61 昨夜はお楽しみでしたか?

 翌日。

 俺は山道を進むバスの中でひとりごちた。


「昨夜は大変だったな……」


 レストランで芹香が酔い潰れたあと。

 俺はレストランの会計を済ませると、芹香を抱き上げ、芹香が取っていたホテルの部屋へと運び込んだ。


 以前の俺なら人を一人抱き上げて運ぶなんて大変だったろうが、探索者として能力値を強化した今なら問題ない。


 むしろ大変だったのは、酔ってやたらと温かくなった、柔らかくていい匂いのする芹香の身体の感触だ。

 俺も男なのでいろいろと堪えるのが大変だった。

 あと、周囲から向けられる生暖かい視線もな。


 ちなみに、昼のショッピングの戦果である買い物袋は、忘れないようアイテムボックスに入れていた。

 デート中は無粋だと思ってアイテムボックスにはあえて入れてなかったのだが、芹香を抱えながらボリュームのある紙袋も運ぶのは難しい。能力値うんぬん以前に手が足りない。


 芹香はかなり高そうな部屋を取っていた。

 この部屋を酔い潰れて寝落ちして過ごしてしまうのはいかにももったいないが、無理に起こすのも気が引ける。

 当然、芹香にナニカできるはずもなく……。


 俺は部屋のソファの上で朝を迎えた。

 ダブルのベッドで一緒に寝ても芹香が怒ることはないだろうが、やっぱりそういうのは正気のときに話してからにしたいよな。

 一緒のベッドで寝たりしたら俺のほうが正気を保てそうになかったってのもあるけどな……。


 芹香が起きるまで待つつもりだったが、芹香はなかなか起きなかった。

 リビングでコーヒーを飲んで待つうちに、芹香が起きて昨夜のことを思い出したら恥ずかしくて死ねるな、と気づいてしまう。


 絶対気まずい。


 そ知らぬ顔で「おはよう、芹香。いい朝だな」と言うべきか。

 それとも、書き置きを残して一人にしてやるべきなのか。


 そんなことを考えているうちに、芹香がもぞもぞと起き出した。


「はへ……? ここ、どこ?」


 目を擦りながら芹香がつぶやく。


 ……起きてしまった以上、選択肢は一つしかない。


「おはよう、芹香」


「あ、うん、おはよ……って、ど、どうしてゆうくんがいるの!? ってか、ここどこ!?」


 乱れた服と髪を直しながら、芹香が言う。


「どこって、芹香の予約してた部屋だよ」


「そ、それって、ホテルの部屋ってこと!?」


「ああ」


「えっ、じゃあ、まさか……!」


 布団をめくり、自分の身体を確かめる芹香。


「い、いや! 何もしてないって!」


「み、みたいだね……」


「……記憶はあるか?」


「えっと……レストランでワインを飲んで気持ちよくなったのは覚えてる……」


「話の内容は?」


「……お、覚えてる。まさかあのあと……」


「芹香がそのまま眠っちまってな。この部屋まで運んできた」


「う、うああああっ! やらかしたぁぁぁっ! せっかくいい雰囲気だったのに!」


「自分で言うなよ」


 まあ、いい雰囲気だったけど。


 顔を赤くしてもだえる芹香に苦笑しつつ、


「コーヒーでも淹れてくるよ」


 と、一旦ベッドルームからリビングに戻る。

 かなりいい部屋らしくて、ベッドルームとはべつにリビングやキッチンがあるんだよな。


 芹香の身支度が済んだ頃を見計らって、淹れたコーヒーを持ってベッドに戻る。


「あ、ありがと……昨日はごめんね?」


「気にしてない」


「う、うん。でも、言ったことは酔った勢いとかじゃないからね?」


「わかってる」


 どう答えたものか悩んでいると、ベッド脇のテーブルに置かれた芹香のスマホが鳴り出した。


「あ、翡翠ちゃんだ。出るね」


 芹香がスマホを手に取った。


「……うん、うん。わかった。なるべく早く戻るね。あ、ちょっと待って」


 芹香はスマホから口を離し、


「戻らないとみたい」


「どうしたんだ?」


「都内のAランクダンジョンでフラッドだって」


「またかよ。そんなに頻繁に起こるものなのか?」


「そんなはずないんだけど。翡翠ちゃんが言うには、カスケードの余波なんじゃないかって」


「俺も行ったほうがいいか?」


「ううん、人手は足りてるみたい。私が戻るのも指揮とバックアップのためだから」


 と言って、芹香が電話口に戻る。


「……えっ? いやいやいや! 何もないよ!」


 芹香が慌てて何かを否定する。


「ほ、ほんとだって! そりゃ悠人とは一緒だけど……何もない、何もなかったんだってば!」


 まるで目の前に灰谷さんがいるかのように手をわたわたと振る芹香。


「えっ、代われって、どうして……? もう、わかったよ。悠人、翡翠ちゃんが少し話したいって」


「俺とか?」


「うん」


 俺は芹香のスマホを受け取った。


『おはようございます、蔵式さん』


「ああ、おはよう」


『昨夜はお楽しみでしたね』


「……おまえ、さてはそれが言いたかっただけだろ」


『実際、どうだったのですか? 芹香さんの豊かな胸にむしゃぶりついた感想は?』


「むしゃぶりついてねえよ! ほんとに何もなかったから!」


『それはそれで問題でしょう。われらがマスターが勇気を奮って誘ったというのに手も出さないとは……乙女心をなんだと思っているのです?』


「しょうがなかったんだって」


 われらがギルドマスターの名誉のために、一人で酔い潰れたという事実は伏せておく。


『はあ、呆れましたね。私の立案したパーフェクトプランが台無しです』


「やっぱりおまえが考えたのかよ」


『そうでもしないと発展しそうにありませんでしたので。蔵式さんも芹香さんも、もういい大人の男女なんです。素直に関係を持てばいいでしょうに』


「……用件はそれだけか?」


『いえ、もう一つだけ』


「なんだ?」


『お二人とも大人なのですから恋愛はどうぞご自由に……と思いますが、それでもあえて言わせてもらいます。蔵式さん、芹香さんを泣かせたら絶対に許しませんからね。パラディンナイツの全構成員が敵にまわると思ってください』


「わ、わかってるよ」


『本当ですか?』


「大事にしてるからこそ時間がかかってるんじゃないか」


『そんなの、蔵式さんのヘタレを正当化するための言い訳です。大事にしたいのなら、ちゃんと繋ぎとめてください。それが大人の恋愛というものではありませんか?』


「……灰谷さんは恋愛マスターなんだな」


『そ、そんなこともありませんけど……。蔵式さん、今のはセクハラですよ?』


「いや、灰谷さんのほうがよっぽどだからな!?」


『では、失礼しますね。こちらも暇ではありませんので。朝から楽しむ予定がないのなら、芹香さんを早く返してくださいね?』


「なんか俺に対して当たり強くね!?」


『蔵式さんの気のせいでしょう。単に、私以外の人間が芹香さんの均整の取れた身体を好き放題できるのかと思うと、イライラしてしかたがないだけです。まったく、おかさまで寝不足だというのに、関係が進展してないと聞いてがっかりしました』


「応援してるのかしてないのかどっちなんだよ」


『応援してますよ。芹香さんのためですから。いわば純愛です。愛しているからこそ身を引いて、芹香さんが好きな男性に抱かれるさまを想像するのです。その、胸を引き裂かれるような感じが素敵です。それなのに、ここまでお膳立てされてまだ手を出していなかったとは……私のドキドキを返してくれませんか?』


「何気に業の深い性癖してたんだな……」


 昨日までの怜悧で有能そうな灰谷さんを返してほしい。



 ……ともあれ、そんなこんなで、あまり深い話もできずに、芹香は探索者協会に戻ってしまった。

 お互い照れてて、時間があってもまともに話せたかどうかは怪しいけどな。

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