110 俺の違和感が仕事しない(してる)

 枕元で鳴るスマホのアラームで目を覚ます。

 しつこいスヌーズと戦った末に、俺はようやくベッドから起き上がる。


「……夢見が悪かったな」


 もう解決したとはいえ、過去に紗雪のいじめを見過ごしたのは俺のトラウマだ。


「一年前の俺も単純だよな」


 探索者になって物理的に強くなったからっていじめを解決できるわけじゃないだろうに。

 後輩の女の子に自分の弱さを見透かされたむしゃくしゃを、俺は探索者になって強くなる方向にぶつけたわけだ。

 思春期の男子にありがちな暴走だよな。


 だが、結果から言うと、物理的に強くなったことは無駄ではなかった。


「氷室純恋があそこまでやるとは思ってなかったからな」


 当時の俺が薄々察してた通り、氷室純恋と夏目紗雪の相性は最悪だった。

 万事を受け流す紗雪と、人の心を折ることに心血を注ぐ氷室純恋。

 いじめは時とともにエスカレートした。

 最後には氷室が下僕扱いしてる男たちに紗雪をさらわせ、廃工場に連れ込む……なんていう映画も真っ青の展開になった。

 男たちは近くの大学の探索者サークル「アルティメットフリーダム」の構成員で、いずれもそれなりにレベルの高い探索者だった。


 俺が上級職である「魔剣士」のジョブを最初に授かり、そのランクを熱心に上げていなければ、あの探索者たちを倒すことはできなかっただろう。


 ふつう、いじめの解決は込み入った糸を解きほぐすような繊細で困難な作業になるものだと思う。

 それですら、完全に解決したと言い切れることは少なく、大人たちからは見えないところで火種がくすぶり続けることになりがちだ。

 そんなことにも気づかずに「俺(私)が生徒の問題を解決してやった」と自悦に耽ってる教師を見ると殺意が湧くよな。


 そんな複雑な問題を、俺は最終的に敵を物理的にぶちのめすという形で解決してしまったことになる。

 悪代官の屋敷に自分で斬り込む時代劇の将軍様みたいなわかりやすい決着だ。


 ただ、この決着にはケチがついた。

 実行犯の男たちは捕まったが、首謀者の氷室純恋は言い逃れを続けて不起訴処分になったのだ。

 その理由は、氷室純恋が探索者じゃないからだ。

 探索者がその力を犯罪に使ったら罪が重くなる。

 当時はダンジョンができて間もない時期だったが、すでにそんな判例が出始めていた。

 それだけ犯罪に走った探索者が危険視されたってことだよな。

 そんな不法探索者どもを探索者でないただの女子高生が顎で使ってた……というところに、検察官はリアリティを感じなかったらしい。

 氷室純恋は男たちの誰かと関係を持ってたわけでもなかったからなおさらだ。


 もっとも、何事もなかったかのように高校に通い続けることはさすがの氷室にもできず、夜逃げするように都内の私立に転校していった。

 元々折り合いの悪かった親との縁も切れ、どこかの施設に引き取られたとも聞いている。


 紗雪は、この事件をきっかけに、身を守る力をつけるために探索者になった。

 今では、優秀な「黒魔術師」として俺のパーティを支えてくれる存在だ。


「っと、準備しないと遅れるな」


 俺は部屋を出、洗面所で歯を磨いて顔を洗う。

 顔をざぶざぶやってから鏡を見る。


「……ん!?」


 強烈な違和感があった。


 少し背が低くなった?

 いや、高くなることはあってもこの歳で背が縮むことはないだろう。

 単に疲れて姿勢が悪くなってるとか?


「そんなこともない……よな」


 疲れを感じさせる部分はどこにもなかった。

 むしろ、探索者として鍛えた結果、昔より背筋が通ってしゃんとしてる。

 中学まではちょっと猫背気味だったくらいなんだけどな。

 目にも力があって、肌の張りも若々しい。


「いや、若々しいって。俺、高校二年だぞ? そりゃまだ若いだろうよ」


 しばらく鏡を覗いてみるが、結局違和感の正体はわからなかった。


「悠人ー、朝ごはんできてるわよ」


「わかった!」


 探索者を始めてから、以前はトーストとサラダくらいだった朝食は、かなりボリュームのあるものになっている。

 まるで朝練のある体育会系運動部の男子みたいな量だが、探索者稼業をやってるとこのくらいは平気で食べれてしまう。


 食後、制服に着替え、鞄の中身を確かめていると、玄関でチャイムが鳴った。


「今行く!」


 と、俺は自室から玄関に向かって叫ぶ。


 急ぎで靴を履き、玄関の扉を開けると、


「おはようございます、悠人さん!」


 同じ高校の女子制服を着た、金髪碧眼の小柄な女の子が元気に朝の挨拶をしてくれる。

 きれいな写真を撮るには朝がいいというが、この子ならおよそどの時間に見たとしても息を呑むほどの美少女っぷりに変わりはないだろう。

 俺はすっかり顔なじみになったハーフエルフの美少女に挨拶を返す。


「おはよう、ほのかちゃん」


「早くしないとバスに遅れちゃいますよ?」


「そうだな」


 俺は家の奥に向かって「行ってくる!」と言うと、靴のかかとを合わせながら外に出る。


 ……そこでふと、俺は隣の家を振り返った。

 バス停とは逆側なので、なぜそっちが気になったのか、自分でもわからない。


 うちと似たような造りの家の表札には「朱野城あけのじょう」と書かれている。

 幼馴染である朱野城芹香の住んでた家だ。

 中学までは結構仲がよかったんだが、高校からは別になった。

 芹香の両親が離婚した影響で、芹香の母親は経済的にかなり苦しい状況になってしまった。

 さいわいにも成績がよかった芹香は、特待生制度のある全寮制の女子校に進学してる。

 入学当初はスマホで連絡を取り合うこともあったんだが、最近はご無沙汰になってるな。

 寮の規則が厳しいらしく、気軽にスマホも使えないんだとか。

 学費免除の特待生だから、成績はもちろん素行にも注意しないといけないらしい。

 こっちもこっちで探索者としての活動で忙しく、こっちから連絡を取ることもできてない。

 いや、連絡を取るにしても、互いの置かれた環境が違いすぎて、どんな用件でメッセージを送ったらいいかもわからない。

 だいたい、ほのかちゃんという彼女がいるのに、幼馴染とはいえ他の女の子に連絡を取るっていうのもちょっとな……。

 芹香にはほのかちゃんとのことは話してないし。

 どうも後ろめたい気持ちがしてしまうよな。


「……ん?」


 今の、おかしくなかったか?

 ほのかちゃんとのことについて、芹香に対して後ろめたく思う?

 いや、逆だろ。

 芹香とやり取りすることについて、ほのかちゃんに対して後ろめたく思う。

 俺の置かれた関係性からすればそうなるはずだ。


「……どうしたんですか?」


「ああ、いや……」


 俺自身、何でそんな気持ちになったのかわからない。

 首をひねる俺に、ほのかちゃんが訊いてくる。


「それ、おしゃれですね。どうしたんですか?」


 と、俺の左耳を指さしてほのかちゃんが言う。


「えっ、なんのことだ?」


「そのイヤリングですよ。『防毒のイヤリング』のレアカラーに見えますけど」


 ほのかちゃんに言われ、俺は自分の耳に手を伸ばす。


 たしかに、イヤリングをつけていた。

 さっき洗面所で顔を洗った時点で既に装備してたっぽい。

 鏡を見て感じた違和感はこれだったのか?

 ……いや、なんか違う気がするな。

 このイヤリングには、むしろ違和感がまったくない。

 でも、記憶によれば俺は昨日までイヤリングなんてつけてなかった。

 それなのに違和感がなかったことにこそ、違和感を覚えるべきだろう。


 イヤリングに手を当て黙り込む俺に、ほのかちゃんが疑わしそうな目を向けてくる。


「……ひょっとして、女の子からの貰い物ですか? 私というものがありながら、ひどいです!」


「ち、ちがうって! これは……」


 これは…………えっ、なんだったっけ?

 毒だけとはいえ状態異常への完全耐性をもつこのイヤリングはそれなりに貴重だ。

 だが、あくまでも「それなり」でしかない。

 今の俺にはもっと有用なアクセサリがいくつもある。


 それに、俺の高校の校則ではアクセサリ(装備品ではなく一般的な意味の)は厳禁だ。

 校則が必ずしも守られてるわけじゃないが、女子ならともかく男子でイヤリングをつけてるやつなんていないだろう。

 それも片耳だけなんて、かなり痛い部類のイキリだよな。


 首をひねる俺に、


「じとー」


 ほのかちゃんが疑わしげな目を向けてくる。


「いや、ほんとにちがうから!」


 俺は慌ててイヤリングを装備から外し、通学鞄の中のマジックバッグに収納した。


「たしかに似合ってましたけど……悠人さんの趣味じゃないですよね?」


「た、たまたまだよ。寝ぼけて装備をつけちゃったんだろ」


 我ながらかなり苦しい言い分だが、そうとでも言うしかない。


「……まあ、悠人さんが付き合って早々に浮気するなんて思いませんけど」


「あ、あたりまえだろ!」


 俺は慌ててうなずいた。


 そう。

 俺は、ほのかちゃんと付き合ってる。

 ほのかちゃんこと篠崎ほのかを助けたのは偶然だ。

 ここから近い「黒鳥の森水上公園ダンジョン」で、悪い探索者に騙されていたほのかちゃんを助けた。

 悪い探索者というのは、奇しくも氷室純恋が下僕にしてた「アルティメットフリーダム」というサークルの構成員だった。

 その後、病気だという彼女の母親――なんと異世界からやってきたエルフだ――のために一緒にエリクサーを探し回るうちに仲良くなった。


 俺のパーティに入ったほのかちゃんは、「テレパス」という未知の上級職を手に入れている。

 テレパシーを使った通信に加え、仲間のやりたいことを読んでの神がかり的なフォローは、まさに以心伝心。

 敵の思考を読んで危険な攻撃を予告してくれることもある。 

 さらには、思念を介した味方へのバフ、敵へのデバフも強力だ。

 とくに、思念での思考妨害は、「混乱」など精神阻害系状態異常に耐性のある敵にも通用することがある。

 俺たちのパーティがレベル以上の力を発揮できるのはほのかちゃんの陰助があればこそだ。

 異世界のエルフ王クローヴィス・エルトランドとの死闘で生き残ることができたのも、ほのかちゃんのジョブの特殊性によるところが大きかった。


 そして先月、俺とほのかちゃんはついに大きな一歩を踏み出した。

 前々から好意には気づいていたものの、恩を売るような形で恋人になるのは気が引ける……と主に俺が遠慮してたのだが、とうとうほのかちゃんに押し切られた格好だ。


「えへへー」


 と、肘をからめてくるほのかちゃん。


「しあわせです……」


「ああ、俺も――」


 だ、と言おうとしてなぜか詰まる。

 急に喉になにかが詰まったような感じがした。


「悠人さん?」


「あ、ああ。なんでもない」


 俺は首を振ると、バス停を目指して足を速める。

 居心地の悪いなにかから「   」かのように――

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