156 逃げるスキルレベル3

 「困難から逃げる」を使う、と念じると、俺の視界が暗転した。


 一見真っ暗なようだが、よく見ると星のようなものが無数に瞬いている。

 その星がみるみるうちにはっきりし、俺の目前に銀河を広げていく。


 その銀河は、俺の正面から枝分かれする樹のように――あるいは道のように伸びている。

 うっすら反対方向への枝も見えるから、イメージとしては脳の神経回路のほうが近いかもな。


 その道に沿って、無数の映像がポップアップした。


 いちばん手前にあるのは、さっきまでの戦いだ。

 映像は高速の逆再生になってて、戦いの序盤まで巻き戻るとループする。


 その奥には俺の四層攻略の逆再生。

 そのさらに奥では、「セイバー・セイバー」夏の旅行の平和な光景が巻き戻されている。


 その先を奥へ奥へと見ていくと、パーティでの探索や喫茶店での一幕、俺がソロで三層や二層を攻略する光景等々が、時系列を遡る形で並んでいた。


 注意して見ると、ポップアップが浮かんでるのは枝分かれした道の一本のルートの上だけだ。

 その道から枝分かれした別の道にはポップアップは浮かばない。


「これが俺の進んできた道ってことか?」


 枝分かれはありえたかもしれない過去や未来……なのだろう。


 数え切れないほどある分岐だが、それぞれの枝の太さには差があるようだ。

 いくつかの枝は幹から離れ、その先が細くなって消えている。

 その先には何もないということなのか、本当はあるが俺には見えないということなのかはわからない。

 幹から離れた枝であっても、しばらくその周囲をふらついたうちに、元の幹に戻るものもかなりある。


「いったん分岐してもあとで元の流れに戻ることも多いってわけか」


 哲学者やSF作家、あるいは宗教家が見たら何らかのインスピレーションを得られそうな光景だよな。

 残念ながらこの空間?に俺の身体はないらしく、スマホでこの光景を撮影することはできないようだ。

 そもそもカメラに映るのかって話もあるが。


「で……これをどうすりゃいいんだ?」


 スキルの説明文では因果を遡れるってことだったな。

 俺がこれまで進んできた「道」を遡って、任意の時点に戻れるってことだろう。


「この能力、ヤバすぎないか?」


 要は好きな時点までいつでも巻き戻しが利くってことだよな。



Skill──────────────────

逃げる

S.Lv1 戦闘から逃げることができる。

S.Lv2 現実から逃げることができる。

【NEW!】S.Lv3 困難から逃げることができる。


【NEW!】S.Lv3「困難から逃げる」

使用条件:

自分の置かれた状況が完全に解決不能であることを心の底から認識する。

特記事項:

「困難から逃げる」による因果の遡行では、自分自身に属する因果は最新の状態のまま保持される。

ただし、因果の認識は人間の魂には負荷が大きいため、因果の遡行に時間をかけすぎると自分自身の因果が摩滅する。

また、認識した「困難」と直接的な関係がない時点まで因果を遡行することはできない。

同じ困難から繰り返し逃げることは可能だが、そのたびに魂に負け癖がつき、自己肯定感が永続的に減少する。減少した自己肯定感は同種の困難に打ち克つことでしか回復できない。

────────────────────



 ……これだけの効果なら、副作用のヤバさも納得だ。


「さっさと決めるか。のんびりしてるとマズいみたいだからな」


 俺は枝分かれした銀河に浮かぶポップアップを目で辿る。


 映像はすべて逆再生だ。

 三層フロアボス赤ずきんとの死闘。

 長く苦しかった、三層道中での魔王ジョブランク上げ。

 秘密のダンジョン通いと「セイバー・セイバー」での活動、高校での日常の繰り返し。

 喫茶店で紗雪が俺のことを怪しみ、その前に「セイバー・セイバー」のみんなで夏の企画を話し合う。


「……この時点ではとっくに、三人は俺のことを知ってたんだな」


 紗雪がここで俺のことを怪しんだのは、俺に秘密を打ち明けるきっかけをくれてたのかもしれないな。

 コミュ障の俺は投げられたボールをスルーしてしまったってわけだ。

 ……まあ、あの段階で事実を打ち明ける決心ができたかというと微妙だが。


 親父がほくほく顔で北米に栄転したのが六月のこと。

 その前は二層でグリムリーパーに苦戦。

 教室から眺める梅雨の空。

 ダンジョンマスターのアイテムボックスでスキル世界のアイテムを回収。

 シェイドローパーを倒した場面から、無数のトレホビが減っていき、シェイドローパーの分身が増えていく。

 一層の道中でユニークボーナスの成長に気づく俺。

 「経験値を気にしない稼ぎ、気持ちEEEEEEEE!」も逆再生だ。


 このとき俺は、「なんで経験値を気にしなくていいことに解放感を覚えたのか?」と疑問に思ってたよな。

 その疑問もすぐに脳裏から滑り落ちていってしまったのだが。


「今にして思えば、スキル世界でずっとレベルを上げないようにしてたわけだからな」


 ジョブ世界の俺’はその逆だ。

 レベルランキングの上昇を目指してレベルを9999まで上げていた。

 後先考えず俺TUEEEをしたがるあたり、いかにも高校生の俺らしい。

 何かにつけ人から注目されないよう、息を潜めようとしがちな元ひきこもりとは大違いだよな。


 五重ジョブの可能性に気づいて浮かれる場面なんて、懐かしさすら覚えるくらいだな。


「って、まったり振り返ってる場合じゃないぞ」


 俺はポップアップを遡る速度を上げていく。


 神社での神様への相談が終わり(始まりまで巻き戻り)、この世界のジョブについての考察が始まる。

 その前には、学校の屋上で「これが幻覚だと気づいたぞ!」とドヤ顔で叫ぶ黒歴史。

 紗雪と「再会」し、ショックを受ける俺。

 ほのかちゃんとの登校光景。

 実家で俺’となって目覚めた朝。


 その前日の晩(正確には日付を越えてるから当日だが)、寝落ちする前に最新式のはずのスマホに違和感を覚え、リビングで眠る母親の顔が若く見え……。

 自転車を家の駐輪スペースから後ろ向きに引っ張り出し、後ろ向きに乗ってペダルを逆方向に回転させ、深夜の国道を自転車で後ろ向きに走っていく。

 どこかで高校生の俺からスキル世界の俺に切り替わったはずだが、その切れ目を認識することはできなかった。


 黒鳥の森水上公園ダンジョン(スキル世界)で自転車から降り、ムーンウォークからのバックジャンプでからくりUFOに乗り込み、逆再生で空を飛ぶ。


 UFO内での寝落ち。

 芹香との短い通話。


 UFOは奥多摩湖ダンジョン近くの山の中に降下。

 山と、奥多摩湖ダムだったクレーターを逆に走る。

 ダンジョンの出口ポータルに背中から飛び込むと、俺は白と黒の空間に現れた。


 その目の前に、しきりに首を傾げる神様がいる。


 ――ここだ。


 この場面の直前が問題の箇所だ。


 スキルを統合するスキルがほしいとリクエストした俺に対し、「それは無理」と言った神様は、代わりに俺に修行用ダンジョンを造ってくれると言い出した。

 ジョブ世界の神様は、ほのかちゃんたちに俺を止める力を得るための修行用ダンジョンを造ったらしい。

 スキル世界の神様は、それと同じことを俺のためにしてくれると言ったのだ。


 だが、そこで何か予期せぬことが起きた……はずだ。


 それは、神様の単なる手違いではないだろう。


 ジョブ世界の神様にできたことなら、スキル世界の神様にもできるはずだ。

 ジョブ世界の神様のほうが信仰を集めてたみたいだが、ダンジョン崩壊の規模が大きかったのはスキル世界のほうだ。

 利用できる空隙ブランクの量はスキル世界の神様のほうが多かった。


 そもそもスキル世界の神様自身が「できる」と明言したことが、やっぱりできなかったということ自体がおかしいのだ。

 スキルを統合するスキルを作るのを「無理」と言ったのだから、修行用ダンジョンを造るのが無理なら同じように言うはずだ。


 だから、おそらくこのタイミングで、何か神様の想定外のことが起きたのだ。


 ここはじっくり見たい――そう念じると、逆再生の速度が下がる。


『……む? 思ったよりも時間がかかりそうじゃな。我も  ブランクの扱いに慣れておるとは云えぬしな……こんなものかの?』


 逆再生ではあるが、台詞の内容は不思議と聞き取れた。


 眉根を寄せ、首をかしげる神様。


 その直前に起きていたことは、俺の記憶には残ってない。


 だが、「困難から逃げる」の因果遡行ポップアップには、その瞬間がはっきりと残っていた。


 首をかしげる神様が、いきなり白い光に塗り潰された。



《――随分人の良い神のようだが……これではあまりに生ぬるい》



 俺の脳裏に、聞き覚えのない声がいきなり響く。


 その直前に、神様が急に焦った顔で、


『むっ、これは……!? いかん、悠人! すぐに――』


 昔のテレビの砂嵐のような白いノイズ。


 神様が造りかけてた修行用ダンジョンが、激しく乱れる。


 その前の映像は、神様が世界の破れ目から流れ込んだ空隙ブランクを加工して、俺用のダンジョンを造ろうとしてる場面だ。

 この場面の記憶はちゃんとある。


 逆再生だからわかりにくいが、まとめるとこういうことだろう。



・神様が修行用ダンジョンを造ろうとする

・その修行用ダンジョンが砂嵐のように乱れた

・神様が何かを察知して俺に警告した

・正体不明の何者かのセリフが脳内に聞こえた

・視界が真っ白になった

・ダンジョンの作成が思うようにいかず首をかしげる神様

・神様の作ったポータルでダンジョンの外に出る俺

・からくりUFOで黒鳥の森水上公園に降り立ち、国道を自転車で走って帰宅

・いつのまにかジョブ世界に紛れ込む



 ここでおかしいのは、視界が真っ白になったあとの神様の反応だよな。

 直前では神様は俺に何かを警告しようとしてた。

 それなのに、真っ白のあとの神様は、そのことを完全に忘れてる。

 神様だけじゃなくて俺もだな。


 ここから導き出される答えは、


「この謎の声の主が、神様の造りかけのダンジョンに干渉して俺をジョブ世界に送り込んだ……」


 突然割り込んできた謎の声だが、今の俺にはその声の主に心当たりがある。

 単純な消去法でしかないけどな。


「……戻る先はここか?」


 神様が俺に、スキル統合スキルがなぜ不可能なのかを説明する下りの前。

 俺が「スキルを統合するスキルをくれ」と口にする直前。

 ここが一つの候補だな。


「もっと前に戻る手もあるよな」


 ダンジョンが崩壊する前――たとえば、俺がクローヴィスにとどめを刺しそこなった場面まで戻れれば、奥多摩湖ダンジョンの崩壊自体をなかったことにできるだろう。

 ……芹香に自爆気味の告白をかましたこともついでになかったことにできるよな。


 だが、


「これ以上は遡れないっぽいな」


 逆再生は「スキルを統合するスキルをくれ」の少し前で停まっていた。

 因果の銀河を俯瞰して見ると、その前にも白銀の道は続いてる。

 だが、ここより前の白銀の道は、全体的に灰がかって暗くなっている。

 この先は選択できませんよ、という感じだな。


「ああ、そうか。説明文にあったやつだな」


 「困難から逃げる」の説明文にあったよな。

 「認識した『困難』と直接的な関係がない時点まで因果を遡行することはできない」と。


「今の俺の『困難』で遡れるのはここまでか」


 逆に言えば、ここまで遡れば今の「困難」から逃れる方法があるということだ。


 ふと思いついて停止したポップアップの脇を見てみると、そこからは別の因果の枝が伸びている。

 枝の先は見えないが、枝の横幅はかなり広く、こころなしか強く輝いてもいる。


 この現実がアドベンチャーゲームなら大事な選択肢があるような場面だろう。


 たぶん、これが正解だ。


「あまり時間をかけると『自分自身の因果が摩滅する』らしいからな」


 覚悟を決め、俺は停止したポップアップへと手を伸ばす。

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