176 お隣さんの事情

「い、今何が……?」


 事態がわかってない姉に、今弟がやったことを説明する。


「俺にスキルを使ったんですよ。多分、『威圧』じゃないかな」


「なっ……!?」


 絶句するお姉さんに、


「な、なんで『威圧』が効かないんだ!?」


 弟が顔を青ざめさせる。


「……このままじゃ話が進まないな。言っとくが、先にやったのはそっちだからな?」


 俺は姉の肩を押さえていた手を離し、弟の胸に掌打を打つ。


「ぐがぁっ!」


 弟が廊下の壁に叩きつけられ、その場で立ち上がることができなくなる。

 「行動不能」状態だ。

 勇者のユニークボーナス「対象のHPが0となる攻撃をした場合にHPを1だけ残して『行動不能』状態にすることができる」だな。

 スキルもアビリティも使ってないただの掌打だが、今の俺の攻撃力ならかなりしゃれにならない威力が出る。


 ……「麻痺」みたいな状態異常を狙ったほうが穏当だったか?

 でも、今の俺だと魔剣士の状態異常攻撃を使うことになるので、剣を抜く必要があるんだよな。

 いくら先にやられたとはいえ、こんな場所でいきなり剣を抜くわけにもいかない。


「や、大和!?」


「大丈夫、動けなくなってもらっただけです」


 ……いや、だけです、と言われてもって感じだよな。

 目の前で弟をノックアウトされて安心しろっていうのは無理がある。


 俺はアイテムボックスから「フルポーション」を取り出して姉に渡し、


「弟さんが落ち着いたら使ってやってください」


「こ、こんな高価な治療薬を!?」


「……まあ、あまり部屋にはいないと思いますので。顔を合わせることはそんなにないと思いますよ」


 弟が俺のことを気に入らないというのならしょうがない。

 嫌われることは何もしてないはずだが、他人を嫌いになるのに合理的な理由はいらないからな。

 なんとなく気に食わない、姉に頭を下げさせたのが気に入らない、というならしかたがないだろう。


 ……っていうか、さっきの弟の言動。

 あれを見て、隣人として積極的に関わりたいと思えるか?

 俺としては、お互い大人なんだから無難な近所付き合いにとどめましょうよ、と言ってるつもりだ。

 それがこの近隣トラブルの落とし所になるんじゃないか? と。


 しかし、


「……そ、その。お詫びのしようもないのですが……この子にもいろいろありまして……。少しだけでいいんです。少しだけ、話を聞いてもらえませんか?」


 姉は、俺の服の袖を掴み、すがりつくようにそう言った。





「昔は、あんな子じゃなかったんです」


 隣の部屋の姉弟は、桜井美穂・大和という名前らしい。


 ――結局、美穂さんの頼みに折れる形で、俺は二人の部屋に通された。


 俺のところの間取りは2Kだが、こっちの部屋は2LDKだ。


 大和はノックアウトされた状態のまま、俺を射殺しそうな目で睨んでる。

 俺が大和をベッドまで運んでやったっていうのにな。


 大和を彼の部屋に置いてから、俺はリビングで美穂さんと向かい合う。


 べつに、美穂さんの話を聞いてやる義理はなかった。

 必死さにほだされたというわけでもない。


 ただ――思い出したんだ。

 光が丘公園ダンジョンで、凍崎純恋相手に一歩も引かず、へータイへの「レベルドレイン」をやめるよう訴えた美穂さんを。

 そのために美穂さんは土下座までし、自分のレベルを代わりに吸わせることまで受け入れた。

 その後、田島が起こした反乱によって「レベルドレイン」の話は流れたが、そのときは逆に、美穂さんは凍崎純恋へのボスを使ったモンスターPKをやめさせようとしてたんだよな。


 彼女の人道主義は、正直、俺には行きすぎのようにしか思えない。

 なんだかんだ言って、俺はほのかちゃんを襲おうとしたクズや凍崎純恋は死んで当然と思ってしまうし、罪に問われない状況であれば、自分で手を下してもいいとすら思う。


 ただ、美穂さんが筋の通った信念の持ち主だってことは、彼女の過去の言動が証明してる。

 俺の考えとは違っていても、信念を貫いて行動した彼女には敬意を覚える。


 というわけで、話くらいは聞こうと思ったのだ。


 美穂さんはリビングのソファを俺に勧め、急須でお茶を淹れてくれる。

 美穂さんは自分の分のお茶も淹れ、俺の向かいに腰を下ろす。


「そもそもの発端は……あれなんです」


 きれいに整理されたリビングの食器棚に、賞状の入った額縁と記念の盾が飾られていた。


「……ゲンロン.net・首都警備共催、第一回<新世代を担う論客大賞>特別賞?」


「懸賞論文というんだそうです。言論系の大手サイトが警備会社をスポンサーにやってる賞で、大和は特別賞を取りました」


「へえ。すごい……のかな」


「私にも、よくわかりません。ただ、賞金が百万円ももらえて、その後は雑誌やウェブで連載のお仕事をもらったり、動画投稿サイトの番組のコメンテーターに起用されたりしてるんです。マイチューブに自分のチャンネルも持っていて、自分の部屋で配信もしています」


 さっき大和を運び込んだ部屋には、たしかに配信用らしきパソコンやマイクなんかの機材が並んでた。


「高校生、だよな?」


「はい。将来有望な高校生の保守派論客――ということにされています」


 ……なんていうか、コメントに困るな。

 さっき喚いてたことから察するに、ちょっとお近づきになりたくない感じの思想に染まってそうだ。


 俺の表情を読んだのだろう。美穂さんは、


「最初からああだったわけじゃないんです。初めの頃は、お小遣い稼ぎのために一部の人たちが喜びそうなことを書いている、と言っていました。『あいつら、ソースも確認せずに自分に都合のいい妄想を頭っから信じ込むからな。楽な商売だよ』……などと」


 フォローを試みたんだろうが、これはこれでフォローになってない。


「でも、今にして思えば、弟自身の中にもそのような偏見が眠っていたのかもしれません」


「なんていうか……男尊女卑的な?」


 さっきはなんと言ってたっけ。

 「男のくせに女の尻に敷かれて満足か?」とか、「群れを仕切るのは原始時代から続く男の仕事だ」とか。

 今の時代には、真面目に反論するのも馬鹿らしくなるような思想だ。

 いや、「思想」と呼ぶことすらおこがましいかもしれない。

 保守派と呼ばれる人たちだって、男女の平等まで否定するような奴は一部だろう。


「言ったんです。真面目に政治のことを考えてる人たちに、いい加減なことを言ってはいけないと。賛成できない意見の持ち主であっても、その人なりに真剣に信じてるんだから、おちょくるようなことをしてはいけないと」


「まあ、正論だな」


 本気で信じてるならともかく、自分でも信じてない妄言をばら撒いて、それを真に受けた奴から金を取る――それはもう、政治活動とは呼べないだろう。


「……私も悪かったんです」


 うつむき、ぽつりとこぼす美穂さん。


「私が『羅漢』に入れ込んで、大和をずっとほったらかしにしてしまったから。お金だって、大和を高校に通わせるのがやっとで……。大和は優しい子だから、なんとかして自分にもできることでお金を稼ごうとしてくれたんだと思います」


「なるほどな」


 あいつが「優しい子」かはともかく、もともとの動機はそうなのかもな。

 高校生の保守系言論マイチューバー。

 しかもあのルックスと声なら、一部で人気が出るのも納得だ。


「ただ、お仕事でいろんな人と付き合ううちに、だんだん言うことが過激になってきたんです。さっき言ってた、群れを率いるのは男の仕事だ、みたいなことを言い出したのは最近です」


「どっかでよくない影響を受けたってことか」


 まだ高校生だからな。

 マイチューブのおすすめ動画を漫然と見てると、たまにとんでもない動画に流されることがあるよな。

 SNSだって、自分の関心に合わせて流れてくる情報が変わるというから、知らずしらずのうちに狭いサイロに迷い込むおそれは十分ある。

 大和の場合は、論文で賞を取り、自身でも配信活動をしてたんだからなおさらだ。


「最近は、本当に様子がおかしくて……。夜遅くまで自室で演説の練習をしてたりとか……。このあいだは動画の内容が差別に当たるとしてマイチューブから削除されたらしくて、夜中なのに大声で当たり散らして……」


「……大変だな」


 いや、そんな話をされてもコメントのしようがないんだが。


「そういえば、大和君も探索者なんだよな?」


 さっき「威圧」を使ってたんだからステータスがあることは確実だ。

 ただ、「威圧」というスキルはモンスターが使ってくるもので、探索者が普通に取得できたって話は聞いたことがない。

 取得可能なスキルの範囲は探索者によって違うから、絶対にありえないとも言えないんだが。


「はい……。活動で知り合った仲間と一緒に潜ってるみたいです。詳しいことは私にはなんとも……」


「美穂さんも探索者だが、さっきの様子を見ると、大和君のほうがレベルは上なのか?」


 もちろん、簒奪者の技能で見れば気づかれることなくステータスが覗けるが、必要がない限り他人のステータスを覗き見るつもりはない。


「……ええ。私はここのところ、『羅漢』の事後処理に追われていて、探索ができていなくて。私は凍崎さんに何度かレベルを吸われたりもしてますし……」


 ああ、そうだった。

 彼女も凍崎純恋の被害者なんだったな。


「大和は元は虚弱体質で、とても探索なんてできなかったんですが、コメンテーターをしてる番組で出会った人からいいアイテムをもらったと」


「虚弱体質を治すようなアイテム……?」


 はるかさんは魔力の欠乏をエリクサーで補ってるが、似たような方法で虚弱体質を改善したということか?

 ジョブ世界の紗雪みたいに、探索者になったことで身体が丈夫になり、貧血を起こしにくくなった、みたいな例もある。


「大和は、配信と探索で、今では私よりずっと稼いでるんです。そのせいか、私の言うことを聞いてくれなくなってしまいました。あるいは……私が女だからでしょうか」


 と言って、美穂さんが深いため息をつく。


「苦労して自分を育ててくれた美穂さんを差別してるってことか? いくら染まるといっても限度ってもんがあるだろ」


「それは……『羅漢』のことがきっかけなんだと思います。私が凍崎さんから理不尽なパワハラを受けてたことを知って、大和はすごく怒ったんです」


「それはまあ……怒るだろ」


 そこだけは、俺も共感できる。


「あの時、蔵式さんに言われた通りです。誰にも支配されず、誰も支配せず。難しいことですが、命を救われた恩に報いられるよう、私なりに努力していこうと思って、今は『羅漢』の事後処理をやっています」


「……あまり重く受け止めすぎないでくれよ。それで無理をされたら元も子もないんだから」


「ありがとうございます。ただ、大和は違う受け止め方をしたんです。つまり、女性がギルドのリーダーを務めているからいけないのだ、と」


「…………なんでそんな結論になるんだ」


 たしかに、「羅漢」のギルドマスターは凍崎純恋という「女性」だった。

 だが、あいつを女性の代表格みたいに扱ったら、世の中の大半の女性が一緒にするなと怒るだろう。


「凍崎純恋に関しちゃ、男も女もねえよ。ああいう冷酷なモンスターをトップに据えちゃいけないってだけの話だ」


「もちろん、私もそう言ったのですが……」


「……誰かからいらんことを吹き込まれたってことか」


 姉が受けた理不尽な仕打ちに憤るのはわかる。

 だが、憤りを向ける先が間違ってる。

 いや、間違えさせられているのか。

 大和の「思想」を自分に都合のいいほうに誘導した奴がいるってことか。


「……事情はわかった。俺としてはべつに、さっきのことで謝罪させたいとか、そういうつもりはまったくないよ」


 堅いことを言うなら、ダメージを与えるものではないとはいえいきなりスキルを使われたことは、探索者協会に通報することもできる。

 でも、そんな面倒なことをしてまで事を荒立てたいとは思わない。

 ……こちらもかなりいい一撃を入れてしまったしな。

 罰としては十分だろう。


「すみません……。私が代わって謝って済むことでもありませんが、本当に申し訳ありません。蔵式さんは私の命の恩人でもあるのに……」


 そう言って肩を落とす美穂さんは、最初よりもやつれて見えた。


 美穂さんと大和は、両親とは離れて暮らしてるらしい。

 そこにどんな事情があるかまでは聞いてないが、たぶん親を頼れないような事情があるんだろう。

 大和が保守系言論マイチューバー兼探索者になるまでは、美穂さんの稼ぎで弟を養ってきたということだ。

 姉と弟ではあるが、年の差もあって半ば母のような存在でもあるんだろう。


 ……「羅漢」の理不尽に耐えて育てた弟がこれじゃ、あまりにもかわいそうだよな。


 とはいえ、俺に何ができるとも思えない。

 大和に上から目線で考えを変えろなどと説教したところでなんになる?

 コメンテーター、配信者として似たような批判はいくらでも受けてるはずだから、俺がどんな論点からつっこんでみても、それ相応の反論が準備されてるにちがいない。

 ああ言えばこう言うになるだけだ。


 そもそも、思想信条は自由だからな。

 他人から見てどれほどおかしな思想に思えようと、それを力づくで変えさせるわけにはいかない。


 じゃあ、建設的な議論をすれば、大和が納得してこれまでの意見を改めるか? っていうと……これも望み薄だよな。

 ニュースでも国会でも、互いの意見をぶつけあった結果、和解して双方納得の結論を得た……なんて例を見たことがない。


「大和がもう少し歳を取って、視野が広くなればと思うのですが……」


 たしかに、それを期待するしかないかもな。

 ただ、現時点で大和の周囲は偏った思想を持つ大人たちで固められてしまってる。

 しかも、彼自身が今ネット上で発信してることは、いつか自分の思い違いに気づいたときに、消すことのできない黒歴史になるだろう。


 ……で、この問題をどう解決するのかって話だが……


 正直、俺にできることは何もない。


 顔を合わせた時に美穂さんの話を聞いてあげるくらいだろうか。

 それすら、隣人としては余計なお世話の部類かもな。


 そもそも、しょせんは他人事なんだ。

 俺としては、大和が隣人としての節度を守ってくれさえすればそれでいい。



 ――というわけで、俺の新居の挨拶回りは、若干の後味の悪さを残しつつも、なんとか完遂することができたのだった。

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