196 水中戦
水中に飛び込んだ俺が最初に思ったのは、「どうやって息をすればいいんだ?」ってことだ。
「水中呼吸」のスキルがあるとはいえ、水の中で思い切り息を(水を)吸い込むのは度胸がいる。
スキルの使い方は直感的にわかるんだが、本能に反する行動をするのは抵抗があるよな。
最初にほんの少し水を吸い込んで様子を確かめてから、徐々に呼吸量を増やしていく。
すぐに違和感なく水中で呼吸ができるようになっていた。
水中は暗いのかと思ったが、予想に反して一定の明るさが保たれている。
でも考えてみれば、水中以外のダンジョン空間も、灯りがないのに一定の薄明るさが保たれてるわけだからな。
水中も同じような仕様になってるんだろう。
水は、かなりの深さがあるようだ。
自分の周囲は薄ぼんやり見えるんだが、水の底までは見通せない。
俺は無詠唱で「ライト」を生み出し、光球を水底へと進ませる。
水中では、詠唱ができない。
「水中呼吸」を持つ俺であっても、呪文を正しく発音できない以上、魔法の詠唱が成り立たないのだ。
もちろん、「無詠唱」を使えば、水中でも問題なく魔法が使える。
だが、「無詠唱」を持ってる探索者なんて、おそらくは世界でもほんの一握りしかいないだろう。
俺以外にはまだいない可能性すらあるほどだ。
だから、海ほたるダンジョンのこの水没箇所は、探索者の魔法を実質的に封じてると言っても過言じゃない。
「無詠唱」(現在は魔王のユニークボーナス)が使える俺であっても、詠唱なしでは魔法の威力が大きく落ちる。
また、火や雷といった一部の属性魔法は、発動が困難になったり、暴発したりすることが知られてる。
これまでずいぶんスキルを集めて強くなったつもりでいたが、「エリアが水没している」というシンプルな条件が加わっただけで、できることの範囲が一気に
ひょっとしたら、「ダンジョンの中なのに海が!」とか「ダンジョンの中なのに雲の上だ!」とかいった現象に、この先出くわすこともあるのかもな。
そういった事態への対策は……まあ、次の機会でいいだろう。
そんなことを考えてるあいだに、光球が水底へとたどり着く。
魔法の光に映し出されたものを見て、俺はおもわずつぶやいた。
『
おっと失礼、水の中だったな。
プールの底みたいな殺風景な床かと思いきや、床にはびっしりと気味の悪いものが生えていた。
赤い突端を持つ生白いチューブのような生き物が群生している。
俺はその生き物を「詳細鑑定」。
Status──────────────────
チューブワームスカベンジャー レベル877
ダンジョンのDP循環から外れたDPを吸収し、体内に蓄える非行動性のモンスター。体内のDP濃度が一定以上になると体内にダンジョン
────────────────────
……こんなモンスターがいるのか。
女自会の神取の主張する魔苔生物叢は、妄想の産物であることが前回ほぼ確定した。
魔苔(実態はDPの残滓)からモンスターを造り出すという発想に近いのは、むしろこのチューブワームかもしれないな。
でも、ちょっと違和感のある話だよな。
このチューブワームがDPを蓄えてしまっては、ダンジョンに循環するはずのDPが失われることになるんじゃないか?
ダンジョン側にこのモンスターを生み出すメリットがないように思うんだが……。
チューブワームが体内にDPを蓄え続けるなら、海ほたるダンジョンはモンスターの生成に使うべきDPを恒常的に失ってることになる。
DPをダンジョンの血液に喩えるなら、傷口からの出血が止まらなくなった状態だ。
そういえば――
水没箇所のある海ほたるダンジョンは、Aランクにもかかわらず、これまで踏破者がいないらしい。
踏破されずに放置されたダンジョンでは、やがてダンジョンフラッドが発生する。
しかし、海ほたるダンジョンではこれまでにフラッドが発生したことはないという。
灰谷さんによれば、その理由についてはダンジョン研究者のあいだでも意見が割れてるという。
比較的有力な説は、「実は海中でフラッドが発生しており、ダンジョンから溢れたモンスターは東京湾の海中に放たれているのではないか?」というものらしい。
この仮説の泣き所は、フラッドが発生したときに「天の声」がそれを警告しないことはありえないってことだな。
このチューブワームの繁殖ぶりも、その仮説に対する有力な反証材料になりそうだ。
ダンジョンの「出血」が何らかの理由で止血されなかった上に、漏れ出た「血液」(=DP)がチューブワームに吸われ、回収できなくなっている――
それが、このダンジョンがフラッドを起こさなかった本当の理由なんだろうな。
まあ、そんなことは芹香や灰谷さんへの土産話にすればいいとして。
俺はダンジョンマスターの感覚を頼りに、水中を奥へと進んでいく。
競泳選手も真っ青のスピードで泳いではいるが、さすがに地上を走るような速度は出せないな。
水中のせいか、気配を殺すことも、魔法で姿を消すことも難しい。
敵とエンカウントした場合、「逃げる」のもかなり難しそうだ。
チューブワームは「非行動性」と書かれてはいたが、もちろん近づいて試してみるつもりはない。
結果、水路の真ん中ら辺を堂々と泳いでいくことになる。
前方の暗がりの奥に、モンスターの気配を感じた。
魚雷のような速度で、かなりの体積の何かが迫ってくる。
避ける――のも難しいな。
俺は無詠唱で身体の前に巨大な氷の塊を生み出した。
水中では炎も雷も使えないからな。
剣山のように尖らせた氷の塊に、向こうから巨大な質量が衝突した。
生み出した氷の形状を変えるのは、地味ながら魔王の魔法技能を使ってる。
巨大なモンスターが、泳ぎの慣性で尖った氷に自らの身体をめりこませていく。
そのあいだに、俺は氷塊の裏側を蹴りのぼって上方に逃げた。
そして、氷塊を越えた上から、巨大なモンスターを鑑定する。
今は名前とレベルだけでいいだろう。
────────────────────
エンシェントメガロドン Lv883
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メガロドンっていうのは、古代に滅んだ超大型の鮫だったか?
ガキの頃に子ども向けの図鑑か何かで見たような記憶がある。
ここの水は真水だが、海洋生物でも棲めるのか?
っていうか、古代生物にエンシェント(古代の)をかぶせるのは重語では?
ひょっとしたら、古代に滅んだとされてるメガロドンが深海の奥底で実は今も生きており、そのメガロドンと区別するためにエンシェントを付けたのでは――?
そんなしょうもない疑問はさておき、こいつをどう調理するかだな。
俺はアイテムボックスから「スピアガン」を取り出し装備する。
放水路ダンジョンでサハギンからドロップした水中銃だ。
銃というよりボウガンで
気負うこともなく、俺はスピアガンの引き金を引く。
ぶしゅっ、とくぐもった音を立てて銛が飛ぶ。
銛はメガロドンの背びれ近くに着弾すると、周囲の肉を消し飛ばして身体の奥へと食い込んだ。
水中が大量の血で真っ赤に染まり、メガロドンの姿が見えなくなった。
ほどなくして、「天の声」が敵の全滅を告げる。
赤い血の霧は、「天の声」とともに消え失せた。
あれだけ巨大だった絶滅種の大鮫も、死体も残さず消えていた。
あんな小さな銛が大型の鮫を一撃で仕留める光景は異様だったが、今の俺の攻撃力を考えればおかしくはない。
いや、飛び道具のダメージに攻撃力の数値が反映されるのは変ではあるのか?
スピアガンの機構的には誰が引き金を引いても威力は変わらないはずだよな。
しかし、使用者の攻撃力がダメージに反映されるのは、各種の弓やボウガンも一緒である。
もし攻撃力がダメージに反映されない仕様だったら、弓使いの探索者は火力不足に悩むことになるだろう。
パーティのレベルが上っても自分だけ火力が伸びないことになるからな。
飛び道具の実装が現実寄りではなくゲーム寄りの仕様になってるのは、そんな「配慮」によるものなんだろう。
RPGなんかだと、ゲームが終盤に近づくほどに、弓使いは不遇になりがちだよな。
でも、ゲームによっては、射程の長さを活かして遠くから「殴れる」ぶっ壊れジョブになることもある。
射程が長いという弓ならではの特殊な強みと、弓使いに許すべき攻撃力――この二つのバランスを取るのが難しいんだろう。
射程が長いという強みがある以上、近接物理職より攻撃力は控えめにしたい。
でも、あまりに攻撃力が低いと火力不足でスタメンから外される。
二周目プレイなんかだと、ドーピングアイテムを遠隔攻撃持ちに注ぎ込むことで、動かずして無双できるようになったりするよな。
今の俺がスピアガンを使うのはそれに近いものがあるかもしれない。
その後も、巨大なアノマロカリスやら、デイノスクス(巨大なワニのような古代生物)やらに襲われるが、水中系スキルと能力値のゴリ押しだけでなんとかする。
もうちょっと洗練された戦い方をしたいところだが、水中では制約が多すぎる。
水没地帯を進んでいくと、水底近くに黒いポータルを発見した。
もともと水鏡みたいにゆらめくポータルが水底にあると、ちょっと視認しづらい感じだな。
黒いポータルに泳ぎながら飛び込む俺。
と、次の瞬間、俺はいきなり空中へと投げ出された。
「どわっ!?」
俺は素早く前方宙返りをして、足から先に三層の床に着地する。
……そう。三層は乾いた通常の空間だ。
そして、その空間には人の気配があった。
慌ててアイテムボックスから「鴉天狗のお面」を装備する俺に、
「だ、誰だ!?」
と部屋の隅から知らない男の声がした。
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