85 人質含みの攻防
遅くなった、と言ったのはかっこつけじゃない。
本当に、遅かったのだ。
クローヴィスの危険性に気づいてすぐに飛んできたのはたしかだが、そのタイミングですでにギリギリ手遅れだった。
はるかさんが人質に取られてしまっている。
クローヴィスは雷をまとうグリフォンのようなものに跨り、はるかさんを前に抱えて、空高くからこっちを見下ろしている。
悪役が人質を取るのはフィクションではお約束の展開だろう。
だが、現実にやられてみると、その対処はとんでもなく難しい。
警察が立てこもり犯を投降させるのに何十時間もかかることがある。
立てこもったのがテロリストだったらなおさらだ。
日本人が海外で誘拐されて、政府の交渉もむなしく殺された事件は数しれない。
せめてクローヴィスが地上にいればな。
「ショートテレポート」で背後を取ってはるかさんを力づくで奪い返すことができたんだが。
いや、それすら危険だろうか。
こいつがどんな奥の手を隠していてもおかしくない。
しかも、こいつには「人間物品化」という物騒なスキルもある。
Skill──────────────────
人間物品化
種族:人間・獣人・亜人を、人ではなくモノとして扱うことができる。
効果の発現には対象の自由を完全に奪う必要がある。
(略)
このスキルの対象となった者は、「アイテムボックス」に収容することができる。
「アイテムボックス」に収容された対象からは、自然回復MPを自動的に奪うことができる。
「アイテムボックス」に収容された者は仮死状態となる。
(略)
能力値補正:
「人間物品化」の所有者は、各能力値に以下の補正を常に受ける。
HP -10%
MP +40%
魔力 +40%
精神力 +40%
幸運 -40%
現在物品化している人間:
椎名明里Lv1352
文月夢乃Lv1024
能勢直哉Lv1144
石上俊介Lv1223
神林カレンLv1538
ハン・ジウォンLv1100
ルイーズ・ノースタインlv1297
皆沢和輝Lv1791
────────────────────
「効果の発現には対象の自由を完全に奪う必要がある」とあるように、ただ対面してるだけの相手をいきなり「物品」にすることはできないようだ。
だが、俺がはるかさんを取り返そうと動いたところを逆に押さえられ、「自由を完全に奪」われてしまったらどうなるか?
クローヴィスは即座に「人間物品化」を使うだろう。
それだけじゃない。
もう気づいてるやつもいると思うが、クローヴィスが既に物品化してる人物のリストが問題だ。
俺が直接知ってる名前は最後の「皆沢和輝」だな。
黒鳥の森水上公園ダンジョンでほのかちゃんを襲おうとしてた探索者を捕らえたときに、引き取りに現れた協会の監察員の人だ。
その後、芹香と一緒に探索者協会本部で話を聞かせてもらったこともある。
久留里城ダンジョンのボス戦前に、芹香から皆沢さんが行方不明になっていることを聞かされた。
フラッドの鎮圧に出向いた先でクローヴィスに囚われてしまったのだろう。
皆沢さん以外の探索者も、同じようにして捕まったと見てよさそうだ。
そして――もうひとつ。
文字だけでは伝わらないことなんだが、クローヴィスのステータスには一瞬で目を引く特徴があった。
クローヴィス・エルトランド。
こいつの名前は、赤い文字で表示されていた。
つまり、クローヴィスはレッドネーム。
ダンジョン内で人を殺したことがあるということだ。
「フン、何かと思えば、いつぞやの人間探索者か」
俺は返事をしない。
はるかさんを返せ!なんて言ったところで調子に乗らせるだけだからな。
「レベルは3241、だったか。人間にしては大したものだが、まさかこの俺に敵うとは思っていまいな?」
「そっちこそ、前はなかなかの演技っぷりだったじゃないか。てっきり、しょうもないプライドに凝り固まった虚栄心だけの自己中エルフだと思ってたぜ。あ、それは今も変わらないか」
「フン、安い挑発だな。正体を隠すためにやむなく惨めを演じさせられた屈辱は忘れておらんぞ」
「ならかかってきたらどうだ? 地上に降りてな」
「馬鹿が! 神は天上から手を下すものだ!」
エルフの王を名乗ってたかと思ったら、ついに神にまで昇格してしまった。
「雷の精霊よ! この傲岸不遜な男を叩きのめせ!」
おまえが言うな! と言いたいところだが、それどころじゃない。
俺を狙った落雷を「魔法障壁」で防ぐ。
防がなくても避けることはできるんだが、後ろにほのかちゃんと山伏の人がいるからな。
とくに、山伏の人はひどい火傷を負っている。
「ほのかちゃん、これをその人に!」
俺はアイテムボックスからエリクサーを取り出し、後ろに投げる。
「俺の後ろから動かないでくれ!」
「わ、わかりました!」
本当は回復したら逃げてほしいが、この性格の壊れた男がみすみすこちらの足枷を逃すとは思えない。
「『精霊魔法』は精霊に愛されないと使えないんじゃなかったのか?」
「クハハハ! 俺は天性の支配者なんだよ! 精霊を呪いで縛って従えるくらい造作もないことだ!」
「なんということを……! あなたにはエルフとしての誇りはないのですか!」
拘束されたままではるかさんが非難する。
「俺は俺であることを誇る。それだけで十分だ! エルフとしての誇り? そんな役に立たないものに忠義を尽くすいわれはない!」
「悠人さん! 私に構わずこの男を止めて! この男は必ず世界に災いをもたらすわ! 同じエルフとして見過ごすわけにはいかないの!」
はるかさんが覚悟を込めていってくるが、まさかはいそうですかと言うわけにもいかない。
アイテムボックスからロングボウを取り出し構える俺。
「ロックオン」で照準し、「弓技」の下位スキル「速射」を放つ。
「おっと、そうは行くか!」
クローヴィスはグリフォンの腹を蹴り飛ばし、ジグザグに飛行させて的を絞らせない。
「ロックオン」による標的追尾が働くが、グリフォンは俺の矢をギリギリまで引きつけてから回避する。
「ちっ……!」
「弓技」「弓術」ともに5、「ロックオン」まで使った俺に的を絞らせないとはな。
エルフだけに弓には慣れてるんだろう。
こいつのステータスに「弓技」や「弓術」はなかったけどな。
この状況では、人質のはるかさんに当たらないようにクローヴィスを射抜くのは難しい。
だが、焦れたのは俺ばかりではなかったようだ。
「人間風情が生意気にも神の裁きを防ぐとはな! 貴様を殺せないのは残念だが……しかたあるまい」
クローヴィスは忌々しげに吐き捨てると、グリフォンにさらに高度を取らせた。
「逃げるつもりか!?」
「逃げる? フン、貴様に構っている暇などないというだけだ」
たしかに、クローヴィスの元々の目的ははるかさんだ。
はるかさんを捕らえた以上、俺と戦う意味はない。
さっき俺がクローヴィスの魔法を防いだのを見て、すぐには倒せないと判断したんだろう。
空から逃げられてしまえば、俺にクローヴィスを追いかける手段はない――すくなくともクローヴィスはそう考えたということだ。
あの高さに対抗できるスキルは――あれしかない。
「幻獣召喚」だ。
だが、あのクダーヴェに、人質のはるかさんを傷つけずにクローヴィスとグリフォンを倒すなんて器用な真似ができるだろうか?
しかも、問題はそれだけじゃない。
実のところ、今の状態でクローヴィスを倒す――いや、「殺す」わけにはいかないのだ。
クローヴィスのアイテムボックスの中に囚われたままの、物品化された探索者たちの問題だ。
通常、探索者が死亡したばあい、その探索者のアイテムボックスの中身は取り出せなくなってしまうらしい。
どこともしれない異空間にそのままの形で残ってるという説もあれば、スキルの使用者の死とともに空間自体が消滅するという説もある。
ともあれ、死んだ探索者のアイテムボックスの中身を回収する手段は見つかってない。
もしクローヴィスがこのまま死んだら、クローヴィスによって物品化されアイテムボックスに収容された人たちはどうなるのか?
永遠に取り出せなくなるにせよ、そのまま消滅するにせよ、実質的に「死ぬ」のと変わらない。
要するに、はるかさんだけではなく、アイテムボックスに囚われた探索者たちも人質なのだ。
もっとも、クローヴィスは俺が奴のステータスを「看破」したことを知らないはずだ。
だから、俺が物品化された探索者たちの救出をも考慮してることには気づいてない。
もし俺がはるかさん以外の人質のことを気にしてるのがバレてしまったら、こいつをさらに調子づかせることになるだろう。
それでなくても、ほのかちゃんや山伏の人をかばいながらの戦いだ。
だが、やりようがまったくないわけじゃない。
まずはやっぱりこれだろう。
「来いっ、クダーヴェ!」
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