194 緊急要請

 その日は、朝からピリピリしていた。

 俺が、じゃない。

 世間が、だ。


 街を行く人たちは表面上はいつも通りに見える。

 だが、気配に敏感になった今の俺にはわかる。

 いつも通りの表情を取り繕ってる普通のサラリーマンが、普通の主婦が、普通の学生が、内心では不安や混乱、人によっては極度の興奮を覚えている。


 その原因は、これだ。

 俺は駅のコンビニで手に入れた週刊誌を開く。



『ダンジョン崩壊の裏で核ミサイル危機が起きていた!? 極秘裏に結成された国連軍が奥多摩湖周囲30キロを焦土に変える寸前だった――禁断の極秘計画を編集部が独占入手!』


『折村総理戦後最悪の対米屈服! 衝撃の国辱・核攻撃容認の真相に迫る!』



 奥多摩湖ダンジョン崩壊事件の裏での動きが、週刊誌にすっぱ抜かれたのだ。

 いわゆる「文秋砲」ってやつだな。


 リークしたのは匿名の自衛官だという。

 ネットでは、ミサイル撃墜のために出動したイージス艦や地上部隊(各地の高射砲部隊など)の関係者ではないかと言われてる。

 リークの内容からして幹部クラスであることはほぼ確実。自衛隊では朝から犯人探しが始まってるという噂もある。


 当事者として要約すると、ダンジョン崩壊という世界の危機を防ぐために、米中露が極秘裏に国連軍を結成し、奥多摩湖ダンジョンの周辺数十キロ以内にある都市に片っ端から核を落とそうとした――というのがことの真相だ。

 そして、週刊文秋の記事にはほぼその通りの内容が載っている。


……うん、これ、あかんやつだ。


 政治にうとい俺でもわかる。

 他国による日本の都市への核攻撃を「容認」し、事態が収まったあとはその事実を隠蔽した。

 ついでにいえば、ダンジョン崩壊が収まったにもかかわらず「予定通り」発射された一部のミサイルを自衛隊のイージス・システムで撃墜した――という衝撃の事実も、表には一切出てこなかった。

 理由はどうあれ、国民への背信行為と非難されるのは避けられないだろう。

 折村総理としては苦渋の政治決断だったのかもしれないが、さすがにことがことだからな。


 じゃあ、今度の衆参同日選挙で自政党が敗れるのかっていうと……微妙だな。

 世論は大きく核武装に傾くだろうが、左派中心の野党がその波に乗れるとは思えない。

 現在の折村内閣が倒れるのは当然としても、安全保障が争点になれば自政党が逆に議席を伸ばすことすらあるかもしれない。


 なお、文秋には、


『正体不明のモンスター、核ミサイルを撃墜? 日本人探索者の召喚獣か――事件の裏に見え隠れする謎の探索者【召喚師】の影』


 という記事も載ってるが、こちらは今のところ最初の記事ほどの反響はないようだ。





    †


 俺はひさしぶりにダンジョンではなく、探索者協会本部にやってきた。

 パラディンナイツの身分証で中に入り、ギルドルームのあるフロアに向かう。


 ギルドルームに入ると、そこにはすでに芹香と灰谷さんが待っていた。


「悪い。遅かったか?」


「いえ、時間通りです。ご足労いただきありがとうございます」


 灰谷さんがいつもの調子でそう答える。


「緊急の要請があるんだって? 報道の件か?」


「ううん。そっちも大変なんだけど、別件だね」


 と、これは芹香。


「お呼びしたのは、男児会がらみの案件です」


 灰谷さんの言葉に、俺は思わず顔をしかめた。


「すみません、本来ならば蔵式さんのお手を煩わせるような話ではなかったのですが……」


「いや、俺で力になれることなら言ってくれ」


「そう言っていただけると助かります」


「男児会がらみってことは、ダンジョン内で女自会とぶつかる危険があるとかか?」


 男児会の地上での街宣とも抗議活動とも言い難い活動に関しては、俺ではなく警察の領分だ。

 以前灰谷さんが指摘してたのは、互いを敵視する男児会・女自会の構成員が、ダンジョン内で対立組織のメンバーを闇討ちするんじゃないかってことだな。

 正反対の主張をしてるわりには行き着く先がともに暴力行使ってのもおかしな話だ。


「それよりも深刻かもしれません」


「というと?」


「もとを正せば、ネット上の真偽も定かでない書き込みが元凶です。それによれば、『女自会の神取は海ほたるダンジョンの中に極秘のラボを作って生物兵器を開発している』と」


「極秘ラボ? ダンジョンの中にか?」


「あくまでもそのような噂がある、というだけですが。少なくとも男児会は真実だと思ったようです」


「陰謀論ってやつじゃないのか?」


「完全にそうとも言い切れないのが厄介なところなんです。実際に女自会の探索者パーティが海ほたるダンジョンに頻繁に出入りしているのは事実のようです。とくに、神取代表が出入りする姿がよく目撃されています」


「すまん、その神取っていうのは?」


「歓迎会の日に私と翡翠ちゃんがここのロビーでからまれてたでしょ。あの人だよ」


「ああ……」


 そういえば白衣を着てたっけ。

 まさか本当に研究者だとは思わなかった。

 あんなエキセントリックな格好をした奴が出入りしてたら、そりゃ人目にもつくだろうな。


「じゃあ、本当にラボがあるっていうのか? ダンジョンの中に?」


 ダンジョンの中にラボを作ったとして何ができるんだ?

 研究用の資材や機材を持ち込むだけでも大変だろうに。

 もちろん、ダンジョンには電気もネットも水道も通ってない。


「神取さんは魔苔またいの研究者なの」


 と、芹香が言う。


「マタイ……?」


「魔のこけと書いて魔苔またいです」


 灰谷さんの補足が入るが、それでもよくわからない。


「魔苔ね……。ダンジョンに関係するものなのか?」


「ほら、ダンジョンの壁って、少し黒ずんで見えるでしょ?」


「ああ、ランクが高いダンジョンほど濃くなるよな」


 Cランクの底辺である雑木林ダンジョンは薄く、同じCランクでももう少し本格的な黒鳥の森水上公園ダンジョンは少し濃い。

 Bランクの光が丘公園ダンジョンはそれよりもさらに濃くなっていた。

 Cランクダンジョンの壁はコンクリートくらいのグレーだが、Aランクダンジョンになるとかなり濃い灰色になってくる。


「あの黒ずみを抽出したのが魔苔と呼ばれるものなのです」


「あれって抽出できるようなものなのか?」


 ダンジョンの壁は破壊できないというのが常識だ。

 まあ、俺なら魔王の高威力魔法で溶かすことができるが、溶けるのは表面だけで、二、三日もすると修復される。


「普通は無理ですね。しかし、ダンジョンの中には一部の壁や天井が剥がれているところがあります。通常はすぐに修復されるようなのですが、なんらかの理由で剥がれたままになっていることがあるのです」


「その剥がれたままのところから魔苔が取れるってわけか」


「神取さんはその魔苔の研究者なんだよ。元、だけど」


「元?」


「研究室の男性教授に研究成果を横取りされた――と主張していますね。その主張のせいで大学を追われ、女自会の結成に関わったというわけです」


「じゃあ、ダンジョンの中にラボを持ってるっていうのも……」


「うん、あながちないとも言えないんだ」


「それだけではありません。神取さんが研究成果を横取りされたと告発した男性教授は、魔苔研究中の『事故』で亡くなっているんです」


「……物騒だな。事件として捜査されなかったのか?」


「捜査はされましたが、立件はされませんでした。なにせ死因がわかりませんから」


「どんな死に方をしたんだ?」


「男性教授の言動が急におかしくなり、病院で脳画像を撮ったそうです。医師は微細な脳梗塞の可能性を疑ったようですね。しかし、画像を見ると、脳の一部が完全に空洞になっていました」


「ドラッグやアルコールで脳が萎縮するみたいな感じか?」


「いえ、本当にぽっかりと空洞ができていたそうです。結局原因がわからないまま、その空洞はじわじわと広がっていきました。教授は自分の脳が蝕まれていくのをどうすることもできませんでした。最終的には生命維持に必要な脳幹のみを残して植物状態に。脳幹以外が失われている以上回復の見込みはないと判断され、最後には……」


 灰谷さんが眉根を寄せて首を振る。


「『鑑定』はしなかったのか?」


 と、俺が訊いたのは、ブレインイーターのことが気になったからだ。


「教授を『鑑定』して状態異常にかかってないことは調べたみたい。ただ、脳の中までは『鑑定』できないし……」


「専門家による検死は行われましたが、脳内からは何も発見されなかったそうです」


 通常の「鑑定」で表示されるステータスには、ブレインイーターに寄生されてることまでは載ってない。

 おそらく「詳細鑑定」ならわかるだろうが、俺以外にこのスキルを持ってる奴がいるかは不明だ。

 頭を切り開いて脳内を「鑑定」してたらブレインイーターが見つかった可能性もなくはないけどな。

 最後は宿主を事実上「殺した」後にブレインイーター(ないしは他の何か)も消滅したということだろうか。


「その事件も気がかりですが、今回のことはまた別の話になっています」


 と、灰谷さんが話を戻す。


「魔苔には、魔苔生物そうと呼ばれる微小生物のバイオームがあるというのが、神取代表の研究テーマでした」


「魔苔に生物が棲んでるっていうのか?」


「生物ではなく微小なモンスターではないか、とも神取代表は述べています。神取代表はそのモンスターを培養する研究をしていました」


「そんなあぶねー研究をしてたのかよ……」


「それはどうでしょうか?」


「どういう意味だ?」


「そもそも、魔苔生物叢なるものが実在するかどうかからして疑問の声が出ています。というより、彼女以外に魔苔生物叢なるものを観測できた人がいないのです」


「ええっ、どういうことだよ」


「彼女の主張では、『そこにモンスターがいると固く信じて観測すれば、魔苔生物叢の驚くべき豊かな生態系を目にすることができる』――と」


「……話にならねえな」


「死亡した男性教授もそう言っていたようですね。魔苔はダンジョンの魔力の一部が固着したものにすぎないと切り捨てています」


「……あれ? 研究成果を盗んだんだろ?」


「盗んだ上でその知識を独占するために握り潰した……のだそうですよ」


「ううん……」


 そんな話、どう受け止めたらいいんだ?


「魔苔生物叢なんてのはその神取さんのでっち上げ、捏造、妄想ってことになるのか?」


「そう考えるのが妥当なのですが……一点、疑問が残るのです」


「疑問? ……ああ、そうか。男性教授の殺害方法か」


 魔苔生物叢が捏造ないし妄想でしかないなら、神取はどうやってその教授を殺したのかって話になるな。

 魔苔生物叢の話が虚妄なら、教授殺害の方法が不明になる。

 しかし状況からして教授を神取が殺害した可能性は十分あり、その場合には彼女の主張通り魔苔生物叢は実在する――少なくとも魔苔生物叢に似たような何かを神取は知っていて、そこから危険なモンスターを培養することもできるってことだ。


「その件は、現状やぶの中ならぬくさむらの中と言うしかありませんね。ただ、その話がネット上の噂に一定の説得力を持たせてしまっているのも事実です」


 と言って、灰谷さんは手元のノートパソコンをこちらに向ける。


「男児会のSNSです。ここを見てください」


 俺は赤字の踊る画面に目を凝らす。



『女郎蜘蛛がついに尻尾を見せた! 女自会の神取は魔苔からY染色体の持ち主だけを死滅させる新種のウイルス型モンスターを造り出し、地上にばら撒こうとしている! 男性根絶計画だ! 冗談じゃない、男児会はどんな手段を用いてでも女自会代表神取桐子を排除する! 生死は問わない! これは日本男児を守る為の聖戦だ! 集え、日本男児よ! 我らの敵は海ほたるダンジョンに在り!!!』



「……微妙に説得力があるのが厄介だな」


 蜘蛛に尻尾なんてあったっけ?というつっこみはやめておこう。


「疑う余地はいろいろとあります。たとえば、ウイルスの本体は細胞のない遺伝子ですから、生物と呼べるかどうかは定義によります。最近では生物とは呼べないとするほうが一般的でしょう。一方、モンスターは一応は生物らしきものと言えます。戦闘中にモンスターの体組織を採取し、顕微鏡で観察すると、通常の生物とよく似た細胞組織があることがわかります」


「そんな研究をしてるやつがいるんだな」


 モンスターは倒すと消えるからな。

 よくある異世界転生小説みたいにモンスターの身体を素材にしたりはできない仕組みだ。

 現実でモンスターのグロい解体なんてやりたくないから、俺としては消える仕様でよかったと思う。


「モンスターを倒すと採取した体組織も消えちゃうからね。不思議なのは、その体組織を撮影したデータやフィルムからもその体組織が消えちゃうことなんだけど」


「そういやダンジョンのポータルもスマホのカメラに映らないんだったな」


 そのせいでダンジョン内での戦闘の様子を動画に撮影することもできないんだよな。

 正確には、撮影自体はできるんだが、モンスターを倒した瞬間に映像からモンスターの姿が消えてしまう。

 動画データに残されるのは、探索者たちが見えない敵と必死で戦ってるように見えるちょっとシュールな映像だけだ。

 そんな理由から、ダンジョンの探索を動画コンテンツにしてマイチューブで収益化……というのは難しいらしい。

 お隣の高校生マイチューバー君も、ダンジョン探索の動画は上げてない。


「倒すと消えるはずのモンスターを培養できるのかも疑問ですが、たとえモンスターを培養できたとしても、ウイルス型のモンスターが存在しうるかはさらに疑問です」


「そうだろうな」


 俺はダンジョンマスターの【ダンジョン管理】でモンスターを生み出したことがある。

 その感じからすると、モンスターが魔苔とやらから自然発生するというのはかなり胡散臭く思えるよな。

 ダンジョンにおけるモンスターの出現はもっとゲーム寄りの「実装」になっている――それが俺の率直な印象だ。


「もちろん、ダンジョンの中で未知のウイルスが誕生する可能性がある……となれば、大騒ぎになるのは間違いないです。しかし、ダンジョンが地上に現れて以来、これまでにダンジョン発の疫病が発生したことはないというのも事実です」


「それで、俺はどうすればいいんだ? 暴走する男児会の連中を止めればいいのか?」


 「人を穏便に無力化する方法」は増やしたが、神取憎しで血眼になってる男児会の連中を抑えるだけなら、従来通りのノックアウト戦法でいいだろう。

 万一男児会の主張が本当で、神取が危険な生物兵器を造ってたとしても同様だ。


「ごめんね。本当は監察局が中心に動く筋合いの話なんだけど……」


「何か問題でもあったのか?」


「海ほたるダンジョンには、誰も立ち入ったことのない一画があるんです」


 と灰谷さん。


「海ほたるって、Aランクダンジョンだよな? Sランクの探索者なら……」


「Sランクの探索者でも進めない場所があるんだよ。神取さんの極秘ラボっていうのは、どうもその先にあるみたいなんだよね」


「Sランク探索者でも進めない場所だって?」


 おうむ返しに訊く俺に、灰谷さんがうなずいた。


「ええ。海ほたるダンジョンには、一部完全に水没した区画があるんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る