217 胎動

『さて諸君。私は先ほど「この国の抱える問題をすべて解決する準備がある」と言った』


 水を飲みきった凍崎が、少し気配を緩めてそう言った。

 舞台の袖の側に片手を差し伸べて、


『まずは、紹介しよう。こちらへどうぞ、ハルカフィア姫』


 会見場がざわついた。

 舞台の脇から現れ、凍崎の立つ演壇の隣に立ったのは――エルフの美女。


「なっ……!?」


「嘘っ……!」


 俺と芹香が固まった。


 それは、俺もよく知るはるかさんだった。

 元々病弱なはるかさんとしては血色がよく見えるが、無表情に目を伏せてる。

 格好は、いつもの巫女服ではなく、いかにもエルフらしく見えるような探索者用のアイテムだ。


 どうして……はるかさんがそこに!?


『にわかには信じられないかもしれない。彼女は、異世界からの客人だ。崩壊したダンジョンに発生したゲートを通り、この世界へとやってきたエルフの女性だ。この世界に紛れて暮らしていたのを、政府が保護したところである』


「ほ、保護って……」


 そこで、俺のスマホに着信があった。

 着信元は――ほのかちゃんだ。


「ほのかちゃん!」


 俺は着信に出ながらスピーカーをオンに。


『悠人さん! ようやく電話できました……! お、お母様が、お母様が……!』


「落ち着いてくれ、ほのかちゃん。一体何があったんだ?」


『き、今日、突然神社のほうに、入管庁の職員を名乗る男の人たちがやってきて……お母様を連れ去ってしまったんです!』


「入管だって……!?」


 そりゃ、法律を額面通りに捉えれば、はるかさんは不法滞在者ってことになるだろう。

 だが、このタイミングで?


「ほのかちゃんは無事なのか?」


『わ、私も児童相談所に連れて行かれて、外と連絡が取れなくて……ようやく隙を見てスマホを取り返し、相談所から逃げて、外から電話をしてるんです』


 ほのかちゃんの置かれてる状況は、俺が想像してたよりずっと悪い。

 はるかさんを入管に引っ張るとともに、未成年者であるほのかちゃんを児童相談所に連れて行った。

 ほのかちゃんからスマホを取り上げたのは、俺に連絡を取らせないためか。


「芹香! 俺はほのかちゃんのところに行く!」


「わ、わかったけど……そのあとどうするつもり?」


「そ、それは……」


 不法滞在の外国人が、親子別々に収容され、裁判になったというニュースがあったと思う。

 国際的には不法滞在者を収容する際にも家族を引き離すことがないよう配慮するのが常識だと、コメンテーターの弁護士が解説してた。

 そう解説してたってことは、今の日本では世界の「常識」通りにはなってないってことなんだろう。


 はるかさんは入管施設に収容され、ほのかちゃんは児相に「保護」された。

 身寄りのない未成年者を児童相談所が保護すること自体は間違ってない。

 今俺がほのかちゃんと会って住む場所を与えたとしても、それが「保護」と見なされるかはかなり疑問だ。

 法律を盾に児相に渡せと言われれば、俺に逆らうことはできなくなる。


「それでも……放っておけるかよ!」


 飛び出そうとする俺に、


「不法滞在の問題に詳しい弁護士を早急に手配します。それまでは誰にも見つからないように隠れてください。未成年の女の子と一緒にいるところを見られるのもマズいです」


「わかった、助かる、灰谷さん!」





 †


 凍崎の演説は続く。

 俺はほのかちゃんとやりとりをしながら動画投稿サイトで凍崎の演説をフォローする。


『異世界というものが存在することは、これでご理解いただけたかと思います』


 乗り込んだ山手線の車中では、ほとんどの乗客がスマホを横に持って食い入るように画面を見てる。

 見てなかった人も、周りの異様な様子に驚いてスマホを開く。


『先日のダンジョン崩壊は、我が国にとって存亡の危機でした。アメリカ、中国、ロシアが共謀して我が国に核を撃ち込もうとしていたことは皆さんも御存知のとおりです』


『しかし、結果として、我が国はダンジョン崩壊から貴重な恵みを得ることもできました。ダンジョンの崩壊は、先ほど紹介した<召喚師>=<黒天狗>により食い止められた。だが、一度崩壊した奥多摩湖ダンジョンの最深部は、未だに不安定な状態が続いています。危険はありませんが、なんらかの刺激があれば再び「穴」を開くことができる状態でした』


 ……穴は完全に塞がったわけじゃなかったのかよ。

 それとも、神様の力が削がれたせいか?


『私は、国内レベルランキング1位、春河宮かすがのみや勇人ゆうと殿下のご協力により、奥多摩湖ダンジョンの最深部に異世界へと通じる回廊を固定することに成功しました』


 レベラン1位の皇族か。

 しかし、どうやって?


『私はその回廊から現地に赴き、エルフの王クローヴィスと接触。彼とのあいだに協力関係を結びました。』


 それは時系列がおかしいだろ。

 ダンジョン崩壊以前から凍崎はクローヴィスと接触してたはず。

 というかダンジョン崩壊の主犯はクローヴィスなんだから、その後に「現地」でクローヴィスと接触というのは矛盾してる。

 死人と接触することはできないからな。


『日本から異世界へは、日本の誇る優れた科学技術やその産物を。異世界から日本へは――を。それぞれの足りないものを交換する互恵関係を結ぶことにしたのです』


 そこで、一駅の間隔が短い山手線が次の駅に停車する。

 スマホを食い入るように見ながらホームで待っていた人たちが、ろくに周りも確かめずに車両に乗り込む。

 その一人の手からスマホが落ちた。

 近くにスマホが転がってきた乗客は、他人のスマホになど見向きもせず、自分のスマホに釘づけだ。


『日本にやってきた異世界出身者には、原則として日本人探索者のパーティメンバーになってもらいます。日本の青年たちがリーダーとなり、彼らを導く役割を担うのです』


 日本人がリーダーとなるパーティに、メンバーとして異世界人を加える、と。


 電車の中吊りになってる週刊誌の広告には、「屈辱の核攻撃容認」の文字がでかでかと踊ってる。

 その端の方に小さく「外国人技能実習生【奴隷労働】は改善されたのか?」の見出しが見えた。


『というと、これまでの海外からの労働者と何が違うのかと言われるかも知れません。しかし、そこには大きな違いがある』


 と言って、凍崎は演壇の陰からごつい首輪のようなものを取り出した。

 俺には見覚えのあるものだ。


『これは、「自由契約の首輪」と呼ばれるアイテムです』


 大和が男児会の探索者を騙して装備させたあのアイテム。

 ずいぶん数を用意したものだと思ったが、俺が想像してた以上に数があったということか。


『既に、異世界のエルフの王クローヴィスの協力を得、現地に工場を建設。エルフの魔術師やドワーフの職人を雇い、このアイテムを量産しています』


「アイテムを量産……!?」


 そもそも、ダンジョン産のアイテムは、ダンジョンにしか造れない。

 いくら日本の先端技術を使っても、物理的な特性とは関係ない効果を持つアイテムを生産することは不可能だ。

 コピーはもちろん、改造することも不可能と聞いている。


 だがそれよりも、この首輪を凍崎がこの場で持ち出してきた意味が問題だ。


『この首輪をはめた異世界人は、自らの取り交わした雇用主との契約を破ることができなくなります。契約の中に日本国の法律を遵守するという条項を含めれば、彼らが治安を乱すおそれはなくなります。ましてや反乱を起こすなど絶対にありえません』


 首輪の効果が以前鑑定した通りのものなら、そうだろう。


『現地の工場には、日本の優れた先端技術を導入しています。今はまだ首輪の製造のみですが、いずれは、魔法と科学を融合させた次世代技術で、現地の国情に合わせた製品を開発・販売していく計画です。既に、これらの企業の協力が内定しています』


 会見場のスクリーンに、企業のロゴがずらりと並ぶ。

 誰もが知ってるような有名企業のロゴばかりだ。

 会見場の記者たちがどよめくのがわかった。


『この工場の建設によって、現地で雇用を生み出すとともに、現地のさまざまな社会問題を解決し、経済の発展を促します。魔法が発達した世界ではありますが、その分科学技術はこの世界よりも発展が遅れています。また、日本にはこの世界で途上国の発展に尽くしてきた長年の貴重な経験があります。日本の協力は現地にとっても大歓迎のものなのです』


 おお、と乗客の誰かが声を上げた。


『これまで日本が頑なに移民を拒んできたのは、文化も宗教も教育も違う外国人を移民として受け入れるのに抵抗があったから……ではないでしょうか? この国の治安を乱すかもしれない「余所者よそもの」を、移民として受け入れるのはなんとなく怖い。これが、身も蓋もなく表現した、日本人の移民忌避感情の正体です』


 移民の受け入れは必ずしも犯罪率の増加につながらない、という話を聞いた覚えがある。

 だが、それでも日本人が「移民」という言葉に過敏に反応するのは事実だろう。

 だからこそ、歴代の政権は、移民という言葉を避けてきた。

 その一方で誤魔化しのような名目と厳しい制限を付けながら、事実上の労働者の受け入れを進めてきた。


 彼らが相当に劣悪な労働条件と最低賃金をはるかに下回る給料で働かされてることは有名だな。

 そんな過酷な状況に耐えかねて逃げ出した人もいれば、犯罪に走った人もいる。

 雇い主を殺して自殺した人もいたと思う。


『しかし、今回我々が受け入れる異世界人には、「自由契約の首輪」の着用を義務付けます。彼らは雇い主である日本人に逆らうことができません。逆らうこともなければ、逃亡することもない。犯罪に走ることもありません。それどころか、あなたの命令を嬉々として受け入れます。「自由契約の首輪」には、「雇い主を尊敬し、この国の文化を愛すること」という条項が組み込まれていますから』


 おいおい……という声が電車内で聞こえた。

 何がおいおいなのかはわからない。

 おいおいそれはまずいんじゃねえの? なのか、おいおいそれはいいアイデアだな なのか。

 興奮気味の口調からするとたぶん後者だな。


『探索者の皆さんに訊いてみたい。見目麗しく理知的なエルフや、愛くるしく情の深い女性獣人と、パーティを組みたくはありませんか? 知的で気配りのできるダークエルフの男性や、たくましく野趣のある男性獣人、あるいはいつまでも若いドワーフの美少年と共にダンジョン探索をしたくはありませんか? 何も心配することはない。我らと彼らはWinWinの関係なのだから』


 「エルフだって?」「今映ってる美人さんもエルフってこと?」「気配りのできる男性かぁ」「ショタドワーフ……じゅるり」

 複数人でスマホを見てるいくつかのグループからそんな声が漏れてきた。

 周りには聴こえない声だが、俺には「聴覚強化」があるからな。


『私の計画では、労働人口一人当たり三人の異世界ワーカーをこの国に招く予定です』


 労働人口ってどれくらいだっけ?

 全人口の半数くらいなら6000万ってとこか?

 だとすると異世界ワーカーは…………1億8000万人もか!?


『そして五年以内に、異世界からの移住者を含めた日本の総人口を三億にしたい。ロシア、ブラジル、インドネシア等を抜き、日本は世界人口ランキングで四位になるだろう。さらに、十年後には総人口四億五千万人突破を目指す。日本は人口面でアメリカを追い抜き、インド、中国に次ぐ世界第三位の人口大国となる』


 とんでもない推算が出てきたな……。

 だが、車内の空気は興奮の度を増している。


 この先、少子高齢化が進み、日本の人口は減っていく。

 日本は縮み、長寿化する高齢者への福祉で若者たちは押しつぶされる。


 そんな暗い未来予測をガキの頃からあきらめとともに受け入れてきたのが今の日本の若者だ。

 そんな彼ら(年代的には俺も含む)にとって、「日本の人口を増やす」「世界三位の人口を目指す」とぶちあげる政治家は新鮮なのだ。


『私は常々言ってきた。日本人は人を使うことを覚えなければならない、と』


 凍崎はトーンを落とし、話の矛先をわずかに変える。


『若い日本人の数は限られている。国全体の労働力を維持するには、若者にはリーダーになってもらわなくては』


 リーダー、と言われ、気合いが入った顔をする乗客もいれば、不安そうにする乗客もいた。


『現在の日本では、実入りのいい「席」には先客がいる。時代に合わせるでもなく、能力を磨くでもなく、ただ自分の「席」を守ることにばかりエネルギーを割く「老害」がいる。彼らは定年を迎えてもなんのかんのと理屈をつけては肩書きにしがみつき、後進に道を譲ることもなければ、自らの手で後進を育てる意欲もない。いや、後進を育てる能力すらもないのだろう。このような環境で、若者がリーダーシップを身につけるのは難しい。私には、若者たちの不安もよくわかる』


 凍崎は「リーダー」という言葉に尻込みする層に抜け目なくフォローを入れる。


『リーダーシップというものは、結局のところ、走りながら自分の身で覚えていくしかないものだ。そのためにも、若者をリーダーにすることが必要なのだ。

 若い日本人が多くの異世界人を使えるようになれば、高齢者の年金も安心だ。貧しい世帯、生活保護を受けている世帯への社会福祉も手厚くできる』


 さっき「老害」とくさした層も、年金を餌にすることで黙らせる。


『人の使い方は私が教える。人を使うことに関しては一家言があるつもりだ』


 さすがにこれには失笑が漏れた。

 だが、電車内で失笑したのは俺だけだった。


『もちろん、相手との合意があれば、結婚相手とするのもいいだろう。見目麗しいエルフや獣人との混血であれば、純血主義の日本人にも受け入れやすいのではないかね』


 女自会あたりがブチギレそうな言葉すら、人々の意識の隙間に滑り込む。


『社会が発達し、教育が高度化するほどに、人口の増加率は低落する。女性がより良い教育を受ければ、おのずと相手の男性にも多くを求めるようになる。

 一方で、これまで給与の高い職を独占してきた男性はその地位を追われ、女性の理想に応えられなくなっていく。

 どちらが悪いのでもない。それだけ社会が高度に発達したということなのだ。われわれはそのことを胸を張って認めるべきだ。その上で、現実的な解決策を探すしかない』


 揺れる電車の中で、人々は固唾を呑んでスマホに見入る。

 揺れてるのは電車か、それとも人か。


『インターネットが普及した現代において、異性に理想を追い出したらきりがない。

 自分が現実的に結婚できる異性は、ほとんどの場合において、自分の理想とする異性ではないだろう。

 映画やドラマの俳優・女優を見てため息をついたことは?

 その後、寝室にいるパートナーの顔を見て、見劣りすると思ったことは?

 パートナー選びには、必ず妥協が必要だ。

 だが、妥協したところで、結婚生活から何が得られる?

 男性は、かつてのように女性が身の回りの世話を焼いてくれることは期待できない。家長として家の中に君臨し、妻子にあれこれと指図する優越感も得られない。

 女性は、かつてのように男性が家族をまとめて養えるだけの安定的な収入を稼いでくれることを期待できない。夫の出世に伴って社会の上層に食い込み贅沢な暮らしを送れるようになることもない。

 かつてのようにマイホームと自家用車を持つこともできなければ、かつてのように複数の子どもに満足な教育を受けさせることもできない。子どもが将来割りのいい職業に就くために必要な先行投資は、年々膨らんでいくばかりでキリがない。おまけに、老後に備えて自己責任で投資をせよとまで言われる始末。

 これでは、結婚しろというほうが無責任だ。

 私は若者たちが結婚しないのには無理からぬ理由があると考える』


 涙を浮かべて、激しくうなずく男性乗客がいた。

 三十くらいの、あまりぱっとしない顔のサラリーマンだ。


 つり革に掴まって、「俺は十分稼いでるよな?」「家事はしないけどね」と囁き合ってるスーツ姿の男女もいる。

 そのカップルを憎々しげに睨んで舌打ちを漏らしたのは、夫婦の正面に座ってる作業服の男だ。


『こんな世界はもううんざりだ――そう思っているものも多いだろう。

 だから・・・、私が異世界から理想の異性を十分な数だけ連れてこよう。

 男も女も、もう結婚相手に妥協する必要はない。

 いつまでも老いることのない魅力的なエルフやダークエルフを。

 愛らしい、あるいはたくましい獣人を。

 あなたを尊敬し、心からかしずくパートナーを連れてこよう。

 一度しかない人生なのだ、理想の伴侶を求めて何が悪い?

 日本人には欲がなさすぎる。欲がなければ経済にも弾みがつかぬ。

 そして、欲の中でも、三大欲求――とくに性欲の力は絶大だ。

 これは下世話な話ではけっしてない。天下国家の話なのだ。

 われわれには子どもが足りない。子どもを増やすには、若い男女の性欲を刺激せねばならぬ。理屈や計算では子どもは生まれぬのだ』


 「マジかよ」「引くわ……」「でもわかる」「エルフってことは美形なんでしょ」「気持ち悪っ、モテない奴の僻みじゃん」「しっ、聞こえたら大変だよ」「エルフ嫁クルー?」「おいおい日本始まったんじゃね?」……


『男も女も、かつてほど異性からの魅力を優先しなくなった。男らしさ、女らしさなどという言葉はもはや死語だ。

 だが、私はそれを否定しない。正当な進化だ。誰もが、自分の性を気にせず自由に生きられる。すばらしいことだ。

 問題は、人間が進化するほどに原始的な欲求が薄れていくということだ。

 政治的に完璧に正しい形で性欲を持つなどということができるだろうか? 男であれ女であれ、性には少なからず不適切で公言がはばかられる秘密の衝動が含まれているものだろう。本能に逆らえば、それだけ子どもの数が減る。単純なことではないかね?』


 人々のささやき、つぶやき、興奮の声、うめき、叫び、奇声、そういったものが混じり合い、「聴覚強化」でブレンドされてノイズになる。


 凍崎は、大きく息を吸い込むと、またしてもあのセリフを口にした。


この狂った現代・・・・・・・において! 人口は最大にして唯一の問題だ。なぜこの問題を国民も政治家も軽視しているのか理解に苦しむ。いくらAIが発達しても、ダンジョン探索はAIには不可能だ。『天の声』はAIを探索者とは認めない。探索者は必ず人なのだ。だから、探索者の絶対数こそが、その国の国力、経済力……ひいては軍事力にも直結する。人が減ればこの国は詰む。なぜこんな単純なことが見過ごされてきたのか?』


 一転、画面の中の凍崎が、二の腕を抱えて震えてみせる。


『私は今でも空恐ろしい気持ちがする。ダンジョンなどというわけのわからないものが突如として世界にあふれるなど……。しかも、それを誰一人として疑問に思わず、新たな日常として受け入れてしまった。未だにこれは夢なのではないか、あるいは、私は正気を失ったのではないか、そう思えてならないことがある』


 それは――俺とまったく同じ感覚だった。


 そうか……凍崎は俺と同じ。


 凍崎は、この世界が「狂った」ことを知っている……!


『だが、だからこそわかることもある。ダンジョン以前と以後では、世界が違うということだ。世界のルールは根底から覆った。にもかかわらず、ダンジョン以前に造られたふるい制度が、ただそれが常識だからというだけで手つかずのまま放置されている。しかし、旧制度の慣性も、ダンジョン以後の時間が長くなるにつれて失われつつある。今後数年で、地球上のあらゆる国家の制度が変わるだろう。そして、新制度を他国に先駆けて構築した国が、新世界の覇権国家となるはずだ』


 凍崎が右の拳を左頬の下でぐっと握る。

 その拳を開きながら、右腕を外へと振り払う。


アンシャン制度レジームからの脱却! それこそ、今われらがなすべきことなのだ! 新世界の覇権国家がアメリカである保証はない! アメリカはダンジョン資源が乏しいからだ! 覇権の行く先次第ではわが国は存亡の危機に立たされる! 手をこまねいていては、隣国の隷属国にされかねんぞ! その前に手を打たねば! そのためのダンジョン、そのためのゲート、そのための移民、そのための探索者だ!』


 凍崎は、今度は左の拳を握り締める。


『日本国民よ、立ち上がれ! これ以上安眠を貪るな! 理解し合えない者を放置してはならない! 理解し合えない者との関係は、支配するか支配されるかのいずれかだ! 人に支配されたくなければ、先んじて人を支配せよ! 人を使え! 人を従えろ! おのれの欲望を解放し、恥じらうことなく全力でそれを掴み取れ! 政治も、経済も、企業も、社会も、学校も、家庭すら! すべての本質は権力闘争だ! 闘え、日本人たちよ! その苦闘が社会に活力を生み、われらの未来を輝かしいものに変えるのだ!』


 そして、最後の言葉が放たれた。


『私はここに、日本国民の「作戦変更」を宣言する! 「俺に従え」、「力こそすべて」だ、生き残るためには「手段を選ぶな」、そして、掴んだ果実からは「最後の一滴まで搾り取れ」!』


 駅への到着のアナウンスが聞こえた。

 目的駅で降りそびれそうになった俺は慌てて降りる。


 ホームに並ぶ乗客たちは、一人残らずスマホを見ていた。

 ホームに着いた車両に乗り込む様子もない。

 ただ憑かれたようにスマホを見てる。


 静かに涙を貯めてるものがいた。

 興奮に顔を赤くしてるものがいた。

 ぶるぶると身を震わせてるものがいた。


 ホームで誰かが叫び声を上げる。


 う・お・お・お・お・お――!!!


 それが呼び水になったかのように、ホームと車両のあちこちで叫び声が上がった。


 その音圧でホームのプラスチックの看板がびりびりと震え、ホームに横付けされた山手線の車体がぐらぐらと揺れた。


 定刻になっても、山手線は動き出さなかった。

 駅員のアナウンスもなかった。

 車両の電子案内音声だけが、戸惑ったように出発の案内を繰り返していた。


 俺も含めて、たっぷり十数分は、あらゆるものが揺れ続けた。


 胎動だ、と俺は思った。


 俺が確かなものだと信じて疑わなかった現実が、底から壊れた。


 そして、底の抜けた穴を産道にして、新しいグロテスクな現実が、奇妙な産声を上げながら地上に這い出そうとしているのだ――















―『ハズレスキル「逃げる」で俺は極限低レベルのまま最強を目指す』第五章「分断」完―


―――――

というわけで、『ハズレスキル「逃げる」で俺は極限低レベルのまま最強を目指す』第五章「分断」は今回で完結となります。

もちろん話はまだまだ続きますのでご安心を。

書籍化作業と六章書き溜め、別作品の執筆等、執筆時間が逼迫しているため、ちょっと時間をいただいてからの再開となるかもしれません。

どうぞブックマークはそのままでお待ちいただけますと有り難いです。


そして、本日9/2は書籍版第二巻の発売ともなってます。

コミックスに比べるとどうしても売上が厳しいという事情もあり、皆様の一冊一冊のご購入がシリーズが継続できるか否かを分けることになりそうです。


連載をお読みの方は二巻から入ることもできる作りになってます。

もちろん、これを機に一巻から通しで読んでやるぜ!と言ってくれる人がいたら嬉しくて泣きます。

二巻は書き下ろし短編もありますので、リアル書店、ネット書店でお見かけの際にはぜひお手にとってみてください。


いいね、☆、レビュー、ブックマーク、感想、ツイート等、ご応援いつも大変励みになっております。

この場を借りて改めて心よりお礼申し上げますm(_ _)m


ここまでのご愛読・ご応援、誠にありがとうございました。

それでは、書籍or第六章or別の作品にてお会いいたしましょう。

あ、コミックスも二巻まで出てますのでぜひ。


天宮暁でした。

@AkiraAmamiya

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