6.君は私の犬になる

 ラスティはかつて上官だった女が写っている写真と、それを差し出してきたガルーの女を交互に見やった。

「僕のことを調べたのか……」

「ええ。そのとおり。君のことを調べさせってもらった。戦場で出会った少年兵が、バスカーヴィルの秘蔵っ子と呼ばれたラスティ・フレシェットだったなんてね。あのとき、君がルーベルのマギア・クラフトを使ってくれてよかったわ。そうでなければ、もっと大事になっていた。まともにやり合うには、私もマギア・クラフトを使わなければいけなかったでしょうから」

「あのときは、あれが精いっぱいだったんだよ」

 一個分隊で敵の包囲を突破し、塹壕線を乗り越えて一昼夜の行軍をしたのだ。

 あの一発を撃てただけでも、奇跡のようなものだった。

「さすがの〈バスカーヴィルの魔犬〉でも?」

「僕のことを誰がなんて呼んでいようが、僕は無敵でもなんでもないよ」

「連邦の誰も彼もに畏怖されていた魔術師にそう言われると、複雑な気持ちになるわ」

「それで、中尉は僕になんの用なんだ」

 ラスティは写真を返した。

 この女が自分に接触してきた理由が、いまだにわからない。

「私は彼女を探している」

「探してるだって……?」

 てっきり、大尉は戦死したものだと思っていた。

 ラスティに最後の命令を下して一個分隊をあずけた彼女は、別ルートから集合ポイントに向かった。そして、ラスティが分隊の全員を失って一人だけたどり着いた場所に、彼女とその部隊は現れなかった。

「その写真は終戦後に撮影されたものよ。いまに至るも彼女は投降していない。MIAと報告されている。彼女だけではなく、彼女の部隊全員。一人残らず。君の分隊を除いては」

「なにが言いたいんだ?」

「君ならもう気づいているでしょ」

 ラスティは苦笑した。

 車がなにかに乗りあげたのか、車体が大きく揺れる。

「僕は捨て石だったのか」

 ラスティの分隊を損害度外視で先行させて敵の包囲網に穴を開け、そこから残存部隊が浸透して脱出を図る。本当の集合ポイントに向けて。大尉が率いた部隊全員がMIA――作戦行動中行方不明というのなら、恐らくはそういうことなのだろう。

「怒らないのね」

「怒ったって仕方ないし、理解もできる。最小の損害で最大の成果を出すなら、あり得る判断だよ。ただまあ――」

 正直にそういう命令を出してほしかった。

 玉砕覚悟で脱出を支援せよと命令されとしても、拒否なんてするわけがない。

 ラスティには愛国心なんてものはないが、大尉への恩はある。

 この女がどこまで知っているのかは知らないが。

「飼い主には忠実というわけね」

「そうだね」

「また会いたい?」

「どうだろう」

 ラスティは本気でそう思った。

 大尉に会ったところで、なにを話せばいいのかよくわからなかった。

 彼女には確かに恩がある。

 だが、それはもう過去のことだった。

 あのとき。

 ラスティは彼女に魔術師としての才能を売った。

 対価を得て〈バスカーヴィルの魔犬〉として飼われることを選んだ。だが、それによって彼が得ていた、ささやかな生きがいは恐らくなくなってしまった。

 この敗戦によって失われてしまった。

「バスカーヴィルは、君に会いたいと思っているはず。手塩にかけて育てあげた、右腕だもの。生きていると知れば、取り戻したくなる」

「あの人はそんな人情家じゃないよ」

「もちろん。けれど、反連邦活動の戦力として、君の力は必要だわ。私が彼女の立場なら、そう考える」

「大尉がテロ屋に? まさか」

「逃亡しているというのは、そういうことでしょ。ちっとも尻尾を見せないけれどね」

 ようやくこの女の目的に合点がいった。

「それで僕に接触がないか確認しにきたのか。残念だけど、終戦からこっち連絡なんてないよ」

「でも、探していると知れば会いたくなるかもしれない」

「なにを言ってるんだ……?」

「私はね、君をリクルートしにきたの。バスカーヴィルを釣る餌としてね。連邦はいま、血眼になって戦犯魔術師狩りをしている。けれどね――」

 ファルはハンドルを握る手に力を込め、口元を引きつらせるようにして笑った。

 前を見据える銀灰色の瞳に、戦場で見た狂気じみた暗い光が灯る。

「――あの女は誰にも渡さない」

 ラスティはぞっとして、車に揺られる彼女の横顔を見ていた。

 エンジンの規則正しい音だけが、彼の耳に残った。

 数瞬の沈黙。

 ファルはダッシュボードの上に放り出していた煙草の箱に手を伸ばすと、器用に一本を取り出して火をつけた。

 車内に独特の臭いと紫煙が広がり、ラスティが思わずせき込む。

 煙が目に染みた。

「けほ……っ」

「ふふ。意外とお子様ね」

「……まあね」

 ラスティはドアについているハンドルを回して、助手席側の窓を開け放った。

 入り込んだ風が頬を撫でる。

「私がエアリエル・バスカーヴィルを探しているのはね――」

 その風に乗せて、ファルは冷たい声で言い放った。


「――私の手で必ず殺してやるためよ」


 これは私怨だろう。

 どんな因縁が大尉と彼女との間にあるのかなど、知る由もなかったが。

「僕が中尉に協力する道理がない」

「ええ。だから取引をしましょ」

「取引だって?」

「炎に包まれた国境地帯の小さな村で、かつての君が、彼女とそうしたように」

「……!」

「君のことは調べたと言ったでしょ」

 彼女はまるで、天使の微笑みで近づいてくる悪魔のようだった。

「私は前の飼い主が君に与えていたものと同じ、ささやかな生きがいを提供できる」

「それは、本当なのか……?」

「もちろん。そして、その対価で――」

 ラスティをこうして連れ出しているのだから、その言葉は本当なのだろう。

 彼女はいつの間にか、あの獣のような笑みを浮かべていた。

「君は私の犬になる」

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