100 「  」

 魔境と化した崩壊後のダンジョンを、力任せに突破した。


 一転、視界が開ける。


「これは……」


 俺とクダーヴェが出たのは、さっきまでとは打って変わってめちゃくちゃ広い空間だ。

 その広さは……そうだな、戦闘機がドックファイトできそうなくらいはある。


 といっても、外に開けた空間ではない。

 天井代わりになってるのは、さっきまで必死に抜けてきたダンジョンの闇。

 対して、底の側からは、無数の白い線が天井に向かって伸びている。

 白い線は、一見無秩序なようでいて、全体を見ると幾何学的な織り目を描いている。

 ブラックチョコレートにホワイトチョコレートを網目のようにかけたチョコがあるよな。

 広がる光景を見て俺が最初に連想したのはそのチョコだ。

 あるいは、パティシエのコンテストに出品された芸術的な飴細工のようでもある。

 ただし、その規模はとんでもない。

 ちょっと離れたところから見たら、クダーヴェがアーモンドの粒のように見えるだろう。


 底から伸びる白い線の群れは、螺旋を描きながら外側へ、上側へと伸びていく。


 その螺旋の中心を目で探す。


 線を逆に辿れば一目瞭然のはずなのだが、なぜか螺旋の中心が見つからない。


 おかしい。

 もう一度螺旋を逆にたどってみるが、白い網目がいつのまにか消えている。

 目でしっかり追ってるはずなのに、消えた瞬間すらわからない。


 小さい頃に見た騙し絵の絵本みたいだな。

 高さを無視して無限に循環する水路とか、先が三本のはずなのに股が一つしかないフォークとか。

 ああいうのを目で追ってるときのような感覚だ。


『あれが「穴」だ、悠人』


 クダーヴェが小さく顎をしゃくって「そこ」を指す。

 クダーヴェがどこを指したのかはわかるのに、「そこ」を見ることができなかった。

 何かに隠れて見えないとかじゃない。

 見ようと思っても見えないのだ。

 視界にはたしかに入ってるはずなのに、何かを見てるという感覚が生じない。


「なんだこれ……? 俺の目がおかしいのか?」


『そうか、人間には  は認識できないのだったな』


 クダーヴェの言葉には不自然な飛びがあった。


「えっ、今なんて言った?」


『  だ』


「……ふざけてるんじゃないよな?」


『ふむ。どうやら、  を言語としてすら受け付けぬようだな。興味深い現象だ。  を指し示す言葉が認識の段階で機能不全を起こすということか』


 何やら納得してる様子だが、俺にはさっぱりわからない。


「あの渦みたいなのの真ん中に何かがあるってことか?」


『何かがある、か。どちらかといえば、おまえの目に映っているのは「何かがない」という現象だろう。「何かがない」という事象がある、とでも言おうか。厳密には、あれは事象ですらないのだがな』


「いきなりそんな哲学めいたことを言われても困るんだが」


『あれは、世界と世界の狭間にあるものだ。あるいは、世界と世界の狭間に「ない」ものともいえる。これは考えてみれば当然で、世界が「ある」ものである以上、世界と世界の狭間に「ある」はありえないのだ。もしそこに「ある」があるならば、その場所はいずれかの世界に属しているか、それ単独でひとつの世界だということになるからな。だが、何もないというのも不正確だ。世界と世界の狭間には、新たな世界が生まれる可能性も残されている。「ある」になりうる「ない」がある、だが、それは「ない」である以上、普通の意味で言う「ある」ではありえない……ということだ』


「いや、その説明で『ということだ』とか言われても……」


『これ以上説明しろと言われても困るぞ』


「……要するに、色即是空とか、『無とはいったい……うごごごご!』みたいな感じか?」


『後のほうは知らぬが、前のほうは当たらずと言えども遠からずだろう』


「じゃあさしあたり空隙ブランクとでも呼ぶか」


『うむ。その空隙ブランクが、向こうの世界へと開いた「穴」から覗いておるのだ。その空隙ブランクの外縁から這うようにして侵入してきておるのが、界竜シュプレフニルの「繊維」であるな』


「この白いのが全部そうなのか?」


『そうだ。だが、俺様が思っていたより「穴」そのものは小さいようだな。「繊維」の侵入も間隙を縫ってようやくといった感じだ』


「……ひょっとして、クローヴィスが死んだせいで儀式が不完全になったのか?」


 クローヴィスが脳に埋め込まれたブレインイーターによって殺されたことで、異世界への回廊を開く儀式が完成した。

 だが、クローヴィスはこの儀式を自分が向こうに帰還するために準備したはずだ。

 術者死亡で儀式が成立した結果、元の意図よりも小規模な現象しか起こせなかったんじゃないか?


『かもしれぬな。ここには、まだどちらの世界にも属さぬ空隙ブランクが大量に流れ込んでおる。これを利用すれば穴を修復することができるやもしれん』


「本当か!? どうすればいい?」


『それは――』


 クダーヴェが口を開きかけたところで、白い網が波を打って俺たちに迫ってくる。

 クダーヴェを呑みこむ規模の、白い網でできた高波だ。


『ちぃっ!』


 クダーヴェがブレスを白い網に浴びせる。

 網は紫色に燃え上がり、その直後に見えなくなった。

 見えるはずなのに見えない――空隙ブランクになったのだ。


 だが、それがきっかけになったのか、空間に渦巻く白い網――シュプレフニルの「繊維」が、一斉に俺たちに向かって襲いかかってくる。


『悠人っ! あの「穴」の空隙ブランクを書き換えるのだ!』


 クダーヴェが「繊維」を焼き払いながら俺に言う。


「書き換える!? どうやって!?」


空隙ブランクは世界と世界の狭間に……ええい、あるともないともいえない感じで、ないながらあるものだ! 要するに、どちらの世界にも属さぬ空隙ブランクだ! その空隙ブランクに、この世界の「規則」を刻み込むのだ!』


 「繊維」はひとりでに編み上がりながら、布、ドーム、球、円錐……といった形を作っていく。

 まるで指のないあやとりだ。

 思わず見惚れてしまうような幾何学的な美があるが、危険なものだってことは見ればわかる。

 さっきから俺は、コンマ秒ごとに土俵から転げ落ちる直前の力士のような危機感に襲われている。

 大相撲の千秋楽、負けられない大一番。満員御礼の国技館の土俵で、俺は相手の力士に押しまくられ、あと一歩で土俵を割る、そんなイメージがどこからともなく湧いてくる。

 最初は何かと思ったが、「土俵際」――食らったらHPが0になる攻撃を察知するスキルが、シュプレフニルの「繊維」に反応してるんだな。

 つまり、あの白いあやとりに呑まれたら、俺なんか一撃で死ぬってことだ。


 そのあやとりの周囲には、俺の認識を逃れる「何か」が漂っている。

 濃度にはむらがあるが、「穴」の周囲は濃く、ダンジョンの底(俺から見て天井)側に近づくほど薄くなっている。

 認識を拒む空隙ブランクのせいで、俺は「繊維」の動きを正確に把握するのが難しい。

 「繊維」は実際に「ある」ものだから見えるんだが、視界に空隙ブランクが映り込むたびに目の焦点がぼやけるんだよな。


 クダーヴェはその空隙ブランクにこの世界の規則を刻めと言った。

 空隙ブランクをこの世界の一部に変えればあの穴を塞げるということか。

 なるほど、発想としては理解できる。

 でも、


「規則ってなんだよ!?」


『この世界の規則だ! わからぬか!?』


「この世界の規則……そうか!」


 最初に思いついたのは、この狂った現代を支配する「規則」のことだ。


 ステータス。

 そしてスキル。


 だが、それだけじゃない。

 俺が次に思い出したのは、神様の話してた「因果」のことだ。

 あの神剣が持つ因果は、この国の有史以来の神話に根ざすものだ。


 この世界の規則を空隙ブランクに刻み込むことで、空隙ブランクをこの世界の一部に変えられるってことか。

 シュプレフニル召喚の儀式が中途半端だったからか、「穴」からは大量の空隙ブランクが流れ込んでいる。

 その空隙ブランクをこの世界の一部とすることで、「穴」に栓をしようというのだろう。


『長くはもたぬぞ! 時が経つほどに「繊維」が増える! 「繊維」は周囲の空隙ブランクを己自身に書き換えておる! 界竜シュプレフニルは世界の境界を定める竜……空隙ブランクの扱いはお手の物だ!』


 あっちはあっちで、空隙ブランクをシュプレフニルの「繊維」に変えようとしてるらしい。

 時間が経つほど飛躍的に不利になるってことだ。


「わかった! クダーヴェ、3秒くれ! 3秒経ったら全力であの『穴』に向かうんだ! 俺は『穴』を認識できないから、頭を『穴』に正確に向けてくれよ!」


『いいだろう! クハハハ! まるで神話の戦いではないか! 滾る、滾るぞォッ!』


 一気に動きが激しくなったクダーヴェの頭上で、俺は自分の思考に意識を集中する。


 いや、大事なのは思考ではなく感情だ。

 今からやることを可能な限り悲観的に・・・・想像するんだ。


 チャンスは一回しかない。

 凄まじい空中機動を見せるクダーヴェだが、その身体の一部に「繊維」が付着しはじめてる。


 クダーヴェは意地でも三秒を稼いでくれるだろう。

 その後の突撃もやってのけるにちがいない。

 だが、そのチャンスを逃してしまったら、二度目のチャンスがあるとは思えない。


 クダーヴェがやられたら、そこで俺は終了だ。

 触れたら即死の「繊維」の海に投げ出されては、どんなスキルも意味がないからな。


 神様から借りた神剣は、当たり前だが一振りしかない。

 俺が想定してる最大火力のコンボにはあのスキルを組み込むから、神剣は一度使ったらそれでおしまいだ。

 クダーヴェの再接近以上に、こっちは完全無比の一発勝負になってしまう。


 その上、最大戦速のクダーヴェの上からの攻撃だ。

 スキルの組み立て云々以前に、最大の問題は攻撃を外さないかだろう。


 一発だけの、タイミング勝負。

 完全な目押しになるってことだ。


 ところで、俺は音ゲーが下手くそだ。

 こう、迫ってくるプレッシャーに負けてどうしてもジャストより早く押してしまうんだよな。上手い人はリズムに合わせればいいって言うけど、ノーツを見ないでリズム通りに押すと絶対ずれる。

 あれって、譜面を死ぬほどやり込んでるからこそリズムに合わせるだけでノーツにも合うってことなんじゃないか? 俺みたいな音楽の素養のないやつが漠然とリズムに合わせたところでちょっとずつズレるに決まってる。リズムに合わせると言ったって、どの音にノーツが設定されてるかはやって覚えるしかないわけだし。

 そうなると、結局目押しを頑張るしかない。

 でも、ノーツが増えるごとに目押しじゃ処理しきれなくなるのも事実だよな。難易度が上がるほどに集中力を維持するのも難しくなるし。

 そもそも、神経尖らせてノーツ睨んで目押しを一つも外さず成功させなきゃならないってのがつらいよな。

 いやもちろんパーフェクト取ったときの達成感とか譜面を繰り返すことで曲と一体になってく感じが気持ちいいってのはわかる。

 根性なしと言われそうだけど、たまに怖いもの見たさで音ゲーに手を出しては、高難易度の曲に心を折られてアプリを消すの繰り返しだ。

 え? 上手くなるのに近道はない、時間をかけてやりこむからできるようになるんだ、って? それはド正論なんだが、自分の成長速度と必要な努力量のバランスが後者に傾くと、やっぱりモチベが切れるだろ。結果、もっと楽に快楽を得られる他のゲームに流れてくってわけだ。つまるところ、俺は音ゲーに向いてないってことなんだろう。

 リズムが取れないってことは、間が取れない、間が読めないってことにもつながってる。つまり、俺は世の中のテンポに合わせられない間抜けだってことだ。俺の人生はいっつもそうだ。周囲が刻んでるリズムに気づかず、一人だけ間の抜けたときに音を出しては顰蹙を買う。

 やり直しの利く音ゲーですらその体たらくなのに、今回は一発勝負のタイミングゲーと来たもんだ。

 悪名高いQTE(クイックタイマーイベント:ゲーム中にいきなりボタンの表示が出て消える前に押せ!ってやつ)の、超高難易度バージョンだよな。

 一瞬だけ表示される□ボタンを押し損なったら世界滅亡。

 やめてくれよ。クソゲーにもほどがあんだろ!

 なんで俺が世界の命運を担った一発勝負、たぶんミリ秒単位のQTEをやらなきゃならないんだ? 俺は人生のリズムをことごとく外してきた音感なしの男だぞ? 人選が決定的に間違ってる! 俺が何か悪いことをしたか? でも、俺以外にできそうなやつがいないのも確かだ。逃げるわけにはいかないとわかってはいるが、だからこそそんな現実から逃げたいんだ……!!!



 心の中で魂の叫びを続けることジャスト3秒。



 俺は、時間が止まりすべてが紫の輪郭と化した現実ではない亜空間に現れた。

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