4話 理想の批評

 次の日、図書館で二人会議をおこなったぼくらは、改めてネッ友だった奇跡に驚いてから、文芸部どう思う? という話になっていった。


「なあ多田くんもあの界隈にいたんだからわかるだろ? 創作って批判から生まれるんじゃなくて、称賛から生まれるんだってさ」


 うんうん、と多田くんは頷き、ぼくはなおもまくしたてる。


「でも今の文芸部って粗探しばかりしててさ、意識だけ高いわりに批評がない日はトランプとかボードゲームしかしないし、いや遊ぶのもいいんだけどさ、矛盾してるっていうかさ。あ、批判と称賛の話に戻ると、批判って誰でも出来るんだよ、でも……


その人にしか書けない面白さを見つけるってことは誰にでも出来ることじゃないよね。


でも文芸部なんだから、創作者なんだから、必要なものだと思うな」


 とほぼ息継ぎなしで語り尽くした。多田くんは「確かに。自分もああいう雰囲気悪い批評はちょっとな」と短く同意して、あとはぼくが同じようなことを語るのにウンウン頷いていた。口下手なのか、うるさいと思われているのか分からなかったが、ぼくは止まらずに喋り続けた。


 結論としては「批評を変えたいよね」で落ち着いた。多田くんもそこは変えたいと言っていた。さすが同界隈の民! 話がわかる! 困ってたよこんなところじゃ生きていけないような気がしてさ、となおも早口で喋るのを変わらずウンウン頷きまくる多田くん。


 以降は、この図書館の2階or3階の隅っこが、ぼくらの作戦会議室として定着することになった。

※図書館ではお静かに!


「でもさぼくらの思う批評のやり方だって正しいかはわからないよね、所詮井の中の蛙……ってオチもあるわけだしさ」


「ウンウン」


「だからさ、他大学の学祭見に行かん? そこで色々話聞いてみたいと思ってさ」


 っていうぼくの思いつきから、他大学の学祭に二つほど赴いた。あそこのFラン大学の文芸部なんですけどーと名乗ると大抵「え!」という反応のすぐ後に大歓迎ムードに変わり、活動の話へと自然と移り変わるので、批評の話についても聞けた。話してる最中に、うちの批評の酷さについて愚痴をこぼしてしまったけれど……。


 他大学の批評はこんな感じ。


・指摘というか、この表現どうなの?と思ったらもちろん言うけれど、悪い雰囲気にはならない。

・良いところは褒める

・最後に感想を言ったりもする


 うちの批評の最もダメな点は雰囲気である。批評のたびに、変に文句を言われたり、面白くないと切り捨てられるんじゃないかと、書き手が臆病になっている。「批評をやる」と誰かが言うと、部室に鋭い線が刺さったみたいに緊張が張り詰めるのだ。力関係は常に、読み手>書き手。良いところは褒めるっていうのは、現書き手が面白くないからなのか、まだほとんど見かけないし、最後に感想を言うのも「ふつうによかったよー」って感じで味気ない。


 この二つを比較して、どういう批評をしたいのか考えた。


・雰囲気を良くする

・良いところは褒める(どんなに作品全体が良くなくても、文章、キャラクター、構成どこかしらに学ぶ要素はあったと思うから、言語化する)

・最後に感想+できれば考察をする


 一つ目が一番重要。最悪誤字脱字表現のミスを直すだけでも、雰囲気が良ければ自然と批評会が楽しくなるのだ。

 二つ目と三つ目は書き手のモチベや雰囲気にも関わるけれど、読み手としての成長も兼ねてのものだった。

 読んだ小説のどこがどう面白かったのか、また、最終的に作品が面白いと感じる要素はなんだったのか考察することは、簡単には出来ない。

 でもせっかく文芸部に入ったんなら、やりたい。


 それに書く才能がないぼくが、Twitterのみんなと共になんとかして文章を紡いだり、話についていけるのは、間違いなく読み方が変わったからである。


 読み方が変わることで、書き方も変わる。

 感覚で面白い小説が書けないなら、理論的に面白さを見つけて、それを元に書けばいい。


 ぼくのこういう持論から生まれた批評への感情だった。

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