11.飼い主はなんだって知っている

 筋骨隆々の大男で、M字に薄くなっている額が印象に残るベテラン下士官――クルト・ハーディ軍曹は、ラスティが知っているころよりも一回り小さくなったように思えた。

 彼を行動確認してわかったことは、実に一般的な占領帝国の国民であるということだけだった。

 毎日、決まった時間に勤務先であるカムラン重工の自動車工場に出勤し、製造ラインの期間工として働き、決まった時間に帰宅する。休みの日にはハーケン聖教の教会にいき、礼拝を欠かさない。

 同僚との深いつき合いはなく、家族の姿もない。

 帰宅途中や礼拝の帰りに常連になっているカフェに寄り、コーヒーを飲むのが日課だった。

 ラスティが知っている彼は、軍から支給される人工甘味料をコーヒーにたっぷりと入れていたものだったが、いまはブラックで飲んでいる。

「少尉も知ってのとおり、軍から支給されていたコーヒーはブラックで飲めたものではありませんでしたからな」

 こちらが思っていたことを察したのか、向かいに座る軍曹は苦笑交じりに言った。

 帝都の目抜き通りに面したカフェは、昼下がりだということもあってまずまず繁盛していた。

 深刻なインフレのせいで旧四重帝国通貨であるケーニヒではコーヒー一杯飲むことも難しいが、帝都の住民たちは闇市であらゆるものを売りさばいて連邦通貨を手に入れ、この占領帝国という国に順応しようとしていた。

 連邦への憎しみも、旧四重帝国への郷愁も、日々の生活の前では無力だ。

 人とは、そういうものだ。

 二人は窓際の客席にいた。

 そこから見える石畳が敷き詰められた通りも、立ち並ぶ古びたアパートも、帝都の景色はラスティがはじめてきたころと変わっていなかった。

 カムラン重工製の自動車が、クラクションを鳴らしながら走っていく。

「軍曹、僕はもう少尉じゃないよ」

「それは自分も同じです。最早、クルト・ハーディですらない」

 クルト・ハーディだったころと同じように、彼は薄くなっている額を撫でた。

「そうは言っても、ウィーバーさんとは呼べないよ」

 ジェフ・ウィーバーというのが、現在の彼の名前だった。

「自分も未だに慣れません」

「背乗りで、戦犯魔術師指定を逃れたんだね」

「お恥ずかしい限りですが」

 軍曹は微苦笑を浮かべた。

 背乗りとは実際に存在している者の戸籍・名前・経歴からなにから、すべてを別人が乗っ取り、その人物に成りすます行為だ。

 諜報機関の工作員が長期間の潜入工作に使う手口だったが、敗戦からこっち戦犯指定逃れの手口として、戦死した人間に成りすますことが相次いでいた。

 病院の隣のベッドで死んだ戦友の名前を語ることもあれば、専門の業者が暗躍していることもある。

「作戦行動中に少尉とはぐれ、この様です」

 軍曹は自分の右脚を叩いた。

 膝から下は義足だった。

「気がつけば野戦病院のベッドの上で、いつの間にか戦争は終わっていました。隊の生き残りは自分だけかと思っておりましたが、よくご無事で」

「僕も似たようなものだよ」

「しかし、こんなところでお会いするとは。世間は狭い」

 ラスティは微苦笑を浮かべ、うなずいた。

 もちろん、出会ったのは偶然ではない。

 軍曹が訪れる時間を避けて、ラスティは何度かこのカフェを訪れていた。

 店の人間に顔を覚えられる程度には。

 そして、偶然を装って接触した。

 店の顔なじみ同士だから、不自然なことはなにもなかった。

「ジェフ・ウィーバーとしての暮らしはどう?」

「平穏で退屈なものです。自分は〈終末戦争〉に開戦当初から従軍しておりましたから、平時の暮らしを忘れてしまったのでしょうな」

「まさか。僕が知っている限りじゃ、一番の常識人だった気がするけどね」

「はっはっ、確かに隊には癖の強い連中が多かった。その点、自分は家族もちのベテランです。少尉の言うとおり、少しは常識人に見えるかもしれません」

 彼にはラスティと年が近い息子がいたはずだ。

 生まれたばかりの息子と撮った家族写真を、いつももち歩いていた。

〈終末戦争〉は開戦当初、翌週には終わっていると言われていた。だから、〈週末戦争〉などと呼ばれていた。いざ従軍してみればずっと終わらない。短い休暇で帰宅する度に、息子から知らないおじさんと言われる。

 そんな話を、軍曹は毎度のようにしていたものだった。

「家族は?」

「なかなか難しいもので。なにせ自分は死んだことになっているし、生きていれば戦犯魔術師です。背乗りで別人になり、声の届かないところから見守ることしかできない」

 軍曹は寂しそうに笑った。

「戦争が終わったほうが自由に会えないというのは、なんとも皮肉な話です」

「それでも、軍曹が死ぬよりはましさ。あとに残される者からすればね」

「だといいのですが」

 薄くなった額を撫で、コーヒーに口をつけ、彼は続けた。

「少尉は、いまなにを?」

「僕は――戦犯魔術師支援組織の人間だ」

 もちろん、嘘である。

 いまや占領軍総司令部で、戦犯魔術師を狩り立てる側だ。

「大尉を探している」

 ラスティは静かに言って、コーヒーにミルクを入れた。

 スプーンでゆっくりとかき混ぜると、渦になって白と黒が溶け合っていく。

 乳白色になったコーヒーは、もう元の色には戻らない。

「大尉は、戦死されたのでは」

 軍曹がわずかに驚いた顔を見せる。

「あの人はそう簡単に死なないよ。大尉には恩がある。もちろん、軍曹にも」

 ラスティは、目の前の男にはじめて出会ったときのことを思い出した。

 国境地帯のあの村で、クルト・ハーディ軍曹は一番まともな人間だったに違いない。

 村人や孤児院の子供たちを殺した上官を諫め、バスカーヴィルの問いかけに対して子供を殺すのは後味が悪いと答えた。無邪気で掴みどころがないうえに打算的だったバスカーヴィルとは違って、生真面目で正直な男だ。

「少尉……ここで会ったのは、偶然ではなさそうですな」

「そうだね」

 ラスティは素直に認めた。

 否定したところで悟られる。最初の警戒さえ解ければ、それでいい。

「自分に反連邦活動に協力しろと?」

「軍曹がそうしたいなら、とっくの昔にそうしているはずさ。そうだろ?」

 別人になってでも、家族の顔を見たい。

 近くて遠いところから、見守り続ける。

 反連邦のレジスタンスを気取るより、よほどまともだ。

 クルト・ハーディ軍曹ほどの魔術師が反連邦活動に関わっていないとするならば、彼は平穏で退屈ないまの暮らしを望んでいるのだ。

 ならば、そっとしておいてやりたい。

 だが、ファル・ソルベルグはそうは思わないだろう。

 彼女は戦犯魔術師を殺すことを躊躇しない。

 ましてや、バスカーヴィルにつながる可能性が万に一つでもあるのだとしたら、どんな手段を使ってでも情報を搾り取るはずだ。

「僕が知りたいのは、大尉のことだけだ。なにか知っていることはない? ほかの分隊の連中のことでもいい」

「いえ……なにも」

 軍曹は力なく頭を振った。

 その様子は、本当になにも知らないように思えた。

「自分はもう戦死しておりますから。お力になれず申し訳ありません。しかし、本当に大尉やほかの連中が生きているのだとしたら、少尉に真っ先に接触があるのでは」

 そのとおりだ。

 だから、そう考えたガルーの女に自分は飼われている。

「まあ、世の中そんなに単純でもないみたいだ」

「大尉は深謀遠慮が過ぎる方ですからな。本当に生きておられるなら、いずれ再会できるかと」

「……だといいけどね」

 ラスティは冷めたコーヒーに口をつけた。

 これでいい。

 軍曹はなにも知らない。

 これからも、ジェフ・ウィーバーとして生きていく。

 カップをソーサーに置いた。

 かちゃり、という小さな音のあとに、ラスティは囁いた。

「ご家族を大切に――ウィーバーさん」

「いやいやー。ラスティ君、それはダメっすねー、うひひ」

 カウンター席から聞こえてきた、暗い女の声にぎょっとする。

 思わずそちらを見ると、よく見知ったエルフがにやにやと笑っていた。

 いつもの軍服ではなく、野暮ったい地味な私服。

「チェキ……!」

「はろはろー」

 チェキーナは右手をわきわきすると、別の席に視線をやった。

 そこには彼女と同様に私服姿のガルーの女がいた。

 タイトなパンツスタイルで、銀灰色の長い髪は帽子のなかに収められている。

「ファル……どうして」

「ふふ。飼い犬がなにをしているのか、飼い主はなんだって知っているものよ。そうでしょ?」

 彼女は壁に立てかけてあった筒形のケースを手に取ると、ゆっくりと立ちあがった。

 帽子を投げ捨てる。

 解放された銀灰色の髪がふわりと広がり、まるで映画のワンシーンのようだった。

「猟犬が獲物を見つけたのなら――」

 獣の笑み。

「きっちりと仕留めなければね」

「よしてくれ、ファル」

「少尉、これは一体……?」

 戸惑った様子で、軍曹が立ちあがろうとした。

 瞬間、ファルは一気に距離を詰めるなり、その胸倉を掴みあげた。

 ガルーの腕力が、彼女よりもはるかに重たいであろう大男を片手で軽々ともちあげる。

「な……っ!?」

 ファルは力任せにハーディを投げ飛ばした。

 けたたましい音を立てて窓ガラスを突き破り、大男の身体が軒先に転がり出る。

 並べられていた客席が巻き込まれ、通行人が悲鳴じみた声をあげた。

 追いかけるようにして、ファルも窓から身を躍らせる。

「旧四重帝国陸軍〈ファイヤフォックス・タスクフォース〉のクルト・ハーディ軍曹ですね」

 筒形のケースから、鞘に収まったサーベルが取り出された。

 彼女の細く長い指が、優雅に柄を握る。

 音もなく、白刃がすらりと抜き放たれた。

「占領軍総司令部より参りました」

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