12.これを躾と言うのなら
ファルを追って外に出たラスティは、サーベルを抜き放つ彼女を見た。
「やめるんだ、ファル……!」
「やめる? どうしてやめる必要があるの?」
「彼は平穏に暮らしたいだけなんだ。行確したチェキだって、怪しい動きなんて見つけられなかっただろ」
ラスティは早口に言いながら、サーベルをもつ彼女の右腕を掴んだ。
「それに、クルト・ハーディ軍曹は、書類上は戦死してる。戦犯魔術師指定もされていないんだぞ」
「戦犯魔術師に指定されていようがいまいが」
ファルは右腕に力を込めると、ラスティの手を力任せに振り払った。
「正体がわかれば、殺してからでも指定はできる」
「彼には家族だっているんだ……!」
「ラスティ」
心底から呆れたように、ファルは嘆息した。
「君が人生の半分近くを過ごしたあの部隊は、君にとっては家族のようなものだったでしょうから。目が曇るのも仕方ないか」
「……?」
「ふふ。あの男には――」
大げさに肩をすくめる。
その様子はどこか芝居がかっているように見えた。
「家族なんていやしないわ」
さらりとした言葉の意味がわからず、ラスティは間の抜けた声をもらした。
「開戦直後に、戦闘に巻き込まれて死んでいる」
「そんなこと……」
では、戦場でのつかの間の休息時に、彼が語ってくれたことはなんだったのだ。
短い休暇から帰ってくる度に、彼が語ってくれたことはなんだったのだ。
「彼の妄想のなかには、いたのかも知れないけれどね」
残酷なことを淡々と告げるファルは、石畳に倒れたまま空を仰いでいるハーディに視線をやった。
「誰も彼もが気が狂う、あの鮮血と汚泥に彩られた戦場で――まともに見える者がまともなわけがあるものか」
ラスティは、軍曹とファルを交互に見やった。
だから、彼がもっていた家族の写真は、ずっと同じものだったのか。
だから、休暇から戻ってくる度に語られる話はいつも、「知らないおじさんと言われる」ことだったのか。
彼と新しいに写真に写る家族などいない。
彼の呼びかけに応える家族などいない。
そういうことなのか……
「いえ。少尉――自分には見えるのです。妻と息子が。いつも自分の視界のなかにいる。決して振り向いてはくれませんが」
軍曹はくぐもった声で笑った。
「けれど、戦場に戻ると、いつもいなくなってしまった。終戦からこっち、ずっと側で見守ることができています。実に平穏な暮らしです」
「連邦にも名の知れた狐の隊旗と黒ベレーの魔術師が、妄執に囚われただ朽ちていくばかりとは。哀れなものね」
ファルは、言葉とは裏腹にくつくつと笑っていた。
銀灰色の瞳の奥に暗い光を灯す、獣の笑みだ。
「ラスティ君、あの人の背後は真っ白っす。戦犯魔術師支援組織にも、反連邦活動にも関わっていない。ヤク中のあたしが言うのもなんだけど、まともじゃないっすからね。でも、戦犯魔術師には違いないっす」
いつの間にか背後にいたチェキーナが、肩を軽く叩いてくる。
「僕にわざと資料を見せたのか……」
「背乗りで完璧に偽装されてるせいで、ラスティ君が正体に気づいてくれないと手が出せなかったんすよ。それに――」
「君を躾けるには、いい経験でしょ」
チェキーナの言葉を引き取って、ファルは肩をすくめた。
「いまの飼い主は私なのだから」
「ファル……!」
「少尉――連邦の戦犯魔術師狩りに与しておられたか」
軍曹はまだ空を仰いだままだった。
「自分はただ、家族を見守っていたいだけです。平穏で退屈ないまの暮らしを、壊さないでいただきたい」
「よすんだ、軍曹!」
義足とは思えない俊敏な動きで、ハーディが跳び起きた。
背中には半透明の四枚の赤い羽が見える。
だが、チェキーナのほうが早かった。
腰の後ろから自動拳銃を引き抜くなり、彼女の碧眼が軍曹を捉える。
瞬間、軍曹の身体に金色に輝く環がいくつも現れた。
それはまるで、射撃の的を刻印されたかのようだ。
森の精霊人――エルフのマギア・クラフト。
「ひひ。金枝連環――〈ビスカム・ハイロゥ〉」
ろくに狙いも定めずに、チェキーナは猛烈な勢いで自動拳銃の引き金を絞った。
ただただ銃声が連続し、あらぬ方向に弾丸が吐き出される。
それらは物理法則を無視して、軍曹につけられた的を目掛けて殺到した。
森の精霊は千里を見通す魔眼に敵を捉え、どれだけ離れたところからでも絶対必中のヤドリギの矢を撃ったという。
彼らの系譜たるエルフたちは、千里の魔眼は失って久しく、ヤドリギの矢は鉛の銃弾になった。だが、それでもなお力の一端をマギア・クラフトとして残している。
それをよくよく知っている軍曹は、逃げようともしなかった。
エルフのマギア・クラフトを相手にして、そんなことは無駄だからだ。
背中に現れている半透明の赤い四枚羽が輝く。
「〈ガルム・ウォー〉……!」
瞬間、彼を中心にした四方向から、渦巻く火柱が立ちあがった。
熱波が空気を焦がし、それを目にした野次馬たちが悲鳴をあげて離れていく。
火柱は瞬く間に収束してかたちを変え、炎に燃える大型の犬になった。
その数は四頭。
主人を守るかのごとく、一頭が盾となって迫りくる弾丸のすべてを燃やし尽くす。
「ウソ! なんすかそれ!」
チェキーナは滑らかな手つきで空になった弾倉を入れ替え、炎の犬に向かって発砲した。
「だからフロントに立つのはいやなんすよ。エルフは長距離狙撃だって、おとぎ話の時代から決まってるんすから……!」
銃声。銃声。銃声。
まったく効かない。
一頭がチェキーナに向かって飛び掛かった。
音もなく、ただ熱波だけがある。
チェキーナは口元を引きつらせ、そっと目を閉じた。
「終わったっす。クスリをやめて、幸せな結婚をしたい人生だった」
「それ多分、一生無理よ」
そんな声を聞いて彼女が目を開けると、ファルが悠然と佇んでいた。
右手のサーベルが、炎の犬の首元に深々と食い込んでいる。
「ファルちゃん……!」
チェキーナは目を輝かせた。
「好きっす。愛してる。結婚して!」
「キモい」
ファルがサーベルを力任せに振るった。
炎の犬の首が飛ぶ。
さらに白刃が疾駆して、犬の身体が切り刻まれ、マギア・クラフトの火の粉が舞った。
断末魔の叫びもなく、炎の犬が消滅する。
「ふふ。私のサーベルは少しばかり特別なのよ」
そう言って軍曹を見やる。
その周囲には炎の犬が三頭、一定の距離を保ってぐるぐると回っていた。
ファルは眉間に皺を寄せた。
「ラスティ、あのマギア・クラフトはなに?」
「あれは四重帝国の軍用制式マギア・クラフトじゃない」
「でしょうね。見たことないもの」
「バスカーヴィル大尉が考案した、少数での防衛戦や撤退戦で時間を稼ぐためのマギア・クラフトだよ」
エレメンタルは四種の混血で固有のマギア・クラフトを失ってしまった。
ゆえに四重帝国の魔術師は、四色の属性ごとに体系化した、軍用制式マギア・クラフトを訓練によって身につける。
バスカーヴィルは、マギア・クラフトの研究開発者としても天才的だった。
考案した多くのマギア・クラフトがトライアルを経て軍に採用され、あるいは多くが採用されなかった。汎用性のなさ、技術的な難易度、魔術師への負担の大きさ――そういった観点から、彼女のマギア・クラフトは一兵士が使用するには高度にすぎるものも多かった。
その不採用になったマギア・クラフトの一部は、彼女の部隊でのみ運用されていた。
軍曹が使った〈ガルム・ウォー〉も、そのひとつだ。
「厄介?」
「まあね」
ファルの問いに、短く答える。
「あの犬――大尉はガルムと呼んでいたけど。あれが攻撃を自動で防御する。で、攻撃してきた相手や、一定距離に近づいてきた相手に襲い掛かるんだ」
「半自律型マギア・クラフトか。これはこれは珍しいわね」
「感心してる場合じゃないっすよ!」
チェキーナはいつの間にかカフェのなかに避難しており、壊れた窓から顔だけを出していた。
「あたしのいまの装備じゃ手に負えないから、二人でなんとかしてほしいっす!」
「はいはい。ことわざにあるとおり、エルフの弱兵頼みにならずね」
「ファルちゃん、エルフとハサミは使いようなんすよ」
抗議の声を無視して、ファルはラスティの耳元にそっと囁いた。
「弱点はある?」
「あれは犬の維持と制御が難しいマギア・クラフトでね、僕は一頭しか無理。本来はそういうところを突いていけば崩せるけどね」
「四頭も出してくるあたり、お察しというところね」
そのとおりだった。
同時に四頭も制御できるのは、大尉を除けば軍曹くらいのものだ。
「けれど、君ならどうとでもやれるでしょ?」
ファルの声音が、心の奥底にまでしみ込んでくる。
それは言葉どおりの意味に違いなかった。
「かつての部下であれ、戦友であれ、いまの君には関係ないもの」
「そうだね――」
彼女が取引の対価を払い続ける限り、彼もまた同じように対価を払い続けなければならない。
かつては大尉にそうしてきたように。
対価とはラスティ・フレシェットの才能であり、マギア・クラフトの力であり、いまとなってはバスカーヴィルの教え子であったということそのものだ。
ラスティは自分の首をそっと触った。
「僕には、見えない首輪がずっとついてる」
「ふふ。結構」
その言葉に、ファルが満足そうにうなずく。
わかってはいた。
それでも、クルト・ハーディ軍曹くらいは生きていてほしかった。
家族と平穏で退屈な暮らしをしていてほしかった。
それはラスティがどれだけ望んだところでもうできないことだったし、彼が人生の半分近くを過ごしたあの部隊にいた連中の誰にだってできないことだった。みんな、軍曹がする家族の話が好きだった。
戦争が終わって、平和を享受すべきなのは、彼みたいな男だとみんなが思っていた。
だから、一人で穏便にすませるはずだった。
だが――そうはならなかった。
「ファル、これを躾と言うのなら、確かにぴったりだよ」
飼い主のガルーは、想像以上に彼のことを見ていたし、盲目的に信用したりもしなかった。
一方でラスティが信じていた、クルト・ハーディ軍曹の姿は幻想だった。
背乗りしてまで生き残ったのは、とっくの昔におかしくなっていた敗残兵の魔術師でしかなかった。
現実はいつだってひどいものだ。
だが、それが現実である以上、ラスティが思い描いていた無邪気な空想はここでもう終わりだった。
冷え冷えとした心地で、軍曹を見据える。
「軍曹、すまないけど」
拳を握り締め――告げる。
「僕のために死んでくれ」
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