嗤う女騎士

カスミカ

勝鬨高らかに

暗峠を越え

捕虜尋問(1)

「いやだあ、死にたくない。何でも話すから助けてえ」


 接収した教会の一室でソロヴィヨフ少尉を迎えたのは、鼓膜をつんざかんばかりの甲高い悲鳴であった。数名の下士官たちが一喝してなお、その絶叫の主は喚くことをなかなかやめなかった。


 金髪碧眼の美女である。目鼻立ちはくっきりと整っていて、その肌は白磁のごとくにきめ細やかで、こうした暗所では輝くように美しい。艶めくゴールデンブロンドは丁寧にシニヨンを編まれていたが、その身に纏うよれたブラウスと同じように、泥濘や煤、そして真っ黒い血痕で汚されていた。


 これほどまでに見目麗しく、佳麗きわまる貌かたちの持ち主を、ソロヴィヨフは絵物語の中でしか知らなかった。彼女の美貌は、しかし恐怖と諂いの両面に蹂躙されていてなお、それ自体が絵画の一場面と見まごうほどであった。武人らしからぬフリルのあしらわれた純白のフレアスカートから延びる両脚は長く、薄暗い室内では、白んだ曲線美が自然と強調されていた。


 女の身体の自由は、鉛の手枷によって封じられていた。枷から延びる鎖が、部屋の隅に置かれた大きなのクローゼットの取っ手に結び付けられているからだ。室内に飾り気はほとんどなく、ほかには質素な文机と、貧相な骨組みが丸見えのベッドが二つばかり用立てられているくらいである。元は修道女の寝室として使用されていたらしい。白い雪明りが仄かに差し込んでくる小窓のテーブル板には、放置された小ぶりのメダイがきらめいていた。


「仲間の居場所でも布陣でも兵站線でも、あたしなら何だって知ってるぞ。何でも教えてやる」


 その秀麗なる第一印象を塗り潰すような下卑た命乞いが、アイスブルーの瞳に見惚れていたソロヴィヨフの淡い恍惚を吹き飛ばした。この場で女が流暢に口にする言葉を正しく理解できたのは、比較的語学に堪能なソロヴィヨフだけだった。


「それが済んだら地下でもどこでも幽閉してくれて構わないからな、ただ三食だけはきちんとよこせ! 朝夜には赤ワインだ、食事の割合はタンパク質を七割、これを厳守するように」


「聞き馴染みのない帝国語で四六時中喚き散らすものですから、見張りの兵卒や下士官連中もうんざりといったところだそうで。砲兵でもないのに、こんな仕事で難聴にされてはたまらないと」


 眉間をもむソロヴィヨフに、傍らで立つ副官トカチェンコ准尉が声をかけた。半亜エルフオークの血を引く大柄な兵である。年齢はソロヴィヨフとさほど離れてはいないが、踏んだ場数と殺した敵の頭数、そして胸板の分厚さには倍近い差がある。


「無教養な下っ端の貴様らでも、カルロヴィッツの非武装宣誓は知ってるな? この通りあたしは丸腰だ、きちんとまるっと丁重に、原則にのっとって捕虜として扱ってもらうからな」


 生き恥を恥とも感じないと声高に主張する女の態度は、必死そのものだった。

辱めを忌み、武人としての矜持を守るためであれば、敵に介錯を願うことすら厭わない。誇り高き貴族とは、騎士とはそういうものではなかったのか。


 腰が低いのか居丈高なのかいまいち図りかねる女の主張を無視して、一人の士官が女のもとへと歩み寄っていく。


「お行儀のいい騎士様らしいのは見てくれだけだな」


 これまで部下に女の制圧と尋問を任せて、壁に身を預けていたジルキン中尉である。ソロヴィヨフの戦友の一人である彼は、性別にしては大柄なその麗人の金の長髪を、乱暴にむんずと掴みあげた。


「黙ってろ糞ビッチが! テメエが捕虜になるか便所になるか決めんのは俺たちだ、まかり間違ったってテメエじゃねえ!」


「ジルキン中尉」


 ソロヴィヨフは制するように声をかけた。


 女の口にした、捕虜の扱いに関する規定は事実である。証言通り彼女が帝国の貴族であり士官であるならば、みだりにこれを痛めつけることは許されない。浅慮な残虐行為が首を絞めるのは、それを強いた当事者に他ならないのである。また、ただでさえ補給線の伸び切った最前線で、無用なモラルハザードの引き金を引くことは避けたい。そうした意を込めての制止であった。


「オリコーさんがよ」


 ジルキンはちらりとソロヴィヨフを見やって吐き捨てた。愚かではないが、昔からどこか気の短い男であった。モスクワの士官学校からの付き合いだが、彼の帝国貴族への憎悪は当時から燃え盛っており、黒々とした偏見の煤塵は今なお山々と堆積していくばかりである。その赤毛の角刈りが熱を帯びているのではないかと錯覚するほどに、女を怒鳴りつけるジルキンの形相はすさまじいものだった。その激情は、つい先日に頭上から溶けた鉛を浴びせかけられて殺された初年兵たちに関する恨みだけでは、決してなさそうだった。


「虐殺でも略奪でもなんでもしてくれ、そのための協力だってする! レーゲンスブルクはあたしの庭だ、金になるものはいくらでもある。音楽学校を案内してやる、無知な貴様らには思いもよらんだろうがな、あそこの楽器類はウィーンの技師が調律した上物だ。いっしょくたに燃えるゴミにするより、ひと思いに売っぱらっちまったほうが、世のためモスクワのためってもんだろう?」 


 女はさらにその整った顔つきを歪め、卑しい愛想笑いを浮かべながら命乞いの口上をだらだらと並べ始めた。女は口から生まれてくる、といった俗説が信ぴょう性を帯びてくるほどに、その女の詭弁に満ち満ちた自己弁護と正当化はレパートリーに富んでいた。


 ソロヴィヨフは、女の言葉をかみ砕いて翻訳しているうちに、ジルキンほどではないが、義憤からなる苛立ちが鎌首をもたげてくるのを感じていた。


 寒さでささくれた手のひらで、ジルキンは女の頬を張った。


「テメエの立場わきまえてからしゃべれよな」


 つう、と、女の鼻孔から赤い線が流れてきた。穴の開いた紙袋から空気が漏れ出るように、女は再び機嫌を窺うように笑う。それが癪に障ったのか、ジルキンは軍靴のつま先を女のみぞおちに勢いよく突き込んだ。


 したたかに蹴飛ばされた女は、悶絶しながらうつむいてうずくまった。しばらくは噎せ込んで胃液と唾液を床に垂れ流し、やがて少量嘔吐した。


「とんだ淫売の雌豚だな。テメエの命惜しさに、あることないことペラペラしゃべりやがる。帝国の貴族ってのは、思った通り阿呆の見本市らしいぜ」


 踵を返したジルキンは、軍帽の向きを直しながらソロヴィヨフに言った。


「いくら阿呆でも貴族だ。のちのち公の場で証言されたらまずい」


「それだって出まかせかもしれねえだろ。案外、そこらでヒマしてた立ちんぼがめかしこんで、貴族ごっこやってるだけかもしれんぜ」


「ジルキン」


「どっちにしたって構う事ねえよ。何が捕虜として扱えだ、バカバカしい」


「私刑でノドや舌を潰して使い物にならなくするわけにもいかない。彼女は確かに貴族だ、少なくとも、訛り方や発音だけをみればね」


 あえて彼女が身に纏っていた軽鎧、ならびに軽盾に施されていた紋章については口にしなかった。ヴィッテルスバッハ家という、帝国東部のドナウ沿岸部を支配する貴族の紋章である。三つ首の鷹があしらわれた意匠が特徴のそれは、しかしソロヴィヨフたちにとっては温厚篤実な領主ランデスヘルの証明たりうることはなかった。


「だから? このクソアマの言う通り、俺たちはホテルマンらしく従順にふるまってやれってか? スイートにご宿泊あそばされた貴族様に、お行儀よくルームサービスでもしてやれと?」


「俺だって帝国の貴族が憎くないわけじゃないさ。あの女を殺す役目を譲ってくれたら、飛び上がって喜ぶとも。今はまだ、黙らせるべきじゃないってだけだ」


 今にも腰のリボルバーに手が伸びそうなジルキンを、ソロヴィヨフは根気よくなだめた。ジルキンのみならず、兵たちの帝国軍、ならびにその支配層である貴族や皇族への憎しみは烈しく、そして根深い。こうして重職の人間を生け捕りにできたのは、ソロヴィヨフ率いる中隊のモラールの高さの賜物であった。


 女が口にしたカルロヴィッツの非武装原則を、彼女の属する帝国軍が順守しているとは、お世辞とも言い難いのが現状である。ひとたび帝国軍の捕虜になれば、五体満足でモスクワへ凱旋することは、まずできなくなるだろう。拷問の果てに惨殺され、野犬やカラスに死肉をついばまれる路傍の肉塊となり果てる。寝食を共にした戦友が、子供の稚気によって腑分けされるカエルか何かと同じように、弄ばれては捨てられる。ソロヴィヨフとて、そうした光景を目の当たりにするのは、珍しいことではなかった。


 ジルキンの感情もわからないわけではない。時代錯誤なプレートアーマーを身にまとい、気勢も高らかに王伯貴族を気取って、駄獣も同然の痩せ細った弱卒を死地に送り込む。埃をかぶった騎士道精神を靡かせて悦に入る裸の王様たちに、まともに好感を抱くのは至難の業だろう。


「あの女の証言が出まかせかどうかを判断するのは、俺たちの仕事じゃない」


 ソロヴィヨフとジルキンが、禿頭の上官を連想したのは同時だった。逐一やたらと小うるさい役人気質のマニロフ少佐である。田舎の小学校の教員のような指導で煙たがれる佐官で、武器弾薬の類はともかく、細かなインクやペン先の消耗に関してちくちく小言で小突かれるのは、ソロヴィヨフにとって茶飯事だった。


「奴のお高く留まったプライドを辱める役割を買って出てくれる上に、制裁の責任まで負ってくれる人間でもある。どのみちあの女は終わりだよ」


 貴族としても、女としてもな。ソロヴィヨフは小声で付け加えた。教員めいた細かな小うるささを持ちながら、その反面むっつりした好色家でもあるマニロフのことだ。この女はとびきり顔がいい、生かしたまま紹介してやれば自分たちの手柄にもなりうる。そもそもあの少佐の場合、女であれば長耳エルフでも煙窟フローレンでも、なんなら男色でもきっと構わないだろう。興奮冷めやらぬジルキンに、ソロヴィヨフはあえて下世話な脚色をまじえてそう言った。


「さすがは元教員志望のセンセイだな。よくわかってるもんだ。同族嫌悪か」


「茶化すなよ。媚びを売っといて損はないだろ、俗人を上官に持った士官の特権さ」


「違いねえ」


 鼻を鳴らして笑うと、ジルキンはソロヴィヨフの肩に手を置いて去っていった。二人の部下がそれに連れ立って退室するのを見計らうと、ソロヴィヨフは女の前に手近な椅子を移動させた。部屋の外にトカチェンコを立たせ、彼はひとりしずかに腰を据えた。えずいている女の呼吸が整うのを待った。


「礼の一つでも言ってもらえると嬉しいんだがね」


 女の言葉に合わせ、ソロヴィヨフはぼそりと言った。まともに会話が通じることを知った女は、恨みがましいじっとりとした上目遣いで話し出した。


「腹に一発もらう前にしてほしかったもんだ。信じられるかあいつ、女の腹を蹴りやがった」


 家庭教師に叱責された子供のような不貞腐れた眼差しで、女はソロヴィヨフを見上げた。


「もう少し立場をわきまえて発言する気はないのか?」


「わきまえているとも。だからこうして、きわめて協力的になっているんじゃないか」


「それを、俺に信じろとでもいうのか? 命惜しさに口から出任せに喋り倒して、お前の目的はなんだ?」


「あたしの命に決まってんだろお?」


「なに?」


 思わず、ソロヴィヨフは身を乗り出して聞き耳を立てた。


「あたしの死とはすなわち、人類最大の損失だ。そんなにおかしいことでもなかろうよ?」


 ふらつきながら立ち上がると、女は小窓のガラス戸に自身の姿を映した。今しがた暴行を受けたばかりながらも、すらりとした両脚に支えられるその背筋はぴんとしていた。身の丈はソロヴィヨフと同じか、それ以上はありそうにみえた。くるりと巻いた長い睫毛に縁取られた碧眼が、ソロヴィヨフの顔を横目でとらえる。


「見なよ中尉殿。こんなにもあたしは美しく壮麗じゃないか。モスクワにあたしほどの女がいたか?」


「少尉だ」


 本気で言ってるのか、この女は? さっきのジルキンによる制裁のときに見せた下世話な命乞いとは、まるで趣が違うアプローチだった。


「失礼、少尉殿。お前はさっきのチンピラと違って話せそうだったからな。おまけに人払いまでしてのけるとは、よほどマニロフなる上官に忠実とみえる。それとも、いかに部下とて豚は信用できないか?」


 さっきの場当たり的な言い訳を並べていたときとは、印象は打って変わっていた。異常なほどの耳ざとさに、ソロヴィヨフは息をのんだ。


 豚とは半亜エルフオーク、すなわちここではトカチェンコ准尉へのポピュラーな罵倒である。息をするかのように飛び出した差別発言は、貴族の持つ無根拠な優越感の賜物といっていいのだろうか。


「つまらん冗談を聞くつもりはない。くだらない命乞いも聞き飽きている」


「ジョークでも命乞いでもない、あたしは死にたくないし、死ぬべきでもない。なのに、こんな単純なことに誰一人耳を貸さない。もしかして、モスクワには女がいないのか? あいつら、どいつもこいつも頭蓋骨に牛糞が詰まってやがる!」


 お前だけは例外だ、とでも言いたげだった。


「今の立場でそんな演技ができるとは、肝が据わってるな」


「演技だあ? まさかあ! 全部が全部、あたしの本音だよ。この状況で適当な嘘なんかつけるもんか。酒は今すぐ呑みたいし、肉だって食いたいもの。あと、チョコレートがあれば言うことないぞ。そのためならあたしは何でもする、何だって教えてやる!」


 へらへらとおどけて、女はぺたりとその場に座り込んだ。


「それならヴィッテルスバッハ伯は、帝国にとって唾棄すべき国賊ということになる。皇帝に抗してモスクワに与した裏切者だ。たとえ生き延びたところで、お先は真っ暗だぜ」


「だとすれば、少尉殿はどうされるおつもりなのかな?」


「処遇を決めるのは俺じゃない。少なくとも俺は、非武装宣誓原則を反故にするつもりはない」


「『モスクワは』とは言い切らないのか。意外と考えて物をしゃべるんだな」


 相変わらず減らず口をたたく女に、ソロヴィヨフはぴしゃりと言った。


「改めて伺いたい。そちらの所属と役職、そして姓名は」


「ふん」


 不遜にも血の混じった唾液を吐き捨ててから、女は名乗った。


「帝国国教修道会少佐相当官、ならびに帝国軍第八管区ガルゲンベルク第十八軽騎兵中隊隊長。ヘレネ・ヨーゼファ・オイゲーニェ・ゲルトルート・フォン・ヴィッテルスバッハ伯爵グレフィン・フォン・ヴィッテルスバッハ


 淀みなくすらすらと自らの身分を並べたててみせる彼女の口ぶりは、そこらの花売りが一晩で再現できるようなものでは、決してなかった。

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