164 おかえり、ゆうくん

「ゆうくん!」


 俺を目にした芹香が突進してくる。

 決戦の時の春原もかくやという速度だ。

 比喩や冗談じゃなく、わりとマジで。


 その姿を見ただけで、俺まで自制が利かなくなった。

 俺も能力値全開で前にダッシュ。

 俺のあまりの勢いにぶつかりそうになり、突進を止めた芹香のことを、俺は力いっぱい抱きしめる。


「きゃっ、ゆ、悠人……⁉」


「芹香……」


「ちょっ、い、痛いよ」


「……悪いが、もう少しこのままでいさせてくれ」


「そ、それはいいけど……」


 俺は腕の中の芹香の感触を時間をかけて確かめる。

 鎧を着てるからそんなにやわらかくはなかったが、女性特有の甘い匂いが鼻を打つ。


「俺、帰ってこれたんだよな」


「うん……おかえり、悠人」


「たぶん、今芹香が思ってるより何倍も大変だった」


「……そうなんだ」


 俺の声音に何を感じ取ったのか、芹香が俺の背中に両腕を回してくる。


「よかった……帰ってきてくれて。ずっと後悔してたんだ」


「後悔?」


「悠人をあんな危険な場所に行かせたこと……」


「ああ……そっちはまあ、なんとかなったよ」


 本当に大変だったのはそのあとだ。


 抱き合ったまま囁きあう俺と芹香に、


「……あの、私としてもお邪魔はしたくないのですが……場所を考えてくださいね?」


 涼やかな声に、俺と芹香が慌てて離れる。

 そこにいたのは灰谷さんだ。


「ひ、翡翠ちゃん」


「残念なことに、事後処理が山ほど残っておりまして……。関係各省や官邸、自衛隊からも問い合わせが来ています。もちろん、探索者協会や他のギルドからも」


「俺も何かしたほうがいいか?」


 灰谷さんに訊いてみると、


「……いえ、蔵式さんはむしろ表に出ないほうがよろしいかと。根掘り葉掘り訊かれたくはないですよね?」


「そりゃまあ」


「お疲れだと思いますし、今日のところは休んでください」


「いいのか?」


「ダンジョン崩壊が阻止されたことは『天の声』が周知した事実です。それ以上のことを訊かれても答える義務はありません。というか、答えないでいただけると助かります」


「弾道ミサイルの件は?」


「それは国防マターですからね。一介の探索者の関知するところではありません……ということで押し切っておきます。クダーヴェさんのことについてはあれこれ訊かれることになるとは思いますが」


「凍崎誠二は何か言ってきたか?」


「官邸側の窓口は彼の秘書官ですが、今は何も。そういえば、異世界への回廊を開きっぱなしにしてほしいと言われた件は……?」


「確実なことは言えないが、穴はきちんと塞げたはずだ」


 ……そのことを神様に確かめるのを忘れてたな。

 まあ、穴が塞げなかったのなら神様がそうと言ってくれたはずだ。


 だが、神様だの異世界の界竜だのの話をそのまま凍崎に話すつもりはない。

 探索者協会には共有したほうがいいのかもしれないが、大法螺吹くなと言われそうだよな。

 証拠なんてないわけだし。


「そうですか。では、そのように処理しておきます」


「助かるよ」


 灰谷さんも働き詰めだろうに、怜悧な表情を崩さない。


「はるかさんに頼んで、蔵式さんと芹香さんの部屋を用意してもらっています。邪魔の入らない部屋を、とお願いしました。お二人はそこでゆっくりと、心ゆくまで、お互いのことを確かめあってくださいね」


「ちょっ⁉」


「ひ、翡翠ちゃん⁉」


「……私としては身も引き裂かれるような想いです。敬愛する芹香さんが他の男に抱かれるなんて……。しかも、その愛の巣の手配をしたのはこの私! 胸が張り裂けそうです……でも、それがイイ!」


「性癖漏れてるぞ、灰谷さん」


 ……そういやそんな性癖の持ち主だったな。


「おっと。すみませんでした。でも、戻ってきたら愛し合うという約束だったはずですよね? 蔵式さんはなんでも、決戦に赴く前に『好きな女を抱かずに死ねるかよ』などと芹香さんに向かって熱烈な愛の告白を……」


「や、ヤメロ! それは俺の黒歴史だ!」


「? 黒歴史も何も、ほんの数時間前のことではないですか」


 ……ああ、灰谷さん視点だとそうだよな。

 っていうか、俺以外の全員の視点でそうなるはずだ。


「まあ、数時間前のことでも黒歴史ですよね。告白するにしてももう少し手順というものがあるかと思いますが」


「そのとおりだよ、ちくしょう!」


 まさかここまでいじられるとは。

 「困難から逃げる」でその前まで戻れればよかったのに。


「翡翠ちゃん、私が抜けて大丈夫なの?」


 俺と灰谷さんの掛け合いに割り込んで、芹香が訊く。

 隠そうとしてるみたいだが、その頬は赤くなっている。


「そのための私ですよ。向こうも混乱してますので、代表には落ち着いた頃に対応していただこうかと」


「そういうことなら、まあ……」


「私が仕事に忙殺されているあいだにお二人が愛欲にまみれた行為を営んでいるのかと思うと、仕事にも熱が入るというものです。主に現実逃避的な意味で」


「い、いや、それおかしいよね⁉ 嫌だったら言ってくれていいんだよ⁉」


「……っていうか、さすがに今からそんなことしないから」


 俺が言うと、


「えっ」

「えっ」


 と二人が揃って声を上げた。


「い、いや、だってな。あのときはいろいろ余計なこと考えて、ついあんなこと言っちゃったけど……。冷静になってみると、芹香の気持ちも確かめずにいきなりそんなこと求めるのは最低だったな、と思ってな」


 しどろもどろになってそう言うと、


「はあああああ~~~」


 灰谷さんにクソデカため息をつかれてしまった。


「蔵式さんは……どうしてこう……言葉を濁して言うと、へたれなんです?」


「いや、一ミリも言葉濁してねえよな⁉」


「なんかもう、期待はずれすぎて仕事する気がなくなってきました……。どうしてくれるんですか」


「それ、俺のせいなのかよ⁉」


「……はいはい。まあ、いいですよ。どうせそんなこったろうと思いました。お二人でゆっくり今後の関係についてでも話し合ってください。二人とももう大人の男女だというのに……どうしてこう、付き合い始めの中学生カップルみたいな感じなんですかね……」


「い、いいじゃない! だいたい、翡翠ちゃんだって私と同じで高校も大学も女子校でしょ! 浮いた噂一つなかったじゃない!」


 と、顔を赤くして芹香が言う。


「あ、そうなんだ」


 芹香が進んだ高校は、奨学金のある全寮制のお嬢様女子校だった。

 そこから受験をして一流どころの女子大に進学してる。

 灰谷さんは高校からの付き合いってことか。


 俺と芹香は、忙しそうな灰谷さんを残し、用意された部屋で休むことにした。

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