142 藝だぜ、藝
あのあとほのかちゃんと春原が戻ってきて、俺と紗雪のあいだにあった微妙な空気は消えていた。
その後は紗雪の様子も普段どおりに戻ってる。
旅館で温泉に入り、おいしい料理を食べ、卓球をしてからまた温泉に入り、何十年前のやつだよって感じのクレーンゲームで遊ぶ。
さすがにそろそろ寝ようかという段になって、紗雪が話があると言い出した。
旅館の談話スペースが空いてたので、自販機のドリンクを買って四人で座る。
「あの、私から報告することがあるんですけど」
と、ためらいがちに切り出す紗雪。
俺としてはビーチでの会話を思い出してしまうが、紗雪の話はまったく別のものだった。
「実は……私、小説を書いてて……」
「そうなのか」
……いきなりそんなことを言われてもどう反応すればって感じだよな。
でも、意外性はない。
紗雪は読書家だし、文学好きだ。
自分でも書いてみようと思うのはおかしなことではないだろう。
こっちの世界では帰宅部だが、スキル世界での紗雪は文芸部に入ってたしな。
紗雪は言いにくそうに先を続ける。
「とある文学賞に応募してたんですけど……それが賞に選ばれたって、連絡があって」
紗雪の言葉に、紗雪以外の三人が驚いた。
「すげーじゃん! おめでとう!」
真っ先に祝いの言葉が出てくるのが、春原のいいとこだよな。
ビーチでのナンパでは、見事お姉様とチャットアプリの連絡先を交換することに成功したらしい。
「すごいです! 大変なことなんですよね?」
とほのかちゃんが手を叩く。
「おめでとう。なんて賞なんだ?」
俺が訊くと、
「えっと……。知ってるかどうかわかりませんが……文藝界新人賞、です」
「文藝界って、あの硬めの雑誌の?」
文学作品や評論などを掲載する老舗の文学誌だよな。
一応図書委員だから学校の図書館に毎月入ってるのを見てはいた。
……まあ、貸し出しはほぼゼロで、生徒が読んでるのを見たこともないけどな。
それでも、戦前から続く歴史のある雑誌だってことくらいは知っている。
だって、藝だぜ、藝。
新字の「芸」なんて意地でも使うかという強情を貫いてきた雑誌なんだからな。
「それって、かなりすごいんじゃ……」
と、ほのかちゃん。
「だな。おいおい、ひょっとしたら
春原がにやりと笑ってそう言った。
葦戸川賞は、毎年ニュースにもなる純文学最高峰の文学賞だ。
あまり詳しくは知らないが、文藝界からもノミネートされることがあったはず。
紗雪はわたわたと手を振って、
「ま、まさか、そんな……賞が取れただけでもびっくりなのに」
と言いつつ、可能性を否定しないあたり、ワンチャンあるかもくらいは思ってたりしてな。
「いつ本になるんだ? 雑誌に掲載されるほうが先か?」
「雑誌が先ですね。来月号に載るそうです」
「絶対読むぜ! なんなら一万部くらい買い占めてやる!」
と春原。
実際、普通にそのくらいの財力はあるからな。
それとも、本になってから買ったほうがいいんだろうか?
もちろん、紗雪も探索者として稼いでるんだから、本が売れなきゃ食い詰めるなんてことはない。
でも、お金がすべてなら、そもそも小説を賞に出したりはしないだろう。
学業と探索業の合間を縫って書いてたんだからな。
相当な熱意があったはずだ。
「そ、そんな。それに、恥ずかしいからあまり読まないでほしいような……いろいろと複雑なところもありますし」
と、消え入りそうな声で紗雪が言う。
まあ、自分が書いた小説を身近な人に読まれるのは恥ずかしいかもしれないな。
文藝界新人賞を取ったとなると学校にも知れ渡ってしまいそうではあるが。
いや、そこはペンネームで通すんだろうか。
「ほ、ほら、もう遅いですし。今日はこのくらいにして、寝ましょう?」
やっぱり恥ずかしいらしく、珍しくうろたえた様子をしてる。
俺たちはめいめい紗雪への祝福の言葉を口にして、それぞれの部屋に戻るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます