177 Aランクダンジョン周遊開始
その翌日、俺は朝からAランクダンジョン「千鳥ヶ淵ダンジョン」の中にいた。
レイスやスペクター、ワイトといった亡霊系のモンスターばかりが出現するこのダンジョンは、都内のAランクダンジョンの中では不人気な部類に入るらしい。
だが、俺にはジョブ世界で手に入れた魔剣シャドースレイヤーがある。
出現モンスターのレベルは700台後半。
Aランクダンジョンの中では上の中くらいの水準だ。
でも、ジョブ世界の崩壊後奥多摩湖ダンジョンは、出現モンスターのレベルが10000を超えてたからな。
今さらレベル1000にも達しないモンスターに脅威を感じることはない。
俺は、近い敵をシャドースレイヤーで斬り捨てながら、遠い敵を光属性魔法で消し飛ばす。
ジョブ「魔王」の技能によって、今の俺はあらゆる魔法を極めて高い水準で扱える。
存在そのものを知らないような魔法は扱えないが、それでも俺’の記憶を探ればかなりの範囲をカバーできる。
とくに、「黒魔術師」である(ジョブ世界の)紗雪が扱ってた魔法をそっくりそのまま扱えるのは大きい。
対象の詠唱をキャンセルさせられる「ヴォイドフレア」なんかは、ボス戦ではきっと役に立つだろう。
……もっとも、Aランクダンジョンのボス相手に、わざわざ搦め手を使う必要もないってのが正直なとこなのだが。
最後の一体となったスペクターを置いて「逃げる」――ことはない。
圧倒的な敏捷差のせいでほとんど動きが停まって見えるスペクターを、シャドースレイヤーで縦に斬る。
《敵を全滅させた!》
《経験値を0獲得。》
《SPを33,926獲得。》
《816,480円を獲得。》
《「聖者の灰」を手に入れた!》
「よしっ!」
流れた「天の声」に、俺は小さく拳を握る。
――敵を全滅させれば、経験値が手に入る。
この狂った現代においては小学生でも知ってることだ。
しかし、今の「天の声」では、俺が獲得した経験値は0だった。
「五重ジョブのデメリット、ちゃんと引き継げてるみたいだな」
ジョブ世界で多重ジョブが嫌われてた一因は、獲得経験値が減ることだ。
俺はそれを逆に利用して、ジョブを五つセットすることで獲得経験値を0にした。
多重ジョブによる経験値へのマイナス補正がスキル世界でもちゃんと働くのかは、やってみないとわからなかった。
だから、念の為に「レベル封じの腕輪」を装備した上で、最初に出くわしたモンスターを全滅させた、というわけだ。
以前光が丘公園ダンジョンで「レベル封じの腕輪」を装備してモンスターを全滅させたときには、モンスターから得られるはずだった経験値はそのままアナウンスされてたはずだ。
一方、今の「天の声」では獲得経験値が0と、はっきり明示されている。
腕輪の効果を待つまでもなく、得られる経験値が最初から0だったってことだよな。
俺は「レベル封じの腕輪」を外した上で、次に見つけたモンスターの群れを倒してみる。
獲得経験値は――同じく0だ。
「これで完全に確定だな」
俺がこの先モンスターをいくら倒しても、経験値を手に入れてしまう心配がなくなった、ということだ。
……まあ、この先一生レベル1のままかもしれないと思うと、ちょっと微妙な気がしなくもないけどな。
そして、このことは、俺のアイデンティティを大きく揺るがす問題でもある。
「……『逃げる』必要がなくなった……」
そうなのだ。
これまでレベルアップを回避する手段として機能してきた「逃げる」が、その役目の一部を終えることになった。
「まあ、アイテムを『盗む』ときなんかにはまだ使う可能性があるけどな……」
同じ敵からアイテムを連続して盗みたい場合には、状況をリセットできる「逃げる」は有効だ。
ダンジョンボスのドロップアイテムのレア枠を狙うときなんかは繰り返し「逃げる」ことになるだろう。
道中で見つけた「美味しい」編成を利用してSPを効率よく稼ぎたい場合も同様だな。
特殊条件の同種族400体連続撃破を狙う場合にも、倒してはいけないモンスターを残して「逃げる」場面はあるだろう。
依然として俺にとって重要なスキルであることに違いはない。
ただ、「逃げる」ためには(30-5×S.Lv)秒間逃走態勢を取り続ける必要があるからな。
「逃げる」のスキルレベルが3になった今だと15秒だ。
しかし、15秒もかけるくらいなら、さっさと敵を全滅させて先に進んだほうがいい場合のほうが多いだろう。
秒数そのものは短くなったんだが、敏捷が高くなりすぎたせいか、時間の経過が遅く感じるんだよな。
「現実から逃げる」による再生速度の調整や「思考加速」による脳内のクロックアップとは別に、敏捷が圧倒的に高くなることでも時間の経過が遅く(自分の体内の時間が早く)感じられるようになるみたいだ。
そんな今の俺にとって、15秒という時間はそれなりに長い。
とくに、今回のAランクダンジョン周遊ではそうだ。
六体以上で編成されたモンスターの群れであっても、15秒もあれば十分殲滅させられるからな。
今の俺にとって、Aランクダンジョンは圧倒的に格下のダンジョンだといえる。
え? それなのにAランクダンジョンを周遊しようと思ったのはなぜかって?
理由は一個じゃなくて、いろいろあるんだよな。
俺としては珍しいことに、SPを稼ぐことは、今回あまり優先度が高くない。
もしSPを稼ぐことだけが目的なら、Sランクの新宿駅地下ダンジョンに潜って「逃げる」狩りをしたほうが早いからな。
じゃあ、Sランクダンジョン攻略を後回しにしてまで今さらAランクダンジョンを巡る意味はなんなのか?
ちょっとややこしい話になりそうだが、本格的にAランクダンジョン周遊に乗り出す前に、ひと通り確認しておこう。
まず、最優先なのは【君だけの世界】の検証だな。
Job──────────────────
◇サポートアビリティ
【君だけの世界】
異界の界竜シュプレフニルが編み上げた繭世界を自分の存在の外側に纏うことで、世界システムからのステータスへの有害な干渉を無効化する。繭世界は、現在の自分のステータスを、現在自分が存在する世界のシステムに適合するように翻訳する。また、この繭世界は、ジョブ世界固有のシステムを機能させるために必要な最低限のシステムをそのうちに包含する。
────────────────────
ちゃんと機能してるってことはわかってるんだが、細かい部分で不明なことが多いんだよな。
たとえば、スキルとユニークボーナスの関係だ。
俺がジョブ世界に飛ばされたときには、世界の翻訳作用によって、取得済みのスキルがジョブやアビリティ、ユニークボーナスへと変換された。
数としては、ユニークボーナスに変換されたものが圧倒的に多いだろう。
じゃあ、今俺が新たにスキルを取得したら、そのスキルも即座にユニークボーナスに変換されるのか?
実は、これについては事前にいくらか検証はしてる。
未取得だったスキル――具体的には「相撲」「片手持ち」「指揮」「銃撃」など――を取得して、どうなるかを確かめた。
結果から言えば、「取得したスキルは好きなときにジョブシステムへの翻訳を行うことができる」、だ。
たとえば、「相撲1」を取得してすぐに翻訳にかけることもできるし、スキルレベルを上げてから翻訳することもできる。
そのときのスキルレベルに応じて、変換後のユニークボーナス等の程度表現のレベルも上下する仕様になってるらしい。
翻訳しようと意識すると翻訳後の結果が意識に浮かぶようになってるので、思わぬ変換をされて後悔するリスクは低いだろう。
ただし、一度ジョブ世界のシステムに翻訳されたものをスキルに戻すことはできない。よく考えてから翻訳するべきだ。
となると、ひとつ大きな疑問が湧いてくる。
スキルのままスキルレベルを上げるのと、さっさと翻訳してしまうのと、どっちの方が効率的なのか? ――っていう疑問だな。
これについては、俺の中では一応の仮説ができている。
スキルのままスキルレベルを上げきってから翻訳したほうが、基本的には得だ。
スキルレベルはSPを機械的に振るだけで上げられるのに対し、程度表現は強敵との戦いの中で成長するのを待つしかない。
SPを大量に稼げる俺の特性を考えれば、スキルのままレベルを上げたほうが楽だし早い。
さらに大きいのは、スキルのレベルアップには能力値ボーナスがあることだ。
スキルの取得、及びレベルアップには、消費したSPと等しいだけの能力値ボーナスがくっついてくる。
「火魔法」であれば、取得に必要なSP100に対し、MPと魔力にそれぞれ50のボーナスがつく(*1)。
しかし、程度表現の成長には、能力値ボーナスが存在しない。
ジョブ世界で能力値にボーナスがつくチャンスは、各ジョブに設定されたレベルアップ時の能力値成長ボーナスだけである。
だが、レベルを上げることがない(上げようと思っても上げられない身体になった)俺が、この成長ボーナスの恩恵を受けることは不可能だ。
取得したスキルをスキルレベルが低いうちに翻訳してしまうと、程度表現を成長させるのも大変だし、得られたはずの能力値ボーナスも取りっぱぐれる。
一度翻訳した程度表現をスキルに戻すことはできないから、取りっぱぐれた能力値ボーナスを後から回収する手段はない。
「スキルは5まで上げきってから翻訳、だな」
もちろん、「賢者の石のかけら」でスキルレベルの上限をさらに上げてから翻訳する発想もなくはない。
が、レア中のレアである「かけら」が手に入るまで翻訳を待てるのか?というのが問題だな。
翻訳せずにスキルのままで取っておく場合、五重ジョブ主体の戦闘の中で、素の状態の単発スキルを有効活用できるのか?という別の問題が生じてくる。
活かさずに放置できる程度のスキルならかけらを使わずさっさと翻訳してしまえばいいが、なんとかして活かしたいようなスキルの場合、いつ手に入るかもわからない「かけら」を待ち続けるのはもったいない、というジレンマだ。
だが、逆の見方をすることもできる。
「程度表現の成長は、ひょっとしたら『かけら』がなくても六段階目に到達するかもしれないよな」
魔王には「あらゆる属性の魔法とあらゆる魔法関連技術に言語を絶した適性を持」つという表現があるが、この「言語を絶した」は(ジョブ世界で)知られてる五段階目までには存在しない表現だ。
おそらく、未知の六段階目の程度表現なんだろう。
とはいえ、六段階目の程度表現への成長が、そう簡単に起きるはずもない。
Aランクダンジョンでは望み薄だし、なんならSランクダンジョンでもよほど深層まで潜らなければ無理だろう。
低レベル縛りソロで臨んだ崩壊後奥多摩湖ダンジョンの探索でも、程度表現が五段回目から六段回目に上がった例はないからな(魔王の「言語を絶した」は最初からあった表現だ)。
「……そのあたりはやってみないことにはなんとも言えないな」
【君だけの世界】は、俺のぶっ壊れたステータスの中でもさらにぶっ壊れた、ぶっ壊れオブぶっ壊れのアビリティだからな。
今回のAランクダンジョン周遊に限らず、長い目で見ていくしかないだろう。
……おっと。Aランクダンジョン周遊の目的の話だったな。
―――――
【注】
(*1)スキル取得時の能力値ボーナス:連載版と書籍版で異同があります。連載版の初期では二つの能力値に20:80で割る、みたいな処理をしてるスキルがあったり、三つ以上の能力値に割ってる場合もあったりしたのですが、①配分比率の根拠が感覚になってしまい一貫性をもたせにくいこと、②単純にわかりにくいこと から「スキル取得時の能力値ボーナスは最大二つの能力値に等分する」というルールを設けることにしました。「火魔法1」ならMP+50、魔力+50といった具合ですね。この修正により、連載版と書籍版のステータスで能力値に若干の異同が出ています。今後は、「既存部分はそのまま、新規部分は書籍版基準を適用」という形で進めさせていただきます。連載版と書籍版で別のルールで管理するとなると、天宮のそそっかしさではヒューマンエラー不可避だと思いまして……。すみませんが、ご理解の程よろしくお願い致します。
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