195 海ほたるダンジョン

 海ほたるダンジョンの一層は、サハギン中心のオーソドックスな水棲系モンスターの構成だ。

 レベル帯は800台後半~と、Aランクダンジョンの中では高い部類に入る。

 だが、今の俺にとって、敵のレベルが800だろうと200だろうと大差はない。


「――邪魔だっ!」


 腕で宙を薙ぎ払いながら、無詠唱で「サンダーストーム」を放つ俺。

 無詠唱は魔法の威力が大きく落ちるが、それでもサハギンの群れが黒焦げになって消滅する。

 今の俺の魔力は447万もあるからな。


「つ、強すぎます……」


 と背後でつぶやいたのは灰谷さんだ。


「え、なんかますます差が開いてる気がするんだけど……」


 剣を片手に手持ち無沙汰にしてる芹香が言った。


 今回は緊急事態ということで、芹香と灰谷さんが同行してる。

 後からは協会の監察局の人たちも来る予定だ。

 俺の実力をひけらかすのも嫌だったので、芹香と灰谷さんだけを連れて先行した形だな。


 当然、探索の速度は、灰谷さんの足の速さに合わせることになる。

 だが、灰谷さんも別に足が遅いわけじゃない。

 頭脳派で運動が苦手そうな雰囲気はあっても(実際そうらしい)、探索者としてのステータスが高ければ関係ない。

 サポートに回ることが多いとはいえ、仮にも「パラディンナイツ」のサブマスだからな。


 何の問題もなく一層を駆け抜け、二層も半ばへ。

 そこでようやく、問題の箇所に到達する。


「ここか」


 ダンジョンの大部屋の床に大きな穴が空いていて、その中は水で満たされている。

 穴の周辺の床は、他の壁や床と比べてもとくに黒く変色してるな。

 その黒い色素が水に滲み出してるようにも見えるんだが……。


「これが魔苔またいってやつか?」


「はい。しかしここまで露骨に漏れ出している例は初めて見ます」


 と灰谷さんが解説してくれる。


「そういえば、魔苔っていう名称はダンジョン由来のものなのか?」


 ダンジョン由来か、というのは、端的に言えば「『天の声』もその用語を使ってるのか?」という意味だ。


「いえ、神取代表がそう呼んでいるだけだったはずです。トンデモ説とはいえ、それなりに認知はされていますが」


「じゃあ鑑定してみるか」


「『鑑定』しても何も出ないと聞いています」


 まあ、普通の「鑑定」ならそうかもな。


 俺はダンジョンの床を黒く染める魔苔(仮)を「詳細鑑定」。



Info──────────────────

DPの残滓

ダンジョン全体のDP循環に回収されず、鬱積したDPの残滓。専用のモンスターや設備で回収することでいくらかのDPをリサイクルすることができる。

────────────────────



「DPの残滓……? 神取の主張はやっぱり妄想ってことか?」


 ひとりつぶやく俺に、


「いやいや待って、悠人。今何したの?」


「ああ、すまん。『詳細鑑定』というスキルを使ったんだ」


「『詳細鑑定』……たしか、蔵式さんにご提供いただいたデスゲイザーの持っているスキルでしたね? そのスキルで魔苔の情報が得られたと?」


「細かい事情を話すと長くなりそうだな……」


 こうしてるあいだにも、頭に血がのぼった男児会の連中が女自会の神取を血祭りに上げないとも限らない。

 女自会側の戦力によっては返り討ちに遭うかもしれないし、拮抗してれば双方に大きな被害が出るかもしれない。

 男児会の探索者が多数このダンジョンに入ったことは、海ほたる(ダンジョンではなくパーキングエリアの)での目撃情報で確認済みだ。


 俺は要点だけを話すことにした。


「ダンジョンがモンスターを生み出すのにはDP――ダンジョンポイントが必要なんだ。DPはダンジョンを循環しながらダンジョン内にモンスターを生み出す。で、この魔苔はその循環から漏れた残滓らしい」


「……いろいろと突っ込みたいところはありますが……それでは、魔苔そのものにはモンスターを生み出すような力はない、と?」


「たぶんな」


 専用のモンスターや設備でリサイクルする必要があるってことは、そのままでは使えないってことだろう。

 俺の端折りまくった説明でそこまでわかる灰谷さんはさすがだな。


「神取さんが魔苔からウイルスを培養しようとしてるっていうのはデマだったってこと?」


「その可能性が高くなったな。絶対にないとまでは言い切れないと思うが」


 専用のモンスター・設備によるリサイクル以外の方法でDPの残滓からモンスターを造り出す方法がないとは言い切れない。

 だが、魔苔に「魔苔生物叢」なるマイクロモンスターの生態系があるという神取の主張は、これでほぼ否定されたと言えそうだ。


「おっと、こうしててもしょうがない。デマならなおのこと男児会の連中を止めないと」


 ひょっとしたらお隣の弟君もいるかもしれないしな。

 止めてやる義理なんてないと言えばないが、止められるものを放置するのも寝覚めが悪い。

 あの幸の薄そうなお姉さんに、弟がヘイトクライムで捕まりました、なんて重荷を背負わせるのはかわいそうだ。


「本当に大丈夫なの?」


 芹香が心配そうに訊いてくる。


 海ほたるダンジョンに水没箇所があるということは、かなり前から知られてはいたらしい。

 過去にはダイバー装備を用意して調査のために潜った探索者もいたという。

 ……そのダイバーがどうなったかって?

 しばらくしたら食いちぎられた身体の一部が浮かんできたって話だ。


 サメが出てくる有名なパニック映画みたいな話だが、実際、それ以上のモンスターが出てくる可能性が高いだろう。

 しかも水中戦となれば、レベル的に格下のモンスターであっても油断はできない。

 道中で俺の実力を見たにもかかわらず、芹香が心配するのももっともだ。


「大丈夫だ。専用のスキルがあるからな」


 俺は首都圏外郭放水路ダンジョンでサハギン系400体連続撃破のボーナスで手に入れたスキルのことを思い出す。



Skill──────────────────

潜水

水中に潜ることができる。防御力に応じた水圧への耐性を得ることができる。

────────────────────

Skill──────────────────

水中呼吸

水中で呼吸することができる。

────────────────────

Skill──────────────────

水中行動

水中での行動にかかる弱体化効果が弱くなる。

────────────────────

Skill──────────────────

魚人泳法

魚人が得意とする戦闘向きの泳法。急激な潜水や浅瀬での素早い移動に特徴がある。水中で一部の武器が扱いやすくなる。

────────────────────



「サハギンと同じ程度には動けるはずだ」


 水中にいるサハギンは意外に厄介な相手だからな。

 もちろん、水中ならではの制約が完全になくなるわけじゃないんだが。


「私にもそのスキルがあればついてったんだけど……」


 と、悔しそうに芹香が言う。


 考えてみれば、芹香ならサハギン系400体連続撃破の特殊条件は満たせそうだよな。

 俺が一緒についていき、サハギン系を芹香が、それ以外のモンスターは俺が倒す。

 芹香に合わせてレベルレイズされるボスが多少危険かもしれないが、俺がアシストして芹香にトドメを譲ればいい。

 400体連続撃破はソロでなくても達成できる条件だからな。

 だがもちろん、今そんな悠長なことをしてる時間はない。


「ダイバーでも通れなかった水中を通過しているということは、神取代表や男児会のメンバーも、蔵式さんの持っているのと同じスキルを所持しているということですね」


「そうなんだよな……」


 大和を含む男児会の連中が、渋谷ハチ公前ダンジョンで狼系モンスターを連続で撃破して特殊条件を満たし、「威圧」等のスキルを取得した可能性はあると思ってた。

 しかし考えてみれば、狼系の連続撃破によって特殊条件の存在に気づいたのなら、他の種族のモンスターも連続撃破してみようと考えるのは当然だろう。

 あるいは逆に、サハギンで発見した特殊条件を狼にも適用したという順番なのかもしれないが。


「まあ、それだけなら問題ないだろ」


 Aランク探索者がモンスター専用スキルをいくつか持ってたところで、今の俺の脅威にはなりえない。

 Sランクダンジョンにいるような強力なモンスターのスキルがあればともかく、Aランク以下のダンジョンで入手できる範囲のスキルなら、Aランクダンジョンのモンスターに対処するのと基本的には変わらない。

 むしろ、倒すより手加減するのに神経を使うことになりそうだ。

 だが、そのための手段は、Aランクダンジョン周遊のおかげで十分すぎるほどに充実した。


「じゃ、行ってくるよ」


 軽い感じで手を挙げて言う俺に、


「あ、うん。いってらっしゃい」


「『いってらっしゃい、あなた』……じゃないんですか?」


「ひ、翡翠ちゃん!」


「蔵式さんも芹香さんに行ってきますのキスでもしてくれませんか? 私に見せつけるように、濃厚な奴をたっぷりと。なんのためについてきたと思っているのですか」


「……いや、絶対それのためじゃないだろ」


 女子二人の恋バナ(?)から逃げるように、俺は暗渠の中へと飛び込むのだった。

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