225 固着の回廊(1)

 後味悪く病院を後にした私は、いけすかない皇族勇者とともに奥多摩湖ダンジョンへとやってきた。


「ヌルすぎてあくびが出らぁ!」


 国内レベルランキング1位の勇者にとって、今ではただのAランクダンジョンにすぎない奥多摩湖ダンジョンはなんの脅威にもならないのだろう。

 春河宮勇人と私だけという即席の二人パーティであっても、モンスターはただの目障りな障害物でしかなかった。


 ……私がいなくても同じでしょうね。


 勇人一人であったとしても問題ない。

 実際、道中での戦闘に私はまったく手を出していない。

 もっとも、勇人ではなく私一人であったとしても、得られる結果に大差はなかっただろう。


 とはいえ、戦い慣れているという意味ではこの皇族の方がはるかに上だ。


 自分の体内に生み出したダンジョンで自動レベルアップができる私は、あえてモンスターと戦う意味がない。

 ダンジョンの探索にもモンスターとの戦闘にも興味がない。


 ダンジョンがもたらした今の世界のシステムは、野蛮な男性の抱く幼稚な英雄願望を満たすことを主眼に置いているとしか思えない。

 人類は、その歴史が始まる前から、侵略と略奪を繰り返してきた。

 現代においては、そうおいそれとそのような蛮行に走ることはできないが、ダンジョンの中でなら、その原始的な快楽を存分に満たすことができるというわけだ。

 負け組男性の自己実現願望の代償的な捌け口として設計された、ある種のテレビゲームに通底するシステムであり、言うまでもなく唾棄すべき対象だ。


 そんなシステムに踊らされ、モンスターと命懸けの戦いに勤しむ趣味は、私にはない。


 が、目の前の皇族勇者はそうではないらしい。


 暴れる、暴れる、暴れる。


 遥かに格下のはずの相手にあえて隙を晒すような戦い方は、一見合理性とは無縁に思える。


 だが、不合理なエネルギーの発散としか思えない戦い方の中に、戦いに勝つための冷徹に計算された合理性が垣間見えることがある。

 そんな時に限って、「ちっ、つまんねえな」などと毒づき、あえて破滅的な方へ身を投げ出す。

 とはいえ、Aランクダンジョンのモンスターに、勇人に破滅をもたらすだけの力はない。

 勇人は落胆とともに剣をふるい、サハギンの身体を、構えたもりごと両断する。


「おっ、ようやく到着だな」


 ダンジョンを圧倒的な敏捷で駆ける勇人に、同じく私も敏捷にものを言わせてついてきた。

 驚くべきことに、勇人の敏捷は私よりも高いらしい。レベルが22万を超える私よりも高いのだ。

 だが、勇人は戦いのたびに足を止めるので、私が追いつけなくなるほどではなかった。


「よくついてこれたもんだな。あんたがクソみたいなリベラルじゃなかったらパーティに誘ってもよかったんだが」


「私の方がお断りよ」


「へっ、そりゃそうだわな」


 私の敵意すら滲んだ拒絶を受けても、勇人に気にしたそぶりはない。


「ボスはミズチだったか? ……お? ありゃシークレットダンジョンボスなんじゃないか? 『鑑定』――ほう、ヤマタノオロチパピーだとよ! これはおもしれえ!」


 ボス部屋にいたのは、事前情報にあったミズチではなかった。

 代わりに、五本もの長い首を持った、ビルほどもあるこけ色の多頭龍が一体いる。

 幼体パピーと名前に付いているようだが、既に十分な迫力だ。


 それを見た勇人は、自分の肩のあたり、虚空に向かって話しかける。


「よう、スサノオ! あいつはあんたの宿敵じゃなかったか?」


『あんな紛い物と一緒にするな。俺が倒したのは山ほどもある巨体の成体だ』


 声とともに、虚空に人影が現れた。

 伸ばした髪を古代風の角髪みずらに結い、粗末な貫頭衣を身にまとった若い男だ。

 勇人と同じほどに背が高いが、引き締まった肉食獣のような身体つきの勇人とは異なり、全身が盛り上がった筋肉に覆われている。

 その筋肉の付き方は、明らかに異常だ。

 筋肉が異常に発達するような、なんらかの遺伝的な素質を持っているのだろう。

 角張った顔つき、無精髭の目立つ四角い顎、太い眉という、いかにもテストステロンの分泌量が多そうないかつい男で、無骨な武人という印象を受ける。

 あえて一言で表現するなら、益荒男ますらお、だろうか。


 今挙げた特徴だけでも十分異様な風体と言えるだろうが、男を決定的に異様にしているのは別の要素だ。

 男は、宙に浮いていた。

 勇人の肩の後ろに、さながら背後霊のように浮いているのだ。

 その身体は半分透け、奥にはボス部屋に控えるヤマタノオロチの幼体が見える。


「所詮Aランクダンジョンだもんな。さすがに『本物』は出てこねえか」


『本物の八岐大蛇が今のこの世に顕現したら酷いことになるぞ? あれを倒せる現代人などそうはおるまい』


「俺がいるだろうが」


『おまえは例外だ、勇人。ああ、もう一人例外がいたな。「漠然たる神」のお気に入りの男だ。正確には、あの男の使役した幻竜だが……』


「噂の召喚師、蔵式悠人か。あいつは神をも喰えるような次元に達してるって言うのか?」


『さて、な。それよりさっさとあれを片付けたらどうだ? 正直言って不快なのだ。ダンジョン如きに我が神話の宿敵を模倣されるというのは、な』


「なら、あんたがやるか?」


『ふん、その価値もないわ』


 と言って、男は姿を消した。

 その男の自称が、あるいは勇人による呼称が正しいのなら、あれは日本神話にある素戔嗚命スサノオノミコトだということになる。

 ただのペテンか、ダンジョンによる模倣か、それとも本物なのか。


 ……あの方が信じている以上、本物なのでしょうね。


 あの方が仕掛けたこの国の言論の分裂は、この国の民心を分裂させ、それによってこの国に顕現していた「漠然たる神」の力を削ぐためのものだったと聞いている。


 「漠然たる神」というのは、ダンジョン内部に時折出現するという謎の神社の祭神、らしい。

 あの方の解説によれば、信仰を失い滅びつつあったこの国の神が、ダンジョンという異物の出現によって再度その輪郭を取り戻したものだという。


 あの方のバックグラウンドは、霊能者としての能力だ。

 この国に顕れた神の存在を、あの方は早くから察知していたらしい。


 だが、「漠然たる神」の存在は、あの方にとっては不都合だった。


 限られた権能しか持たない中途半端な存在に信仰が集まったところで、できることなどたかが知れている。

 そのくせ、信仰の対象が現れれば、民心はそれなりに落ち着くだろう。

 そして、民心が落ち着いてしまえば、あの方の用意する「解決」を望む声は鈍くなる。

 人々の秘められた願いをすべて叶えたいと望むあの方にとって、「漠然たる神」は妥協的な解決にしかなりえない存在なのだ。


 だから、あの方は、神の力を削ぐことにした。

 もちろんそれは言うほど簡単なことではなかったが、一定の成果は得ることができた。


 その一つが、今勇人が呼び出してみせたような、「個別の神」の登場だ。

 人々の漠然とした想像や期待をベースにした「漠然たる神」に対し、「個別の神」は、一柱ひとはしら一柱を名前によって識別できる、人格を持った神である。

 その人格の形成にあたっては、この国に古代から存在する神話がガイドの役割を果たしたらしい。


 「個別の神」の登場によって、この国の神としての「漠然たる神」の力は削がれたという。

 同時に、「個別の神」は、信仰の対象というよりも探索者に使役される召喚獣のような存在として、(あの方の言うところの)「この狂った現代」に定着した。


 ……蔵式悠人も「個別の神」を使役していた。


 勇人がスサノオを呼び出すのに使っているのと同じ力を、蔵式悠人も持っているということか?

 勇人がスサノオの顕現に使っている力はこの世界のスキルではないという話だが……。

 あのいけすかない黒天狗、ドラゴンを召喚しミサイルを迎撃させたという召喚師は、異世界帰りを標榜するこの皇族勇者に匹敵するような力を持っているとでもいうのだろうか?


「んじゃ、片付けてくるわ」


 勇人は、肩に手を当て腕を回しながら、気負うことなくボス部屋に入っていく。

 私もそれに続く。

 勇人と共に戦うつもりはないし、備えるべき万が一があるとも思えない。

 ただ単に、ボス部屋の前にいてもしかたがないから移動しただけだ。


 私がボス部屋に足を踏み入れるのとほとんど同時に、ヤマタノオロチの幼体の首が五本まとめてちぎれ飛ぶ。

 もちろん、勇人の仕業だ。

 私の敏捷ですら目で追いきれないほどの速さで、勇人はダンジョンボスを解体した。

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