97 接触

『覚悟は決まったようだな』


 クダーヴェが俺を見下ろして言ってくる。


「ああ。待たせたな」


 そう言ってクダーヴェによじ登ろうとしたところで、


「悠人!」


 芹香が俺の近くにやってきた。

 その顔には緊張の色がある。

 さっきのことで顔を合わせにくいのに来たってことは、何か起きたということか。


「どうした?」


「政府の人から通信が入ってるの。蔵式悠人はいるかって」


「政府だって?」


 ……まあ、こんな事態だからな。

 政府は政府で奥多摩湖ダンジョンの崩壊について情報を集めてるはずだ。

 今境内にいるのは探索者ばかりだが、その中には政府とつながりのあるやつだっているだろう。

 もっと言えば、政府が送り込んだ人員がいるのかもな。


「どこから漏れたかはわからない。ごめんね、隠しきれなくて」


「しょうがないさ」


 終わったあとに厄介なことになりそうだが、しかたがない。

 俺を名指しで来た以上、俺がここにいることも割れてるはずだ。

 芹香の立場で、そんなやつはいないとしらばっくれるわけにもいかないだろう。

 こんな緊急事態で情報を伏せたりしたら、後々パラディンナイツが非難されることになりかねないからな。


「で、どうすればいい?」


「このタブレットでつながってるから」


 芹香がギルド用らしいタブレットを渡してくる。

 会議用のアプリ……かと思ったが、微妙にちがうな。

 秘匿性の高い政府専用アプリかなんかだろうか。


 だが、重要なのはそんなことじゃなかった。

 ニュースで見た官邸の内部みたいな背景をバックに、見覚えのある顔が胸から上を出している。


「……凍崎誠二」


 おもわずその名をつぶやいてしまう。

 酷薄な印象のある、半月型の眉と唇。

 スーツのピンホールには議員バッジが付いている。

 官邸の内部みたいな、ではなく、本当に官邸の内部だったらしい。


『君のような若者に知っていてもらえるとは光栄だね』


 青白い唇が言葉をつむいだ。


「……失礼しました。凍崎議員、とお呼びすれば?」


 年齢と立場を考えた口調でそう答える。


『どうやら、鍵を握るのは君らしい』


「なんのことでしょうか?」


『空々しいとぼけかたはやめたまえ、黒天狗』


 黒天狗――そういえばこいつは俺のことを探してるんだったな。

 正確には、光が丘公園ダンジョンでのフラッドの「真相」を知るはずの俺のことを。

 俺からすれば、あれは凍崎純恋の自滅みたいなものなのだが。


「黒天狗というのは、前にあなたがテレビで探してると言ってた探索者のことですか?」


 と、一応とぼけてみる。


『そうだ。調べはついているのだよ』


「……なにか証拠でも?」


『君は光が丘公園ダンジョンのフラッドが終息した直後の時刻に、パラディンナイツのギルドマスターである朱野城女史に電話をかけているね? 光が丘公園のすぐそばの路上から。これは通信記録が残っている。安心したまえ、令状がないので内容の傍受まではしていない』


 ああ、警察がその気になればそういうことはわかるのか。

 俺がパラディンナイツに入ってからは「Dungeons Go Pro」のギルドチャットでやりとりしてるから、最近のことまではわからないはずだが。


「ダブルフラッドの直後ですからね。知り合いの安否を確認するのがそんなにおかしいですか?」


 凍崎は俺の反問には答えずに、


『その翌日、君は君の地元にある銀行で、現金1300万円あまりを入金している。1300万円というのは、フラッドした光が丘公園ダンジョンのダンジョンボスが落としたであろう金額とほぼ同じだ。これは偶然かね?』


「ボスを倒したからって入手金をすぐに銀行に預ける探索者はあまりいないと思いますが」


 所持金は必要なときに必要な分だけ現金化する探索者がほとんどだろう。

 あまり大っぴらには言えないことだが、DGPに入れっぱなしにしておけば当局に所得を把握されずに済むからな。


 でも、俺には「逃げる」たびに所持金を落とすという特殊極まりない事情がある。

 せっかくの現金収入を残そうとすれば、ダンジョンから出るたびにマナコインを現金化して銀行口座に移す必要がある。


 目立つし、正直言ってめんどくさい。

 それでも、銀行口座の預金残高が「逃げる」の「所持金」に含まれなくてよかった。

 「逃げる」たびに預金残高が数十%減るとか、悪夢以外の何物でもないだろ。


 ちなみに、現金化した分を自分の財布に入れるだけじゃダメなんだよな。

 「逃げる」成功時にきっちり徴収されてしまう。

 財布から勝手に金がなくなるのはなかなかのホラー現象だが、「逃げる」に関しては今さらだろう。

 成功時にモンスターがリポップするのはもはや見慣れた光景だけど、最初にほのかちゃんを助けたときなんかは人間の意識すら改竄してたからな。


 しかし、口座の動きまでチェックされてるとは思わなかった。

 あの時点でそこまで警戒しろと言われても無理だったとは思うが。


『それだけではない。君たちが今いる天狗峯神社ダンジョンには、烏天狗というモンスターが出現する。このモンスターはまれに「烏天狗のお面」というアイテムをドロップするらしいね。しかも、このドロップアイテムの中には、普通の「烏天狗のお面」よりもさらに黒い、光を吸い込む漆黒色のものが、ごく稀にだが混じるという』


「それは知りませんでしたね」


 あれってレアな色違いのほうだったんだな。


「たしかに、お話をうかがう限りだと、俺と黒天狗に何かつながりがあるんじゃないかと疑いたくなるのもわかります。ですが、どれも状況証拠。偶然であってもおかしくない範囲の話ですよ」


 凍崎の持ち出した話は、どれも状況証拠にすぎないものだ。

 いや、確定的な証拠があったところで、「黒天狗」が何か違法行為をしたわけじゃない。

 光が丘公園ダンジョンのフラッドを鎮め、壊滅した羅漢の探索者を救出したんだから、むしろ褒められてもいいくらいだろう。

 俺の強さの秘密を隠すために(と単に俺の性格的な好みの問題で)目立ちたくないというだけだ。


 でも、今ならパラディンナイツの後ろ盾もある。

 俺の実力が多少知られたところで、国内レベルランキング上位の芹香の威光にかき消されて、そこまで目立つこともないはずだ。


『疑うに足るというだけで十分なのだよ。君を捕らえて裁判にかけようというわけではないのだから。君をマークし続ければいずれ必ずボロを出す。いくら有能な探索者であっても、公安の監視を完全に振り切れるものではない。監視対象になってしまった時点で詰んでいる』


 黒天狗=俺だとバレて唯一マズいことがあるとしたら、まさにこの凍崎誠二に知られることなんだよな。

 いつかテレビの取材でも答えていた。

 こいつは、娘が代表を勤めていた探索者ギルド「羅漢」へのブラック批判をかわすために、羅漢の探索者グループ壊滅の原因を謎の探索者・黒天狗になすりつけようとしてるフシがある。

 まあ、ブラック経営者として有名なこいつの話を、誰が真に受けるんだって話ではあるんだが。


「……悪いが、今急いでるところなんだ。個人的な用件ならアポを取ってからにしてくれないか? このあとちょっと野暮用があってな」


 と、口調を改めて俺は言う。


『いや、これは個人的な用件ではない。今回の件にも君がからんでいると聞いてね。たしかに、黒天狗ならば、この事態を収めるなんらかの手段を知っていてもおかしくはない』


「娘の死の真相が知りたいんじゃなかったのか?」


『真相? そんなものがあるのかね? 部下を御しきれずに反乱を起こされ、ダンジョンをフラッドさせて死亡した。もう少しうまくやれる娘だと思っていたのだがね。貴重な固有スキルが無駄になった。私のあの娘への投資も、ね』


 冷たく笑って凍崎が言う。

 俺を黒天狗と確信してるからか、取り繕うつもりもないらしい。


「なんのためにあの女を養女にしたんだ?」


『見込みがあると思ったからだよ』


「固有スキルがあるからか?」


『いや、私があの娘を引き取ったのは、ダンジョンが地上に出現する前のことだ』


「……じゃあ、なんの見込みがあったっていうんだ?」


『人を支配する才能だね。強い嗜虐心というのは、人の上に立つ上では貴重な資質だと私は思っている』


「サディストだから娘にしたってことか?」


『仕事というのは、多かれ少なかれ、他人を操作し、自分に都合のいい行動をとらせることで成り立つものだ。典型的には、他人を説き伏せて物を買わせる、といった具合にね。自分が働くという意識でいるうちは、大した仕事などできるはずもない。人を働かせるという発想ができなくては。君も覚えておくといい、将来必ず役に立つ金言だ』


「ブラック経営者の言葉としてよく覚えておくよ」


 顔をしかめて俺が言うと、


『つまらない皮肉だな』


 凍崎が薄く笑ってそう返す。


「言われ慣れてるってか?」


『そういう意味ではない。私には理解できないのだよ。底の浅いネット世論に乗っかって成功者をひがむことの何がそんなに愉しいのか……僻んだところで成功者から富を奪えるわけでもないというのに。そんな時間とエネルギーがあるなら、自分で事業の一つも起こしてみればいいだろう。結局、負け組は負けるべくして負けているということだ』


「……そんなのは才能のあるやつの……」


『はっ、君でもそんなことを口にするのだな。才能がない。便利な言葉だ。才能がないことにしておけば、努力せずに済むものな。一握いちあくの金のために汚泥にまみれる必要もない。わかるかね、従業員に払う給料がないときの経営者の気持ちが?』


「いや……」


『有象無象がなんと言おうと、私が未来ある若者たちに大量の雇用を提供し、この国の経済に貢献してきたことは否定できない事実なのだ。あの悪夢のような疫禍も、速やかな業態転換で乗り切った』


「たくさんの従業員を切り捨てて、だろ。あんたが生み出したという雇用だって、『未来ある若者』を使い潰すためのものだった」


『私は神ではないのだ。危機に当たって全員を助ける力はない。助けられるものを助けるためには、助けられないものを切り捨てるしかあるまい。営利企業である以上、職務上の要求に応えられないものが潰れるのもしかたがない。現実と闘おうと思えば、綺麗事ばかり言ってはいられないのだ。

 だがね、蔵式君。私が現実と苦闘しているあいだに……君はいったい何をしてきたというのかね? 現実と闘う実業家を上から目線で批判できるような高尚な生き方をしてきたのかね? 参考までに、詳しく教えてくれないか? 君がこれまでどんな立派な生き方をしてきたのか……。私とて木石ぼくせきではない。君の生き方に感銘を受ければ、今後の身の振り方を改めるかもしれないよ? くくく……』


「……それは」


 くそっ、こいつは俺がひきこもりだったことまで把握済みってわけか。

 当然、その原因がこいつの養女にあったことも知ってるはずだ。

 それを知った上で、罪悪感など覚えずに、ただ俺の急所を突いて愉しんでる。

 血は繋がってないはずだが、凍崎純恋を思わせるやり口だ。


「……悠人」


 タブレットの死角となる位置で、芹香が俺の手を握ってくれる。

 その温かくやわらかな感触が、暗く沈みかけた俺の心を引き戻してくれた。

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