リーツェンブルク宮潜入(2)

 閣竜同士の民事紛争が一応の終結をみたという発表から三日後に、大陸を覆う雷雨はやんだ。


 それからライプツィヒを発って数日。帝都ベルリンまで、残る距離は六十キロを切っていた。


 数日前の荒れ模様はどこへやら、澄んだ青空が広がる台風一過の快晴が、目指すベルリンへと続いていた。そんな爽やかな早朝。行軍が始まる前に、ソロヴィヨフはヘレネのもとへと訪れていた。また徒党を組んで迷子にでもなっていないかと気を揉んでいたが、部隊の野営地からさほど離れていない草原に、修道騎士たちとその人数に応じた馬の群れがいた。すでに野営に用いる天幕などの荷物は、手際よく片付けられていた。毛づやのよい軍馬のうち一頭が、阿呆どもに代わってソロヴィヨフのもとへと歩み寄ってくると、謝罪でもするかのように顔をひと舐めした。


 下士官や兵卒たちからの羨望と憎しみを一隊に受けながらも、女騎士たちはこうして女学生のようにきゃいきゃいと芝生で連日遊んでいるばかりである。敵国のど真ん中で「まあごきげんよう、お早いのね!」と、シロツメクサで花冠を繕いながら世間話に勤しむ少女たちに朝の挨拶を向けられ、ソロヴィヨフは寝起きの頭がクラクラするのを感じた。


 女騎士たちは自前の馬を所有しているため、足を棒にしながら長距離を歩く必要がない。そして、モスクワ軍と行進速度を合わせるつもりがない。おまけに目を離せばあっちへフラフラこっちへフラフラ、自由気ままに走り去っては戻ってくるという根無し草のような動きをする。しばしば大きくルートを外れて部隊ごと姿を消してしまうので、そのたびにソロヴィヨフは偵察隊から馬を借りて呼び戻しに行く羽目になる。兵から引率の先生呼ばわりされているのをトカチェンコから知らされた時には、やるせなさから「ヘレネの阿呆たれ」と叫びたくなった。


 当のヘレネは、草原に立つ木々の合間に提げたハンモックで惰眠をむさぼっていた。周囲には彼女たちの私物らしき大きな木箱や麻袋が積み上げられていて、案の定ハンモックの真下には、キャンディやチョコレートといった菓子の包みが散乱していた。


「これはお前の差し金か」


 指示書を突き出して問い詰めるが、彼女の頭は起床の算段をまとめる気すらないらしい。ウニャウニャと猫のようなうめきを漏らしたかと思うと、大あくびをして寝返りをうった。


「フクク……失礼、昨晩は野営地に戻るのが遅かったものでして」


 幹の陰から気配もなく姿を現したエリーゼに驚き、ソロヴィヨフはその場を飛びのいた。


「お姉さまは、お酒以上に睡眠を大切にされるお人。きのうの夜更かしの埋め合わせの最中なのです」


「また夜中に抜け出してどこぞに油売りに行ったのか」


「売りに出たのではなく、買い付けてきたのですわ」


 エリーゼは胸元のケープの内側に手を入れた。ホルスターから取り出したのは、一丁の拳銃であった。グリップを差し出され、思わずソロヴィヨフは反射的にそれを手に取ってしまう。弾丸と弾薬を収めるチャンバーが見当たらず、そのせいか全体的にスリムなシルエットのようにも見えた。士官学校でも、お目にかかったことのないタイプの銃だ。


「実験中隊の初仕事に相応しい装備を、こちらで整えておりましたの」


 エリーゼはソロヴィヨフの手から指示書の束を取り上げると、ぺらぺらとそれをめくりあげた。そのうちの一枚を表にして、改めて彼に突き出した。見ると、そこには確かに物資補充に伴う物品の購入リストが記載されていた。購入に際する経理部の押印もしっかりあった。武器弾薬にまつわる消耗品の補充に加え、見覚えのない名称の銃すらもリストに記されていた。たった今彼女から手渡された拳銃が、どうやらそれにあたるらしい。


「リューリックP06自動拳銃。野外で塹壕に潜って戦ったりするのでなければ、これほど頼りになる銃はありませんわ。私も先ほど試し撃ちをさせていただきましたけど」


「何度も言うようだが、無断で好き勝手されると困るんだ。この大荷物だって、俺たちに無断で買ったもんだろう」


「ヘルヴェチアの工廠に発注いたしておりまして、昨晩ようやく試作品が列車で送られてきましたの。連日の嵐で、到着が大幅に遅れたようでして」


 ヘルヴェチアは帝国の南部に位置する、国土の大半が森林と山岳で覆われた連邦国家である。エルフと称される人種が人口の九割超を占める国であり、かつての大ダルマチア戦争を機に永世中立を宣言、これを各国より承認されて以降、武装する山脈の空白地として大陸社会では名が通っている。此度の戦争においては、積極的な声明を未だ出していないはずである。


「永世中立というのは、伊達ではないようですわ。他人に握らせる武器の発明のうまいこと。むろん、自分たちで使うものには、もっと手間暇をかけているんでしょうけど」


「衝動買いしたのは銃だけか?」


 物資の山の裏手に目をやると、そこには『危険物』『天地無用』と焼印で記された木箱の側面が見えた。十中八九、爆薬や火薬の類である。明らかに、修道騎士団の少女たちの手に余る量といえた。エリーゼはソロヴィヨフの小言を右から左に聞き流し、無機質な微笑のまま話をつづけた。


「そちらのダイナマイトは、大口の顧客へのサービスだということですわ。お使いになられるのであれば、どうぞ持って行ってくださいまし」


 武器商人たちが気を利かせて持たせてくれたはずの物騒なオマケにはさほど頓着を見せず、エリーゼは自前の自動拳銃のグリップからマガジンを取り出してみせた。


「弾丸の装弾はグリップ内に。パーカッション式や回転式リボルバーと違って、排莢と次弾装填が自動で行われるよう設計されておりますの。弾薬も銃にあつらえられた特別製。値は張りましたが、じきにこの九ミリ口径弾が大陸におけるスタンダードな規格になるのだと、嫌になるくらい宣伝されましたわ」


「その手の水面下の繋がりは、マニロフ中佐は承知の上なのか?」


「でなければ、ここまで円滑な連携はできませんわ、ソロヴィヨフ大尉」


「まだ、中尉だ」


「失礼。ですが、さして困難を伴う任務というわけでもないでしょう?」


「いつから話を通してたんだ。マニロフ中佐や、ヘルヴェチアの武器商人どもと……」


「エアフルトを出て、すぐくらいでしたかしら……いやですわ、除け者にしていたわけではなくってよ」


 恐らくはこの新型銃以外の物資も、彼らを通じて購入したものだろう。モスクワの財布に手を突っ込んで、この女たちは悠々自適にショッピングに洒落込んでいたわけだ。そしてそれは、ソロヴィヨフたちに与えられた任務を事前に知りえていたからこその取引であった。やはり、作戦内容に関してはエリーゼたちの方が早く把握していたようだった。実験中隊の編成と実戦投入、作戦立案に関しても、この女たちの思惑が噛んでいるように思えてならない。


 而して、その任務とは。


 皇帝ザイリンゼル三世の居城として知られるベルリン王宮、そこから西にそびえるリーツェンブルク宮殿。


 帝国における絢爛の粋を結集させた御殿に住まうひとりの少女、ヴィルヘルミーナ・ウルリーケ・アドルフィーネ・エンテブライベ・フォン・ヴァイマル・アイゼナハ第四皇女の身柄の拘束。


 それが、ソロヴィヨフ率いる中隊に与えられた任務であった。

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