捕虜尋問(2)

 長きにわたって大陸の覇権国として君臨し続けてきた【帝国】。



 その支配体制に決定的な亀裂が走ったのは、不凍港を求めての南下政策を推進するモスクワ連合との衝突だけが原因、というわけではない。ここ百余年の大国の勢力均衡は、民主主義を則とするナショナリズムの台頭、重商主義の発展に基づく産業革命の影響により、その対立構図を大きく揺るがしていた。


 古来より帝国は厄災を祓う救世主【勇ましきもの】を唯一神と併せて信仰する升天教を国教とし、隣接する異教勢力への対抗の旗頭として、大陸社会内外を問わずして、その辣腕を振るってきた。【勇ましきもの】は、叡智をもって、悪しき魔物を平定する。そんなシンプルなカテキズムに基づいて、人々は魔物を誅する勇者をアイデンティティの拠り所とし、帝国の栄華と発展を享受した。しかしこうした宗教的幻想も、度重なる失政や外交的敗北によって、ひどく現実的な汚辱をもって、その神聖性を失墜させてしまうものだった。


 魔物、すなわち猿人ならざる異教徒とは、拝火と呼ばれる文化形体のもとで発展してきた人々を指している。二足歩行する猿人を主な人種とする帝国に対し、拝火の人々の身体的形質は実に多様である。国家元首である首長の一族からして、頭部に黒い巻き角をたたえ、青みがかった肌を持っていた。人によっては、足の本数は二本であったり、四本であったり、十を越える本数であったりもした。下半身が馬やヘラジカのようであったり、また海豚の尾や猛禽類の翼をもって生まれた者もいた。もちろんこうした身体的特徴を持つ人々は帝国領内にも存在していたが、例外なく被差別的な身分に貶められ、およそ人権など認められないままで数百年が経過していた。いずれにしても、大多数の帝国民にとっては、彼らは人ならざる魔物にほかならなかったのだが。


 帝国と拝火の間の対立は、拝火文化圏の各都市部における内乱に端を発する国家的衰退によって、帝国の勝利に終わった。


 勇んで魔物憎しの高揚策を講じてきた帝国は、敵の衰退を攻勢の機と定めた。自分たちこそが聖なる勇者の代行者、あるいは眷属だとし、邪教の王たる魔王エレシュキガルを討ちとるべく、拝火本国へと侵攻した。黒海を挟んだ向かいにある異教の地、現在ではフリュギア首長国連邦とも呼ばれる、拝火教徒の魔物たちのメッカである。升天教を胸に奉じた神聖同盟軍は、ここぞとばかりに拝火どもの手あかのついたものを、炎をもって浄化していった。立ちはだかる一切を蹂躙し、略奪し、鏖殺してまわった。俗にいう、大ダルマチア戦争である。


 帝国を筆頭とする同盟軍は一連の軍事行為を人魔戦争と称し、指揮官である王たちはこぞって自らの敬虔さと正当性を喧伝した。神敵である魔物どもの血肉で彩られたレッドカーペットが敷き終わると、ようやく双方の間で講和条約が締結された。升天教文化圏と拝火国家群の対立関係における、八百年目の決着だった。


 戦勝国たちがパイを切り分ける算段に入るころ、覇権国たる帝国の隆盛は陰りを見せ始めていた。旧態依然とした統治システムはあちこちガタついていて、もはや綻びが隠せないまでに至っていた。拝火より没収した領土管理に関する問題が周辺各国間で発生し、現地民による自治要求と独立気風が激化していく。黴の生えた封建制でこれらの諸問題を解決することは、腐敗しきった貴族主義体制には不可能だった。


 皇帝をトップとする強固な独裁制は、数百年の経年劣化によって摩耗しきっていた。宮殿の住人は平民からの搾取を悪徳だと認識していなかったし、また拝火の手足をもいだことで、自分たちの優位性と神聖性が担保されたと信じ切っていた。経済格差と対立は近年ますます深みを増し、官吏はこぞって汚職に走り、懐を肥え太らせていく。圧政に対して牙をむく人々は、より大きな力によって磨り潰されていく。特権はより強く、人権はより儚く変化していった。


 大ダルマチア戦争での勝利から、およそ一世紀半。未だベルリン王宮の誰一人として、国家の斜陽を実感できてはいない。ただひたすら過去の栄光と、かりそめの悦楽に浸るばかりである。


 繁栄は堕落へ転じ、堕落は腐敗を生み、そして腐敗は瓦解へと繋がっていく。


 おそらくは、古今や東西を問わずして。

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