83 頼りない背中

◇篠崎ほのか視点


 天狗峯神社ダンジョンでフラッドが起きた――


 その報を知ったのは、修行も半ばのときでした。


「ほのかさん。すまないが、修行は中止だ」


 私の修行の指導役を引き受けてくれていた住職さんがそう言います。


 もちろん、いなやはありません。

 私だって、天狗峯神社ダンジョンで大きなフラッドが起きたと聞けば、お母様が心配でなりません。


 私は住職さんや他の山伏の方たちとともに神社を目指します。

 山伏修行のおかげで、野山を駆けるのはもうお手の物になりました。

 住職さんは「ほのかさんには山に馴染むセンスがある」とおっしゃってくれます。

 お母様によれば、私がお母様から継いだエルフの血が影響しているということでした。


 ですが、純血のエルフであるお母様にくらべると、自然への感受性は劣るようです。

 お母様が苦もなく感じ取れる精霊の気配も、私には朧げにしか感じられません。

 修行で少しはよくなったと思いますが、先はまだ長いと思っていたところでした。


 お母様には及ばないとしても、この世界に他にエルフはいないはず。

 なら、私のハーフエルフとしての素質は、悠人さんにも芹香さんにもない強みになりうると思います。

 でも、そういう欲得ずくの気持ちこそが、精霊たちを遠ざけているようなのです。


 神社に戻るために山中の道なき道を行きながらそんなことを思っていたのは、たかをくくっていたからでしょう。


 Aランクギルド「役小角えんのおづぬ」は、小規模ながらも実力者揃いで知られています。

 活動範囲を広げればSランクにもなれるだろうと言われているそうですが、山伏たちは修行こそが自らの本分であるとして、手を広げることを避けています。


 そんな精強な探索者の皆さんに加え、私のお母様も残っています。

 強力な精霊魔法、エルフ由来の斥候スカウトの能力、年齢から来る豊富な経験……こんなことを言うと怒られますが、何より肝が据わってます。

 芹香さん、悠人さんがくださったエリクサーのおかげで、最近は怖いくらいに元気でした。


 さらに、住職さんの相方である神主さんも、かなりの実力を持つ探索者です。


 Bランクダンジョンのフラッド程度、どうとでもできる人たちが揃っているのです。

 修行で神社を離れている人もいるとはいえ、残っている人たちだけでも、普通のフラッドなら問題なく鎮圧できるはずでした。


「様子がおかしい」


 住職さんは境内の外の山中で立ち止まります。

 その意を汲んで、山伏たちが散開、境内の様子を伺いに走ります。


 ですが、その結果を待つまでもなく、異常はすぐにわかりました。


「表にだいだらだと?」


 境内の奥を、だいだらが闊歩していました。

 しかも、そのレベルは1000を超えています。

 さいわい、本殿からは離れたところを当てもなくうろついているだけのようです。


「フラッドにしても異常だ」


「お、お母様たちは……?」


「ギルドチャットに応答がない」


「そんな!?」


「落ち着け。まだ何かあったと決めつけることはない。息を潜めておるだけかもしれん」


「で、ですが……」


「ダンジョンボスが地上まで溢れておるのは異常だが、さりとて、はるかさんが遅れを取るほどでもなかろう。はるかさん以外にも十分な戦力が残っておったはずだ」


 住職さんは、そう言うと角ばった顎を太い指で撫でながら考えます。


「……以前、はるかさんを訪ねてきたいかがわしい男がおったな」


「そんなことがあったのですか!?」


「ああ、そうか。ほのかさんには聞かせておらなんだか」


 しまった、という顔で住職さんが言います。


「お母様は私に心配をかけまいと……?」


「であろうな。その男と関係があるかはわからぬが……」


 住職さんの言葉の途中で、お母様の声が聞こえました。

 遠く、本殿のほう。

 内容はわかりませんが、言い争うような声です。


「お母様っ!」


 私はたまらず駆け出します。


「こら、待たんか!」


 住職さんが慌てて私を追いかけてきます。


 本殿にたどり着くと、そこには見知らぬ外国人風の男と対峙するお母様の姿がありました。


「お母様!」


「ほのか!?」


「ほう、ちょうどいいところに戻ってきたものだな」


 外国人風の男――金髪の、酷薄な印象の美青年が、私に粘着質な目を向けてきました。

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