず存在していた。


 二等国民の女がまともなベッドの上で奉仕させられることはまずなく、不衛生な小部屋や路地裏が彼女たちの仕事場であった。ろくな健康管理もなしに客をとらせ、同胞や嬰児の遺体と汚物が散乱する部屋で、長期に渡る寝泊まりを強いていた。何せ、帝国の常識に照らし合わせれば、彼女たちは人間ではなく魔物であり、性処理用の安価な家畜なのだから。


 部屋の片隅では気のふれた馬人の女が病死体の頭部を自らの陰部に挿入して自慰に耽り、大便が積もり積もった便器の傍らには、手足の合計が奇数の奇形児が、母親の乳房を求めて蠢いていた。当時、オスカー参事官も士官候補生の弟を連れて視察に訪れたことがあったが、こうしたおぞましい光景を目の当たりにしては十分と滞在できず、娼館のある地区からそそくさと退散していった。この体験が原因かどうかはわからないが、オスカー参事官の弟は、女を抱くことに極度の抵抗を示すようになってしまい、齢一三〇を数える今でも未だに童貞である。


 パトロンとして共同経営に名を連ねていた貴族などは、二等国民の娼婦に対する杜撰な扱いをコストカットの一環だとのたまっていたものだから、当時の帝国の衛生観と倫理観の欠如ぶりは、推して知るべしといったところであろう。性的サービスの品質保持や衛生管理等々の評判がもたらす利益は、そこにかけたコストに正比例していくというのがヘルヴェチア側の認識であった。娼婦をいち個人の労働者として雇用するという理念は、非合理的な貴族主義に拘泥する帝国の経済市場に見合った結果を出すはずもなかった。あとに残ったのは性病と薬物汚染の蔓延という、およそ成功とは言い難い負の遺産だけであった。


 こうした管理体制によって、百数十年前に撲滅したはずの疫病までもが現地の病院で確認されると、さすがに帝国の社会保険省も重い腰を上げた。ヘルヴェチア側も衛生体制の徹底と倫理規定の見直しが行われ、また帝国内外でのイメージダウンを避けるための、少なくない出費を強いられた。ヘルヴェチアがヘレネ属する修道騎士団とつながりを持ったのも、この一件に起因する。禁欲を是とする宗教貴族からの圧力を避けるため、騎士団の庇護を求めたのだ。


「さっきから聞いてりゃ、なんかおたくら他人事みたいに思ってるみたいだから、ちょっと気になっちゃったんだけどさぁ。ほんとに今の状況わかってんの? 参事官さぁん」


「め、滅相もない、ヴィッテルスバッハ伯」


「あの娼婦のタコ部屋事件、揉み消しを担当したのは我が陸軍情報部だ。このまま同盟軍にベルリンを横取りされてみろ、どこの貴族が吐くかわかったもんじゃないぞ」


 オスカーの額に、一筋に冷や汗が垂れた。彼とてヘレネの修道騎士団との浅からぬ関係で甘い汁にありついていた者の一人である。彼女が示した懸念が単なる脅しに留まらないということは、今までの会話ではっきりと理解できていた。


「あんた、妻も子もいる立派な官僚だろ? 今のタイミングで色々バラされたら、結構不都合なことあるんじゃないの? ピカピカの新型拳銃譲ってくれた矢先、こういうこと言うのは忍びないんだけどさぁ。いやなに、イジワルでこう言ってるわけじゃねえんだよ、な?」


 硬軟織り交ぜた脅迫のテクでヘレネに敵うものはいない。相手によってコロコロと態度や表情を変え、弱点を見つけるや否や、疾風怒濤の勢いで強請り倒す技術は、まさに神業である。


「わざわざおたくの前にあたしが顔出してやったのは、そういうことだ。しっかり頭使って、身の振り方を考えとくんだな。悪いようにはしねえ。んじゃ、弟君によろしくぅ~~」


 すっくと立ちあがり、手指をひらひら振りながらヘレネは退室していった。


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