241 「戦う」VS「逃げる」

「俺にはおまえと戦う理由はないんだが……」


 無駄とは知りつつも俺は言う。


 対人戦なんてもんは、やらずに済むならやらないで済ませたい。

 今の俺なら負けはないとしても、三度の飯より喧嘩が好きなんていう昭和のヤンキーみたいな属性は俺にはない。

 たとえ相手が格下だろうと、怖いものは怖いのだ。


 まあ、以前とは違って、怖い中にも余裕があるというか、慣れてしまったことは事実だが。


「俺にはあるぜ。おまえがこそこそ異世界人探索者をさらってるのを隠すのがどれだけ大変だと思ってやがる」


 これまでにもそれなりの数の異世界人を救出したが、政府はこれまでのところ俺の介入があったことを隠している。

 政府のメンツに関わる問題だし、社会不安を生むからな。

 最近は隠しきれなくなって、徐々に「首輪の不具合による逃亡」と報じるようになってきたんだが。


「それは俺が頼んだわけじゃないし」


「今、この国にはカリスマが必要なんだよ。せっかくあの木偶でく野郎がその役割を果たしてるってのに、『かわいそうな奴隷を解放して回る優しき魔王』なんてもんが現れちゃ困るんだ。英雄は一つの時代に一人でいいんだよ」


「木偶ね。仮にも一国の総理大臣をそんなふうに呼ぶのはどうかと思うけどな。おまえの伯父さんが任命した宰相様じゃないか」


 凍崎誠二を木偶なんて呼ぶってことは、こいつは「作戦変更」にはかかってないんだろう。

 こいつのステータスには強固なプロテクトがかかってて、俺の能力でも覗くことができないんだけどな。


 以前、凍崎のステータスを鑑定しようとしてできなかったことがあるが、それとは別の仕組みらしい。

 凍崎のほうは「システムにより秘匿」されているのに対し、春河宮勇人のプロテクトは勇人自身の力によるものだ。

 凍崎の秘匿も不気味だが、スキル「看破」に相当する今の俺のステータス鑑定能力を弾く勇人の力も侮れない。


「いつものらりくらりと逃げやがって。今日こそは逃さねえ」


 勇人の身体から青いグリッドラインが広がった。

 方眼用紙のような半透明のグリッドラインだ。

 攻撃判定はないが、それだけに迎撃の手段もない。

 特殊なスキルによるものらしいそのグリッドが、空間をスキャンするように新宿駅地下ダンジョンを駆け抜けていく。

 勇人がこんなものを使うのは初めてのことだ。


「なんだ……?」


「ビビったか、蔵式。こいつは俺の固有スキル『戦う』だ。滅多に使うことはないんだがな……光栄に思えよ」


「『戦う』?」


「どうせすぐにわかることだから教えてやる。俺の『戦う』は、指定した相手と強制的に戦闘に突入することができるスキルだ。それも、ただの戦闘じゃない」


 言葉の途中で勇人が斬りかかってきた。



《春河宮勇人の攻撃!》



 一瞬にして十数歩を詰めての斬撃を、俺は左手の指で挟み込む。



《蔵式悠人はスキル「白刃取り」で攻撃を受け止めた!》



 そこで不可思議なことが起きた。

 「白刃取り」からのスキルコンボ「武器盗み」を発動すべく左手をひねろうとしたが、俺の身体が動かない。

 思わず身構え、勇人を警戒するが、皇族勇者もまた動けないようだ。



《蔵式悠人のターン。コマンド?》



「……なんだこれ? ふざけてるのか?」


「へっ、おもしれえだろ? 俺の『戦う』はレトロゲー仕様らしくてな。戦闘が強制的にターン制になるんだよ」


「ターン制?」


「1ターンにつき行動は一回だけだ。初手以外は敏捷が速い方が先行だが、敏捷が速いからといって行動回数が増えたりはしない。要は、一発殴ったら一発殴られる勘定だな」


「そんな固有スキルがあるのかよ」


 内容を聞いて呆れる俺。


 だが、俺にだけはこの仕様に呆れる資格はないかもな。

 なにせ、俺の「逃げる」だってこれ以上の謎仕様の塊だ。


 「ヘカトンケイル」の沢城の「雷鎖」のような単純な固有スキルもあれば、俺の「逃げる」のように複雑怪奇な固有スキルもある。

 単純な固有スキルは通常スキルの合成によって再現が可能だが、俺の「逃げる」はワンオフのスキルらしく、他のスキルの合成による再現が困難だ。

 だから最近、俺はこんなふうに思っている。

 固有スキルの中には、既存のスキルの組み合わせに過ぎないものと、オーダーメイドで造られた本当に固有のユニークなスキルがあるのではないか、と。


 勇人の「戦う」がそんな仕様なら、間違いなく後者の本当にユニークなスキルに含まれる。


 勇人が続ける。


「俺の敏捷だと、1ターン一行動はかえって不利なことが多くてな。『戦う』を使わずに普通に戦った方が手っ取り早いことがほとんどなんだよ。つかえねースキルだ、ほんとに。プロレスラーにでも与えろってんだ」


 どうやら「戦う」とやらも「逃げる」に負けず劣らずの本末転倒スキルみたいだな。

 俺は、「逃げる」のせいで普通に逃げるのが難しい。

 こいつは、「戦う」のせいで普通に戦うのが難しい。


「だが、てめえには刺さるだろ。おまえはどうやら、この俺よりも敏捷が上らしい。普通に戦ったんじゃ逃げられて終わりだ。これまでみたいにな」


 これまでにも何度かこいつと遭遇し、そのたびに俺はお茶を濁してきた。

 こいつの脳内でそれがどんな認識になってるかはわからない。

 こいつなりに対策を考え、固有スキルという切り札を切ってきたということだ。


「さあ、俺と戦え、蔵式勇人! 正直、てめえの強さは底知れねえ! 異世界で一度魔王を倒して帰還した俺をも凌いでんじゃねーか? 生きた抑止力の二つ名は伊達じゃねーんだろ⁉ 俺を絶望的なまでに叩きのめしてみろ! 俺に生きてる実感を与えやがれ!」


「破滅志向のバトルジャンキーかよ。そういうのは漫画の中だけにしてくれよな」


 どうもこいつは、俺が目的のために邪魔だからというより、単に俺が強いから戦いたいだけのように思えるな。

 あまりにも強すぎるこいつにとって、ただの戦闘はもはや作業でしかないんだろう。

 そこに降って湧いたように現れた強者がこの俺だ。

 だから、この皇族勇者は俺のことを目の敵にする。

 凍崎の公約に基づいてこの国を世界最強国家にする上で俺が邪魔なのも事実だろうが、それ以上に俺と死闘を繰り広げること自体が目的のようにしか見えないんだよな。



《蔵式悠人のターン。コマンド?》



 「天の声」が再度俺に行動を促してくる。


「なら、俺の行動はこれしかないな」


 「逃げる」スキルレベル4、「その場から逃げる」。

 発動条件は、この場にいることに気まずさ以上の不安を覚えること。

 これはそんなに難しくない。

 そもそも、「地底の優しき魔王」とか呼ばれた時点で少なからず気まずかった。

 俺はそんなたいした人間じゃない。博愛主義者でもなければ篤志家でもない。この国の現状に異議を唱えたいわけでもなければ、革命を起こしたいわけでもない。

 それなのに、地上では俺に逮捕状が出て、ECRTだの皇族勇者だのが俺を親の仇のように追いかけてくる。

 いくら俺に力があるとはいえ、俺だって無敵じゃない。

 ついさっき、地上に出た時には、ロシアのスパイらしい人物に固有スキルによる攻撃を受け、そのまま寂しい老後に突入させられそうになった。

 芹香たちが俺を見捨てるはずがないと信じられたからその状況を疑うことができたが、今後国からマークされ続ければそれ以上に悲惨な未来を迎える可能性もないではない。

 ウスペンスキー以上に強力な固有スキルの持ち主だって、広い世の中にはいるだろう。未知の固有スキルで不意打ちを受けて、それを毎度毎度確実に跳ね除けられる保証はない。

 そもそもコミュ障で鳴らした俺が味方を集めてこの国を覆う「空気」と戦おうなんて、はっきり言って無謀以外の何物でもないからな。この国を支配するものが何かと問われ、とある思想家は「空気」と答えた。戦前の日本が無謀な戦争に突っ込んでいったのもそういう「空気」が醸成されてしまったからだ、と。戦争の末期に戦艦大和が戦術的にはありえない単独出撃を命じられ、米軍機の前になすすべもなく撃沈したのも、この「空気」のせいだったという説もある。戦後になってもこの国を支配する「空気」は変わらないどころか、SNSの登場でさらに強まった面すらあるらしい。凍崎の「作戦」によって、それがさらに酷くなった。日本人は遮眼帯をつけられた競争馬のように、自分の目的や利害以外が見えなくなっている⋯⋯。

 そこに、空気の読めない元ひきこもりの俺が、徒手空拳で挑むというのだ。

 このところ、不安で夜眠れないことがある。夜中に飛び起きることもある。「瞑想」という心を整えMPを回復させるスキルを覚えたおかげで、最近ようやくまともに眠れるようになってきた。だが、考えれば考えるほど不安の種が見つかって、不安は際限なく膨らんでいく……。

 考えるほどに、喉元が詰まり、胸がふさがるような気分になってくる。

 ま、こんくらいで十分だろ。



《蔵式悠人は逃げ出した!》



「あばよ、宮様」


 目の前にいる俺を見失って戸惑う勇人を尻目に、俺は青いポータルに悠々飛び込み、青いポータルをかき消した。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る