2.戦争は終わった
「……っ!」
ラスティは手にしていた短機関銃で、ガルーの女の一撃を受けた。
金属がぶつかり合う耳障りな音。
火花が散る。
瞬間、腹部に強烈な蹴りをもらう。
「がっ……!」
短い悲鳴をもらして、ラスティは軽々と数メートルを吹っ飛んだ。
身体がくの字を描き、そのまま泥の大地をゴロゴロと転がる。
「うぇ……っ……げぇ……」
猛烈な痛みと、続けて吐き気が込みあげてくるが、生憎と胃の中身は空っぽだ。
口元を拭い、彼はガルーの女を見た。
「遠慮ない……バカ力だね」
「あらそう?」
ガルーの女はラスティが放り出した機関短銃を拾うと、力任せに銃身を曲げた。
まったく、あんな細腕のどこにそんな力があるのか。
ガルーという連中は、みんなそうだ。
彼女は使い物にならなくなった機関短銃を投げ捨てて、ゆっくりと近づいてくる。
「中尉! 捕虜を取れと言われています!」
丘陵に並ぶガルーの兵隊が声を張りあげた。
中尉と呼ばれた女は、わかっているとばかりに片手をあげる。
「お得意のエレメンタルのマギア・クラフトで抵抗してみたら?」
「捕虜を取るんじゃなかったの?」
「私はね、カラーズの魔術師が大嫌いなの。殺したいほどに」
地・水・火・風の四つの属性と、白・青・赤・緑の四つの色に象徴される四色精霊の末裔たち。
四色の精霊人――エレメンタル。
カラーズは彼らに対する蔑称だ。
銀灰色の瞳が、こちらを試すようにしてのぞき込んでくる。
この女は端から捕虜など取る気はないのではないか、とラスティは思った。
その美しい瞳の奥には、底冷えする暗い怒りが沈殿している。
「奇遇だね」
ガルーをじっと見返して、ラスティは言った。
「僕も、どちちかというと四重帝国の魔術師は嫌いなんだ」
飛び跳ねるなり距離を取る。
そんなに見たいなら、お望みどおりにしてやるさ。
ラスティの背中から、半透明の赤色の四枚羽が現れる。
それはエレメンタルがマギア・クラフトを使う際の前兆だ。
赤色の四枚羽は、彼が火の精霊の末裔である赤玉の精霊人――ルーベルであることを教えてくれる。
「羽を出したな!」
ガルーの女が嬉々として叫んだ。
「ふふ。赤い羽――ルーベルのマギア・クラフトか」
今度は短剣ではなく、腰にあるサーベルをすらりと抜き放つ。
距離を詰められれば、瞬きする間に首が飛ぶ。
ラスティは右手を頭上に掲げた。
瞬間、手が炎に包まれる。
マギア・クラフトとは、精霊世界〈ネバーランド〉に住むという精霊たちの系譜であるこの世界の人々に与えられた、奇跡を操る力の残滓。
狼の精霊の末裔たるガルーならば、巨大な狼に姿を変える者すらいる。
四色精霊の末裔であるエレメンタルならば、それぞれが象徴する属性に応じた力を使う。
「〈ムスペル・ジャベリン〉……!」
拳を握ると、炎が棒状に変化した。
まるで投擲用の槍だ。
ラスティは左足を踏み込むなり、躊躇なく右腕を振り抜いた。
炎の槍が、ガルーの女を目掛けて飛んでいく。
だが、彼女は悠然としたものだった。
口角を吊りあげて笑う。
端正な顔が台無しになる、獣の笑みだ。
「その程度のマギア・クラフトが、私に通用するものか!」
ガルーの女は炎の槍に向かって一直線に駆け出すなり、サーベルを一閃した。
炎の槍が二つに切り裂かれ、彼女の背後に着弾するなり爆炎をあげる。
赤黒い炎が空気を焦がし、巻きあげられた土砂が雨のように降り注いだ。
「マギア・クラフトを斬った……!?」
唖然とするラスティの眼前には、もうガルーの女がいた。
鈍色に輝くサーベルは水平に構えられ、すれ違いざまの横なぎでこちらの首が飛ぶ。
あと一完歩。
(かわせない……!)
自分の顔が引きつるのがわかった。
ガルーが踏み込んでくる。
ラスティは目を閉じた。
首が飛ぶ――
「……?」
痛みはなかった。
いや、死の瞬間というものを自覚することなどできはしないだろうが。
それでも、自分はまだ死んでいない。
そっと目を開ける。
銀灰色の瞳が、こちらを射殺すかのように光っていた。
冷たい狂気の光だ。
サーベルの刀身は、わずかに首に触れたところでとまっている。
「お嬢、捕虜を取れと言われているだろうさ」
女の腕を、別のガルーの兵士が掴んでいた。
映画俳優が戦場に迷い込んできたかのような、苦み走った男だった。
髪は伸び放題で、あごには無精ひげ。決して品があるとは言えないが、それでも野性味のある精悍な顔つきは、どんな女優が隣に並んでも絵になるだろう。
「シーガー……私を、お嬢と呼ばないでくれる?」
「こいつは失敬。仰せのままに、中尉。俺はあんたを、命令違反で憲兵に密告するようなことはしたくないんでね。手を放しても?」
ガルーの女は嘆息すると、小さくうなずいた。
サーベルがラスティの首からゆっくりと離れていく。
「少年兵くんよ。運がよかったな」
シーガーと呼ばれた男はそこまで言って、ラスティの階級章に気づいた。
「おっと」
わざとらしく敬礼をする。
「これはこれは、四重帝国の少尉殿でしたか」
「どうして僕を助ける?」
「助ける? はっはっ、知らんのか、少尉殿」
シーガーは心底おかしそうだった。
笑いを噛み殺し、肩をすくめる。
「教えてやったらどうだ、中尉」
「そうね」
ガルーの女はサーベルを鞘に納めると、ラスティの胸倉を掴んだ。
そのまま力任せにもちあげられる。
「……っ!」
爪先が地面から離れそうになり、ラスティは足をばたつかせた。
首が絞まり、息ができない。
「よく聞きなさい、カラーズ」
耳元で囁くように、ガルーの女が言った。
「戦争は終わった」
「なっ……!?」
言葉の意味がわからず、ラスティはただ胸中で反芻した。
戦争が終わった?
生まれてからずっと続いていた、この戦争が?
そんなバカなことがあるか。
「連邦の部隊が四重帝国の帝都に侵攻し、これを占領した。現在、両軍の全部隊に停戦命令が出ている」
ラスティはゴミのように投げ捨てられた。
「戦場から、もう戦いの音は聞こえないのよ。気づかなかった?」
強かに身体を打ちつけ、小さなうめき声がもれる。
なぜだか立ちあがれない。
女の言ったことが本当かどうか、わかりはしないというのに。
戦争が終わったという言葉が、こんなにも気力を根こそぎに奪っていくとは。
(ああ、でも……)
確かに、戦いの音は消えていた。
この女に出会う前に。
ここはもう戦場ではなくなっていた。
「戦争が……終わった?」
否定の声も、肯定の声もない。
こんなときは悔しがるべきなのか。
祖国たる四重帝国の未来を嘆くべきなのか。
だが、ラスティにはなんの感情もわいてこなかった。
彼が兵士になったのは愛国心なんてくだらない理由ではなかったし、皇帝がどうなろうと、四重帝国がどうなろうと、本音の部分では知ったことではなかった。
ただ、大尉が戦死してしまったのだとしたら、彼女と交わした約束はどうなってしまうのか。それだけが心残りだった。
ラスティは大の字になり、空を仰ぎ見た。
朝まで降っていた冷たい雨は上がり、底抜けに青い空が広がっている。
暖かい太陽の光に照らされながら、彼は自分自身に確認するかのようにつぶやき続けた。
「僕は、戦争に負けた」
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