2話 罪悪感
タカギ先輩に池添はどういう本を読むのかと聞かれ、日常ミステリーだと答えた。『氷菓』的な……わかりますか? わかるわかる! と返ってくるあたり、イメージしていた文芸部という感じだ。
どうせ書けるようになるから、大丈夫大丈夫! ニカっとタカギ先輩が笑う。書きますよ、書くに決まってますよ先輩。そのための努力だって惜しまない。ぼくは書ける人になるために入ったんだから。
こんな雑談をしていたら、今日は何人かの先輩が小説を持ってきていると言い出した。
「あ、じゃあ一年も批評しよ、批評」
タカギ先輩がパンと手を鳴らす。さあさあさあ、と一年三人はそれぞれ分かれて批評の場にぶち込まれた。5月に開催される学祭を見込んだ小説の割には短く、2000字程度だったため、軽く読めたけれど、先輩たちがマーカーを入れまくっているのを見て驚愕した。批評とは、ざっくり言えば誤字・脱字・改善点を見つけて伝える会だと聞いていたが、この小説にそんなに赤線引くところがあっただろうか。
「じゃあ批評会を始めます。一年から順に言っていこうか。まずは1ページ目、なんかある?」
特にないですね、と答えた。誤字も脱字も特に見当たらないし、小説に破綻もないように思えた。しかし、タカギ先輩は「は?まじで?」と驚いた様子で、「私はいっぱいあるけどなぁ……まあ最初やからな」とぼやいた。
ああ、何か言わないといけないやつだったか。面接官の「最後に何か質問はありますか?」に対して純粋な気持ちで「ありません」と答えるのがダメな風潮のような。
「じゃあ次は私の番ね。まず上の段の1……2……5行目! 可蓮な彼女ならどう表現しようと美しい という箇所、最後に句点がないです。あと、可蓮ではなく、漢字は可憐やから直しといて。あと……」
いや確かにめちゃくちゃ誤字ある……。タカギ先輩の指摘にしがみつくように次々と赤線を引いていく。ここも誤字、ここもか……と引いていくと、モノクロの紙は赤に侵されていく。2ページ目は、特にないですというのも、言いづらいプレッシャーがあったので、適当にここが読みづらかったですと言っておいた。「あーじゃあ直しとく、かなー」と歯切れが悪そうに先輩は呟いた。いや……申し訳ないです……直さなくてもいいんです。なんとなく、何もないですが許されないような雰囲気を感じただけなんです。本当にそれだけなんです。という心内。罪悪感に包まれた批評は終わった。
あ、作品についての詳しい感想会などはないんだ……という気持ち。
気圧されて無理やり言った指摘が心残りだったぼくは、次の活動日、批評に気合を入れて臨んだ。意識したのは二つ。
・誤字・脱字をなるべく見つけ出す
・適当な指摘はしない。指摘がないならそれでよし。
批評は人手不足もあって、一人の先輩の小説をぼくと多田くんで読むことになった。その先輩がなかなかの問題児で、誤字・脱字が文章で踊っているのである。食卓に出されたほぼ全ての貝に砂が混入しているような小説。
彼はカザマという名前らしい。
ただ、カザマ先輩の小説、内容はふつうに面白かったし、誤字・脱字を指摘しやすいので、「このページにはミスがありませんでした」をなぜか言いづらい空気を回避できるという点で、これが昨日の批評だったらどんなによかったか! と嘆いた。まあ多田くんとぼくだけなら、そもそもプレッシャーのかかる雰囲気にならない。
ただ、カザマ先輩の問題はこの批評後に起きる。
批評会では誤字の指摘後は当然、家に持ち帰って修正をする。修正期間は大体3日〜1週間で、カザマ先輩は誤字・脱字が多いとはいっても修正には十分な期間である。
それをほとんど直さずに再度持ち込んだのである。
修正の仕方が気に入らないとか、そういうわけでもなく、シンプルに誤字を直さない姿勢に、タカギ先輩が激怒した。
「なんで直せって言ってるのに直さんの?」
「もうお前の小説は部誌には載せんわ」
それに対してほぼ無言を貫くカザマ先輩。いや、なんでやねん。まあだるかったからとか言ったら火に油注ぎそうだから黙るのはある意味得策かもしれないが。
その日、部室にはOBの先輩も来ていたのだが、彼も「またか……」と言った口調でカザマ先輩に冷たい視線を向ける。
「つまんねーくせに誤字も多いとか」
「それな!」とタカギ先輩も便乗し、誤字の多さの指摘と、作品のつまらなさをセットで責め立てた。
ああ、それは違うのに。と思った。
OBの先輩はカザマ先輩の処女作の批評をやったことがあるらしく、今回のように誤字はもちろん内容も酷かったのだそう。しかしそれは、処女作の話で。今回の小説は名作とかではないけど、それなりに面白かった。少なくとも誰かに攻撃されていい小説ではない。
「一年生もつまんなかったらハッキリ言っていいよ。あんまり面白くなかったでしょ」
と半笑いでぼくらに尋ねた。歯切れ悪く「いやそんなことは……」見つめ合ったぼくと多田くん。多田くんもきっとぼくと同じくらいの評価はしていると思った。
その日の帰りの電車で、ぼくの処女作を読む。
拙い文章だった。文章のルールすらも知らない純粋な気持ちで書かれた私小説的な文の羅列は、文字数で言っても2000字にも満たない。
カザマ先輩の小説を思う。確かに拙いところもある。創作界隈でバケモンたちの小説を読んできた時のようなインパクトはない。でも、確かな創作への小説へのキャラへの世界観への愛情が1万字にも渡って埋められている紙束をなぞって、面白くないわけがなかった。
それならぼくの2000字未満の文章はその場で破り捨てられるべきだけど、幸運なことに、何人かの人からあたたかいコメントをいただいていた。
「面白かったです!」
「考えさせられました」
「〇〇のシーンがよかったです」
それぞれが面白くない、何も思わなかった、このシーンダメ、ってコメントだったら、ぼくは創作をやめていただろうな。
3000字以上の小説を完成させたこともない、真っ向から批判された経験もないぼくは、この先やっていけるのか?
Twitterを開いたら、創作界隈のバケモンたちが呑気にツイ廃していて、あるフォロワーが別のフォロワーへの感想を長文で送りつけて、それをまた長文で感想の感想を送り返す、いつもの光景が広がっていた。
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