パルスベルク城塞攻略戦(5)

 血まみれのヴィッテルスバッハ女伯が、命からがらレーゲンスブルクから逃げ伸びてきた。


 そんな報告が、私室で仮眠をとろうとしていたパルスベルク侯爵の耳に飛び込んだ。住まいを同じにしながら、二ヶ月ぶりに顔を合わせた妻子とともに食事を囲んだ、その矢先のことであった。気付けのワインを一杯あおると、侯爵は副官の大佐を従えて広間へと向かった。ちょうど戦装束を鮮血で濡らした、痛々しげな女騎士が、ふたりの部下に支えられてやってきたところであった。


「侯爵閣下……情けのうございます。死に場所すら見つけられず、おめおめと領地を明け渡し、挙句の果てにはこのざま、とは……」


 苦しげに謝罪の言を絞り出すと、女伯は力なくその場に膝をついた。


 捕虜となり、家紋が刻まれた鎧は剥ぎ取られ、自らも乱暴に辱められ、心身ともに蹂躙されつくした。それでもなお彼女は希望を捨てることなく、闘志と復讐の意を抱えたまま城塞へと戻ってきた。涙ながらにそう訴える黒髪の修道騎士のまなざしは、侯爵の目には真剣そのものに映った。


「女の身であれど、部下たちは果敢に戦い死んでいきました……生き恥を晒すことなく、鬼畜のモスクワ兵相手に、命を乞うこともまたありませんでした……私は、自分が恥ずかしい。なんと、なんと不甲斐ないことでしょうか」


「よいのだ、ヴィッテルスバッハ伯。貴公の敢闘のおかげで、城塞の防衛線をより強固にすることができた。ミュンヘンやニュルンベルクからも援軍が集まりつつある、この城塞が破られることなどありはせんよ。それもすべて、レーゲンスブルクでの尽力のおかげだ。貴嬢の部下の死は、決して無駄なものではないぞ」


「そう言っていただけると、ヴァルハラへ旅立った彼女らの魂も救われましょう」


「もう喋るな、楽にせよ」


 パルスベルク候は重低音の囁きでそう告げた。


「侯爵閣下。お人払いをお願いできますでしょうか」


 黒髪の騎士とともにヘレネに連れ添ってやってきた、長身の有角人の騎士がそう進言した。


「先ほどより女伯から、喫緊のご報告があると言付かっております。何としても、自らの口から侯爵閣下へご報告したいとおっしゃっておいでで……」


「喫緊の報告だと」


 女伯爵はパルスベルク候に視線を向け、しずかに首肯した。周囲の将校たちはいずれも信頼のおける者ばかりである。少々の疑義を向けられたところで憤るほど侯爵は短気ではなかったが、いささかの不穏さをおぼえたのもまた確かであった。


 パルスベルク侯爵は有能な領主として、帝国内では知られていた。プラハとの国境にほど近い辺境を治める武家の頭領としても、そして領民を統べる名君としても、かれは高い評価を受けていた。侯を慕う者は、軍民問わず数多い。帝国の諸領維持に必要不可欠な指揮官の一人にして、旧き良き帝国貴族の体現とも呼ばれていた。その有力貴族足りえる才覚を孕んだ血筋は、要害たるパルスベルク城塞を任されるに相応しいものであり、彼をおいて帝国南東部を治められる者など二人といないとまで称されるほどである。近年では被差別民たる二等市民への居住権を認めるための試案を公表し、リベラルな方面への働きかけも精力的に行う先進的思考の持ち主として、大陸社会に名が知られつつある時の人でもあった。


「もうよい。もう助からぬ。自分の体だ、自分がよくわかっている」


 出血個所の確認に近づいた衛生部員たちを手で制し、ヴィッテルスバッハ伯はなおも青い双眼でパルスベルク候に訴え続けた。


 喫緊の報告とは何であろうか。モスクワ軍の大攻勢についてだろうか? それに関しては、ニュルンベルク駐屯軍やミュンヘン軍集団との連携により対策済みである。ホーエンフェルスを中心とした周辺地域にも、広く迎撃部隊を布陣させている。仮にあのモスクワの先陣が、更なる焦燥と出世欲にかられて攻め入ったところで、余裕をもって叩き返せるだけの戦力を、こちらは有しているのだ。モスクワの奴らは、悪手を重ねるほかに取れる手段はないのである。それでは、この状況でヴィッテルスバッハ伯をして喫緊と言わしめる報告とは、いったい何であろうか。


 侯爵が副官に人払いを命じると、広間には高級士官と衛生部員だけが残った。侯爵は身をかがめ、女伯の口元へ耳を近づけた。


「お友達料の督促の時間でぇ~~す」


 ねばつき間延びした女の声が、侯爵の耳朶に入ってきた。


 その言葉の真意に感づいた侯爵が身をひるがえすよりも早く、大広間に銃声が響き渡った。


「全員動くな」


 一声でその場にいる兵たちの行動を縛ったのは、女伯の部下である黒髪の騎士であった。三日月のように歪んだ口元のほかはまったくの無表情。彼女の握る拳銃の先には、侯爵の家臣の一人である副官が立ち尽くしていた。銃口から緩慢に立ち上る硝煙を見つめながら、間もなく副官は額から鮮血を溢れさせ、うつぶせに倒れ込んだ。


「やるじゃんエリーゼ、ナイスショット」


 緊張感のかけらもない女の声を耳にしたとき、侯爵は足元を蹴り飛ばされ、無様に転倒していた。見上げると、息絶え絶えの体で生還してきたはずの女騎士が、こちらの眉間に銃口を突き付けてきた。突然の事態の変転に、侯爵含め正しく状況を把握できているものはいなかった。


「銃を捨てろ。侯爵閣下が死ぬぞ」


 冷徹な一声が反抗の意思を制するのと同時に、自身の兵たちとは異なる軍靴の音が迫りくるのを、侯爵はただ茫然と聞いていた。




「このボケナスが! ザケたマネしやがってよぉぉ~~~~ッ!」


 周囲に立つ兵たちが武装を解除したのを見計らって、ヘレネはパルスベルク候の頭部を銃のグリップで殴りつけた。倒れ込む侯爵をさらにヘレネは足蹴にし、殴打した箇所目がけ爪先を振りぬいた。


「お友達料の滞納は百歩譲って待ってやるとしてだ。レーゲンスブルクの放棄はあたしにゃ知らされちゃいなかった。これに関して言っときたいことはあるか?」


「な、何のことだ。い、言っていることがわからぬ。貴公は何が言いたいのだ。お友達料だと?」


「まぁ~~~~だシラ切り通せると思ってんのか? あ?」


 広間へと新たにやってきた兵たちは、武骨な城塞に似つかわしくない女子供を伴ってきていた。装束や装備こそ帝国のものであるが、いずれの者の顔つきにも、パルスベルク候には覚えがない。謀反か、それとも便衣兵か。一様に彼らは躊躇うことなく、銃口を侯爵の家臣たちへと向けた。簡素な寝間着のまま連れてこられた母娘たちは、侯爵の妻子に相違なかった。侯爵夫人は顔色を真っ青にして、三人の娘を庇うように抱き寄せていた。


「さて。まずはお友達料の方からだ。これが滞ったことから聞かせてもらおうか」


「やめよヴィッテルスバッハ伯、こんなことをしても貴公の立場は」


 侯爵が反論を唱えた瞬間、銃声が響いた。エリーゼが、侯爵の娘の頭を撃ち貫いたのである。ヘレネと侯爵の問答の最中、夫人の背後より童女の一人を拘束し、射殺したのだ。傍らで震えていた侯爵夫人が、甲高い叫び声をあげた。幼い女児は力なく倒れ伏し、わずかな痙攣ののちに、二度と動かなくなった。城塞内における二人目の犠牲者であった。


「き、貴様、なんということを」


「やかましい! 契約を履行しねぇテメェのツケを娘が払わされただけだろうが! いちいちメスガキの一人や二人死んだくれぇでガタガタぬかすんじゃねぇ! テメェの頭が吹っ飛ぶかどうかの瀬戸際ってのが、侯爵閣下にゃ理解できてねぇみてぇだなぁ!」


「こ、この……下郎が! モスクワの野人どもに魂を売ったというのか!」


「だったらどうだってんだこの野郎。ヤク売った金で懐ポカポカにしてたテメェが言えた義理でもねえだろうがよぉ」


 そう怒鳴りつけられた侯爵は、はっと何かに気づいたような顔をみせた。


「まさか……麓の、修道院での……件を、言っているのか?」


「他に何があんだよ、おい。あたしがわざわざテメェなんかに会いに来る理由が他にあるとでも思ってたのか? 清く正しい領主様ヅラもほどほどにしとけよな」


 銃口を侯爵の頭部から離さずに、ヘレネはぱたぱた片手を振りながら、侯爵夫人に向かって声をかけた。


「ごきげんよう侯爵夫人! 阿呆な夫のオイタで怖い思いさせられて、さぞ辛かろうなぁ! お子さんについては残念無念! 謹んでご冥福をお祈りいたしまぁす! ただ、いい思いはさんざっぱらさせてもらっただろ? 貴族のガキを拵えちまえば安泰だもんなぁ。あーあ、そんな幸運にはぜひともあやかりてぇもんだ! 血を分けた侯爵のガキが、ほかにごまんといるわけじゃねぇならなぁ!」


 ヘレネの暴露に、侯爵夫人は絶望と弾劾を多分に含んだ視線をパルスベルク候へと投げた。降伏の意を示し、両手を上げる将校たちの瞳にも、同じような感情が宿っていた。


「残念ながら、侯爵閣下にとっちゃご夫人は一山いくらの女と大して変わんないみたいでして。いやもうホント、閣下ったら猿人だろうが原亜エルフオークだろうが、女ならなんでも構わんみたいですね。ただまあそれを言っちゃあ、そちらにいらっしゃる娘さんがたが、本当に閣下の胤で産まれたガキかどうか、わかったもんじゃないんですけどぉ」


 修道院の少女たちの大半は、城塞から通いに出てきた兵たちの私生児である。その中にはパルスベルク候の胤から産まれた子もいて当然であろう。それが仮に真実でないにしても、侯爵が娼館も同然の修道院と実際に関係を持っていれば、脅迫の材料として成立する。


「や、やめろ伯爵……そんな出鱈目を吹聴して……貴公、な、何が望みなのだ」


「債権の回収だってさっきから言ってんだろ。欲が出たのか知らんが、シノギを出し渋るようになったじゃねぇか。持ちつ持たれつで仲良くやってこれてたと思ってたんだがなぁ」


「こ、ここでその話をするでない。みなが、みなが見ているではないか」


「それがどうした。あたしなんかモスクワのチンカスどもに頭を下げてここに戻ってきたんだぞ。それに比べりゃ大したこっぱずかしさでもねぇだろうが」


 修道院は、敷地内で生産した麻薬モルぺリアを侯爵のもとへと卸す組織としても機能していた。ところが、最近になってから城塞からの支払額が渋いものになりつつあった。末端価格の低迷を念頭に置いたとしても、戦争の勃発によってふたたび需要はぐんと高まるはずだった。にもかかわらず、修道院へ流れ込む金は減少していくばかり。狡すっからいピンハネと貴族特有の下心は、内職のために誂えられた二重帳簿を見るまでもなく明らかなものであった。


 パルスベルク侯爵は、名君として慕われていた。曰く、浮世の苦痛を和らげてくれる聖人。曰く、終わりなき農務を忘れられるような快楽をもたらしてくれる貴族の鑑。曰く、城塞を任せられるに足る名指揮官。それらの風評は、ヘレネらレーゲンスブルク修道会が関与した麻薬売買によって得た莫大な利益によるものに他ならない。


「ルプブルクの元締めのあたしを見殺しにしちまえば、うざい取り立てもなくなると思ったんだろうがな。ところがどっこい、あたしはいま生きてここにいる。残念でしたあ」


「ご、誤解だ、ヴィッテルスバッハ伯。貴公は思い違いをしている、なぜ私が貴公を見捨てねばならぬのだ。生き恥を恐れず捕虜となり、生き延びたことには敬意を払いこそすれ、私が女伯を憎悪する理由など」


「ご丁寧に糧秣に火まで点けてもらって、ホント恐悦至極の限りだわ」


 仮に捕虜にならずとも、ヘレネの軽騎兵隊があの状況で抗戦を継続できる要素は、何一つなかった。戦術的撤退もまた然りである。その理由の一翼を担ったのは、まぎれもなくパルスベルクの采配によるものだといって間違いはない。


「いいかあ侯爵閣下ぁ。あたしはなにも死んだ部下の為を想ってこうして参上してるわけじゃあねえ。皇帝陛下から下賜された物資を捨て石に使ったことに対して、クソ真面目に追及しにきたわけでも断じてねえわけ」


 侯爵と目線を合わせるため、ヘレネは股を開いてしゃがんだ。帝国貴族、ひいては貞淑な未婚女性にあるまじき仕草ではあるが、それを咎められる者は、この広間に誰一人いなかった。


「ぶっちゃけあたしのことナメてただろ」


 不要だと断じた。捨て石だと決めた。 商売仲間とするには、いささかこの女どもは金勘定が上手すぎる。あわよくば、死んでくれれば万々歳。そんな嘲笑を、ヘレネは絶対に逃さない。


「理由なんざ、それ以外にゃ必要ねえ。それだけで十分だ」



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