199 欺瞞
大和の問いかけに、神取は言葉を返さない。
「……おい!」
「うるさいわね」
「そういう約束のはずだ。凍崎先生はどこだ?」
「ハア? あなた馬鹿なの?」
「なんだと?」
「国政選挙でお忙しい先生が、こんなところに足を運ぶはずないでしょ」
「ふざけるな! そういう約束だったはずだ!」
言い争いを始めた二人を、動けないままの男児会の探索者たちが殺さんばかりの目で睨んでいる。
「約束ということなら、まずはあなたが誠意を見せるべきでしょう?」
「僕は約束を履行した」
「してないわ。そいつらを私に実験台として差し出せ――それが先生との約束の筈」
「だから、こうして連れてきた。あんたに渡された『自由契約の首輪』を付けさせた上で」
それは、疑う余地のない裏切りの言葉だった。
大和へ向かって、男児会の探索者たちから殺気が溢れる。
身動きが取れないだけに、殺気の「濃さ」はひときわだ。
「じゃあ、今から実験をするから手伝いなさい」
「ふざけるな! 僕の仕事はこいつらを引き渡すところまでのはずだ!」
「……怖いの?」
「なに?」
「仲間を騙して売る――そこまではできても、仲間だったモノを得体のしれない実験に使わせるのは見たくない……そういうことなんでしょう?」
「そんな……ことは、関係ない。大体、俺が先生と交わした約束にはそこまでの内容は含まれてない。そもそも、引き渡しの場に凍崎先生が立ち会う約束だったはずだ! これでは話が違うじゃないか!」
「フッ、フフ……」
神取は、白衣のポケットから出した片手で顔を半分押さえて低く笑う。
「じゃあ、どうするの? 先生が立ち会わないなら、その人の形をした
「そ、それは……」
「あなたはもう
「約束を……破るのか!?」
「約束は破るためにある――言葉にすると陳腐だけれど、真理よね。約束とは、人を縛ってこちらの利益に沿って行動させるためのもの。その目的を果たしたら、後は守るも破るも自由というわけ。人類の歴史を見ればわかるでしょう?」
「僕を騙したのか!?」
「あら、それは誤解だわ。先生は慈悲深いお方。先生はあなたにチャンスを与えるために、このような機会を設けてくださったのよ」
「……どういうことだ?」
「復讐、なのでしょう?」
神取の言葉に、大和がびくりと身を震わせた。
「……なんのことだ」
「惚けなくてもいいのよ。先生は最初からすべて知っていたのだから」
「何を……」
「あなたが先生に近づこうとしたのは、最愛の姉を痛めつけられた報復の機会を窺うため――その程度の魂胆を見抜けない先生だと思うの?」
神取のなぶるような台詞に大和が沈黙する。
……だんだん話が見えてきたな。
だが、俺の耳には二人の会話は半分も入ってこない。
今目にしてるものが信じがたいものだったからだ。
俺が何を見てるのかって?
もちろん、神取のステータスだ。
Status──────────────────
神取桐子
チューブワームマザールート
レベル 221309
HP 1,786,072/1,786,072
MP 5,774,834/5,774,834
攻撃力 1,993,581
防御力 2,004,981
魔 力 5,754,834
精神力 2,879,417
敏 捷 774,582
幸 運 665,027
・固有スキル
実験空間
・取得スキル
悪食 分裂1 自己再生1 スキルマクロ1 経験値共有1 SP共有1 スキル共有1 触手 水流放射 身体硬化 物理反射 魔法吸収
・装備
人魚のネックレス(幸運+1100。水中で呼吸ができる。水圧の変化に強くなり、潜水病にかからない。)
隠者のアミュレット(装備者に対してかけられたスキル「簡易鑑定」「鑑定」を無効化する。)
SP 89,487,762
────────────────────
Skill──────────────────
実験空間
指定した空間のあらゆるパラメータを任意に変更できる。ただし、変更できるのは自分が認識しているパラメータに限る。
能力値補正:
「実験空間」の所有者は、各能力値に以下の補正を常に受ける。
MP +100%
魔 力 +100%
敏 捷 -50%
幸 運 -50%
────────────────────
Skill──────────────────
対象を食べることで対象の特性を取り込むことができる。ステータスにない特性をも取り込める。自己の肉体・精神・ステータスと矛盾する特性を取り込んだ場合、自己の肉体・精神・ステータスの一部に変調を来たすことがある。
────────────────────
Skill──────────────────
スキルマクロ1
事前に設定した条件が満たされた時に、事前に設定した通りの手順でスキルを自動で実行する。同時に登録できるマクロはS.Lv個まで。
────────────────────
さらには、「詳細鑑定」により、現在神取の頭に響いてるであろう「天の声」を見ることもできた。
だが、これがステータス以上にゲテモノだ。
《Cランクダンジョン「神取桐子の右前腕
《Bランクダンジョン「神取桐子の左眼球硝子体ダンジョン」を、あなたの生み出したモンスター「法和大学教授神取桐子(ノーベル生理学賞最有力候補)が魔苔から培養したスライムマクロファージ(1260922)」が踏破しました!》
《Aランクダンジョン「神取桐子の背内側前頭前野ダンジョン」を、あなたの生み出したモンスター「法和大学教授神取桐子(ノーベル生理学賞最有力候補)が魔苔から培養したスライムマクロファージ(13869)」が踏破しました!》
《Cランクダンジョン「神取桐子の――》
こんな「天の声」が、途切れることなく続いてるんだ。
「天の声」をミュートする手段はないはずなので、神取の脳内はさぞや大変なことになってるだろう。
しかも、一部の「天の声」には続きがある。
具体的には、こんな感じだ。
《Cランクダンジョン「神取桐子の右前腕
《特殊条件の達成を確認。スキルセット「はじめてのおつかい」を獲得しました。》
Congratulations !!! ────────────
特殊条件達成:「自分の生み出したモンスターにソロでダンジョンを踏破させる」
報酬:スキルセット「はじめてのおつかい」
「はじめてのおつかい」を入手したことにより、モンスター及びモンスターの作成者はセットに含まれる以下のスキルを獲得します。
「経験値共有」
「SP共有」
「スキル共有」
────────────────────
「その条件は思いつかなかったな」
俺も、自分で生み出したモンスター(運命の三女神の名前を背負ったミニスライムたち)にダンジョンを踏破させればこの条件を満たせるだろう。
男児会の連中が400体撃破の特殊条件を仲間内の秘密にしてたのと同様に、神取もこの条件のことは秘密にしてるんだろうな。
まあ、教えたところで神取以外にこの条件を満たせる奴なんてそうはいないと思うんだが。
他の特殊条件と比べて変わってるのは、ボーナススキルがもらえるのが「モンスター及びモンスターの作成者」となってることだな。
だから、神取が生み出したスライムマクロファージが「ダンジョン」をクリアするたびに、個別に特殊条件が達成され、それが逐一神取にも告げられる。
つまり、最初に見た「踏破しました!」系のログの一部のあとに、「はじめてのおつかい」がくっついてるわけだ。
要するに、神取桐子の脳内では、今も「天の声」や特殊条件のファンファーレが、片時も絶えることなく鳴り響いてるってことになる。
「……よく正気でいられるな」
RPGのレベルアップ音がいかに気持ちいいと言っても、24時間絶えることなく脳内でこだまし続けたら、ノイローゼになるのは確実だ。
もうひとつ気になるのは、長ったらしい名前のついたスライムマクロファージのことだな。
このネーミングは一貫して「法和大学教授神取桐子(ノーベル生理学賞最有力候補)が魔苔から培養したスライムマクロファージ(XXXXXX)」となっている。
連番を振ってるあたり、「スキルマクロ」による自動的なネーミングなんだろう。
「ノーベル生理学賞最有力候補」という特大の釣り針は後回しにするとして、俺が引っかかったのは「魔苔から培養した」の部分だな。
「魔苔はDPの残り滓じゃなかったのか?」
そう思って神取のログを掘り返してみると……あった。
────────────────────
神取桐子の「スキルマクロ」が、登録マクロ1「魔苔培養」を実行した。
神取桐子はスキル「分裂」を使用した。
>判定:失敗
神取桐子の白血球の一つが分裂し、スライムマクロファージになった。
神取桐子はスライムマクロファージの名前を「法和大学教授神取桐子(ノーベル生理学賞最有力候補)が魔苔から培養したスライムマクロファージ(453869)」に変更した。
────────────────────
「魔苔から培養してねえじゃねーか!」
思わずつっこんでしまってから、俺は慌てて魔法で真空を生み出し、自分の声を吸収させる。
声が空気中を伝播するより早く真空の壁を生み出せたことに、自分でもちょっとドン引きした。
……いや、そんなことはどうでもいい。
神取のやってることを順を追って見てみよう。
まずは「分裂」。
このスキルは俺も持ってる。
もはや懐かしくすらある、実家近くの雑木林ダンジョンで手に入れたスキルだな。
説明文が特徴的だから、ひょっとしたら覚えてる奴もいるかもしれない。
Skill ──────────────────
分裂1(モンスター専用スキル)
自分の身体を二つに分ける。分裂後の個体はHPが1/2になるが、他の能力値・スキルはそのまま受け継ぐ。
S.Lvに応じて、分裂後にさらに分裂することができる。
【注意】不定形のモンスター以外が使用した場合、正常に動作する保証はない。
────────────────────
俺は最後の【注意】に恐れをなしてこのスキルを使わないことに決めたんだが、神取はどうやらそうじゃなかったみたいだな。
「正常に動作する保証はない」とはどういうことなのか? を、科学者らしい探究心で検証したんだろう。
結果、自身の白血球がスライムマクロファージになるという失敗パターンを見つけたらしい。
もっともらしい理屈を探すなら、人間の体細胞の中で「不定形のモンスター」に近いものを探した結果、白血球の一つがスライムマクロファージなるモンスターに分裂したってことだろうか。
そうして生まれたスライムマクロファージに、マクロが登録された通りの名前をつける。
俺の経験でも、「シークレットモンスター召喚」によって召喚したモンスターに名前がつけられたのはもちろん、ダンジョンの管理機能で生み出したモンスターにも名付けはできる。
ただし、後者のほうは、名付けをしてもパワーアップするような特典はない。
単に、管理上便利なように好きな名前をつけられるってだけだ。
その名付け機能を利用して、神取はただのモンスターでしかないスライムマクロファージに「法和大学教授神取桐子(ノーベル生理学賞最有力候補)が魔苔から培養したスライムマクロファージ(XXXXXX)」なる名前を持たせてるってわけだ。
つまり、実際に魔苔からモンスターを培養したわけではなく、「分裂」の失敗を利用して生み出したモンスターに、自分で決めた名前をつけてるにすぎない。
たとえば……そうだな。
イヌを一匹連れてきて、そのイヌに「ネコ」と名付けたところで、そのイヌが突然ネコに変わるなんてことはありえない。
その「ネコ」は、間違いなくイヌである。
ただ単に、つむじの曲がった飼い主が、自分の飼い犬を「ネコ」と呼ぶことにしたってだけだ。
「魔苔培養」というマクロ名もミスリーディングだよな。
このマクロには魔苔を培養するようなプロセスが一切含まれてないんだから。
そもそも神取の求めてるような性質が魔苔にはないんだから当然だ。
ネットスラングを借りて言うなら、「魔苔から培養したマクロファージ(本当に魔苔から培養したとは言ってない)」だな。
「こんなことして何になるんだよ……」
神取以外の人間がこの「(前略)スライムマクロファージ」を鑑定したのは、たぶん俺が初めてだろう。
本人以外見ることすらない名前に欺瞞を仕込むというのは、常識的な想像の域を超えている。
神取の自己欺瞞は魔苔のことだけじゃない。
そもそも大学はクビになったって話だから、「法和大学教授」も真っ赤な嘘だ。
「ノーベル生理学賞最有力候補」に至っては、バカバカしくてツッコむ気にもならない。
「自分の身体を『実験空間』でダンジョンにし、そのダンジョンを『分裂』で生み出したスライムマクロファージに踏破させる……これが異常な高レベルのからくりか」
スライムマクロファージは特殊条件達成で「経験値共有」「SP共有」を覚え、自分の獲得した経験値・SPを養分のように神取に還流する。
ナンバリングからして、神取が飼ってるスライムマクロファージの総数は、何百万という単位のはずだ。
生み出したすべてのマクロファージがダンジョン踏破に成功してるわけではないようだが、それでもしゃれにならない量の経験値やSPが、常時神取に還流してることになる。
完全放置でレベルが勝手に上がっていく仕組みだな。
なかなかうまく考えられてはいる。
絶対に真似したいとは思わないけどな。
ただ、神取は探索者としての能力を高めることにはまったく興味がないんだろう。
SPがうなるほど貯まってるのに、自分から進んでスキルを取得した形跡がないからな。
神取が所持してるスキルは、スライムマクロファージの何号かが取得したスキルが「スキル共有」によって神取にも共有されたものらしい。
「物理反射」「魔法吸収」という見るからにヤバげなスキルがある一方で、MPと魔力がずば抜けて高いにもかかわらず、魔力依存の攻撃手段を「水流放射」しか持ってない。
SPがこんだけあるんだから、ひとつくらい魔法系のスキルを取ってスキルレベルを上げきってもよさそうなもんだ。
しかし神取は、そんな手間すら惜しんでる。
……ひょっとしたら、神取は本気で思い込んでるんじゃないか?
自分は魔苔からのモンスターの培養に世界で初めて成功し、ノーベル生理学賞の最有力候補になってる、と。
背筋が薄ら寒くなる話だな。
「待てよ? もしかしたら、凍崎誠二の『作戦変更』で精神に悪影響を受けて…………ないな」
ステータスを見返してみたが、神取のステータスに「作戦」の項目は見当たらない。
念のためログも探ってみるが、過去に「作戦変更」をかけられた形跡もない。
「凍崎は神取には干渉してないってことか? いや……」
それも考えにくいんだよな。
そもそも、女自会の代表として男性ヘイトの急先鋒の立場にあるはずの神取が、さっきから凍崎誠二を先生と呼んで持ち上げてるのもおかしいよな。
俺が神取のステータスを前に考え込んでるあいだにも、二人の会話は進んでる。
「僕の目的が復讐だとして……そう思うならなぜ、僕に取り引きを持ちかけた?」
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