224 理由なき献身(4)
病棟の奥から現れたのは、野卑ながら不思議な品格を感じさせる、若い長身の男だった。
本人が自覚しているように、美男というのは間違いではない。
野生の肉食獣のような剽悍さを持つ男だが、その身にまとっているのは病院には場違いな衣装だった。
軍隊の礼服。
それも、戦前の帝国陸軍の礼服である。
腰に下げたサーベルを見て、私を説得しようとしていた彼女が青い顔でのけぞった。
男性性の権化のような服装で現れた男に、私は顔をしかめながら、
「まさか。私の役割はまだ終わってないわ」
「ふん、野暮用が済んだなら行くぞ」
男は一方的に言って私に背を向ける。
「野暮用ですって?」
「ああ、野暮用だな。これからあんたが果たすべき役割を考えろ。こんなところで、たった一人の子どもの余命を少しばかり延ばしたところで何になる? 今は国家有事の
「さすが、極右の皇族様の言うことは違うわね」
「あ? 俺が極右だって? そんなちんけなもんじゃねえよ。小を犠牲にして大を活かす。国を導くものとして当然の使命を果たそうとしてるだけだ」
「…………」
彼の言い分は正しかった。
今は、あの方の目指す理想郷を生み出すための絶好の機会なのだ。
病室にいるあの可哀想な少年の命など、これから成す仕事の前には霞んでしまう。
それをわかっていながらこの場に足を運んだ自分の心理は、私自身にもわからない。
彼の苦痛を一時的に取り除くことができたとしても、すぐに別の患部が発生し、少年の神経に耐え難い苦痛を再び与えることになるだろう。
少年の病気はやがて脳神経にも達し、死に至るというのが、主治医の見立てであり、私の見立てでもある。
生きているあいだ苦しみ続けるくらいなら、いっそ尊厳死を認めてあげるのが優しさなのではないか――そう思うことも正直あった。
少年が望むなら、私自身が手を下してもいいとすら思っている。
今の私は指名手配犯であり、今更余罪が増えたところで誤差のようなものだ。
仮に少年の病を治すことができたとしても、今度は別の問題が発生する。
少年は、ほどなくして男性になる。
男性の本能に埋め込まれた邪悪極まりない男性性に目覚め、女性を虐げるか、少なくともその予備軍になる。
そうした事態を防ぐために、私はすべての男性に放電装置付きの首輪をつけるべきだと主張している。
しかし、筆舌に尽くしがたい苦難を生き延びた少年の首にも、放電装置付きの首輪を装着するべきなのか?
そうするべきというのが私の持論だ。
私の最終目的は、首輪を付けることで男性による女性の支配を断ち切り、支配関係を逆転させ、男性を二級市民に落とし、最終的には根絶するこだ。
だが、そうだとしたら、これまで私の貴重な研究時間を少年のために割いてきた理由がわからない。
「ま、待ってください!」
いきなり声を上げたのは、少年の母親――私の大学時代の後輩だ。
「あなたは先輩に何をさせようとしてるんですか? 口ぶりからして、とてもまともなこととは思えません!」
「あん?」
これまで彼女を無視していた男が、190ほどもある長身の上から、彼女をじろりと睨めつける。
睥睨する、という言葉が合いそうな、圧倒的な上位者が圧倒的な下位者を見下ろす目だ。
「ひっ……」
「弱い奴はすっこんでろ。そういう『作戦』だろ?」
「さ、作戦?」
「俺は
「か、春河宮⁉」
春河宮勇人は、現天皇の弟宮のひとつである春河宮家の長男だ。
テレビの皇室報道で取り上げられる機会も多い。
一時期「蒸発」したという騒動があったが、数年後に「帰還」。
その頃には常識と化していたダンジョンに潜り、あっというまに国内トップの探索者として頭角を現した。
国内での活躍はもちろん、途上国のダンジョン災害に駆けつけ、フラッドを収めるようなこともやっている。
ついたあだ名が「皇族勇者」だが……ほとんどの人は知らない。
彼が「勇者」だということには、それだけではない第二の意味があるということを。
「殿下、だ。皇族の名前を口にするときはちゃんと尊称を付けやがれ。いつもは権力批判に余念のない左派メディアであっても、皇族報道にはちゃんと敬語を使ってんだぞ? 皇族を無条件に敬うのはこの国のコンセンサスになってんだよ。おまえはこの国の総意に逆らうっていうのか?」
威圧的に言う勇人に、彼女は顔色をなくし、その場に尻もちをつくようにへたり込む。
「も、もも……申し訳、ございません……そうとは知らず、ご無礼を……」
それはさながら、大名行列に出くわした江戸の農民のような態度だった。
気丈にも私をかばおうとした彼女が、いきなり腰砕けになったのには理由がある。
Info―――――
作戦「力こそすべて」
この作戦を設定された者は、攻撃力と魔力がS.Lv×30%上昇し、防御力と精神力がS.Lv×20%低下する。副次的効果として、自分より強い者には服従し、自分より弱い者を虐げる精神傾向が現れる。
―――――
日本国民の多く――正確には、先の総選挙の比例区で自政党、もしくは凍崎誠二に票を入れたすべての有権者には、現在あの方の固有スキル「作戦変更」によりいくつかの作戦が付与されている。
「作戦変更」の効果範囲は、「直接・間接に自分をリーダーと認めるあらゆる社会集団のメンバー」。
先の選挙の比例区で自政党に投票した有権者は、その後自政党が凍崎誠二を総裁に選んだことで、間接的に凍崎誠二をリーダーとして認めた、とシステムによってみなされたのだ。
あの方は、その後の演説を通して、国民全体に「作戦変更」を発動した。
効果が発揮される範囲は、あくまでも「比例区で自政党に投票したか、比例区で凍崎誠二に一票を入れた有権者」ではあるものの、先の選挙は自政党の歴史的な大勝に終わっている。
そのため、有権者の過半数に「作戦」が付与されることになったのだ。
その中のひとつ「力こそすべて」の副次的効果により、この作戦を付与されたものは、強者や権威といった自分より上位の存在に対する服従的な傾向が強化される。
この服従心は、本人の中に元からなかったもの――ではない。
多かれ少なかれ、どんな人間にも、自分より強そうな相手に思わず従ってしまったり、権威ある者(政治家や経営者、医師、警察官、役人、各分野の専門家、学校の教師、会社の上司など)の言うことを頭から信じがちだったりする傾向はあるものだ。
あの方の作戦は、そうした持ち前の服従心を増幅したにすぎない。
だが、ただでさえ権威に弱いと言われがちな日本人にこの作戦をかければどうなるか?
それが、今目の前で起きたことである。
春河宮勇人は、体格に恵まれた若い男性であり、暴力を厭わないたちであるという剣呑さを漂わせた男だ。
つまり、生身の女性にとって肉体的に強く、逆らえば危険だと思わせる存在である。
と同時に、皇族であるという権威性を見せつけ、探索者として国内最強であるという事実をあからさまに示すことで、社会的な地位としても、探索者としての実力の上でも、他者を圧倒していると誇示したのだ。
結果、彼女の「服従」を引き出した。
「彼女は関係ないでしょう」
後輩を追い込んだ野蛮な男に怒りを覚えながら、私はへたり込んだ彼女をそっとかばう。
私はもちろん自政党には投票していない。
あの方には投票する予定だったが、海ほたるの一件で投票所に足を運ぶ時間がなかったのだ。
「彼女もまた、あなたの守るべき『皇民』ではないの? 民を脅して自分の意を通そうとすることは、あなたの『ノブレス・オブリージュ』に反しないのかしら?」
「……ちっ、わかったよ。おまえが来るっていうんならそれでいい」
「せ、先輩……」
「大丈夫。あの子のことも含めて、みんなが幸せになれる楽園は必ず到来するわ。私はそのために動いている」
「ら、楽園って」
「あの方は、すべての欲望を受け入れてくださる。私はあの方によって救われた。あの方がいなければ、今私は世の中への怒りに取り憑かれたただの復讐者になっていた。これまでにやってきた有益な仕事もできなかったでしょう」
「おいおい、あんたは紛れもなく世の中への怒りに取り憑かれた復讐者だろ?」
「私は怒りを、研究と女性の自立に向けた活動へと昇華させた。男児会の救いがたい馬鹿どもが疑っていたような、無差別なテロ攻撃を目論んだりはしなかった」
「へっ、世間から見りゃ大同小異だと思うがな」
「世間の理解なんて求めていないわ」
「ま、俺はべつにどっちでもいい。あんたが我らが宰相閣下の命令どおりに動き、俺らの目的を達してくれればそれでいいんだ」
「それなら無駄口を叩いてないで早く行きましょう」
「先輩……あなたは……」
「私は問題を解決したいだけ。問題の解決は、私のような天才に生まれたものの義務だから」
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