98 甘言

「で、結局何の用なんだ? 経営談義がしたかったわけじゃないんだろ?」


 ブラックとはいえ、経営者相手に仕事論でマウントを取ろうとしたのが馬鹿だった。

 そりゃ、いくらでも反論を用意してるだろうさ。

 未だにいくつも訴訟を起こされてるはずなんだからな。


 というより、俺に対して精神的優位を築こうというこいつのもくろみに乗せられかけてたんだろう。

 芹香のおかげで我を取り戻すことができた。


『もちろん、目下の緊急事態についてだよ』


 凍崎は赤い舌で唇を小さく舐めてから、


『本来は機密事項なのだが、特別に総理から許可を得た。政府側の「対策」を君に教えよう』


「対策? そんなものがあるのか?」


『まあ、率直に言えば、ないのだよ。我が国の手には余る事態だ。しかし、我が国には心強い同盟国がいる。彼らは核を使うそうだ』


「「なっ……」」


 俺と、そばで聞いていた芹香が驚く。


「だが、核ミサイルでもダンジョン崩壊を止めることはできないと思うぞ」


『むろん承知しているとも。ダンジョンとは、人を喰らって膨張する魂のブラックホールなのだからね』


 凍崎から出た言葉に、俺はわずかに目を見開いた。

 もちろん、凍崎は俺の表情の変化に目敏く気づく。


『私が知っているのが意外かね? 政府にも当然情報ルートはある』


「じゃあ、なぜ核を?」


『たしかに、核でダンジョンを滅ぼすことは不可能だ。だが、ダンジョンの「餌」となるものを滅ぼすことはできる』


「餌だって?」


『そう。「天の声」が有り難くも警告してくれたとおり、このままではいくつもの地方都市がダンジョンに呑み込こまれる。今からでは到底避難も間に合わない。ならばいっそ――』


「……ダンジョンに呑まれる前に、都市に核を落とそうってのか!?」


 ダンジョンの「餌」は、人間の魂だ。

 ダンジョンは魂を呑み込めば呑み込むほどに強くなる。

 逆に言えば、ダンジョンは人間の魂を取り込まない限り、それ以上強くなることはないということだ。


 だから――ダンジョンに都市が呑まれる前に、逃げ遅れた市民を核で焼く。

 先回りして殺してしまえば、市民たちの魂がダンジョンに呑まれることはない――。


「し、正気かよ……!?」


『青梅市、相模原市、飯能市、秩父市、甲州市……状況次第では念のため・・・・もう少し遠くの都市にも核が落ちることになるかもしれないね。八王子、立川、狭山、入間、山梨、甲府といったあたりがリストに上がっている』


 冷ややかな笑みを口元に浮かべ、凍崎は標的の都市を詩でも吟じるかのように列挙した。


『これ以上対象が広がると、東京の西半分を焼け野原に変えることになってしまう。だからこそ、躊躇はできない。確実に、その手前でダンジョン崩壊を食い止めねばならない。核を落とすタイミングが遅すぎても、死んだ直後の魂がダンジョンに呑まれる結果になってしまう。先手を打ち、確実に殲滅する必要がある』


「そ、そんな……」


 と、声を漏らす芹香。


『核攻撃に参加するのは米軍の予定だが、調整次第では国連軍という形になるかもしれない。アメリカだけでは一般市民への核攻撃を正当化しきれないということだね。第二次大戦以来の出動となる国連軍――実質的には米中露の三カ国軍だが……彼らが日本国民の犠牲を最小にしようと配慮してくれるかどうかは神のみぞ知るところだ』


「「…………」」


 俺と芹香は絶句した。


『人口密集地に対する核による焦土作戦だ。まったく正気の沙汰ではない。ダンジョンが出現して以来、とても現実とは思えないことばかりが起こるが、今回のこれは極めつけだな。私には、世界が狂ったとしか思えんよ』


「……なんでそんな情報を俺に流す?」


『万策尽きた政府としては、君に託すしかないというのが本当のところだ。私としても半信半疑だったのだが、君の様子を見ていて確信したよ。君は勝つ気でいる。君には現実的な勝算があるらしい。核が落ちる前に止めると、君の顔に書いてある』


「……そんなことがどうしてわかる?」


『私は企業経営者だ。これまでたくさんの嘘つきと関わってきた。中でも注意が必要なのは、できないことをできると言い張る嘘つきだね。そういう嘘つきの顔は、見ればわかる。彼らを操縦する技術もまた、経営者の大事なスキルなのだよ』


「嘘つきだとわかってるのに使うのか?」


『私はチャンスをやっているのだ。本人ができると言っているのだからね。本当はできないにせよ、そう言った以上は言葉の責任を取ってもらう必要がある。できないことをできないと言って恥じない正直者など、鉄火場ではなんの役にも立たない。自分の言葉に追い詰められ、死ぬ気で駆けずり回る嘘つきこそが、企業にダイナミックな成長のモーメントを与えてくれるのだ。なに、心配はいらない。嘘を現実に変えた嘘つきどもは、泣いて私に感謝してくれるよ。「会長のおかげで成長できました」「人間としての殻を破れました」とね』


「……あんたのお寒い経営論はもう結構だ。用はそれだけか?」


『いや。最後にひとつだけ頼みがある』


「頼みだと?」


 聞き返す俺に、


『やりすぎないでほしいのだ』


 凍崎がはっきりとそう言った。


「どういう意味だ?」


『崩壊したダンジョンを止める。それはいいだろう。国益にも適っている』


「じゃあなんだよ?」


『異世界へと通じる回廊をみすみす塞いでしまうのは、もったいないとは思わないかね?』


「……そういうことか」


 はるかさんから聞く限りでは、「向こう」の世界の文明水準はお世辞にも高いとはいえないようだ。

 でも、魔法を初め、こちらにはない技術もある。

 探せば地下資源だってあるかもしれない。

 マナコインによる魔力発電が普及したとはいえ、この国が大量の資源を必要とすることに変わりはないからな。


「約束はできないね」


 こいつへの反感を抜きにしても、都合のよすぎる注文だ。

 異世界から穴を押し広げてやってくる界竜シュプレフニル――そんな神話も真っ青な事態の中で、崩壊だけ止めて回廊を残すなんて器用な真似ができるとは思えない。


『むろん、可能ならばでかまわないさ。世界が滅んでは元も子もないからね』


 ……こいつの目的は、俺に釘を刺すことだったのか?

 同時に、危機感を煽って、俺がまちがっても逃げ出さないようにしようってか?

 無数の市民が核で死ぬと聞かされれば俺はもう逃げられないと踏んでるのか――こいつの養女のいじめから学校の後輩をかばったときのように。


『蔵式君。今回の件を解決したら、君は救国の――いや、救世の英雄だ。国は君の望むものをなんだって用意するだろう。

 金がほしいか? ならば、一生使い切れないだけの資産を与えよう。

 一等地に豪邸がほしいかね? ならば、君の望むとおりの場所に、望むとおりの大邸宅を用意しよう。

 正義の味方としての名誉がほしければ、国を挙げて君を英雄に仕立ててあげよう。

 いや、君の歳ならば、女のほうがほしいかもしれないね。君には憧れている女優やアイドルはいないかな? べつに一般人でもかまわない。愛まで手に入るかどうかは保証しかねるが、好きなだけ抱けるように取り計らってあげよう。

 なんなら、孕ませてくれてもかまわない。優秀な探索者の資質が子どもに遺伝するかどうかは研究の途上だ。国にとっても貴重なサンプルになるからね。

 あるいは――』


「いらねえよ」


 俺は凍崎のよく回る舌を遮った。


「俺は俺だ。英雄になんかなりたくもない。ぶら下げられた人参のために踊るつもりもない」


「悠人……」


『くくっ、そうか。それは残念――』


 凍崎の言葉の途中で、俺はアプリの通話を遮断した。

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