141 告白?

 海で泳ぎ、ビーチバレーで砂にまみれ、海の家で昼飯を食ってからはバナナボートに乗ってはしゃぎ。

 俺は設置したパラソルの下のビーチチェアに寝そべって、綿菓子のような入道雲をまどろみながら眺めていた。

 俺の隣のチェアでは紗雪が防水の読書端末に目を落としてる。

 ほのかちゃんはもう少し泳ぎたいと言って、春原はお姉様がたに声を掛けると言って出かけて行った。

 俺と紗雪は荷物番としてここに残ったわけだ。


「あの岩……ダンジョンみたいだな」


 入道雲の下に小さく見える、海から突き出した奇岩から、ダンジョンの気配が感じ取れる。

 といっても微弱なものだ。

 Cランクダンジョンの中でも下位のダンジョンだろう。

 難易度としては、スキル世界で俺の実家の近くにあった雑木林ダンジョンくらいかもな。

 海水浴場の近くにあるのは気になるが、このレベル帯のダンジョンがフラッドを起こした例はなかったはずだ。

 国内だけでも大手コンビニを超える数のダンジョンがある以上、どこであろうとこの程度のリスクは存在する。

 人間慣れれば慣れるものだ。

 今の時代に低ランクダンジョンのリスクまで気にしてたらまともに生活できないからな。


「……悠人先輩。無粋なことを言わないでください」


 隣から声をかけられ、はっとする。


「すまん。せっかく遊びに来てるのにな」


「……どうも、最近上の空ではありませんか?」


 紗雪が読書端末から目を上げて訊いてくる。


「……私はべつにいいです。でも、ほのかちゃんはかわいそうです。先輩がそんなじゃ、ほのかちゃんは不安になるはずです。あの子はそういうの、私たちには見せませんけど」


「……すまん」


「私に謝るくらいなら、ほのかちゃんをもっとかまってあげてください」


「そうだな」


 そこで会話が途切れてしまう。

 俺としてはこれ以上踏み込んだことは言えないからな。

 紗雪のほうでも、俺にこれ以上話す気がないことを察してるんだろう。


「なあ」


「……なんです?」


「変なことを訊くようだけどさ」


「気持ち悪いですね。はっきり言ってください」


「仮に、の話だ。この世界に、ダンジョンなんてもんが出現しなかったとする」


「出現してしまったものはしかたがないとは思いますが……SF的な仮説としてならいいでしょう」


「そう、フィクションとして聞いてくれればいい。もしダンジョンというものが存在しなかったら、俺はほのかちゃんと出会うことはなかっただろう。……紗雪を助けることもできなかったはずだ」


「そうですね……。その場合、異世界のエルフであるはるかさんとその娘のほのかちゃんはこの世界に来ていないでしょうし。悠人先輩に探索者としての力がなければ、氷室純恋のいじめをやめさせることはできなかったかもしれません」


「だよな。もし……もし、だぜ。俺に探索者の力がなくて、それでも紗雪へのいじめをやめさせようと介入してたら……」


「……ろくなことにはならなかったでしょうね」


 紗雪がわずかに顔をしかめてそう応える。


「氷室純恋はいじめの標的を俺に変えたかもしれないな」


「その可能性はありますね」


「ああ。芯の強い紗雪より、俺のほうがいじめの標的にしやすいはずだ」


「……いえ、そういう意味で言ったのではなく。あのろくでもない女は、私をより追い詰めるために、あえて悠人先輩を追い詰めることを選んだはずです。無関係の人を巻き込んでしまったと、私に自責の念を植え付けるために」


 紗雪の言葉は、俺には予想外のものだった。

 スキル世界で、紗雪は余計な正義感で中途半端な介入をした俺のことを呪いながら自殺した。

 俺が追い詰められることで紗雪が追い詰められるという理屈は、スキル世界の俺の感覚とはズレている。

 そりゃ、一般的に言って、自分を助けようとしてくれた相手がいじめに巻き込まれたら、どうしても責任は感じるかもしれないが。


「……それは、今俺と紗雪が同じパーティの仲間だからそう思うんじゃなくて、か?」


「そんな言い方をされるのは心外ですね。助けに入ったのが悠人先輩でなかったとしても、私は自分以外の人が巻き込まれるのを見て平静ではいられなかったと思います。自分ひとりのことなら、ある程度は耐えることもできますが……」


「そう、か」


「……そういえば、きちんとお伝えしていなかったかもしれません。その、照れくさくて……。悠人先輩はほのかちゃんと彼氏彼女になってしまいましたし、誤解されても困るかと思って」


 そう言って、紗雪はビーチチェアから身体を起こし、俺のほうに向かって横座りになる。


「悠人先輩。私を助けようと思ってくださって、ありがとうございました」


 紗雪が俺に深々と頭を下げる。


「や、やめてくれよ」


 俺は、君を守れなかった男だぞ?

 その言葉が口から出かかる。


「さっき先輩は探索者の力がなかったら助けられなかったと言いました。たぶんそうだと思います。氷室純恋は怪物です。正義感に駆られた男子高校生がどうにかできる相手じゃないです。でも……」


 紗雪が顔を上げ、俺の目を見つめる。


「……それでも、悠人先輩は助けようとしてくれたじゃないですか。先輩はその時点ではまだ探索者ではなかったのに」


 時系列的に言えば、この世界の俺’は、紗雪をいじめから助けるために・・・ダンジョンに足を踏み入れた。

 探索者だったから助けに入ったわけではなく、助けに入るために探索者になったのだ。


「もし、ダンジョンがなくて、先輩が魔剣士じゃなかったとしたら……たしかに最悪の事態になってたかもしれません。でも、たとえそんな結果になっていたとしても……私は自分を助けようとしてくれた人が一人でもいたことに救いを見出していたはずです」


「紗雪……」


「あの、ですね。くれぐれも誤解がないように強調しておきますが、これは恋愛感情ではないんです。一人の人間が、一人の人間を、後先も考えずに助けようとした。これはとても崇高なことなんです」


 文学好きらしく、「崇高」に力点を置いて紗雪が言った。


「当時人間に絶望しかけていた私にとって、あなたは救い主でした。希望でした。たとえそれが儚く散る結果になっていたとしても……私のあなたへの敬意は揺るぎません。私にとって、この感情はかけがえのないものなんです」


 ひた、と俺を見据えて言う紗雪。


「……ほんとを言うと、それが恋愛感情に変わることもあるんじゃないかと思ったこともありました。ですが、そうならなくてよかったです。ほのかちゃんと男の取り合いなんてしたくないですし……しても勝てませんし、ね」


 いたずらっぽく、紗雪が笑う。


「それとも、有名探索者らしく女性をはべらすのがお好みですか? そのときは……悠人先輩がどうしてもって頼むのなら……考えてあげてもいいですよ?」


 ふんわりと笑う紗雪に、俺は返す言葉を失うのだった。

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