4.そこにいる彼女の犬ですよ

 獣の笑みを浮かべて、彼女は言った。

「神父様、てっきりお留守かと」

「そんな、確かにルーベルの子供の声が――」

 神父はファルの背後に佇むラスティを見つけ、その姿に唖然とした。

 赤い瞳をもつルーベルの少年が、連邦の黒い軍服を着ているのだから当然だ。

 神父がなにかを言おうとするが、ファルは容赦なくそれを遮った。

「この教会と神父様には、戦犯魔術師を支援している嫌疑がかけられておりますよ」

「バカな……そんなことをするわけがない」

「逃亡している戦犯魔術師を匿い、資金的な援助を地下組織に行っているとか?」

「根も葉もない話だ。罪もない人間を反連邦に仕立てあげ、見せしめにするなど。恥を知れ、卑しいガルーの雌よ。我々、四重帝国の臣民たるエレメンタルは――」

 なんの前触れもなく、ファルは神父を蹴りあげた。

 軍靴の爪先が腹部にめり込み、神父が豚のような悲鳴をあげて床を転がる。

「私はハーケン聖教の信徒ではないので、ありがたい説教は遠慮いたします」

「うあ、くっ……」

 身体を丸めてうずくまる神父に、ファルはゆっくりと近づいた。

 ぎしり、と木の床がいやな音を立てる。

「戦犯魔術師は連邦が戦犯指定した連中のなかでも、最も厄介な危険分子ですよ、神父様。敗戦を認めず、地下に潜り、組織化して反連邦のテロ活動を行っている。そういう連中です。まあ、占領帝国の国民には、積極的に支援をする輩もいるようですが」

「わ、私は知らん……」

「ふふ。結構。けれど、私たちはもう、知りたいことは知っている」

 ファルは獣じみた笑みを浮かべ、震える神父の近くにしゃがみ込んだ。

 肋骨にヒビが入ったのか、あるいは折れたのか、ひどい脂汗だ。

「私の独り言をよく聞いてください、神父様」

 そんな神父を気遣う素振りなどまるで見せず、世間話でもするかのように彼女は言葉を続ける。

「近いうちに教会が火事になってしまうかもしれませんね。神父様は逃げ遅れて、生きたまま焼かれてしまう気がします。自分の身体の肉が焼かれる臭いを嗅ぐのは、それはそれは地獄ですよ」

 露骨な脅迫だった。

 神父は怯えた表情で、頭を振った。

 ファルが獣の笑みで囁く。

「この一年で教会に寄付をした者の名簿と、いま匿っている戦犯魔術師を引き渡していただけますか」

「悪魔め……!」

「カラーズにそう言われるのは、愉快痛快というものだわ」

 彼女は神父の視線がさまよった先を見逃さなかった。

 無言でラスティに合図を出す。

「まったく、人使いが荒いんだから」

 神父が咄嗟に目をやったのは、規則正しく配置されている長椅子のひとつだった。

 ラスティはそこに近づくと、長椅子の端に足を置き、力任せに蹴り出した。

 固定されていた床ごと、長椅子がずれる。

 物置のような空間がぽっかりと広がり、突然のことに間の抜けた顔をした男がこちらを見あげていた。

 神父と同じサフィラスであることを示す青い瞳だった。

 男はラスティを同じエレメンタルの仲間だと思ったのだろう。

 一瞬だけほっとした表情を浮かべ、次の瞬間、驚愕に青い目を見開いた。

 ラスティは腰の後ろから自動拳銃を抜き放つなり、言葉もなく引き金を絞った。

 小気味いい銃声に合わせてスライドが規則正しく前後して、銃火が瞬く。

 胸に三発。

 頭に一発。

 鮮血が物置の壁に染みをつくり、男は死体になった。

 どれほど腕が立つ魔術師だろうと、弾丸を食らえば死ぬ。

 それが道理だ。

「なんてことを。お前は、お前はエレメンタルではないのか。それが同胞を。なぜこんなことを……」

 床にうずくまったままで、神父が怨嗟のこもった声で嘆き、こちらを睨んでくる。

 ラスティはまったく気にせず、肩をすくめただけだった。

「お前のような非国民が、連邦の獣どもに尻尾を振る売国奴がのさばるせいで!」

 神父は半狂乱で叫んでいた。

「偉大なる四重帝国と皇帝陛下を愛する、真の愛国者が、塗炭の苦しみを味わっているのだぞ!」

 最早、静かな威厳もなにもない。

「そうは言われてもね、神父様」

 ラスティは神父を見返すと、淡々と言った。

「確かに僕はルーベルだし、〈終末戦争〉にだって従軍した。だけど、あなたの神も、皇帝も、僕になにをしてくれたわけでもない」

 その言葉には、怒りや不満があるわけではない。

 なんの感情も込められていない、事務的な報告のように思えた。

「真の愛国者なら、見返りなど求めるものではないだろう!」

「僕はそもそも、愛国者なんてものじゃないからな」

「エレメンタルの恥さらし! 連邦の犬め……!」

「古来より洋の東西を問わず――」

 激高する神父を黙らせたのは、ファルの冷たい声だった。

「戦場を知らず愛国だなんだと喚き散らし、寸鉄すら身に帯びることもないお前のような輩が。勝利にあっては美酒に酔い、敗北にあっては兵を嘲けるものよ」

 彼女はラスティの手から自動拳銃を奪い取ると、神父のこめかみに銃口を押し当てた。

「やめ――」

 銃声。

 神父の頭が吹き飛んだ。

「弾丸の一発もかわせない神のご加護と愛国に、どれだけの価値があるという?」

 床に広がる血溜まりを見ながら、ファルが自動拳銃を返してくる。

「ふふ。君の代わりにやってあげたんだけど?」

「僕は別に怒ってないよ」

「あらそう」

「ファルの方が怒ってるみたいだ」

「神や愛国なんてものを、ご大層に語るやつには反吐が出るわ。私が敬意を示すのは、剣林弾雨に晒されて、マギア・クラフトに震えながら、塹壕で血と泥に塗れた戦友だけよ」

「戦友なんて言葉は幼稚だけど、一番まともな考えかもしれないね」

「そうでしょ?」

「でも、神父を殺しちゃって、名簿はどうするのさ」

「あ……」

「まったく、探す手間が増える」

「いやいや、ごめんて」


 終戦から一年――


 四重帝国の皇帝は戦後復興と国民統合の象徴としてその地位にとどまっていたが、帝国議会は停止し、外交権は失われ、軍と歴史ある財閥は解体された。

 行政を担う官僚機構はそのまま残されたが、首相以下すべての閣僚は占領軍総司令部の意向に沿った顔ぶれとなり、占領帝国は文字通りのパペット・レジームだった。

 貴族、政治家、官僚、軍人だけではなく、民間人だろうと戦争に関与したと見なされた多くの者が戦犯として次々と逮捕された。

 そして、ある者は処刑され、ある者は公職を追放された。

 四重帝国の通貨であるケーニヒの価値は暴落し、街には復員してきた元兵士と失業者があふれ、深刻なインフレと不景気は戦後の日常となった。

 エレメンタルの反連邦感情は高まるばかりで、各地でデモや暴動、過激なテロ活動が頻発していた。

「神父様、あなたの言ったことは正しいよ。確かに僕は連邦の、いや――」

 ラスティは自動拳銃を腰のホルスターに戻しながら、物言わぬ死体となった愛国者に言った。

「そこにいる彼女の犬ですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る