157 介入者の正体は

 ポップアップが広がり、俺の視界を呑み込んだ。


 「セイバー・セイバー」の三人との対決の場面から猛烈な速度で逆再生が進む。

 四層攻略、夏の旅行、三層攻略と夏休みの記憶、定期テスト、梅雨空、二層、一層……。

 改めて見てもいつ俺がスキル世界からジョブ世界へと紛れ込んだのかはわからなかった。

 黒鳥の森水上公園からからくりUFOが逆向きに飛び立ち、奥多摩湖ダンジョンに戻る俺。

 このあたりは「困難から逃げる」のポップアップで確認した通りだな。


 当然、俺はスキル世界でダンジョン崩壊を止めた直後――神様と話してる場面に戻るものだと思った。


 が、その直前に、



《おっと。少し待ってもらおうかな》



 いきなり響いた声ともに、逆再生が停止する。

 神様が俺にリクエストを訊く場面の頭だ。

 崩壊した(スキル世界の)奥多摩湖ダンジョンの最深部、世界の狭間へと開いた穴を埋めたばかりの、白と黒の茫漠とした空間だ。

 その空間で、宙に浮いた神様が俺に顔を向けたまま停止してる。


 その光景が、ちょうどPCのフリーズのように白く染まる。

 ほんとに動いてるのかこのパソコン?と不安になる感じのアレだな。


 最初は半透明だった白が濃くなり、俺の視界は完全に白で塗り潰された。


 ……と思ったのだが、俺の視界が直接塞がれたわけじゃない。

 白一色の光景だが、その光景には奥行きがある。

 どこまでも見果てぬほどに白が広がった空間だ。


 で、さっきの声の主だが、その正体には心当たりがある。

 というか、他にこんなことができそうな存在はいないはずだ。



「全部おまえの仕込みだったってわけか? 出てこいよ、界竜・・シュプレフニル・・・・・・・!」



 俺は白い空間に向かってそう叫ぶ。


 高校の屋上で「この世界は試練のための幻覚だと気づいたぞ!」と叫んだときにはどこからも返事がなくて悲しい思いをした。


 今回もそうなるのではと思わなくもなかったが、



《――見事。よく気づいたね》



 声とともに、目の前の空間の一部が盛り上がる。

 「空間が盛り上がる」とはおかしな表現だが、そうとしか言いようのない感じだ。

 白い虚無の一部が密度を増し、体積を変えないままで膨らみ、いつのまにか白いさなぎのようなものが生まれていた。

 俺をまるまるくるめるくらいの大きさの蛹が、花が開くようにほどけていく。


 その中から現れたのは、白い人影だ。

 真っ白な肌をした、一糸まとわぬ中性的な美青年。

 白い肌というのは比喩ではなく、文字通りに真っ白だ。


 驚くほど端正な顔だが、その輪郭や隆起は人からは少し離れてる。

 その目鼻立ちや輪郭にはどこかドラゴンを彷彿とさせるものがある。

 最初に連想したのはモンスターのリザードマンだが、あれよりはずっと人に近い。

 爬虫類的な印象はほぼなくて、高度に完成された一つの知的な種族のように感じられる。


 中性的ではあっても、身体つきは男性のものだろう。

 隠されていない部分が視界に入るが、そこには男女どちらの特徴もない。


「見事だったよ、蔵式悠人」


 やや高めの男声の声で、白い竜人がそう言った。


「穴が空いたときはどうなるかと思ったけど、おかげでおもしろいものを見られたね」


 そう言ってくつくつと笑い出す。


「あんたが界竜シュプレフニルってことでいいのか? はるかさんやクダーヴェやクローヴィスが元いた世界の神だとかいう?」


「おっと、これは失礼。自己紹介がまだだった」


 と言って、白い手で俺を制し、


「そう。僕は界竜シュプレフニル。正確な呼び名ではないけど……まあ、人間にはどうせ理解できないことだしね。古くはシュプリングラーヴェンと呼ばれた世界の、境界を司る竜神さ。それだけではないけど、ひとまずはそれでいいだろう」


 肩をすくめて竜人が言う。


「君も気が気じゃないだろうから先に言っておくと、今君が発動した『困難から逃げる』は、完全に停止した状態にあるよ。正確には、困難から逃げている最中の君を、果てしなく零に近い一瞬だけ切り取って、僕の内面にある神域に招待した……という形になるけどね。まあ、芝居における『幕間』のようなものだと思ってくれればいい。ここでの出来事は現実にはいかなる因果も結ばない。幕間の狂言が本筋の伏線になることがないようにね」


 シュプレフニルが言ったのは、「困難から逃げる」の副作用のことだ。

 「困難から逃げる」の説明文には、「因果の認識は人間の魂には負荷が大きいため、因果の遡行に時間をかけすぎると自分自身の因果が摩滅する」という但し書きがあったからな。

 この竜人とおしゃべりしてるあいだにも俺の因果とやらが摩滅するのではたまらない。


「おまえと話し込んでも問題ないってことか?」


「そういうことさ。ここにいる限り、時間的な心配はしなくていい」


「それは助かるが……結局、何の用なんだ?」


 俺は警戒心をにじませそう尋ねる。


「いやいや。たいした用事じゃないんだけどね。千両役者にちょっとしたおひねりをあげようかと思ったんだよ。随分楽しませてくれたからね」


 と言って、悪気なく笑うシュプレフニル。


「……さっきも言ってたな。見事だとかなんとか」


「そう! たいしたものだったよ。ダンジョン崩壊を止めた手際からして只者じゃないとは思ってたけど、はっきり言って想像以上だった。どうやってあの困難な状況を切り抜けるのか? そこから生じる葛藤にどんな答えを見出すのか? わくわくしながら見守ってたけど……まさか、問題そのものから逃げ出すとは思わなかった! くくっ、最高だよ、君は!」


 シュプレフニルが白い陶器のような腹を抱えて笑う。


「どっかから見てたってことか? それとも、あの状況自体がおまえの仕込みなのか?」


 ジョブ世界に紛れ込む前、神様との会話に割り込んできたこいつの声を聞いている。


 たしか、こうだ。


 《――随分人の良い神のようだが……これではあまりに生ぬるい》


「そのとおり。そこまでお見通しとは恐れ入るね」


 と肩をすくめるシュプレフニル。


「よく言う。最初に声を聞かせてるじゃないか」


 しかし、その声のことを、俺は「困難から逃げる」を使うまで忘れていた。

 他にも「逃げる」をその存在ごと忘れてたのみならず、「逃げる」という言葉を認識するたびに頭痛が走るというおまけまである。

 最初はスキル世界の俺としての自意識自体も忘れていた。

 ただ単に異世界に紛れ込んだだけでは、こうも都合よく(俺にとっては「都合悪く」)ピンポイントで忘れるなんてことがあるだろうか?


「その正体が僕だと気づいたのは?」


「神様をも凌ぐ力を持つ存在なんて、この世界ではちょっと思いつかない。せいぜい他の神様ぐらいだろう」


 いるのかどうかは知らないけどな。

 俺は続ける。


「ダンジョン崩壊が終わったとはいえ、あそこはほんの少し前まで世界に穴が空いてた空間だ。しかも、そこからは異世界の神の一部が流れ込んでいた。俺の巻き込まれた事態を意図的に作り出せるものがいるとしたら、界竜シュプレフニルが唯一の候補だ」


 推理ってほどの推理じゃない。

 思い出してみれば簡単なことだ。

 この答えに達するようにヒントが撒かれてたとも思えるな。


「うん、そのとおりだ。神の与えた試練をよく乗り切ったね。見事だ、異世界の人間よ! ……なんちゃって」


「……なるほど。これが神の試練だってところまでは合ってたんだな」


 どこまでもふざけた異世界の神に、俺は溜息をつくのだった。

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