175 レッドライン

 いきなりかけられた声に振り向くと、


「姉さんに何をさせてるんだと訊いてるんだ!」


 高校生らしき男子が俺に詰め寄ってくる。

 背は男子としては低めで、声も高い。

 中性的な美少年って感じだな。


大和やまと! やめて!」


 俺に頭を下げてた女性が、俺をかばうように前に出た。


「私はお礼を申し上げていただけよ!」


「お礼? あんなに深々頭まで下げさせられて……こんな男に一体どんな恩があるっていうんだ!?」


「やめなさい! 失礼でしょう! 申し訳ありません、弟は事情を知らず……」


 と、女性が俺にまたも頭を下げてくる。


「おい、おまえ! 姉さんに何を言ったんだ!?」


 姉の制止にもかかわらず、高校生は俺に向かって訊いてくる。


 べつに答える必要はない。

 それに、いくら身内とはいえ、あのときの話をするのはどうなんだろうな?


「俺の口から言うことじゃない。詳しいことはお姉さんに聞いてくれ」


「何で僕に言えないんだ!? 何かやましいことでもあるんじゃないのか!?」


「いい加減にして! 大和! あなたは先に部屋に入ってて!」


「で、でも……」


「いいから!」


 姉のほうは弟を下がらせたいみたいだが、弟はなおも食い下がる。


「……このマンションを使ってるってことは、あんた、パラディンナイツの人間か?」


「……答える義務はないと思うが」


 さっきまでの流れでお姉さんのほうに訊かれたなら、普通に答えていただろう。

 でも、この流れで所属を聞き出そうとされてはな。

 答えをはぐらかす俺に、


「ふん……男のくせに、女の尻に敷かれて満足か?」


 弟は、いきなりそんなことを言い出した。

 その言葉に、俺があ然としたのはいうまでもない。

 だが、それ以上に、お姉さんのほうが青くなった。


「な、なんてことを言ってるの!?」


「群れを仕切るのは原始時代から続く男の仕事だ。生物学的に、そういうふうにできてるんだよ! 群れのリーダーを女に任せて恥じないような軟弱な男は信用できない。どうなんだ、ええ? 姉さんの押しの弱さに漬け込んで、無理な要求をしようとしてたんじゃ……」


「いや、おまえ……それ、本気で言ってるのか?」


 さすがに呆れて、まともに答える気にもならなかった。


 男女の脳の生物学的な差なんて議論は、とっくの昔にカタがついてる。

 性差が皆無なわけではないが個人差の方がよほど大きく、「男はこうだから」「女はこうだから」というのは思い込みか刷り込みだ。

 実際、俺と芹香でどっちが「群れのリーダー」に向いてるかなんて、考えるまでもないだろ?

 俺と灰谷さんで論理的な思考力を比較したら、俺にとってはかなり悲惨な結果が出るはずだ。

 男のほうが(平均的には)体格がよくて筋力がある、という点についても、探索者であればステータス次第でいくらでも逆転現象が起こりえる。


 いまどきの高校生が「女の尻に敷かれる」だとか「軟弱な男」だとかいう昭和で滅んだような言葉を使ってるのにも違和感があるな。


 形式的には罵倒されたと思うべき場面なんだが、言われたことが突飛すぎて、怒りよりも戸惑いのほうが先に浮かんできた。


 まさかこんなことを言い出すとは思ってなかったんだろう、お姉さんのほうは完全に固まってしまってる。


「男なら、俺がパラディンナイツを仕切ってやる、くらいの意気を見せたらどうなんだ? 朱野城芹香に便利な犬扱いされるのがそんなに嬉しいのか? こんな女々しい奴らばかりだから少子化が進むんだ!」


 お姉さんのほうは固まってるし、弟はこの調子だ。

 中性的な美少年だけに、俺を煽るように歪めた表情が、驚くほどに見苦しい。

 ギャンブル漫画かなんかで、主人公を罠に嵌めて勝ちを確信したときの悪役みたいな表情だな。


 俺は渾身の顔芸を続ける美少年に、


「……若いのに随分時代錯誤なことを言うんだな。それから、パラディンナイツを作り上げたのは芹香たちだ。その言い分は失礼にもほどがある」


 聞くとは思えないが、一応言うべきことを言っておく。


 俺の言葉に反応したのは姉のほうだ。


「も、申し訳ございません!」


 がばっと、頭が床につきそうな勢いで頭を下げた。


「なっ、姉さん!?」


「馬鹿なことを言ってないであなたも謝りなさい!」


「やめろよ!」


 弟の頭を抑えて頭を下げさせようとする姉と、それに抵抗する弟。


 ……こんな状況の前に立たされた俺はどうすりゃいい?

 こんなことなら挨拶回りなんて余計なことを考えるんじゃなかった。


 姉は「羅漢」でスーツ組の探索者だったから、ステータスを使えば力はある。

 俺への失礼を恐れてか、ステータスを使って弟の頭を下げさせようとしてるな。

 それに弟が抵抗できてるのは、弟もステータスを使ってるからだ。

 一歩間違えばどちらかが怪我をしかねない。


 ……しかたないな。


「とりあえず落ち着いてくれ!」


 俺は二人の中に割って入る。

 姉のほうは肩を押さえて止め、弟のほうは手首を掴んでひねり上げた。


「何をする!?」


「俺は引っ越しの挨拶に来ただけだ。お姉さんのことは以前ダンジョンで助けたことがある。そのときのお礼を言われてたんだよ」


 と、説明するが、


「う、嘘だ! それだけで姉さんがあんなに頭を下げるわけがない! ……っ、そうか、おまえ、『羅漢』にいた人間なんだな!? それでまた姉さんを利用しようと……離せ!」


 と言われても、暴れだしそうな相手を離すわけにもいかない。


 しかしずっと捕まえてるわけにもいかず、困ったような目を姉に向ける。


 が、姉が何かを言う前に、


「この――離せ・・!」


 離せ、という言葉そのものはさっきと同じだ。


 だが、その言葉と同時に、弟の身体から不可視の圧力が放たれた。


 急に身体が大きくなったような――急に弟が存在感を増したかのような、そんな不可視のプレッシャーだ。


 そして、俺は似たようなプレッシャーを経験したことがある。



「――おい。おまえは今、レッドラインを超えたぞ」



 スキル「威圧」によって放たれたプレッシャーを魔王のユニークボーナスで無効化した俺は、弟の手首を掴む力を強くした。

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