捕虜尋問(4)

 執務室から出て廊下を歩いていると、ソロヴィヨフはジルキン中尉と出会った。


「おつかれさん。あの女の処遇についてか?」


「当たらずとも遠からずってところかな」


 なんとも返答しづらい質問に、ソロヴィヨフは手入れを怠っていた顎髭をいじりながらそう応えた。


「しかしお前、帝国の薄汚ぇ言葉なんかよく学ぶ気になったよな。なんだ? あのゲップだか屁だかみてぇな発音は? そのせいでお前、あんなゲス女の面倒まで見させられてよ」


「少ない特技のひとつが役立っただけだ。世が世なら、俺だって鉄砲じゃなくて教鞭を振るっていたかったさ」


「人殺ししか能のない俺へのあてつけか? この野郎」


 言って、十余年前のガキ大将は、かつてのひ弱な文学少年に凄んで見せた。


「その腕っぷしでエラくなったんだろ? 中尉殿」


 こうして戦友を演じていられているが、ソロヴィヨフはジルキンの相手があまり得意ではなかった。士官にしては粗暴で、上司や部下問わず、暴力沙汰を起こしかけるのは茶飯事であった。食い扶持のぶんはしっかり敵を殺してまわるが、その気質はあまり上官からは好かれていない。ただ、面倒見がいいので部下からの信頼は厚かった。良くも悪くも、昔気質のガキ大将気質と形容すればいいだろうか。


「とはいえ、勉強もできない阿呆の食い扶持なんかは、どこにもないわけだがな」


 ジルキンはわずかに憂いをたたえた目つきになった。あの女騎士がけしかけた騎兵隊との交戦で死んだ部下のことでも連想したのだろうか。先の制圧戦では、ソロヴィヨフの部隊に戦死者は出なかった。そのことを自嘲してか、ジルキンは口端を皮肉っぽくゆがませた。


 士官学校では、用兵に関する成績ではジルキンに勝り続けたものの、現場での功績の数では彼の方が上だ。だいたい、否、いつもそうだ。ソロヴィヨフが戦列を整えて発砲指示を飛ばすころには、すでにジルキン小隊の銃剣が哀れな敵集団の喉を貫いているのである。卒業以来、同じ歩幅で行進していたかと思いきや、気づけばジルキンは中尉に昇進していた。


「せめてあの女を地獄に叩き込んでやりゃあ、死んだダーリやオボロフも飛び上がって喜ぶだろうよ。ツラだけは本当にどの女よりも上物だったからな」


「縁起でもない。地獄に落ちるのはあの女だけさ」


 まぎれもないソロヴィヨフの本心であり、それにはジルキンも心から同意したようだった。


「奴のくだらねえペテンに足引っ張られるなよ」


 そう言って、ジルキンはその場を去っていった。


 心もとなくなってきたらしい配給の糧食で食事を済ますと、ソロヴィヨフはヴィッテルスバッハ伯のもとへと向かった。うつらうつらとしていた見張りの下士官を叩き起こして、ソロヴィヨフは彼女の待つ室内へと入った。両目を弦月のように据わらせた女が、デスクの両側で向かい合うように置かれた椅子に座っていた。ソロヴィヨフの指示により、手枷とクローゼットを結んでいた鎖は外され、彼女は室内での少々の自由を認められていた。


「お前ら普段からあんなクソまずいもの食べてるのか?」


 ずいぶんと砕けた口調で、麗しの女騎士がそういった。上流階級にしては、かなり粗野だと言わざるをえない口ぶりであった。ソロヴィヨフたちとて、好んで糧食ばかりを口にしているわけではない。本来であれば、ここレーゲンスブルクで兵站を確保できていたはずなのだ。こういった目論見は、部下へろくに命令も出さずに退却していった帝国軍の指揮官たちによって潰えていた。市民の生命や財産に構うことなく、彼らは糧秣倉庫を燃やして逃げていったのである。


「パンも缶詰も何もかも最悪だ。うすらマズくて舌が壊死しそうだったから、くれてやった」


 ヘレネのとがった白い顎が、薄暗い部屋の片隅を示した。ひとかじりした後のついたパンや缶詰の鰯に、灰色の小さな影が数匹群がっているのが見えた。


「飢え死にでもされたら、怒られるのはこっちなんだ。嫌でも食ってもらわないと困る」


「これも立派な虐待だろうが。逆にお前らはなぜ怒らん? 宮仕えが贅沢言わんでどうする。血税というのはだな、選ばれしものが喉を潤すために下民から搾り取るものだろうが」


 お育ちのよろしい貴族ののたまうことを右から左へ聞き流しながら、ソロヴィヨフはデスクに資料を並べていく。それを挑発するかのように、どすんとヘレネの両足が書類の上に叩きつけられた。煤で汚れてはいるが、形のよい美しい足だった。


「考えはまとまったか」


「どけろ」


「答えはどっちかって聞いてんだよ。おたくの上官ドミトリ・マニロフ少佐のお考えは?」


 いつの間にフルネームを知りえたのか、ふてぶてしい様子でヘレネが言った。


「逆に聞きたいんだがな。お前は自分が信頼される存在だと思っているのか?」


「中尉殿はあたしを信じてないのか?」


 ヘレネは心底不思議そうな表情を浮かべた。


「少尉だ。信じるに足りる理由が、お前からは見当たらない。何一つな。仮に提供した情報が真実だとしてもだ。同胞に対して、後ろめたさみたいなものはないのか?」


「あたしの良心とお前らの進退、お前がこの場で最も尊重するべきはどっちだ?」


 ああ言えばこう言う、質問を質問で返すのが、ヘレネのおちょくり癖のようだった。


「ふん、進むべき道すら自分でロクに見つけられん蒙昧の凡夫がエラそうに。いいか、わかりやすくかみ砕いて表現してやるとだな」


「もういい、黙れ」


「死にたくなかったら、あたしの言うことを聞け」


 ソロヴィヨフは力任せにヘレネの両足をどかした。


「何様のつもりだ」


「死にたくないだろ? あたしだっておんなじだ」


 これがそこらの兵卒であるならば、いかにソロヴィヨフとて、襟首をつかみ上げて説教漬けにしているところだっただろう。


「北にはパルスベルク城塞、南にはミュンヘン方面軍。それで東には、いるかどうかはわからんが、おたくらの督戦隊みたいなのが陣取ってる。違うか?」


「何が言いたい」


「お前らは惨めに死ぬ。八方ふさがりのうちに。あたしを含めてな」


「まる三日近く軟禁されている捕虜に何がわかる」


「そこはあたしとデキの悪いお前らとの脳みその違いじゃないか? そんなもの、少し考えればわかることだ。とはいえ、お互いこのままだと困ってしまう身の上だ、少しは耳を傾けろよ。仮にお前らがあたしを連中に引き渡したとしても、あっちであたしは殺される。わが国の貴族は潔癖症だからな。当然、あたしはきっと人質にもならない。あたしのような修道院に片足突っ込んだ貴族の始末をつけられるなら、喜んで方面軍はあたしを見捨てるだろうさ」


 自分をはじめとする宗教貴族階級が憎悪の対象になっていることは、はっきり自覚しているらしい。捕虜になるなり引きはがされた豪奢な鎧で身元を視覚的にアピールできなければ、引き渡しの場で向こうから鉛玉が飛んでくるだろうと、ヘレネは語った。


「そしてお前はマニロフだかパタノフだかの命令に従って玉砕する。パルスベルクの城壁か、ミュンヘン軍のどっちかに向かってな。ただまあ、遺族にきちんと謝って回る度胸があるなら、そこらにいる部下を弾除けに使って生き延びてもいいんじゃないか?」


「まだ進軍が決まったわけじゃない」


「そんなにあの少佐は信用の置ける人間か? いや、違うだろうな。最初あたしは、人払いをしたお前を上官に忠実な兵士だと言った。あたしを機密情報の出どころだと踏んだからだ。だが今、二度目の尋問でもまたお前ひとりで部屋にやってきた。書記も連れてこず、士官のお前がたったひとりでだ。表の見張りはさっきから舟を漕いでいたからな、奴はお前の直属というわけでもないんだろう? そうなれば、お前がひとりで来た理由はひとつしかない」


 流れるような帝国語で、ヘレネは滔々と自身の推察を口にした。ソロヴィヨフは、漏斗で胃に鉛を流し込まれる錯覚を覚えながら、それを黙って聞いていた。


「あたしの機密を独占したいからだ」


 ずきんと鼓動が高鳴った。


「おおよそ部下に斥候の真似をさせて周辺地域の情報の裏取りをしたんだろう。そして、ついさっきその連中が戻ってきた。あたしの証言の真実を証明する証拠を手土産にな」


 図星だった。


 斥候に出した兵の全員が戻ってきたわけではないし、すべての情報の裏取りと確認が取れたわけではない。だが、上がってきた報告を目にして驚愕したのは事実であった。


「そして、その事実はマニロフにもすべてを打ち明けてはいない」


「探偵でもやってたのか?」


「はっ! そんなものは見ればわかる。特に、世渡りが下手そうな気弱な士官ごときの魂胆なんてのはな。わかったところでなんの自慢にもならんが」


 さしてそれを誇ることもなく、ヘレネは言った。卑劣な下衆ではあるが、頭の回転はかなり速い。それに、まがいなりにも社交界で培われたのであろう洞察力には、やはり非凡なものがあるらしかった。


「あたしとしては、あたしの命が助かるのであれば何でも構わん。お前が誰が裏切ろうが知ったことじゃないからな。要点は、お互いここからいかに危機を脱するかだ」


 すなわち、レーゲンスブルクで立ち往生している大隊の現状をどう打破するか。モスクワ兵の頭を悩ませている問いに対して、このヘレネは正確な解法を有しているというのだろうか。


「なに、成功すればお前はパルスベルク攻略の立役者だ。あたしも助かる、お前も助かる。みんな揃ってハッピーだ。もうそんな小汚い野戦服に袖を通す必要もなくなる。机の上で一山いくらのカスどもの生き死にを決めるだけで給料がもらえる、暖房のきいた職場に行けるんだ。最高じゃないか」


 ソロヴィヨフは黙っていた。手元の書類には、ヘレネの口にした帝国軍の配置図と陣形が事細かに記されている。人並み以上に用兵に長ける彼には、朱色のインクで描かれたそれらの書き込みが示す意味を理解することができていた。


 パルスベルク城塞の強固な守りを、現状のパタノフ大隊の戦力で突破するのは不可能である。高地に位置し、三方向から目を光らせながら、今か今かとモスクワ軍を待ち構えているのだ。また、ヘレネの情報によれば、その周囲に複数中隊の伏兵が配置されているらしい。


「パルスベルク城下でまともにかち合えば、練度不足にして士気のかけらもないわが国の兵に、モスクワ側は手痛く蹴散らされる。そこをミュンヘンから北上してきた方面軍に殴りつけられ、我々は仲良くヴァルハラ行きだ。もちろんそんな手を打つ気はないし、お前もそうなんだろう?」


 みずからの共犯者と化しつつあるソロヴィヨフに向けるヘレネの口調は、やや上ずっていた。


「本当に、勝算はあるのか」


「あたしは勝つ。お前は、死なないようにせいぜい頑張るといい」


 少なくとも、マニロフのもとで手をこまねいているよりかましだ。両者の認識が、ほぼ同時に一致した瞬間であった。


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