91 接近
第四層を半分ほど抜けたところで、恐れていたことが起きてしまった。
《警告。Aランクダンジョン「奥多摩湖ダンジョン」でダンジョンフラッドが発生しました。》
《あなた が 現在探索中のダンジョンです。》
《ランクが 1 上昇する中規模のダンジョンフラッドです。Sランクダンジョン未踏破者はダンジョン周辺への立ち入りを避けてください。》
《また、「奥多摩湖ダンジョン」に近いダンジョンを探索中の探索者は、速やかにダンジョンから脱出することを勧告します。周辺ダンジョンでさらなるカスケードが発生する確率は 91 %を超えています。》
《厳重な警告。このダンジョンフラッドでは、ダンジョン内でカスケードが反響するおそれがあります。ダンジョン内でカスケードが反響した場合、このダンジョンのランクがさらに上昇するおそれがあります。》
《ダンジョンフラッドにより、ダンジョン内の全モンスターのレベルが、現在のダンジョンボスのレベルまでレイズされました。》
「くそっ、厄介な!」
近くにいたローパーを「鑑定」すると、そのレベルは5079にまで上がっていた。
クローヴィスの現在のレベルと同じだ。
これだけレベルが上がってしまうと、敏捷に物を言わせて駆け抜けるのも危険だな。
「サンダーストライク!」
スキルシナジーを限界まで利かせた「上級雷魔法」でローパーを「ノックアウト」。
魔法を放ったことで、ローパーと同じ編成に含まれていたサハギンたちが俺に気づく。
こいつらも「上級雷魔法」で「ノックアウト」し、「逃げる」ではなく普通に逃げることでその場を脱する。
倒してから「逃げる」を使えばレベル差補正でSPががっつり稼げるんだが、逃げタイマーの20秒すら今は惜しい。
「レベル封じの腕輪」を装備して撃破……という案が脳裏をよぎる。
でも、「レベル封じの腕輪」は100万までの経験値を無効にすると、それ以降は経験値が入るたびにランダムで壊れるようになってしまう。
SPほしさに酷使していいような装備じゃない。
……なお、万が一経験値を得てレベルが上がってしまっても、今の俺にはそれをなかったことにする方法がひとつだけだが存在する。
「英霊召喚」のスキルを使って「地獄の炎に身を焼かれる凍崎純恋の亡霊」を喚び出し、俺に「レベルドレイン」を使わせるという手だ。
これによって、事故でレベルが上がってしまった場合にもリカバリーはできる。
ただ、「レベルドレイン」でレベルを吸わせるには対価を設定する必要があるんだよな。
これは、凍崎純恋の亡霊から
俺からはレベルを差し出し、その三つのいずれかの対価を得るということだ。
でも、凍崎純恋はSPがほとんど空、スキルもわずかしか持ってない。
となると、俺が受け取る対価は恍惚感ということになってくる。
だけど、レベルを吸われるのに見合う「恍惚感」なんてぞっとしないよな。
凍崎純恋が「羅漢」の探索者を支配するのに使ってたことから考えても、依存性があると思ったほうがいい。
自分で召喚した亡霊から与えられる快楽に溺れて廃人になる……なんてことにはなりたくない。
凍崎純恋への個人的な遺恨はさておくとしても、「レベルドレイン」は最後の手段にもしたくない、というのが本音だな。
フラッドによってレベルの上がったモンスターたちだが、スキルシナジーを乗せた「上級雷魔法」なら一撃ノックアウトの圏内だ。
武器系スキルを上げてきたおかげで、サハギンたちの振るう剣や槍は余裕をもってかわすことができた。
もちろん、レベル5079なだけあって油断ならないものがあるけどな。
フラッドの発生は地上でもすぐに知られたようだ。
ポケットに入れたスマホの通知がひっきりなしに鳴っている。
パラディンナイツのギルドチャットでは灰谷さんがメンバーに召集をかけていた。
さっきの「天の声」では、ダンジョン内でカスケードが起こる可能性が示唆されてたからな。
ダンジョンフラッドが他のダンジョンに伝播し、連鎖的にフラッドが起こる現象をカスケードと呼ぶ。
このことは既によく知られてる。
でも、カスケードがダンジョン内で反響するなんて現象は知られてない。
さらに言えば、ランクが1上がるフラッドでこのダンジョンのランクは現在S相当になっている。
ダンジョンランクの最高はSというのが全世界的な認識だ。
それなのに、そこからさらにランクが上がるおそれがあると、「天の声」が警告した。
Sランクダンジョンですら、踏破者は未だに出ていない。
それ以上のランクのダンジョンが出現し、そのフラッドが止まらないとなったらどうするのか?
探索者協会はもちろん、国も世間も大騒ぎになるだろう。
俺としては、ここに協会の探索者がやってくるのは避けたいところだ。
最悪、ダンジョン崩壊が起こる可能性もある。
それでなくても、クダーヴェをはじめ、俺も切り札の出し惜しみはできないだろう。
人が増えればはるかさんがエルフであるとバレるおそれも高くなる。
俺は焦りと戦いながら、第四層を駆け抜けた。
ボス部屋の前の聖域で息を整える。
ボス部屋には扉はなく、縦に裂けた巨大な割れ目があるだけだ。
俺は身体を斜めにして、その割れ目を奥へと進む。
鍾乳洞のようだったそれまでとは異なり、ボス部屋はダムの内部を思わせるコンクリート(のようなもの)造りの空間だった。
奥も天井も見通せないほどに広い。
闇に包まれた奥からは、湿った水の匂いがする。
地下は無風で波の音はないが、奥には湖が広がってるようだ。
奥多摩湖はダムのために造られた人造湖。
そんな歴史をダンジョンが織り込んでるんだろう。
「気配探知」で、湖に近い岸にはるかさんとクローヴィスがいることに気がついた。
その上空、光の届かないところにある気配は……サンダーグリフォンだな。
身にまとう雷の光が漏れている。
地上ではなく上空に置いているのは不意打ちを警戒してのことだろう。
クローヴィスの「魔獣召喚」はレベル5だ。
他にも四体までなら魔獣を出してくる可能性がある。
もう既に出していて俺が探知できてないだけという可能性もあるが……それを言い出したらキリがない。
「ステルス」、「隠密」で注意深く近づく。
クローヴィスに索敵系のスキルはない。
だが、クローヴィスは以前「偽装」で表示される偽のステータスに「索敵3」を入れていた。
一方、本物のほうのステータスにある「精霊魔法」は、偽のステータスには載ってなかった。
深読みするなら、クローヴィスは「精霊魔法」を使って「索敵」と同じようなことができ、それを誤魔化すために偽のステータスに「索敵」を含めたとも考えられる。
が、俺の心配をよそに、クローヴィスが俺に気づいた様子はない。
サンダーグリフォン以外の魔獣の気配も感じられない。
奥多摩湖ダンジョンのボス部屋は、地上で見た奥多摩湖とダムの光景にそっくりだ。
ダムの土手の上から人造湖を一望するような造りになっている。
空間の広さでは、天狗峯神社ダンジョンのボス部屋をもはるかにしのぐ。
この広さならクダーヴェも余裕で召喚できる。
芹香が潜ったときの記録では、ダンジョンボスはミズチ――巨大な水の蛇だったという。
身体が水でできたミズチは物理攻撃がほとんど効かないという話だが……芹香はよくそんなのを倒したよな。
このボス部屋は、そのミズチが暴れまわれるように広大な地底湖になってるんだろう。
そのボスは、既に倒された後らしい。
地中にある広大なダムという奇妙な空間に、クローヴィスの嘲りに満ちた声が響く。
「自然の流れを遮り、おのが都合の良いように利用しようとは……呆れ果てた愚かさだ。自然への畏れというものがまるでない。なんでも、地上の
何かと思えば、手垢のついたダム批判を繰り広げていたらしい。
「ここは自然災害の多い国よ。治水の必要があったのでしょう。私たちは彼らの判断に口を
はるかさんが静かに応じる。
はるかさんは、両手を後ろに回され、手首を紐で縛られていた。
他に危害を加えられた形跡はない。
天狗峯神社の境内ではクローヴィスもろとも魔法攻撃に巻き込んでしまったが、そのダメージはクローヴィスが回復したのだろう。
しかたなかったとはいえ、あとで謝り倒さないといけないな。
それも無事に助けられてからの話だが。
扱いから見て、クローヴィスははるかさんを懐柔したいみたいだな。
はるかさんは険しい顔でクローヴィスを睨んでいる。
クローヴィスは両腕を広げ、芝居がかった口調で語り続ける。
「大量の水の精霊が、人工的に造られた巨大な淀みに滞っている。堰き止められた水は、来るべき決壊を暗示する。多大な労力をかけて自らの破滅の種を撒くとは……人間の愚かさは世界が変わっても変わらぬな」
「……この世界の土木技術はあっちの世界の水準をはるかに超えているわ」
「フン。貴様もエルフならわかっているだろう? この堰堤がいかに安全に設計されていようと関係がない。これほどの水が堰き止められていれば、決壊を連想するのが自然な発想というものだ。人は、内心で恐れているもののことを、実は密かに期待している。破局を恐れながら、その実、破局の到来を望むのだ。この堰堤は、そうした呪的な期待を数十年にもわたって蓄えてきた」
神様風に言えば、ダムには時とともに「決壊するもの」という因果が付与されてしまうということだろうか。
でも、そんなことを言い出したら、橋や飛行機は落ちるものということになってしまう。
火山の噴火や地震のような自然災害すら人間の「期待」が起こすことになりそうだが……。
いや、俺が今気にするべきはそんなことじゃない。
「ショートテレポート4」の射程である8メートル圏内にクローヴィスを捉えることだ。
あるいは、はるかさんのほうでもいい。
話が気になるならあとではるかさんから聞けばいいだけだ。
「これほど長期間に渡って、これほどの量の水を堰き止めていれば、
「この世界の本来の法則では、精霊溜まりも、呪的な期待の自己実現も起こりえないことだもの。あなたが目をつけることがなければ、このダムが決壊することは今後もなかったでしょう。この世界の人たちはあなたが思うほど愚かではないわ」
この世界に来て長いはるかさんがクローヴィスに反論する。
「結局、あなたは死ぬのが怖いだけなんでしょう?」
「……なんだと?」
「エルフの肉体的な寿命は長いけれど、エルフの精神が他の
「それを乗り越え、霊の次元に移り住むのがエルフの使命だ」
「あなたがその使命に忠実とはとても思えないわね。そもそも、存在の在りようを昇華できるエルフなんて一握り……。たいていのエルフは、精神の摩耗を防ぐためにもっと現実的な選択を迫られる。ありていに言えば、植物になるか、動物になるか」
「俺はどちらもごめんだな。うろの空いた樹木のように自我を失うのも、豚のように刹那の享楽に溺れるのも、な」
「そうかしら? あなたは後者を選んだのではないの? あなたがいくら人間を貶めようと、その分だけあなたが霊的に高い次元に到れるわけではないわ。むしろ逆ね。今のあなたはあなたが見下す人間以下よ。呪わなければ、精霊が言うことを聞かないのでしょう? 精霊に見放されたのよ、あなたは」
「フン。それがなんだと言うのだ? なぜいちいち精霊の機嫌など窺わねばならぬ。俺は精霊の召使いではない。精霊が俺の召使いなのだ」
「……哀れね」
「なに?」
「他者を見下し、侮蔑することでしか自我を保てないということでしょう? あなたは人を支配したつもりでいるかもしれないけれど、人がいなくなって困るのはあなたのほうよ。あなたは蔑むことでしか生きられない……」
「何を言うかと思えば……くだらん。そもそも、豚になることを選んだのは貴様のほうだろう。俺にはわかるぞ、貴様の恐怖が。死を恐れるがゆえに、貴様は愛欲に溺れずにはいられない。今度の執着の対象はあの薄汚い人間の探索者か? 自我が保てないのは貴様のほうではないか!」
「……それは否定できないわね。私が悠人さんに執着するのは、愛欲で精神の飢えを満たすため……。まるで吸血鬼ね」
自重するように、はるかさんがつぶやいた。
はるかさんの性急なアプローチにはそんな事情があったのか。
だからと言って、「情にほだされた! 重婚しよう!」というわけにもいかないが。
「穏やかな愛情で精神の摩耗が癒せればよかったのだけれど。もっと鮮烈な、欲望に満ちた感情でなければ、摩耗していく精神に活力を与えることはできないものね。植物のように心を枯れさせるわけにはいかないし」
動物になるか、植物になるか、だったか。
不老であっても精神がそれに見合うだけの寿命を持たないなら、動物的な欲望を駆り立てるか、自我を滅却して無感動な植物になるかの二択だと。
「エルフが神に祝福された種族だというのは嘘じゃないかと思うこともあるわ。むしろ、朽ちることのない牢獄に閉じ込められた罪人なのではないかと」
と、エルフの信仰を疑うようなことを言うはるかさん。
その言葉に……クローヴィスがわずかに感心したように見えた。
「それがわかっているのなら、俺とともに来い」
「あら、どういう風の吹き回し?」
「死から逃れるために愛欲が必要だというのなら、それでいい。べつに今さらおまえを独占したいとも思わん。あちらに戻ったら、好みの男をいくらでも見繕ってやろう。城でも建てて、複数の男を囲えばいい。おまえの望む、愛欲に満ちた生活だ」
クローヴィスの言葉に、はるかさんはすぐには答えなかった。
数秒ほど硬直してから、
「ぷっ……」
はるかさんが噴き出した。
「……何がおかしい?」
「ふふふっ……おかしいに決まってるじゃない。あなたは本当に何もわかってないのね。私のことを少しでも理解していれば、そんな提案はしないでしょうに……。うふふ……哀れを通り越して、笑えてしまうわ」
「なんだと?」
「私が死にたくないのは、ほのかのためよ。あの子が大きくなって、この世界で生きていく道を見つけるまで、私は死ぬわけにはいかないの。あの子の成長を見届けることができたら……もう思い残すことはないわ」
「同じことだろう。それとて生への執着であることに変わりはない」
「ちがうわ。全然ちがう」
「俺は自分のために生きる。おまえは自分の血を分けた娘のために生きる。おまえのほうが迂遠なだけで、自己中心的なことにちがいはない。どうせ自分は死ぬから、代わりに子孫を繁殖させようというだけだ」
クローヴィスの言葉に、はるかさんが首を左右に振った。
「さっきのお誘いだけれど、お断りだわ。そんな誘いに乗ってしまったら、あの子の尊敬する母親ではいられなくなってしまうもの」
「あの混じり物が大切ならば連れていけばいい。俺の目に入らぬところにいるのであれば殺しはせぬ」
「そういう問題じゃないわ。私があなたに協力しても、あなたがこの世界に破局を招くことに変わりはない。そんな形で生きながらえて、あの子が気に病まないわけがない」
「意味のないこだわりだ。俺としてはおまえが協力しようと拒もうとどちらでもかまわない。協力させたほうが手っ取り早くはあるが、おまえを殺しても同じ結果を得ることはできる。それに、おまえが母としての矜持に殉じたところで、それを知るのは俺だけだ。正直、理解に苦しむな」
「あなたに理解してもらおうとは思ってないわ」
「俺に理解させられなければ、ただ犬死するだけだ。娘を見守るという目的も果たせない」
「私が死んでも、悠人さんたちがいるわ。……いえ、悠人さんならきっと……。でも、とても間に合うとは……」
はるかさんの言葉の後半はほとんど声になっていなかった。
それでも、自分の名前を呼ばれるとぎくりとするな。
はるかさんは俺が助けに来ると信じてるんだろう。
しかし同時に、こんなに早く俺が来るとは思ってない。
実際、自分でもありえないと思うほど最速最短でここまでたどり着いた自信がある。
はるかさんですら予想してないなら、人間を舐めきってるクローヴィスはなおさらだろう。
付け入る隙はありそうだな。
「……戯言はそこまでだ。ミズチを生贄にした呪術が完成した。この湖水に宿る精霊どもは俺に完全に服従した」
精霊か。
俺にはまったく見えないんだよな。
感じとることすらできない。
地底ダムの湖水から魔力を感じるということもない。
エルフのみが持つ先天的な感覚なのか、それとも「精霊魔法」の副次的な効果なのか。
「精霊魔法」で索敵ができるかどうかはわからないままだが、索敵にリソースを割く余裕がなかったのかもしれない。
サンダーグリフォンに見張らせてるし、俺が追いかけてくるとしてもまだ先だと思ってるんだろう。
クローヴィスが湖水を振り返り、俺のいるほうに背を向けた。
――チャンスだ。
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