61.5 恋する聖騎士の長い一日(Side:芹香)

 その日、私はいつになく気合いを入れていた。

 人生でこれほど気合いを入れたのは初めてかもしれない。


 越えるべきハードルはいくつもある。


 まずは、悠人を「パラディンナイツ」に勧誘すること。


 絶対に入ってもらわなきゃいけないわけじゃないけど、入ってくれたほうが、のちの段取りが進めやすい。


 もちろん、それはそれとして、ギルドを預かる立場として悠人みたいな規格外の新人を放置するわけにはいかないってのもあるけどね。


 悠人に損はない話だから、勧誘はもっとスムーズに行くと思ってた。

 でも、悠人にはためらいがあるみたい。

 幼なじみである私のコネで入るようなのは気が引ける、みたいなことを言うけど、悠人はそもそも、組織に属すること自体に抵抗があるのかも。

 勤めた会社にはろくな記憶がないらしいし、ほんの一週間前には「羅漢」の惨状も目撃してる。


「やっぱり、当面はフリーのままで……」


 そう切り上げようとする悠人に、


「どうして? 私のギルドじゃいや?」


 しまった。ちょっと重たい感じになっちゃったかな。

 こんな言い方で束縛するつもりじゃなかったのに。


「い、いや、そういうわけじゃないんだが……世話になりっぱなしもどうかと思うしな」


「そんなの、私がいいって言ってるんだからいいじゃない」


 思わず感情的になりかける私に、翡翠ちゃんが割り込んだ。


マスター・・・・。今は私情は抜きに説得してくださいね?」


「うっ、わかってるけど……」


「蔵式さんも。もう少し話を聞いてから判断されてもよいかと思います」


 翡翠ちゃんは小さく咳払いすると、ギルドに所属するメリットを滔々と語り出す。

 熟練の検事に尋問される被告人のように、悠人がみるみる追い詰められる。

 最後には、


「……お、お世話になります……」


 と、げっそりした顔で悠人がうなずいた。


 ちょっとかわいそうだけど、間違ったことは言ってない。

 実際、悠人にとって損になることはない話だし。

 もし悠人に負担がかかりそうになったら、ギルドマスターである私がうまく調整する。

 私がコネで入れたと思われるかもと悠人は言ったけど、「パラディンナイツ」にそんなことを思う人はいないと思う。

 多少の摩擦があったとしても、私や翡翠ちゃんが中に入ればいいことだ。


 悠人って、やさぐれてるようでいて、根が真面目で責任感が強いんだよね。

 過去にはちょっとブラック気味の職場で働いてたこともあるけど、性格的にそういう職場に取り込まれやすいところがあるのかもしれない。

 ああいうとこって、使命感を煽ったり、逆に罪悪感を植え付けたりして従業員をコントロールするっていうからね。

 「羅漢」はもう再起不能だろうけど、他にもブラックと噂されるギルドはある。

 悠人がそんなところに捕まったらと思うと気が気じゃない。

 幼なじみだってだけなのに、ちょっと過保護かもしれないけどさ。


「では、マスター。ご健闘をお祈りしています」


 説得を終えた翡翠ちゃんがそう言って部屋から出て行った。

 通り過ぎるときに私の肩をそっと撫でてくれる。

 自分にできることはやりました、あとは頑張ってください――そんな気持ちがこもってる。


 さあ、ここからが本番だ。

 火を吹くドラゴンと戦ったこともあるけど、そのときよりずっと緊張する。


 でも、進むと決めたんだ。


 時間が経てば経つほど、ほのかちゃんは悠人に近づいていく。

 エルフの血を引くほのかちゃんは、同性の私でもどきっとするくらいの美少女だ。

 よく言えば一途、悪く言えば思い込みの激しいところがあって、今は悠人しか見えない状態になっている。

 悠人さん、悠人さん、悠人さんだ。

 あんな可愛い子がのめりこむように迫ってくる――悠人がいくら奥手でも、いずれ押し切られないとも限らない。


 いつのまにか指輪をプレゼントしたりして、自分から外堀を埋めちゃってるし……。


 ほのかちゃんは私の邪魔はしないって言ってたけど、うかうかしてたらどうなるかわからない。


 悠人は真面目だから、はるかさんが提案したような、私を正妻にしてほのかちゃんとはるかさんを第二・第三夫人に……なんて話には乗らないと思う。


 でも、ハーレムを避ける判断をした結果、私とほのかちゃんとはるかさんの三人のうち、私以外のどちらかを選ぶ可能性はある。


 はるかさんだけを選ぶ可能性はあまりないと思うけど、ほのかちゃんを選ぶ可能性は無視できない。


 あれだけの美少女だ。

 今はまだ14歳だけど、逆に言えば数年後にはさらに綺麗になってるってこと。

 そのとき私は……と考えるとね。

 しかも、エルフであるはるかさんは今後も若さを維持するから、月日が経てば経つほど私は不利になっていく。

 まあ、悠人が年齢だけで女性を選ぶとは思わないけどさ。


 ――これ以上、今の関係のままでいたら、悠人を失う。


 その恐怖が、私の背中を押していた。

 私も私で、悠人に負けず劣らず恋愛には臆病なんだけど、もうそんなことを言ってられる余裕はない。

 Sランク探索者としての経験で、そうした駆け引きには鼻がきくのだ。


 だから、思い切って誘うことにした。


「デートしよ」


 絶対に誤解の余地がないように。

 言葉を濁さず、まっすぐに伝えた。


 それでもなお、悠人は信じられないみたいだったから、言葉を飾らなかったのは正解だった。





 デートプランは、翡翠ちゃんに相談に乗ってもらって考えた。

 というか、ほとんど翡翠ちゃんが立てたようなものだ。

 とても楽しそうにプランを考えてくれたんだよね。


「芹香さんが私以外の男とデートするなんて絶対に嫌なのですが……。この胸が張り裂けそうな切なさは、クセになってしまいそうですね」


 などと、よくわからない「冗談」を言いながら。

 「私以外の男」って、翡翠ちゃんは女の子なんだけど……。


 最初を映画にしておいたのはほんとによかった。


 緊張でガチガチになってたからまともにしゃべれる状態じゃなかったし。

 隣に座って映画を見てるうちに落ち着いてきて、ランチを食べる頃にはなんとかおしゃべりができるようになっていた。

 それでもどこか、浮ついてるような感じだけどね。


「ショッピングと水族館、どっちがいい?」


 ほんとはショッピングがよかったけど、男性には退屈かもと思って、別の選択肢も用意しておいた。

 これも翡翠ちゃんの入れ知恵だね。


 悠人は少し悩んでから、


「俺の服を見てくれるって話があったよな」


 と、ショッピングを選んだ。


「そうだったね。ふふっ。覚えててくれたんだ」


 これは、嬉しかったな。

 前、悠人に服をどこで買ってるのかと聞かれたことがあって、そのときに今度一緒に見に行こうって話になったんだよね。

 ちゃんと約束したわけじゃない、その場かぎりの話だ。

 忘れてても責めるつもりはなかったけど、覚えててくれたのは嬉しかった。


 悠人とは付き合いが長い分、ひとつひとつの話題がかえって軽くなってしまうところがあるんだよね。

 その場の流れで気楽に話すから、互いに何を話したか覚えてない、みたいな。

 付き合ってもいないのにどうしてそんな熟年夫婦みたいなことに悩まないといけないんだろう?

 幼なじみっていうのもいいことばかりじゃないね。


 ショッピングではちょっとはしゃいでしまって、悠人を着せ替え人形にしちゃったな。

 男性はこういうの嫌かなと思ったけど、悠人は「新鮮だった」と言ってくれた。

 お世辞でもなさそうな様子だったので、私は密かに胸を撫で下ろした。




 紙袋を抱えてデパートから出ると、空は茜色に染まっていた。


 紙袋はアイテムボックスにしまったら? って言ったんだけど、悠人は「せっかく買ってもらったんだから持ってたい」って。

 今日の悠人はほんとに私をドキドキさせてくれる。


 でも、本当のドキドキはここからだ。


「お店、予約してあるんだ。行こ」


 大通りを見下ろせる、景観抜群のレストラン。

 窓際の席に悠人と並んで座って、おいしいディナーを食べ、ワインを飲む。


 夢みたい。


 ずっとこんな日が来るのを待っていた。


 悠人がひきこもり状態になって話すことすらできなかったのは、つい最近までのことだ。


 絶対悠人は立ち直る――そう思って私は、探索者の道を歩んできた。


 なぜって、悠人はたぶん、探索者になると思ったから。

 そういうゲームとか昔から好きだし、探索者なら経歴も関係ない。

 そのときが来たときに悠人の隣に立てるようになりたいと思って、私は探索者になったんだ。


 幼い私に逃げ場を用意してくれた悠人に、今度は私が居場所を用意したい。

 柄にもなくギルドなんて立ち上げたのも、その想いがあったからだ。


 だけど、時間が経てば経つほど不安になった。

 悠人なら大丈夫だと信じてる。

 でも、本当に?

 疲れたり、嫌なことがあったりしたときには、そんな不安が抑えられなくなることもあった。


 あんまりよくないことだけど、そんなときはお酒を飲んで気を紛らわせることもあった。

 そんなにお酒が強くないから、何杯か飲むだけで眠くなるんだよね。

 アルコールに頼っての睡眠はよくないって言うけど、苦しくて眠れないよりは楽だから……。


 酔ってたせいかな?

 途中、一回だけ妙なことがあった。


 悠人の手を取って迫ってた(私にしては、だけど)ときに、悠人の手がいきなり消えて、座ってたはずの悠人が立っていた。

 とまどってはずの悠人は、その一瞬で決意を固めたような顔になっていた。


 ……正直言うと、怖かった。


 決意を固めたと言っても、その決意が私の想いに応えるものだという保証はない。

 私を振って、ほのかちゃんを選ぶと言い出す――そんな可能性だってないわけじゃない。


 翡翠ちゃんは「まずないでしょう」と言ってくれたけど、悠人のことではすぐ情緒不安定になるマスターを励ましてくれただけかもしれないし。


 ほのかちゃんはびっくりするくらい綺麗な女の子だ。

 14歳なのは世間的にはまずいけど、将来さらに綺麗になるだろうことは、母親であるはるかさんを見てもあきらかだ。

 しかも、ほのかちゃんを恋人にすれば、いつまでも若いままのエルフの美女がついてくる。

 よりにもよって、なんでそんなファンタジーな存在が恋敵になってしまうのか。


 ……中学の頃、悠人がそういうエッチなゲームをやってたんだよね。


 まさか現実でも同じことを望むとは思わないけどさ。


 高レベル探索者の男性の中には複数の愛人を囲ってる人もいる。

 はるかさんもこの世界で重婚はできないことはわかってるって言ってたけど、それは半分だけしか正しくない。

 表立っては認められなくても、実際には複数の恋人を持つことは不可能ではない。

 悠人がそれを望んだら、私はそれを受け入れるんだろうか……?


 込み上げてくる不安を誤魔化すために、私はワインに手をつけた。


「ね、お付き合いしようよ、ゆうくん」


 なるべく軽く聞こえますように。

 そう祈りながら、舌がもつれないように言い切った。

 ちょっとは大人の女性に見えるだろうか。


「か、簡単に言ってくれるな」


「簡単なことなの! 私がいいって言ってるんだからいいんだよ。そばにいて。一緒にいて」


 ワインのおかげで、私の口から思ってもみなかった言葉が飛び出していく。


 顔から火が出そうだった。


 でも、本心だった。


 悪くない。

 酒の勢いを借りてとはいえ、ずっと伝えたかった想いを口にできた。

 悠人の感触も悪くない。


 ああ、悠人、かっこいいな。


 何かを決めたような顔をしてる。


 その何かは、私にとって絶対に悪いものじゃない。


 悠人が言葉を口にする前から、なぜかそのことが確信できた。


 ……ごめんね、ほのかちゃん。悠人だけは譲れないんだ。


「――芹香! 俺は……!」


 熱のこもった悠人の声に、私は勝ちを確信した。






 ……勝ちを確信してた時期が私にもありました。


 翌朝、見知らぬベッドで目覚めた私は、最後の最後でやらかしたことを思い出す。


「う、うああああっ! やらかしたぁぁぁっ! せっかくいい雰囲気だったのに!」


「自分で言うなよ」


 と、苦笑する悠人。


 悠人はコーヒーを淹れると言ってベッドルームを出る。


 着替えもしないままで寝ちゃったからね。

 身支度の時間を与えてくれたんだろう。


 私は慌てて、ベッドルームの鏡で髪を整える。

 くしゃくしゃになった服はアイテムボックスに入れて、予備の服を身につける。

 探索者はこういうときに便利なのだ。


「ううう……やっちゃった。千載一遇のチャンスだったのに……! 私のばかぁ!」


 よくよく思い出してみると、あきらかに適量以上のワインを飲んでいる。

 緊張しすぎてどれだけ飲んだか把握できてなかったんだ。


 コーヒーを淹れるには長めの時間が経ってから、悠人がコーヒーカップを両手に持って戻ってきた。


 ……あ、いいな、こういうの。

 朝目覚めると恋人がいて、ベッドまでモーニングコーヒーを運んでくれるってやつ。

 悠人はまだ恋人じゃないけどね! 昨日ちゃんとやれてれば、そうなっててもおかしくなかったのに……。


 コーヒーを飲みながら話すうちに、ベッドテーブルに置かれたスマホが鳴り出した。


「あ、翡翠ちゃんだ。出るね」


 断ってからスマホを取ると、


『マスター。朝から申し訳ございません』


 翡翠ちゃんが私のことを「マスター」と呼ぶのは、ギルドの用事のときに限られる。


 都内のAランクダンジョンでフラッド発生。


 「天の声」の警告がなかったのは、都内といっても新宿とは反対側にあるダンジョンだから。


「……わかった。なるべく早く戻るね。あ、ちょっと待って」


 私は悠人に翡翠ちゃんから聞いたことを伝える。


「俺も行ったほうがいいか?」


「ううん、人手は足りてるみたい。私が戻るのも指揮とバックアップのためだから」


 と、私は断るが、悠人がそう言ってくれたことが嬉しかった。

 同じギルドなんだし、これからはこういうことが普通になるんだろうな。

 思わず頬を緩ませながら電話口に戻ると、


『ところで……芹香さん。昨日の首尾はいかがでしたか? 身体に違和感があるようなら、他のメンバーを待機させますが』


 違和感?

 と一瞬考えてから、翡翠ちゃんの匂わせたことに気づいて赤くなる。


「……えっ? いやいやいや! 何もないよ!」


『何も……なかったのですか? 今ご一緒なのですよね? 例のホテルでご一泊されたのではないのですか?』


「ほ、ほんとだって! そりゃ悠人とは一緒だけど……何もない、何もなかったんだってば!」


『……そのご様子だと照れ隠しではなさそうですね。はあ、いい大人の男女が夜をともに過ごしたのに何もないなんて……。蔵式さんと芹香さん、どちらがへたれたのでしょう?』


 と、毒のあることを言ってくる翡翠ちゃん。


 へたれてないよ! やらかしただけで……。


 まさかそう言うわけにもいかず、私はぐっと息を呑む。


『でしたら、蔵式さんに代わっていただけますか? お伝えしたいことがありますので』


「えっ、代われって、どうして……? もう、わかったよ。悠人、翡翠ちゃんが少し話したいって」


 悠人にスマホを渡す。

 翡翠ちゃんが何を言ってるのかは聞こえないけど、悠人とは話が弾んでる。


 ……相性悪いかもって心配してたんだけど……思ったよりも噛み合ってる?


 ああ、もう、いやだな。

 翡翠ちゃんにまで嫉妬してどうするんだろ。


 翡翠ちゃんとの通話が終わったあとは、シャワーだけ浴びてすぐに準備、朝食も摂らずに私は協会本部にとんぼ帰り。

 悠人はホテルで朝食を食べてからダンジョンだって。


 時間がなくて話せなかった……というより、気まずくて逃げたような格好だね。


 だ、だって、あんなに大胆に誘って、深い話もして、あとは返事を聞くだけって状況まで行ったのに、酔い潰れて寝落ちするなんて……!

 そんな大失態を晒した翌朝に、平気な顔で話したりできないよ!?


「うう……次会うときどんな顔したらいいんだろ……」


 出勤にはまだ早い朝の新宿を速足で進みながら、私はひとりつぶやくのだった。

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