99 海を穿つ
俺はクダーヴェの頭の上に乗って、奥多摩湖の上空までやってきた。
神社を出る前に、芹香が「やっぱり自分も行く!」と言い出してひと悶着あったが、なんとか納得してもらった。
芹香の実力はたしかだが、これから俺とクダーヴェがやろうとしてるのは、探索者が普通に思い描くような「戦い」じゃない。
凍崎誠二からの接触で、いくらか胸がざわついている。
話の内容もそうだが、あの人を人とも思わない冷たい目を向けられると、みぞおちに冷たい金属でも差し込まれたような気分になる。
……いくつか、疑ってることはある。
凍崎誠二はクローヴィスのことには触れなかった。
もちろん、これは当然だ。
普通に考えれば、異世界から堕ちてきたエルフの王と日本の政治家に接点があるはずがない。
今回の事件の背後に異世界のエルフがいたことは、まだ俺の周囲の少数のものしか知らないはずだ。
だが、凍崎はダンジョンが「魂のブラックホール」であると正しく認識していた。
凍崎は自分にも情報源があるとはぐらかしていたが……それがクローヴィスだというのは穿ちすぎか?
でも、俺がその知識を得たのはクローヴィスと同郷のはるかさんからなんだ。
むしろ自然なくらいだよな。
クローヴィスが協会の探索者を物品化する手際がよすぎたことも、凍崎の協力があったと考えれば平仄が合う。
政治家で元企業経営者であり、何より娘である凍崎純恋は探索者ギルドの代表だった。
「羅漢」の元メンバーの中には、凍崎純恋ではなく凍崎誠二の影響下にある探索者だっているだろう。
このところの連続フラッドで探索者協会が出動を要請した探索者の情報が凍崎に漏れてたとしてもおかしくない。
もし凍崎とクローヴィスに接点があったのなら、凍崎が協会の情報をクローヴィスに流した……なんて可能性も出てくるよな。
だとすれば、クローヴィスにブレインイーターを仕込んだのも凍崎ということか?
ブレインイーターのドロップ枠には「ブレインイーターの乾燥卵」なるアイテムがあった。
凍崎は羅漢のツテで乾燥卵を手に入れ、なんらかの手段でクローヴィスにそれを植え付けた?
凍崎が俺に接触してきたのは、クローヴィスが余計なことをしゃべってないか確かめるためだった……とか?
実際、ブレインイーターというのは情報の秘匿という意味ではうってつけのモンスターだよな。
「……さすがに考えすぎか?」
今回のダンジョン崩壊の黒幕は凍崎誠二……というのは、俺のやつへの反発が生み出した妄想だろうか?
クローヴィスとのつながりがなかったとしても、羅漢や政府機関をうまく使えば、俺に披瀝した程度の情報は手に入るんじゃないか?
「クローヴィスと接点があったとして、凍崎がクローヴィスに協力する動機はなんだ?」
凍崎は俺に異世界との回廊を塞ぐなと言ってきた。
異世界とのあいだに回廊を作り出すのが凍崎の目的だったということか?
その成果を官邸に売り込むことで娘の失態を挽回しようとしてるのか?
……いや、凍崎が政治的に追い詰められていたとしても、ダンジョン崩壊を許容するというのはいくらなんでもやりすぎだろう。
その結果として米軍の核攻撃を招く事態になったのだとしたら、娘の失態どころの話じゃ済まないはずだ。
「今それを考えてもしかたがないか」
俺はクダーヴェの頭から身を乗り出し、地上の光景に目を凝らす。
夜の闇に覆われた山間部は元から明かりに乏しかったが、その中でもいっそう黒々と闇がわだかまっている部分があった。
「奥多摩湖は……ほとんどダンジョンに呑まれたみたいだな」
俺が天狗峯神社とのあいだを往復してるあいだにも、ダンジョンの崩壊は進んでいる。
黒い球体は奥多摩湖のほとんどを呑み込み、その周囲に広がろうとしていた。
残り少ない湖水と、地上の建物、崩壊した地盤が、太陽の周囲を公転する惑星のように漂っている。
不幸中の幸いは、奥多摩湖ダムが湖水ごと一息にダンジョンに呑まれたらしいことだ。
もし一部だけがダンジョンに呑まれてダムが決壊したりしてたら、下流に甚大な被害が出ていただろう。
「クダーヴェ。本当に突破できるのか?」
『当たり前だ』
クダーヴェが心外そうに言う。
崩壊したダンジョンに、もはや入口という概念はない。
しいていえば、その表面全てが入口だ。
しかし、崩壊したダンジョンの内部がまともであるはずがない。
それはもはや入口や出口の保証されたダンジョンではなく、一度入ったら出られない魂の牢獄だ。
そんなところにまともに突っ込むのは単なる自殺行為でしかない。
『俺様のブレスをもってすれば、崩壊したダンジョンごとき消し飛ばせる』
「でも、全部を消し飛ばせるわけじゃないんだろ?」
『ああ。えぐり取ってやることはできるだろうが、まるごと消滅させることまではさすがにできん。えぐり取っては突っ込み、さらにえぐり取ってはそこに突っ込む。そうしてダンジョンの核までたどり着き、どうにかして世界に空いた「穴」を埋めるというわけだ』
「おまえとシュプレフニルではどっちが強いんだ?」
『俺様だ……と言いたいところなのだがな。強さの定義によるとしか言えぬ。俺様と奴とでは存在のあり方が違いすぎるからな』
「どう違うんだ?」
『そうだな……隕石と海とでどちらが強いかを決めるようなものだ』
「おまえが隕石ってことでいいのか?」
『うむ。もたらす破壊力の面では俺様のほうが上だろう。だが、奴にはそれをものともしないだけの圧倒的な物量がある。隕石が海を荒らすことはあっても、干上がらせるのは並大抵のことではあるまい。海に落ちた隕石は永き時を経て侵食され、やがては海底の一部となっていく。まあ、これはあくまでも喩えだ。俺様がそう簡単に海の藻屑と化すことはありえんがな』
「逆に、海を干上がらせることも難しいってわけか」
『うむ。だからこそ、おまえの力が必要なのだ、悠人』
「隕石と海の戦いで、俺に何ができるんだよ?」
『そう卑下したものでもない。ダンジョンは魂の牢獄だが、だからこそ、それを真に打ち破れるのも人の魂にほかならぬ。準備ができたのなら行くぞ』
「ああ、行こう」
こうしてるあいだにもダンジョンの崩壊は進んでいる。
問題なのはダンジョンの崩壊だけじゃない。
ダンジョンの崩壊に先立って、その進路上にある都市に核が撃ち込まれる。
まだダンジョンが広がってない地域であっても、ダンジョン崩壊への焦土作戦として予防的に核が落とされる。
焦土作戦なら焼かれるのは兵糧と施設だけだろうが、今回の核攻撃はダンジョンの「兵糧」である人間の魂を根絶やしにするためのものだ。
もし実行されれば人類史上に残る大量虐殺になりかねない。
……なんで俺がそんなのを止めなきゃいけないんだ、と思わなくもないのだが。
他にできるやつがいないんだからしょうがない。
せいぜい、芹香の顔でも思い浮かべて覚悟を決めるしかないだろう。
なお、俺がダンジョン崩壊を阻止した場合、そのことは「天の声」が広い範囲に宣言してくれるものと思われる。
ダンジョン崩壊が起こったことを宣言したんだから、その崩壊が止まったことも宣言するはずだ。
実際、ダンジョンフラッドでは「天の声」はフラッドの終息を必ず宣言してるらしいからな。
俺が崩壊を止めたのに米軍がそのことに気づかず核ミサイルが飛んでくる……という心配はないだろう。
ちなみに、俺の今の装備はクローヴィスから「強奪」した「世界樹の杖」「エルヴンマント」「隼の靴」「守護の指輪」になっている。
クローヴィスが装備していたアクセサリは「殺戮の指輪」だが、これは攻撃力と魔力が大幅に上がる代わりに防御力と精神力と幸運ががくんと下がるという代物だ。
クローヴィスの(装備していなかった)所持品から盗んだ「守護の指輪」のほうが無難だろう。
「守護の指輪」は、被ダメージを一律10%カットし、物理攻撃によるよろめきやノックバック、スタンをそれなりの確率で無効化するという優れ物だ。
クローヴィスがもしこっちを装備してたら俺の攻撃による硬直も短くなってたかもしれないな。
クローヴィスが「守護の指輪」を選ばなかったのは、「高慢」だけで防御面は十分と踏んだからだろうか。
ともあれ、これで全身の装備が一気に強力なものに入れ替わった。
探索者救出の思わぬ副産物だな。
上昇する能力値は1万台から3万台だから、今の俺のステータスからするとないよりはマシ程度ではあるのだが。
でも、「世界樹の杖」は魔力の通りがおそろしくいいし、「エルヴンマント」や「隼の靴」は回避率が上がったり身軽になったりする効果がある。
この狂った現代地球においてもこれ以上の装備はなかなか望めないんじゃないだろうか。
今回は緊急事態ということで散々タダ働きさせられてる感があるものの、クローヴィスの装備一式だけでもそれなりの埋め合わせにはなってそうだ。
夜風にはためくエルヴンマントを押さえながら、俺は黒い球体を睨み据える。
「いつでもいいぜ」
『ならば――行くぞッ!』
クダーヴェはいったん高度を上げ、ダンジョンの真上に位置取った。
クダーヴェは大きく
――グウウ……、ヴァアアアア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!!
咆哮――ではなかった。
クダーヴェが放ったのは、黒紫に輝くドラゴンブレスだ。
――メギドブレス。
事前に聞いた話だと、物質・精神を問わずあらゆるものを消滅させる滅びのブレスらしい。
クダーヴェの本性は、破壊。
あらゆるものを滅ぼし、虚無へと
これまでクダーヴェが咆哮ばかり使ってたのは、このメギドブレスがあまりにも強力すぎるからだ。
ダンジョン崩壊が世界に穴を空けるのとはまた別の原理で、この滅びのブレスも世界そのものに穴を空けてしまう。
クダーヴェのメギドブレスと、崩壊したダンジョンの闇の球体――
ともに人間にとっては悪夢のような二つの力が拮抗……しなかった。
滅びのブレスは、闇の球体を上からごっそりとえぐり取った。
『ちぃっ、やはり滅ぼしきるのは不可能か』
クダーヴェは毒づくと、上部がえぐられた球体に向かって急降下を始めた。
どんな力を使ってるのか、急降下は自由落下の何倍もの早さで速度を増す。
「なんて勢いだよ……!」
俺は振り落とされないようにクダーヴェの角にしがみつく。
クダーヴェは降下速度を緩めないまま、
――ヴゥアアアア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!!
二度目のメギドブレスを吐く。
さらにえぐれた球体に突っ込むクダーヴェ。
えぐられた球体は、緩慢にだが、周囲から闇を集めて元の形に戻っていく。
いや、緩慢に、というのは語弊がある。
あまりに大きいからゆっくり見えるだけで、その再生速度はかなりのものだ。
クダーヴェがメギドブレスを吐き、そこに突っ込み、さらにブレスを吐き――
闇の球体の内側に入った俺たちを覆うように、球体の上部が闇によって閉ざされた。
えぐられた周囲の闇も膨張し、俺とクダーヴェを呑み込もうと迫ってくる。
『ええい、猪口才な!』
クダーヴェも降下速度を緩めざるをえない。
回転しながらメギドブレスで闇を薙ぎ払う。
それで空間は確保できたが、その分前に進む速度が遅くなる。
『悠人! 何とかできぬか!?』
「ダンジョンそのものに効くスキルなんて知らないぞ!」
『一時しのぎでも構わん!』
「そんなことを言われてもだな……そうだ、防ぐだけならあれが使えるか!?」
俺が思い出したのはこのスキルだ。
Skill──────────────────
擬似無敵結界1
異界の**のみが使えるとされる無敵結界を擬似的に再現したもの。MPをすべて消費し、(S.Lv×5)秒間対象へのあらゆる攻撃を無効化する。MPが最大値でない場合には使用できない。使用中、スキルの使用者は他の行動を取ることができない。
────────────────────
問題は、これをクダーヴェにかけた場合に、その無効化範囲に俺も含まれるかどうかだが……
「ええい、やってみるしかない! 『疑似無敵結界』!」
目の前がブラックアウトしそうになった。
MPが一瞬で全部持っていかれたからな。
貧血を何倍も酷くしたような脱力感が俺を襲う。
代わりに、クダーヴェを覆うように恐ろしく強固な魔力の壁が生まれるのを感じた。
クダーヴェにひっついてる俺も障壁の中に含まれている。
『クハハハ! これはよいな!』
クダーヴェは「疑似無敵結界」をまとったまま、闇の球体の中心に向かってパワーダイヴ。
ブレスを吐かないのは……そうか、結界がブレスも阻んでしまうのか。
って、この結界はクダーヴェのメギドブレスすら防げるのかよ。
「クダーヴェ! この結界は5秒で切れるからな!」
俺はクダーヴェの角にしがみつきながらそう叫ぶ。
この隙にアイテムボックスからエリクサーを取り出して飲みたかったんだが、どういうわけか「アイテムボックス」のスキルが使えない。
いや、どういうわけかじゃないな。
説明文にある通り、「使用中、スキルの使用者は他の行動を取ることができない」ってことだ。
となると、結界が切れる前にエリクサーでMPを回復して結界を張り直すってことはできないな。
『何っ!? 短すぎるぞ!』
きっかり5秒後、「疑似無敵結界」が効果を失った。
クダーヴェが前方にメギドブレス。
俺は急いでエリクサーを飲む。
闇が迫ってきた頃合いを見て「疑似無敵結界」を再展開する。
また5秒のパワーダイヴ。
メギドブレス。
エリクサー。
結界。
俺とクダーヴェはそのサイクルを何セットもくりかえす。
「……って、いくらなんでも長すぎないか!?」
クダーヴェが音すら置き去りにする速度でダイヴしてるのに、いまだにダンジョンの底が見えてこない。
『これほどの規模のダンジョンなのだ、当然だろう!』
「あ、そうか、ダンジョンなんだったな」
あまりに規格外すぎて忘れてたが、今いるのはダンジョンの中。
外からの見かけよりもずっと広いのは当然だ。
よく見れば、闇の中には、ダンジョンの構造物らしきものだったり、モンスターらしき影だったりが混じっている。
混じっている、というのは言葉の通りだ。
ダンジョンの構造物とモンスターの身体とが未分化のままアメーバのように増殖していく。
「ブラックホール」としての内圧で潰れたのか、それともまだ発生過程の途中なのか。
いずれにせよこんな状態のダンジョンをまともに攻略できるとは思えない。
ダンジョンごとアタック(物理)するというクダーヴェの提案に乗って正解だったな。
「あとどのくらいかわかるか!?」
『だいぶ「深く」なった手応えはある! 残り半分もないだろう!』
「……それならギリギリ足りそうだな」
エリクサーは水上公園ダンジョンのボスからかなりの数を盗んでストックしてある。
クローヴィスからも数個だけだが盗めたな。
メギドブレスで道をこじ開け、そこに「疑似無敵結界」でダイヴする。
生きた心地がしなかった。
俺がエリクサーの残数に不安を覚えはじめたところで、
『抜けるぞ! 備えろっ!』
俺とクダーヴェは、黒と白のせめぎ合う空間に抜けていた。
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